【ゲーム】ソニー&任天堂が開発した幻のゲーム機「Nintendo PlayStation」のCD-ROMでのゲームプレイにハッカーが成功 (gigazine) [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年05月08日 12時21分00秒
任天堂のスーパーファミコン用のCD-ROM機としてソニーが開発していた「PlayStation」は、最終的には日の目を浴びることなくお蔵入りになりました。
その後、ソニーは独自にゲーム機PlayStationを開発しますが、その原形となった幻のゲーム機「Nintendo PlayStation」のCD-ROMを使ってゲームを起動させることにハッカーが成功しました。
幻のゲーム機「Nintendo PlayStation」は、ソニーと任天堂が開発していたプロトタイプが世界でも200台ほど製造されたと考えられています。
その貴重なゲーム機を、オークションで75ドル(当時のレートで6800円)という激安価格で落札したテリー・ダイボールド氏が、Nintendo PlayStationの実機を披露して話題になりました。
電子機器を分解・修復するYouTubeチャンネル「The Ben Heck Show」のベン・ヘック氏が、ダイボールド氏から実働する貴重なNintendo PlayStationを借りてバラバラに分解し、分析することになりました。
バラバラにする様子は、以下の記事内の埋め込みムービーで確認できます。
(続きや関連情報はリンク先でご覧ください)
引用元:gigazine http://gigazine.net/news/20170508-nintendo-playstation-work/
※関連板 http://mint.2ch.net/gamenews/ ゲーム速報 ポリーステーションはファミコンだったが
これはスーパーファミコンか >>5
このコントローラーだけでもオークションに出したら数万の値が付くだろうな >>9
CD-ROM側に256KBのRAMが増設されてる以外はスーファミと同じ >>2
ゲーム開発の会社が倒産すると、開発機器を持ち逃げした社員が売る事は割と良くある >>14
拡張CPUチップも載ってるから
ただPS1より遥かにショボいが >>7
組んでたら今頃ソニーに吸収されて、BotWみたいな良作と巡り会えなかったよ。 任天堂が没にしたおかげでPCEは首の皮一枚残ったかな
最後の方のカートリッジソフトなんか
一万越え多発してたからなあ >>1
これのどこが速報性のあるニュースですか?>Sunset Shimmer ★ スーファミ本体CPUが直接アクセスできるところにRAMがないと動作しない
ここの容量は一度に読み込めるデータに関わる
>>14としても、本体カートリッジ差込口にRAMカードを刺すのはPCエンジンと同じ
RAM領域の最大値ってどのくらいだったんだろう
32ビットアドレスで四ギガバイトかな 開発機材が有るってことはテストプログラムかプロトタイプ的なソフトは完成してた可能性は高いぞ 3dもないのかこんな中途半端な性能なら出さなくて正解だったな CDなんかにしちゃうから、クソゲーしか作れないアニメーターが、アニメの方が手軽で面白いですよと、高額円盤商売なんかしはじめるんだよ >>25
1の記事だと試作機が200台有るって話だから
試作機貰ってたゲームメーカーはゲーム作り始めてたんだろね >>1
もしかしてディスクシステムみたいな書き換えとか考えていたのだろうか? >>22
65816のアドレスバスが24ビットだからねぇ おれの部屋の片隅においてある3DOは数百年後オーパーツになりうるだろうか? ソニーのプレステもそうだけど
この開発に携わった人間ってボトムズが好きだったんだろうか?
PS(ピーエス)と略される事を意識しているように思えるし >>7
>任天堂はここで道を誤ったのか
ロイヤリティで相当揉めたからね。
だったらソニーは独自でゲーム機作ってやるわ!と方向転換させるくらいうまくいかなかった。 それでもSFCの次は64でカートリッジ採用だったんだな ソニーがCDで出したくて、でも任天はカートリッジに拘った…てのも決裂の原因なんだっけ? SFCのゲームソフトで画面が表示されるまで随分待たされたゲームはあっただろう?
当時はROMの価格が高かったからグラフィックデータをROM内に圧縮して入れて
必要に応じて展開してたのさ
技術力の無い会社はデータをROM内にベタに入れていた
SSはデュアルCPUだったので2D格闘とかサブCPUで圧縮データの展開をさせたり
ポリゴンが四角だったのでフラットポリゴンにテクスチャー貼って巨大スプライトとして使ったり
そんな時代もあったのさ >>38
PSはロード地獄だったからカセットもありだとおもう youtubeで第〜次ゲーム機戦争ってのを全部見たけど凄い長かった
任天堂がSFCで光ディスクを採用しなかったせいでカートリッジのソフト¥1万以上とかするようになっちゃったんだよね
いまのPS4の時代でも¥1万超えるゲームなんて殆どないのに >>36
セガサターン持ってる奴がプレステユーザーに
「お前もPSか」と言うのは面白いかも
「私はネクスタント」 >>39
CDソフトを任天堂が作るかソニーが作るか。
当然ソニーはCD生産で儲ける算段だったがCDソフトも任天堂が生産して独占する。
ソニーはCDドライブを開発するだけでいいという提携内容にソニーが反発。 スーファミにCDドライブくっつけただけの糞マシンだったんだな
PCエンジンじゃねぇかただの >>22
スーファミってファミコンみたいにROM上のコードを直接実行してるんじゃなかったのか 94年か95年頃だったと思うけど
俺は個人的にはPSよりもSSを応援してたんだけどな
VFが好きだったし パンツァードラグーンとか好きなゲームもあったけど
PSにリッジ、鉄拳があったことに加えFF7が発売されたことで
勝敗が決まってしまった これは本当に有名な話だよね
この件で怒ったSONYの上層部がプレステの開発にもっていったんだね
他に知ってるのは、ナムコが台湾のEFAでゲームマシン開発してたのと
SEGAのDCの次のマシン。ナムコは試作まで、SEGAはデザインだけで
終わったんじゃねーかな?
ゲームボーイミニは、別の名前で発売されたけど
注目されずに消えて行ったw プロトタイププレイステーションとか
ガンダムみたいに、派生機がたくさん出そう おもしろいわな。
ソニーはCDROMDVDROMでゲーム業界になぐりこんできて
アップルは内部メモリ、クラウドで音楽業界で活躍することになるとか。
あたらしい流通の形をとれなかった企業は
致命的なダメージをうけるという。 喧嘩別れ話が嘘か本当か分からないころから、共同開発機名がプレーステーションでソニーがそのまま名前使ったって話が
本当だった上にロゴさえも同じだったのだけは面白かった 山内組長時代は初心会のように任天堂が絶対的に上に立って、提携先は隷属的に従えという体制だったからね。
ソニーも任天堂の傘下に下るような事は立場上できなかったんだろう。
当時のソニーはプライド高かったから。
ちなみにスクウェアが任天堂から追放されたのはスクウェア側がやらかしたのが原因で、スクウェア側から出ていったわけではない。 >>50
うんうんわかるよ
リッジよりセガラリーだったし、ハイパーオリンピックよりデカスリートだったね 任天堂がswitchでカートリッジに戻ってくるとは思わなかった サターンは安全策を取って、CD-ROMとカートリッジスロットがあったな。
カートリッジって何か買った記憶があるが、忘れたわ。もう20年以上も前のことか >>15
セガのシステム16改造版ファンタジーゾーンIIのアーケード基板のデータってどうやって流出したんだろ >>56
それSFC時代のスクウェアじゃなくてFC時代のナムコ(ナムコット)では?
ニチブツやデコやアトラスへの名義貸しが横行して組長の逆鱗に触れた挙句任天堂ハードから一時引き上げ >>42
マイクロニクス下請け分は黒画面で異様に待たされたイメージ
魔界村しかり雷電伝説しかり >>56
スクエアとエニックスは、SONYが引っ張ったんじゃなかったっけ?
SEGAも交渉してたけど、結局、負けた
仕方なく、バンダイ吸収しようとしたけど、ご存じの通り >>62
安全策取ったんじゃなくて、社内意見まとめきれなかっただけだよ。
だから、SEGAのハードは、使いもしないコネクターや拡張端子が
必ずある >>66
スクウェアはプレステに参入表明した、FF7でな
その後エニクスを誘った
その際にNINTENDO64はダメなハードだと言っちゃった
それが組長の逆鱗に触れた >>64
ナムコは年間ソフトタイトル無制限のセカンドの立場を悪用して他社ゲームの販売代理をしていたのも事実だが、その後の契約更新時にサードへ引き落とされて年間タイトルの上限が決まったから不服として任天堂と問題にならなかったか?
任天堂と契約無しでゲームを出すとも言い出して凄い争いだったしな。 >>70
ナムコの中村社長だからできたんだろう。
他に組長と殴り合えるような人物はおらん。 >>70
続きだが、それでナムコはPCエンジンやPSへ積極的に関わるようになって、PSの発売前は自社ハードすら開発していた。(PSの話が出て来たので開発中止にしてソニーへ寝返ったらしいが) スーファミのCDディスクシステムがプレステかW→ソニープレステにW
スーファミのCDディスクシステム→ニンテンドーゲームキューブへW(任天堂初CDロム器)
スーファミのCDディスクシステム頓挫してニンテンドー64かW(カセット式ロム器) 当時の任天堂は一強時代だったし無双状態。
しかも山内組長の絶対王政だったからね。
結果的にそれをソニーが壊して、さらにスマートフォンが壊したわけだが。 今は世界のApple様にマリオラン納めて食ってマス^^ >>23
64対応ゲームとPSに流れたゲームだなW
PSに流れた作品鉄拳リッジレイサーFF7
64に流れた作品007(ゲットダウンバクになってる)バンジョカズウィ(クラシュバンディクシリーズのユニバーサル製作)
SFC流れたスーパードンキーゴング(フルCG) >>7
力関係がカセットROMからCDROMへ移行する流れがあったからこのままだと下請けにしていたソニーに任天堂が支配されるという危機感があった
それでスーファミがカセットROMのままで大成功しているからCDROMイラネという判断に至った >>17
SONYと仲違いした後にPhilipsと作ったやつには32bit CPUが載ってるけど
この人が持ってるSONY製のプロトタイプには載ってないよ PSのバイオ1のローディングの長さに苛立ってやり込めなかった。
SSの方が短かったよな?(´・ω・`) あの時期のCD機はおそすぎて話にならなかったからしゃーないな。
実際64のほうが面白かった。 >>42
確かにテイルズオブファンタジアはアイテムの画像が表示されるまでちょっと待ったな 久夛良木が密かに開発、なんて今のガバナンスが強化された時代じゃ
できないんだろうな >>50
俺もセガ派だったわ。
プレステのがライト層に支持されたからな。。。 >>80
確かに長かったが
そこは当時演出でカバーしていて気にならなかった
むしろあの長さが怖さを増していた
いまだったら面倒で耐えられないのだろうが 言い方は悪いが、子供のおもちゃの部品で1万もするものを
ちょいちょい買ってくれた親に感謝しよう… >>87
考えてみると異常だよな
まだバブルの余韻があったかも知れないけれど CDかROMかは、当時としては 提督の決断 だったろう。
結果的には、これはCDが勝利した・・・。
サードパーティーの参入のし易さが効を奏したし、
ROMに焼いてまでゲームに拘らなかった >>89
16bit戦争はROMカートリッジと言うよりはSFCの勝利だったろ
PCEとMDはCDROM採用してもSFCには勝てなかった SFスタオーとかROMはコピープロテクト凄かったですが
ユーザーのソフトの安値感からCDに流れて行きましたね
ユーザー至上主義の勝利てMP3プレーヤーや携帯以前から始まってましたね
今から考えると >>90
時代と本体価格を考えろよ。あとセガやNECが被害を受けた任天堂初心会の嫌がらせもなw 名機スイッチやPS4は産まれなかった可能性があったんだな >>37
何でそういう確定ソースの一切ない妄想をさも事実で
あるかのように書くの? >>91
ゲームのCDもプロテクトの事も考えてたらしいよ。なんせね、家でプレスなんて出来ないでしょ?無理無理、カードリッチ(ファミコンのコピー機家庭用とか既にあった)より無理無理!
ところがどっこいよ。色素に焼き付けるなんて、予想だにしない物が普及。懐ゲーのCDなんて、何のプロテクトもかかってない。後に、プロテクトがかかりだす。 >>40
1990年あたりに流通してるHDDの容量と価格を考えたら
CD-ROMソフトの違法コピーは割に合わないんだよ
そしてCD-Rドライブはまだ出るかどうかという時期で個人
で買えるような値段じゃない >>42
確かにデータを圧縮解凍してるソフトもある
でもスーパーファミコンのROMは単純に遅い
ROMカートリッジなのに読み込み待ちがあるのが
スーパーファミコンなんだよ >>64,>>70
ゲハの妄想が何故か事実のように語られてるんだが
任天堂は製造委託費とロイヤルティが完全前納だから
中小にとっては負担が大きすぎるんだよ
再生産が凄まじく遅くて一度品切れを起こしたら再出荷
は絶望的だから見込み以上に任天堂に発注しなければ
ならない
つまり最低でも数千万円の現金が必要なんだよ
ナムコを間に挟むと大量の現金がなくても参入出来た
単にそれだけの話だよ 初代プレステ以降ゲーム機は買わなくなってしまったが、
プレステからいわゆるクソゲーが急激に増えたように思う >>81
PCエンジンのローディングはほぼ一瞬、長くとも数秒で終わる
プレイステーション以降グラフィックデータが爆発的に増えた
のは事実だが単にPSのCD-ROMドライブが異常に遅いだけ 確か最初はソニーがスーパーファミコンのCDロムドライブと一体型を開発するという話だった
ところがCDロムのゲームの権利はソニーが握り
任天堂の権利はカセットだけという契約になっていたのをアメリカの任天堂から指摘されて途中で任天堂が断った >>100
ネオジオCD「PSのロード時間など、まだまだよ >>98
そうだね。
ハドソンがファミコンへの参入にあたって
任天堂と契約するときに問題になったのは前金を支払わなければならないこと
ファミコンロードランナーでは150万個分の契約をした
カセット1個について一定額のお金を任天堂に支払わなければならなかったがその総額が何十億という金額になった
ということを「新電子立国」で工藤社長が証言しているな。
結果的にハドソンは博打に勝ったからいいようなものだけど、堅実経営を目指す中小のメーカーにはナムコの存在はありがたかったろうね。
契約で認められた正当な行為を「悪用」などとナムコをなじる方がどうかしている。
そもそもファミコンはNESと違ってプロテクトがなく、出そうと思えばハッカー社みたいに
(ファミリーコンピュータという商標を使わなければ)自由にソフトを出せたわけで、別にナムコは任天堂と契約せずともファミコンソフトは出せた。 >>68
スクウェアがFF7を発表した際に山内は堀井に(ドラクエ7は是非任天堂ハードで)よろしく頼むと嘆願した
だがドラクエ7はサターンでの開発も噂されてたな >>103
ソフト側は非圧縮データをディスクにぶち込んで
しかもハード側も等速ドライブというダブルコンボ
+イライラ助長のローティング画面
よくあれで遊んでたもんだと思う http://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history
当時のソニー関係者側から見た任天堂の振る舞い ソニーに起訴を起こす気が無かったっていう部分が面白い
起訴に発展しなかった所を見るとどっちにも何かしらやましい部分があったから反故になった気がする 最新技術と理念を盛大に盛り込んでいくソニーと
枯れた技術志向の任天堂じゃ
SFCが構想通り完成してても結局どっかで喧嘩別れの未来しかなかったんじゃね >>50
パンツァーの続編はもう出ないのだろうか
板野サーカスの如く
どっぴゅんどっぴゅん吐き出すレーザーは恐ろしく中毒性があった 都内の大きい中古屋行くと任○堂宇治工場とか書いてある開発用ロム売ってる時あるし
昔は任○堂も意外と緩かったんだろうな >>110
200台作ってたと推測されてるし、完成度から見て、有力サードパーティや自社ソフト開発担当部署には既に実機が
出回っていたと思われる。
当時既に大作は開発に年単位かかってたわけだし、同時発売を考えるなら十分考えられる。 >>104
大森田不可止さんという元ナムコの人も「ナムコは
サードパーティ交渉が不調に終わっても任天堂に
無断で対応ソフトを出しても法定で負けないことを
確認した上で参入交渉した」って明言してる みんな古い話なのによく覚えてるね
ホントその博識ぶりに感心するわ >>111
スマン 俺が見たのはスレ記事のやつじゃなくて普通のスーファミのやつだわ
プレステのやつも売ってるかもしれないけどな >>78
そういえば光ディスクメディアいっさいなかったね。
任天堂。 ソニーは加えて、プレステに当時のパソコンにさえ無かった3D処理専用の今でいうGPUを採用するという先進性。
任天堂は昔から保守過ぎてだめだ >>116
スーパーFXチップがあったやん。
3Dのワイルドトラックとか、遊んだぞ なんかHUNTERxHUNTERのグリードアイランド編を思い出すわ Handles 2D graphics processing, in a similar manner to the 3D engine
これがプレイステーションの3Dエンジンの説明? こういう明後日方向の情熱をもった技術者なんか今のソニーにはいないからな・・・
みんな出世にしか興味がない
お城スコープさえ使えない連中が技術マネジメントしてるぞw >>116
というかそもそも当時の技術水準だと専用のハードを載せるしか方法が無いんだよ
スーファミはSuperFXをカートリッジに入れ、サターンはSH-2を2基にし、PSはコプロのGTEを載せた >>100
CD-ROM2が一瞬なんてそんなことはないw PSの読み込みがサターンの同ソフトよりかかるケースが多いのは事実だがな
スペック上は2倍速で同じ >>100
当時pcエンジンCD-ROM2システムもDUOも持ってたけど、一瞬はない
天外魔境ZIRIAとかイライラMAXだったわ ゲームのダウンロードも衛星回線でやっちまうと言う謎の先進性はしょっちゅう発揮してるぞ任天堂 任天堂とソニーが当時の時代背景が要因となって決裂して、その後のゲームの流れが変わっていった。
そのゲームの歴史の分岐点とも言える事件。象徴的産物がこのCDドライブなんだよね。 >>123
なら技術力が遥かにあがった今はCPUだけで3Dゲームやってるはずだろ
CPUだけで高度な3Dゲームなんか今も昔も出来ない
当時超高価なワークステーションが専用ハードで3Dを描写してたことを
ゲーム機にも持ち込んだ先駆者がPS。
だからプレーステーションはワークを遊びのプレーに言い換えた造語 >>131
PCエンジンが時代を先取りしすぎていて誤った教訓を残してしまったのかもな 国産PCが、MSX、PC98、X68と、隆盛だったのを背景に。
任天堂も、自社製パソコンを出す
と、発表した時期があった・・・。出なかったけど >>132
技術が進歩してCPU内のベクトル演算ユニットだけで3DをやったのがPS2やDreamcastね
その後はGPUに道を譲った >>133
CPUってのはポリゴンだの3D描写をガンガンやらせるのに不向きだから
それ専用に作られたグラフィックボードってのが誕生したんじゃん。
グラボ引っこ抜いてソフトウェア処理で3Dゲームやってみろよ
それがグラボ誕生以前のパソコンでやってたことだよ。
だからPS出た当時は3DゲームにおいてPSがパソコンを遥かに超えてたんだよ。 >>132
X68000で、ジオグラフシール という市販3Dゲームがある。
CPUは。16MHZ。 >>67
おっとスーファミの悪口はそこまで!
あっ確かあの端子サテラビューに使ったかw ちなみにID:iKElo/UU0は何か激しい勘違いをしているようだけど
PSの専用プロセッサであるGTEが担当していたのは全体の処理のうち「座標変換」だけです
PC向けの3Dグラフィックボードが登場してもしばらくは
「座標変換」はCPUで実行する「ソフトウェアT&L」であり
「座標変換」をGPU側で実行するようになったのは「ハードウェアT&L」が導入されたDirect3D7以降です
ドリームキャストやPS2はこの「ハードウェアT&L」のギリギリ前の世代で
PSのGTEでやっていたような処理はCPUでやっています >>135
セガマーク3のVDPが載ったパソコンが欲しかったなあ。 >>62
サターンのは記録用メディアで使ったろ
純正でもデータが飛ぶ素敵仕様で涙したユーザーも少なくないはず 3D描画のためにCPUとは違う専用ハードの力を借りるという
今当たり前のことをゲーム機本体でやり始めたのがPSであることに変わりはない。 >>109
クリムゾンドラゴンで死んだのでもう無理です >>148
だってピンアサインがそもそも間違っていたからな。 プレステを知らない頃
CDでどうやってデータを保存するんだろうまた復活の呪文システムかなと
メモカなるものがあると聞いて
なるほどねと
えっいやならメモカが無いと遊べないじゃんと
このままではセーブできません
なるほどねと >>138
nVIDIAのジェンスン・ファンが今のgeforceのご先祖様であるところのNV1を
持ち込んだのが当時のセガだったんだよなぁ。 >>149
いやいやいや
だからポリゴンの頂点と頂点を繋いで面を塗りつぶすような3D特有の処理はサターンも専用ハードでやってるわけ
PSはその前の段階の「座標変換」がCPUで追いつかないから専用のコプロを用意したというだけで
CPUで追いつくようになったDCやPS2はむしろCPUでやってるの プレステはナムコミュージアムのために買って、プレステ2、プレステ3になっても結局ナムコミュージアムしかほとんどやっとらん。 当時の任天堂は コピーされまくりのCD媒体を嫌って 発売しなかったというイメージが俺の脳裏に残ってるけど
バグかもわからん >>132
きょうびソフトウェアレンダリングなんて余裕過ぎるぞ。無駄だからやってないだけで。
JavaAppletか何かでスキャンラインとzバッファあたりの処理をしこしこ書いて自前のdrawprimitive書いてるサンプルがあったはず。
そのサンプルなら、drawprimitiveindexedも使えないような旧式のへこいオンボードビデオカードでも、もちろん再生できる。
CPUだけで計算してるから。
縦横何ドット対応するかにもよるけど、そのサンプルAppletはペン2の頃で余裕で動いてた。 >最終的には日の目を浴びることなくお蔵入りになりました。
「日の目」は「見る」ものであり
「浴びる」のであればせめて「日の光」でないとおかしい >>158
そういう記事はよく見た記憶がある。
ゲームキューブの頃かな? >>157
吸収されてって、任天堂否定してるのに、何が信者。w
半年romってろ。 スーパーファミコンCDが世に出ていたら、メガCDやPCエンジンスーパーCDROMを駆逐できただろう >>95
プレステプロテクトとかかかってましたが
一般でも金手指で自炊したCD普通に動いてたかと
データはそのまま見れるから自炊し放題 まぁ結局なんだかんだ
割を食ったのは関係無いセガなわけだがw これって当時の社長がソニーの要求するマージンの比率に納得出来なくて結局ポシャった奴? >>163
セガじゃね?
DCではGD-ROM採用してたし
任天堂はローディング速度を重視してたかと >>127
天外魔境は突貫工事で作り直したから設計が悪いんだよ
だから天外魔境IIはザコ戦前にローディングしないように
なったし >>154
SFCでもやってたよなぁ
スターフォックスでカートリッジに処理能力を持たせてたような >>125
CD-ROM2でローディングがクソ遅いゲームがなかった
とは言わない
設計が悪いゲームは間違いなく存在したから
でもちゃんと設計されたゲームは速いんだよ
プレイステーションの糞長いロード待ちと同じイメージを
持ってはいけない プレステのソフトをpcで動かすのは結構早く出回ったよな
ドリームステーションとかなんとかいうの >>173
バーチャルゲームステーション(VGS)
当時のiMac程度の性能でも十分動いた この頃の経営者はまだまだ血気盛んでいいな
今は手数料と税金のピンハネしか考えとらんからなあ >>94
妄想?
当時SMEの丸山正雄氏も同じ事を話してるけどw >>172
>ちゃんと設計されたゲームは速い
ちゃうちゃう
ネオジオCDは別として、ちゃんと設計したゲームは遅く、むしろ同じデータをあちこちに配置するようなロムカートリッジじゃあり得ない変態設計が早いんだよw この頃って日本のメーカーが、世界的にも圧倒的に強かった頃だよね
韓国製品とか中国製品は安いけど粗悪品ってイメージだった
良いものは日本、ドイツ、オランダ製品 >>49
スクウェアなんてデータ圧縮しまくってるぞ。
ストリームなんて無理無理 >>72
ソニー社長がナムコ側に「リッジレーサーの発売日がPSの発売日だ」と言ったとか何とか >>89
CDかROMかって、頭大丈夫?CDがROMだよ? >>99
なんで買ってもいないハードのゲームをクソゲーと言えるのか。
こういうクズが動画だけ見てクソゲーとかこき下ろすんだろうな >>5
ソニーが作ってたのって、SFCにつけるCDロムドライブじゃなかったっけ?
コントローラまで変わるの? >>171
SuperFXチップだっけかねぇ。
ワイルドトラックスとかもフル3Dだったよね >>92
だから任天堂が勝利したのが史実だろ
頭おかしいのか?
>>145
マーク3用のシステムカートリッジでよかったんだよなあ
ホントに作ったら内部構造開拓解析されまくるから
メーカーはやらなくなったね 任天堂はもうハード屋止めるべき
オモチャ屋がなんとか出来る時代はとっくに去った あるかどうかもわからない目先のロイヤリティーに目がくらんで
任天堂は一強の20年を失ったな >>190
課金も始めたので保護者の信頼も無くしたしなw >>166
開発していた時の話だから、メガCDとかとかの頃の話でしょ?CDRってあったの?90年代前半。 >>193
PSやサターンが出た94年にはあったな。メディアは高かったような。 昔CD-R焼く機械買ったからって、プロテクトやユーザー認証の無い
エロゲやら何やらを得意げにコピーして渡してくる知り合いが居たな
そのまま家に持ち帰って、(物理的に)割ってたけど
感想聞かれたときが一番面倒だった >>193
90年代前半にはない
半ばには個人でも購入可能になったが本体価格が
数十万円でメディア代が一枚数千円
つまり違法コピーしても元が取れないのでCD-ROM2
ではコピープロテクトを施す必要がなかった Win95以前にはドライブが40万円、媒体も1枚5千円以上してたけど
96年頃には10万円を切り、媒体も1枚千円前後になってた 本体10万円
CD-R1000円の時に買いましたわ
5インチ2HDが1枚1000円したときも味わった そのおかげで流通革命起きたしな
結果としてよかったんじゃないかな PCエンジンの頃はドライブ何十万とかで本物買った方がマシだったけど
プレステの頃はCD-R時代だったから謎の金属棒が大活躍したw >>170
天外2はスーパーCD-ROM2対応だから。
スーパーと言ってもメモリが増えただけど(´・ω・`) >>199
高校生の時に富士通純正の3.5インチ2HDを10枚
5千円で買うのを強要されたよ
この時期は5インチだったら10枚2千円しなかった
と思うんだけどなあ >>161
スーパーファミコンの時代には PCエンジンにCDロムのゲームが発売されてて
金持ちのおぼっちゃんが買ってたよ >>204
甘い。その当時の真の金持ちのマシンはCSゲーム機ではなく、パソコンのX68000。 セガvs任天堂って本が割と面白い
アメリカのセガ社長が主役でアメリカ人が執筆しただけあって、
どうでもいい描写を延々と繰り返したりしてて普通にまとめれば1冊で済みそうだが
この本の中でこのゲーム機のネタも当然出てくる >>163
スーパーファミコン全盛期を過ぎつつある頃の話
既存のゲームに飽きた客が 喋りまくるPCエンジンに流れ始めつつあって
セガが一早く メガドライブの下駄としてメガCDを発売したけど これがまったく売れなくて
一方 任天堂は 下駄の開発を中止したが運の尽き
その後発売された サターンとプレイステーションに ごっそり客を持っていかれたイメージ >>207
64の発売が遅すぎたせいって印象がある >>206
キチンとリンク貼って告知しよう。私の趣味でAmazonではなくhontoで紹介する。偏狭なナショナリズムには染まっていないが、なるたけ国内の企業を応援したいのでね。
https://honto.jp/netstore/pd-book_28338401.html
https://honto.jp/netstore/pd-book_28338402.html
この二冊を図書館に入れてもらい、今読んでいる最中。上巻を読み終え、今下巻を読んでいる。
>>208
X68000が欲しかったが、値下がりするのを待っていたらPC98シリーズの性能がX68000を上回ってしまったので、大学入学祝にそちらを買ってもらった。それから後はPC98のゲーム(エロゲー含む)に明け暮れた。
ああ、勿論勉強はしっかりやって、キチンと4年で大学は卒業したからね。PC98を購入してくれた両親には、今でも感謝している。 >>170
天外魔境でもCDを仮想ディスクにしてエミュレータで使えば
読み込みは一瞬なのでストレスが無い。 >>78
成功体験に執着した結果、64で爆死、光ディスク移行にも遅れて据置市場で苦戦しているし。 SFCは秋葉の駅前に穴場があって、発売日の翌日には買えたけど、メガドライブが
反動で安くなってるはずと踏んだ俺は賢かった。底値でメガドライブが買えた(当時)。
メガCD→Super32Xと拡張したわ。ACアダプタ3個には閉口したけどな。 >>215
ダウンロード専用だがサテラビューと記録も出来る64DDを忘れるなよ。あれは任天堂専用だぜw 64DDとかグダグダ過ぎて採算合わないからランドネットに押し付けて知らん顔してただろ >>218
バーチャルボーイも小売に押し付けて
あの大惨事で黒字を謳ったからな >>221
でもそのお陰でハードは安いのに高性能だったファミコンから64までが出たのだぜ。サードの在庫も初心会のお陰で全て捌けたし
運悪く64だけはソフトのコストや再生産が遅いのでCD-ROMのプレステやサターンに負けてしまった。(サターンは国内だけね) 初心会って任天堂タイトル優先でサードの発売日もコントロールさせなかった小売にクソゲー押し付ける悪徳問屋集団だろ そういうのは今でも国内ではPSと任天堂のソフトスケジュールや売上にも表れてるよね 初心会って会費が年間300万円だっけ。
これを納めないとゲーム問屋ができないし、ヤクザのみかじめ料と変わらんよな。 >>217
あったな〜64DDw でもアレって64版ディスクシステムだろ? 64かぁ。懐かしいなぁ。
ゼルダ&マリオ専用機になってたが、空飛んだり、的に打ち出されたりする題名不明のゲームは記憶に強く残っている。あれ、何だったんだろ。永遠と空飛んでたわ。 >>222
バカなのか?
任天堂のリピートが糞遅く在庫切れを起こしたら商機を
完全に逃すからサードは大量に発注しなきゃならないが
問屋はそれを全部引き取ってくれるわけじゃない
そんな任天堂だけがノーリスクで儲かり続ける恐ろしい
集金システムだったからサードが過剰在庫を抱えずに
済むプレイステーションに移行したんだよ >>205
パロディウスやファイナルファイトは完全移植だったしな 64DD開発時に言ってた、街の形とかがディスク一枚ごとに、他の人のものと違うように書き換わっていくって話は子供心に夢があったなあ
いまはHDDやSDカードで、やろうとしてたこと実現できてるのかな どうぶつの森ってもともと64DDのソフト間のつなぎ?(ソフト起動や、メール書いたり)みたいな感じで作ってたものなのかね? NINTENDO64も最初は買う気は全然なかったけど、部下から捨て値で売ってる
とこがあると聞いて買ったな。確か1万5千円くらいだったような。やはり
メモリやカートリッジの容量が厳しい感じだったが、それをうまくカバーしてた
マリオ64とか時オカとか良く出来てるなぁ、と感心したよ。 サテラビューも64DDも売れた可能性があったのにな。どちらも出るのが遅かった。特に64DDは発売が早ければFFもドラクエも64で出ていただけに本当に勿体無い 64は、64ビットにする意味が無かったからなー・・・。
今でこそ64ビットは、必要性があるが、それはメモリ容量の増加が原因だしな・・・。
64ビットというなら、
プレステ2は128ビットだっけ? NECはCDが出すのが早すぎた。
セガはCD出してもソフトが使いこなせなかった。
ニンテンは27000円とかありえない価格ちらつかせて威嚇したり、チラチラ出す出す詐欺がひどかった。
結局16ビット機までにあってもなくてもどっちでも良かったのがCD。
32ビット以降でCDが採用しないニンテンは後で馬鹿を見た。
そして苦し紛れに次の次で8cmDVDとか斜め上杉だった。 セガは、CD機に拡大縮小機能とか、内蔵してたと。
それで、3Dゲームがでてたし。
そにっくcdも、3Dステージが >>237
SFCの16から64になったので、ゲームキューブで64の4倍の256になると思いきや、32に半減したしなぁ ゲームキューブも数年前までアマゾンで新品が2000円くらいで叩き売りされてたな。 >>238
NECは8bitでCD機出しちゃったしなぁ >>237
128ビットとかドリームキャストを思い出すな(CMでセガが言っていただけだが) 128は数えているものが違う
今まで通り数えるならDCは32bitだしPS2は64bit
もちろん32bit以上は実際の性能に反映されるものではないけど DCはまだましだけど、セガっていつもコスト構造とか設計してるやつの頭がな、
MDからSSまでどうかしてる・・・
DCも2万だの1万だのになったり。 DCは、プロバイダー料金込みの価格だったよなwww >>238
ファミコン通信みたいなこと言ってるな
ファミコン通信は「CD-ROMの大容量なんて使い切れる
わけがない」なんてバカにしてたけどCD-DAという回答
を示したらPCエンジンに対してはネガキャン記事しか
載せなくなったからなあ >>239
スーパーファミコンへの対抗でどうでもいい機能を
てんこ盛りにする一方同時発色数を増やさなかった
のでユーザーに批判されまくってたなあ
あくまで「BG面の拡大縮小機能」なのだが実際には
スプライトの拡大縮小にも対応していたらしい FM-TOWNSは、前面にCD入れがあってオサレだったのに、
全く流行らなかったのはなぜだ スプライトとか色数とか基本的すぎて、メガCDからじゃ使えないんじゃないの。
それこそ、メガドラをただの映像出力として使うくらいにしちゃえば可能だろうけど。
そもそも、そこまでやるのならもうメガCDじゃなくて新マシンでよくなる罠 メガCDになると、CPUを3個も持つんだお・・・。
これに吊られて、サターンはCPU2個と5つのうんたらという構成になったが、
普通に1つのCPUのプレステのが優秀で、低コストで開発が容易で >>249-250
ディスクを取り出そうと思って蓋をあけるとまだ回転が
止まってなくてディスクが飛び出す事故が頻発したね >>251
それってスーパー32Xの事?海外ではスーパー32X用のメガCDソフトが出ていたらしいが・・・? メガCDはシルフィード1本であのハードが出た意義があった。
俺もシルフィードとルナーしか買わなかったけどまったく損をしたとは思わなかったわ。 クタラギさんが進めてた奴だったけど、任天堂にハシゴ外されて
頭にきてプレステ作ったんだっけか まあ、Dreamcastでプレイステーションのゲームが楽しめるエミュレーションソフト「bleem ! for Dreamcast」っていうのがあってな、
プレステ用のゲームをドリキャスでエミュして動かしたら、
プレステよりもずっと使用感が良かったっていうw ソニーがSFCで儲ける仕組みを任天堂からゴッソリ奪おうとしたから、任天堂がそれを拒否っただけだよ。
わきの甘い任天堂は最初ソニーの悪意に気づいていなかった。
たまたまアメリカから帰国したNOA社長の荒川氏がソニーとの契約書を見て青くなったって話。 任天堂を乗っ取る事には失敗したけど、
自前で0からゲーム機を作ってゲーム市場を奪ったんだから、ソニーもたいしたものだけどね。 >>205
当時、FM TOWNSを買った俺は完全な負組 >>257
アレはよくできていたよな。搭載されている
CPUを最大限に活かしてあのクオリティを実現したとか。
>>263
反応激遅のスターフォックスを星5つで絶賛し、
シルフィードとゆみみみっくすを
低評価でこき下ろしたファミ通を俺は忘れない。 >>268
あの時代の他機種ユーザーでファミコン通信に恨みを
持ってないヤツはちょっとおかしいと思う >>247
ファミコン通信は任天堂ベッタリだったし
ハドソンとのよしみで小学館がPCエンジンに擦り寄ったもんだから、PCエンジンは当然敵だったからな >>264
FMタウンズの方がX68000より性能が良くなかったか? >>271
画面が正方形だったり色々制約が多かった >>268
技術的にもスゴいけどスターブレードのメカニックデザイナーも参加しててセンスがずば抜けて良いんだよねえ。
メカノアソシエイツの音楽も最高。 >>271
シャープがMPUの性能を据え置くという誤った判断を
したせいでCPUだけはFM TOWNSの方が上だった
しかし疑似スプライトの設計が悪くて
・256x256ドット画面でしか使えない
・60フレームを維持するならスプライトは200枚が限度
・BG面が一枚しか使えない
といった制約があるため多重スクロールなどはX68000
の足元にも及ばない >>269
メガドラとPCエンジンのスト2特集で、キャラをメガドラは勝ち顔、PCエンジンは負け顔で紹介ってのがあったな。
総合誌として、頭おかしいと思った。
桃栗たき子は好きだった >>261
そんな任天堂公表の表話を幼児の様に信じるなよ。それならフィリップスと提携したのは何だったんだw
かつてソニーと任天堂が、スーパーファミコン用のCD−ROM機を
共同で開発していたことがありました。
当時ソニー社員の久夛良木さんが、任天堂に話をもちかけたことから始まります。
次世代ファミコンに当時画期的なCD-ROMの採用を持ちかけたわけです。
任天堂はカートリッジを支持して、CDには強い拒否反応があったのですが、
ついに90年1月、当時任天堂の山内社長とソニーの大賀社長が
CD-ROM採用の次世代ファミコン共同開発に調印して、
任天堂とソニーはスーパーファミコン互換のCD-ROM機を正式に開発すると表明。
スーパーファミコンのカセットも遊べる、CD-ROMゲーム機。
実はスーパーファミコンの中身も、ソニー製の部品がたくさん使われていました。
開発コード、PS-X
そして名前はなんと、プレイステーション!
任天堂との開発も順調に進み試作機も出来上がって、両社が蜜月関係になり
発売間近といわれていた矢先…
91年6月、シカゴのアメリカ最大の家電ショーCESで、ソニーは予定通り
その試作機(プレイステーション)の発表を行い、その翌日・・
突然の任天堂の心変わり、ソニーは冷水をかけられてしまうことに・・
同じCESの会場で、前日のソニーの発表を真っ向から否定する
任天堂は「フィリップスと業務提携を交わした」と発表!
要するに任天堂CD-ROM機は、今後フィリップスと共同で行うというのです。
今までの話は何だったの? と、突然のドタキャン、契約を反古にして別れ話。
任天堂は「フィリップスとの提携は、ソニーとの契約に何ら違反しない」を主張し
これに激怒したソニーは告訴も考え、スーパーファミコン用の部品の供給停止
なども考えたようですが、それでは大人げないということで、関係修復に再び
話し合いをして、また寄りを戻そうと歩み寄りへと動いていくわけです。
ソニーはまだ脈があると思って、関係修復につとめていたようですが、
どうもセガのメガCD(セガのCD-ROM機)が92年1月に発表された直後の
ソニーとの関係修復報道、どうやら、任天堂はうちもCD-ROMを出しますから
セガのは買わないように・・という牽制であって、この件でソニーの名前を
逆にうまく使い、情報操作に利用していったみたいですね。
任天堂はハナからプレステのプロジェクトに参加する気はなかったようです。
ソニーも話し合いを続けていくのですが、曖昧な態度にさすがに徐々に
脈がないことに気づいて、ついに堪忍袋の緒が切れたようです。
こうして任天堂のプレイステーション潰しが成功して、両社の関係は終止符を迎えます。 >>277
ちなみに任天堂はメガドライブの時もセガを騙す為に同じ様な事をしていた事すらも知らないだろ >>276
良心的だったファミマガが潰れて悪質なファミ通が
残るという・・・
ゲハ民を生んだのは間違いなくファミ通
(ゲラボの罪も重いが) >>278
スーパーファミコン出す出す詐欺だからね
そして1990年まで遅らせても超低速CPUがそのままに
なっちゃったんだからザマアねえやw >>274
あれってAT互変機だったはず。Windows3.1とか動くんじゃね?
BG面とかスプライトとか、
独自にVGA搭載してたとかは驚きだな >>282
これはSFCに256KBの拡張メモリとCDドライブ足しただけだからね
もうちょい後にV810(バーチャルボーイに乗っけたやつ)を足したのを試作したっぽいけど 当時の山内組長に意見できる任天堂幹部がいるとでも? >>284
意見できるもなにも山内社長だけで何ができるわけでもなし。
横井軍平やら宮本茂は普通に意見してるだろ。 >>280
まああんな嫌がらせしなくてもPCエンジンにボロ負けしてたしね。
色数も少ないしビデオ出力も汚いしアーケード移植の質でもラインナップでもメガドライブはぜんぜんダメだったね。 >>286
これらの本を読めば分かるが、16bit機時代のセガは北米で任天堂と互角以上に渡り合っていたよ。
https://honto.jp/netstore/pd-book_28338401.html
https://honto.jp/netstore/pd-book_28338402.html
PCエンジンは日本でもそこまでのシェアを獲得するには至らず、北米においてのシェアは微々たるものだった。
SFCやPCエンジンとメガドライブは設計思想が違う。FCの延長線上にあったマシンがSFCやPCエンジンであり、アーケード基盤を家庭用にしたものがメガドライブ。
SFCは当初FCとの互換性を考慮に入れて設計されていた為、その名残で処理速度は8bitのPCエンジンにすら劣る代物でしかなかった。68000を採用したメガドライブとは雲泥の差。ソニックとマリオのスピードの差だよ。
メガドライブのアーケード移植のラインアップがそこまで揃わなかったのは、ナムコやコナミといったメーカーにとってセガがアーケード市場におけるライバルであったが為。
とりあえず君がメガドライブのゲームでロクに遊んだ経験が無く、日本市場におけるセガのイメージで戯言を書き込んでいる事だけは理解出来る。
多分君は当時のPCやメガドライブといった、FM音源のゲームで遊んだ経験の無い人間だね。FM音源サウンドは酔えるぞ。 メガドライブはメインCPUだけ見ると強力だけどSFCはRAMが倍使えたのとグラフィックと音源が比較にならんほど強力だからね >>288
私はSFCとMDとPCエンジンを持っているが、MDが一番好きだった。PCでも聞きなれていたFM音源に親しみを感じていたのでね。
当時の私は既に子供ではなかったので、低年齢層向けのソフトが多かったSFCや、アニメオタク向けのPCエンジンはあまり好きになれなかった。
それからそれらの三機種の中で同時発色数が一番多かったのはPCエンジンだよ。音源が一番貧弱なのもPCエンジンだったが。
色数では PCエンジン>SFC>MD
CPUでは MD>PCエンジン>SFC
まあ、ハードの良しあしはあくまでも好みであって、今更優劣は論じられないがね。私はゲハ板の住人ではないし。 >同時発色数が一番多かったのはPCエンジンだよ
たぶん512色って言いたいんだろうけどそれDACの性能であってゲーム機の性能じゃないから...
BGやスプライトのパレットで何色指定できるかがゲーム機としての性能
PCエンジンは16/256でSFCは256/32768 >>291
時間がないんで細かい解説は後にするけど
カラーパレットが1つにつき16色なのはどの機種も共通
ただ持てるカラーパレットの数に差があってメガドライブは
4つしかないしスーパーファミコンは16ある
一方PCエンジンにはこの制限がない
だから原理的には512色全部使うことも可能 64色だからMDは・・とか言われるけど、実際は末期のゲーム見てると他と遜色なくなってたな。
SFCが圧倒的なのは否めないが。
PCEとは最後まであの16色的なものしか感じられなかった。CDのアニメ付きゲームになってたけどw
98と両方出たゲーム比べても同じにしかみえない。
きっとゲームによるんだろうけど。
あの頃の工夫で解決してく製作者には本当に尊敬する。今の奴らなんてもうね >>281
FM-R50互換機で、AT互換機になったのは最終モデル(AT互換機のスロットにTOWNSカード) >>274
TOWNSのスプライトは横方向に表示数制限があるラインバッファでなく、
サターンとかと同じフレームバッファ方式で別に疑似というわけではないけど。
>>281
互換になったのはFMV-TOWNS
従来のFM-TOWNSで動いたWindowsはDOS/V用ではなく、TOWNSに移植されたWindows
>>284
ソニーからフィリプスに鞍替えしたのは荒川実が意見したからでしょ
>>283
RAMは8メガビット搭載するって発表だった。
ソニー時代のはFXチップみたいなコプロセッサを搭載する予定のはず。
フィリプスになってからはV810だったのがCD-ROM自体がボツになってバーチャルボーイのCPUに流用されたとか。 >>293
PCエンジンはカラーパレット各15+1(透過)で32個ね 480+1色
SFCは一番色数多くできるのはmode3でカラーパレットがBG1:256(RGB443 Direct color mode)、BG2:15+1x8パレット、スプライトが15+1x8パレットで496+1色
最終的な合成出力はPCエンジンが9bpp、SFCが15bpp 8Mbって、あれもう出す気がない頃に出して牽制ネタなだけじゃないの。
もう発売する気ないような時期だった。
27000円といい、もう他社買い控えさせるだけのネタでCD-ROMは使っただけだった。
まともな試作機すらあんだかわからん。
任天関係者が、トークでVBの話は今は普通にするのにCD-ROMは未だにしないくらい
黒歴史だしな。 >>299
1992年1月の任天堂の発表だね。久多良木の事業報告書によると、任天堂とソニーは
この時点ではフィリップス&任天堂のCD-ROMとソニーのCD-ROMとで互換性を取ることは合意したらしい。
よって任天堂側がCD-ROMドライブを発売中止にしても、
ソニーからスーファミとCD-ROMとの一体型マシンを出すことは可能だった。
が、任天堂がCD-ROMアダプタを出さず、CD-ROMでのソフト供給もしないのなら、サードパーティも追随せず、
まともにCD-ROMソフトが出ないただ高いだけのスーファミ互換機になる(レーザーアクティブみたいな)。
そんなものは商売にならないだろうと、ソニーはスーファミ互換路線から撤退したという流れ。
これなら任天堂からすればソニーとの契約違反ではないし、ソニー側にはただただ時間を浪費させるだけで商機を逃せば、
ソニーのゲームビジネス参入を潰せるという計算だったのではないか。確かに途中まではうまくいっていた。
1992年6月のソニーの経営会議では任天堂に翻弄されるゲーム事業の継続にはほぼ反対一色だったわけだから。 >>299
上村雅之がインタビューで触れてはいるが、どっちの責任と言うと角が立つことなのか、まあ語っていないに等しいね。
失敗したディスクシステムのことは結構語ってるのに。
http://research.cesa.or.jp/keifu/uemura/uemura03.html
>その後、ソニーとのスーパーファミコン用CD-ROMドライブ搭載機の共同開発プロジェクトもありましたが、
>何というか、ボタンの掛け違いがあったのか、どこかで一つボタンを飛ばしたのか、このプロジェクトは頓挫してしまいます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています