群馬県太田市の尾島RCスカイポートで14日、「第16回中島飛行機スケール大会」が開かれた。元エンジニアらによる有志で結成した「富嶽を飛ばそう会」(正田雅造会長)の主催で、会場には航空ファンやラジコンファンらが大勢集まった。
 先の大戦で、優れた戦闘機を数多く設計し日本の技術力を世界に知らしめた中島飛行機。そのゆかりの地、群馬県太田市の空で、約30機のラジコン飛行機が力強いフライトを披露した。

「第16回中島飛行機スケール大会」で迫力満点のフライトを披露した巨大ラジコン飛行機「富嶽」の輸送機タイプ。15分の1とはいえ、全幅4.83mのビッグサイズだ=14日、群馬県太田市の尾島RCスカイポート(尾崎修二撮影)
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イベントの目玉はもちろん、幻の爆撃機の異名を持ち、知る人ぞ知る「富嶽」の巨大ラジコン機の展示と飛行だ。
 中島飛行機の創設者・中島知久平と親交のあった正田雅造会長の父、公威(こうい)さんが保管していた当時の設計図をもとに、これまで爆撃機、旅客機、輸送機という3種類の機体が製作され、その勇姿は多くのラジコンファン、航空ファンを喜ばせてきた。
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 この日は二重反転式の電動モーター6個を搭載した電動≠フ輸送機タイプが先陣を切って優雅な飛行を披露。脚部のトラブルで着地が乱れたものの、機体に大きなダメージは確認されず、その造りの良さを再認識する結果となった。
 旅客機タイプはエンジンの音を響かせながら滑らかに空を舞い、集まったファンや関係者の目を釘付けにした。
 正田会長は昨年11月の「RC航空ページェント」で、将来の夢として「富嶽の編隊飛行」を挙げていたが、今回も残念ながら操縦者が足りず叶わなかった。それでも「まだまだ諦めていませんよ。(富嶽を飛ばそう会の)会員の平均年齢も70を超えてしまいましたが、あと10年といわずもっともっと、健康に留意してみんなで夢を追い続けたい」と笑顔で語った。中島知久平の夢は時を超え、さらに大きく広がりを見せ続ける。
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◇富嶽とは
 中島飛行機の創設者である中島知久平(1884〜1949年)が、米軍のB29の2倍の大きさの爆撃機を構想した爆撃機。大戦末期に大型爆弾を搭載し、米国本土の直接爆撃を託そうとした。極秘に設計が進められたものの戦局の悪化で、製造はかなわなかった。設計図は、爆撃機の他に旅客機、輸送機の3種類、それぞれに何種類かの異なる図面があるという。

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