【ロシア】シベリア抑留の生存者、北海道出身の89歳「死ぬまでにもう一度日本をこの目で見たい」 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170605-00000009-mai-soci
◇「もう一度日本に」
第二次世界大戦末期の1945年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、
シベリアで抑留された日本人男性がロシアで生存していることが新たに判明した。
抑留者のほとんどは56年12月までに日本へ帰還したが、外務省の資料によると、
約1000人がソ連にとどまったとされる。その男性が、初めて日本メディアの取材に応じた。
「戦後、一度も日本に帰っていない。死ぬまでにもう一度日本をこの目で見たい」と話している。
取材に応じたのは、北海道遠別(えんべつ)村(現遠別町)出身の田中明男さん(89)。
10代で陸軍に入り、満州の関東軍に送られた。戦時中は機関銃を撃つ兵士として中国人の
部隊と戦ったという。
大戦末期、満州に侵攻したソ連軍に捕まり、極東ハバロフスクの収容所で森林伐採の
強制労働を強いられた。収容所には1000人以上の日本人のほか、多数のドイツ人捕虜がいた。
抑留者の帰還が始まったころ、かつての上官に「兵士が生きて帰れば『裏切り者』として処刑される」
と言われ、ソ連に残ることを決めたという。
収容所から解放された後の60年代にソ連国籍を取得し、船員や集団農場の牛の飼育係として働いた。
今はサンクトペテルブルクの南約60キロの小さな村ポギで、年金生活を送る。
近所の住民から「達者なおじいさん」と親しまれている。
田中さんによると、80年代にレニングラード(現サンクトペテルブルク)の日本総領事館を訪れ、
「日本に帰りたい」と訴えたことがある。田中さんが満州に渡る前、父は北海道の登別温泉で
旅館経営をしており、3歳年下の妹もいた。だが、総領事館から「お父さんはすでに亡くなっている。
妹さんの連絡先は不明」と告げられたという。
現在の田中さんは「ありがとう」「忘れました」「座りなさい」などの片言以外、日本語を話せない。
「田中明男」の名前を書いてもらうと、「田中明」までは正確に書けたが、「男」は「口」に「力」だった。
父トミキチさんや妹のキミコさんの名前は覚えているが、漢字では書けない。
田中さんの存在については露紙「論拠と事実」が4月初旬に報じた。記事をインターネットで読んだ
日本の人々が「訪日を実現させたい」と支援を申し出ている。田中さんは「とてもありがたい。
生まれ育った遠別や、父が働いていた登別温泉を見ることができれば幸せだ」と話している。
抑留生存者を巡ってはロシア南部カルムイキア共和国に住む中川義照さん(90)=山形県出身=が
2006年に日本への一時帰国を果たした例がある。 現地でそれなりに幸せに暮らせていたらしい点は救いか
そもそもお国の為に戦争に翻弄されてしまった人生なんだから、希望くらい叶えてあげるべきじゃないかな 使わないとネイティブですら綺麗さっぱり忘れるんだな
日頃から使うって大事だな うちの爺さんもシベリア抑留されてたって聞いたことある
とっくの昔に死んじゃったからその手の話は一度も聞いたことなかったけど俺の記憶だと抑留者って事で国から銀杯が送られてた記憶があるんだが知ってる人いる?
小さかったから記憶違いで関係ないもんだったのかな? 自分の意志であんな地獄のような所に留まった人がいたのか
何か理由があるんだろうか >>419
日本語を話したくても話せなかったんだよ
スパイとして疑われるから
ドイツ語を一切話さずにロシア人化して生き残ったドイツ兵もいる 小野田さんのように、今の日本を見るとガッカリするかもな >>420
銀杯は知らんが俺の親戚の爺さんは勲章もらってたな
つか、IMEって「銀杯」しか出ないのかよ
終わってるな >>404
古老から聞いたことがあるんだが
当時若くて元気な男性は何らかの軍にかかわることをしているのが普通であったとか
志願兵あたりが妥当じゃないかな
私の祖父もおそらく旧制中学時代に祖国防衛義勇隊みたいな感じで
各学校割り当ての元で志願wし
三重県菰野で軍事教練を受け「明日は満州か」なんて状態だったとか >>19
日本人でも文字をキーボードでの変換慣れしてくると簡単な漢字が書けなくなってくるぞ
へたすると平仮名の向きを間違えて書いたりする
ロシア暮らしが長いなら、当然日本語忘れる人もいるだろうな >>5
そうだな。
なんとか戻してあげたい。
募金とかやってないかな。 >>412
元日本兵だってだけで全面的に信用できるなんて、うらやましい性格をしてるな
みんなと一緒に帰国出来なかったと言うのが答えだろう。ソ連の手先に成ってたのだろう
同僚と一緒にいる方が危険だった。帰国したら訴追されるような事をしていた。犯罪者だから帰国出来なかったというのが正解だろう >>9
それよね
ほんとに帰りたかったのなら日本語忘れない筈
名前くらいは >>429
いやいや、ロシアの手先になってたやつほど帰国したもんだ
当然だろ
でなければ役に立たない
そういうことだ >>429
若かったから文化言葉も吸収できて
ソ連の生活に順応できたということも考えられる
アカの手先よばわりなんてともかくおまえは冷徹なやつだ >>1
真実なら募金します。
はぁ、詐欺が多くて何でも疑う様になってしまった。 >>431
全員を帰国させるほどソ連は甘くは無かっただろう
帰国できないような事をやった人間を、帰国して行く人間の今後の担保として手元に置く事くらいは考えるだろう
お前の全てを知ってる人間がこちらには居るんだ。って脅しだよ >>435
当時は、日本兵が生きて捕虜になることを禁止されていた
捕虜になるぐらいなら自爆しろという命令で、そのための手りゅう弾が開発されていた時代だった
なので恥ずかしくて生きて帰国できない真面目な性格の日本兵の捕虜が大勢いた
そういう時代や、その時代を生きた人たちの感情がわかってないゆとりなのか、外人なのか
本当に貴様らは屑だと思うわ >>31
89歳なら終戦時17歳位よ?
出生地はさすがに覚えてるだろうから取り上げられたら市町村合併していたとしてもわかるんじゃないかな >>166
今日は運動会の代休?
それとも定時制勤務?
自分も教員だったけど、採用された頃は怪しい漢字が二つあった。 アキオヴィッチ・タナカーノフみたいな名前になってて日本語は忘れたというパターンかな? >>432
だって病気とかで忘れたのならそう書くはずでしょ
別に帰って来ることに反対はしていないのでどうぞ観光していって下さい ロシアって収入少ないしなぁ。見せてあげるだけなら見せてあげようよ >>433
大黒屋光太夫の一行でも若い者はロシア語の覚えがよかったという
そして望光太夫ら3名が帰国する際に、望郷の念に身を焦がしながらも
諸般の事情でついに帰国しなかったものもいた
この別れのシーンはおろしや国酔夢譚の屈指の名場面であろう >>435
すべてなんか普通の徴兵された個人が知り得るわけが無いじゃないですか
別に知られてもなんてことないけど あのね
このおじいさんは日本に帰るための金をくれといっているわけじゃないんだけど
懐かしい日本への郷愁の言葉
こういう記事を読めなくなっている人多いんだな >>372
旧日本軍では「上官の言葉は天皇の言葉」と徹底的にたたき込まれたから
いたしかたないのでは
>>367
新聞記事によると戦後ずっとソ連(ロシア)で働いていて1960年代に
ウラジオストクで船員をやっていてソ連女性と親しくなり
「両親に紹介する」と言われて現在の州に来たが結果的に破局、
それ以後もずっとこの州に在住とか >>436
大半の人間は帰国しているからな
あれだけたくさんの日本兵を抑留していたのは、日本に人民共和国を作った時の軍隊の核にする目的も有った
そんな中の一番濃い部分が帰国しなかっただけだ パスポートとって飛行機のチケット買うだけじゃないの?
何が問題なのだ 大人になってからシベリア抑留がどんなもんだったのか知った時、あの死んだ爺さんがなんの変哲も無い自分の毎日と比べてそんなすごい経験してたんだと不思議な気持ちになったな >>442
それな
年齢的に兄弟が生きてるかは微妙だけど墓参りと親兄弟の写真位は持って帰って欲しいなぁ
テレビ局はこういうのがんばれよー >>436
>当時は、日本兵が生きて捕虜になることを禁止されていた
当時中国人の捕虜の扱いが悪くて死んだほうが楽だということだったので
禁止されていたわけではない
捕まって恥ずかしいのと辱めを受ける身体的辛さを混同している 今まで1度も帰国してないのか
よくわからんが、いまだに出入国が規制されてるの?
それとも旅費が工面できない生活なの? >>453
恥ずかしくて帰れなかったんじゃないの? 人も街も風景も変わったよ
あんたの思い出の日本は、もうどこにもないよ 移動制限も無いんだから
勝手に日本に来れば良いじゃん
馬鹿なのか? >>454
80年代に親が亡くなって妹も不明なの知ったのに未だに?
誰に対して恥ずかしくて帰れなかったのかね >>436
一般民間人も「捕虜になるくらいなら」ということで、自治体が
希望者に自決用青酸カリを配布したりしていた
>>453
>>1を読むかぎり、故郷に家族や身寄りの人がいない(いるかもしれないが
領事館の調べでは不明)から、帰りたくても帰れない、
ということじゃないのかな
飛行機に乗って日本に渡航することはできても、誰も知っている人がいない
状態では不本意だろうし
この方の戸籍はどうなっているのだろうか
戸籍がどこにあるかもわからないとか、戦死とかなっているのだろうか >>453
国立のエンジニアで月給35000pの世界 テレビのバラエティで帰国の企画ヨロ
2時間ほど泣いて感動してそれでおしまい >>462
おまえ、人からクズってよく言われるだろ? >>1
戦友をソ連に売って死亡させ、恨みを買い帰国できなくなったのかと推定する。 せめて当時の知ってる人か同世代の人と会えればいいんだけどね
できれば上官くらいのが「帰ってきてよろしい」いってやるのがいいと思うけど
年齢的に難しい Google Mapsのストリートビューで観ることができますよ。 遠別とか、札幌から6時間くらいかかるからテレビ番組も作りにくいな。なんもない町だし。 >>463
はは、どこがクズだと感じた?
起こり得る可能性の高いところを言っただけだよ
ならなかったら逆に日本人に希望をもつかもw >>449
領事館に訴えた時に身内と連絡取れなかったと一蹴されたようだから
日本に来たとしても行先が無かったんじゃないか
それに今はLCCがあるが少し前まで飛行機って日本人からしても馬鹿高かった
それをソ連崩壊後経済状況最悪で金ためて来いって無理がある >>464
有りがちだな
ま、本人の思い込みだけで友人の家族はもう恨んでいないかもしれないし
もう誰もいないか何も知らないかの可能性が高いし時効でいいんじゃないかな
家族連れてきて住み着いたりしないなら短期旅行で日本に来るのは歓迎してもいい >>470
馬鹿は親に付けてもらった自分の名前を忘れるほうだ 日本のために徴兵され死にものぐるいで戦争させられ
捕虜になった結果がコレ
それを安倍晋三みたいな薩長チョンコの大日本帝国の
最悪の組織の外務省は無視 89にもなれば自分の寿命が見えてくるからな
文字どおり死ぬまでに一目、っということなんだろう >>139 >>369
仲間を売って生き延びようとするような奴に見える。 >>473
>10代で陸軍に入り、満州の関東軍に送られた。戦時中は機関銃を撃つ兵士として
というわけで一般徴兵ではないみたいだけど
学校出て准尉殿かなんかで任官したわけでもないみたいな >>1
1970年代頃までは、シベリア抑留体験を積極的に語る論壇人
(内村剛介とか)が少しいたけど、今となっては亡くなった方が多いし
ソ連崩壊後はほとんど語られなくなったね
まだ生存している方々にはぜひとも勇気を出して語っていただきたい
今の若い世代はシベリア抑留をあまり知らないだろう
なぜか歴史教科書にも出ていないようだし ごめん。
>>369 じゃなかった、>>370だった。 中国の残留孤児だと、身内がいるいないに関わらず一応日本に連れて来るだろ。
まして、元日本兵なんだし恩給支給対象なんだから来れないワケないと思うが。 >>475
ただの中国人に見える
日本人なら写真取るならなんか笑顔作るか引き締まった顔するなどの反応がある
没法子って言いそうな自棄な顔 今のロシアの平均月収は8万ほど
これでLCCの無い時代に親族がどこにいるかも分からないのに
個人で勝手に来いよ、はあまりに馬鹿な主張
LCCが一般的になった頃にはこの人70後半だろ
働き盛りのときのロシアは経済崩壊中 >>6
樺太でも離れずそのままソ連国籍を取って居続けた人もそれなりに居ると聞いたことがある。
抑留中に現地の女性と結婚してそのまま留まったケースも。 >>479
>中国の残留孤児
あれも実はただの中国人が多かった
次は親類とDNA照合するなど注意深く扱わないといけない 日本帰ってきても幻滅するだけだと思うよ。ロシアの田舎でのんびり余生を送るほうが幸せだと思う。 ロシア国籍あるならパスポート取れるし
支援を申し出てる人達も居て旅費も足りるだろうし高齢なんだから早く帰ってくれば良いのでは? 昔懐かしい家を見に行くと悲しい気持ちになる
たいてい変わり果てているからね >>484
それを越えても故郷というのは特別なものだと思う
国内だけど学生時代に他界した祖母を文字通り冥途の土産に
当時の見る影もない故郷に連れて行ったことがあるけど
別れ際にそこに住んでいる叔父の「ありがとう」はいまだに忘れられない >>485
ロシアで年金がもらえて生活が成り立っているのだから
軽い旅行ぐらいにしたほうがいいよ
本人が日本語忘れたと言ってるでしょ
年取ってからはただ引っ越しするだけで負担が大きくて惚ける人がいるのに >>479
残留孤児は引き揚げ時には子どもで、自分の意思と無関係にやむなく
中国人に託された人々だけど、元抑留者で現地に残った人は一応自分の意思で
残っているわけだから、何が何でも日本に連れてくる、というわけにはいかない、
ということなのでは
しかし抑留者ではないけどサハリン在住の日本人で、引き揚げ船に乗りきれなくて
やむをえずサハリンに残った人もいるから、本当は日本に帰国したいけど
できなかった人もいるんだろうな たまーに日本に戻る程度が丁度がいいと思う。
もう昔の日本じゃねーから、長くいると嫌になると思うぞ。 >>341
過酷な人生を送った元軍人に対する発言がそれらだもんな
ふだん靖国がどうとか英霊がどうとか言ってるのがただのファッションでしかないのが本当によく判る >>488
死んだ人数が多すぎるからね
日本人の中にソ連への恨みを呼び起こすだけでしょう
wiki:
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、
行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという >>484
山や海、地形は変化少ないから、それだけでも懐かしいものだよ >>462
帰国事業が、政治利用されるよりずっとマシ。
安倍政権は政治利用しようとする気が、まんまんじゃね?
特に、都議会議員選挙が近いからな。
確かに同情はするけど、冷静に見るべきだと思うよ。
>>492
そりゃあ我々は共感できる人生に共感してるだけだからさ
倒れちゃならない祖国の土に辿り着くまでその日まで つかソ連も立派なアカに洗脳して時をみて帰そうってハラだったんだろが
マジで本人がソ連を選んだ…いや、選ばざるをえなかったんだろうな >>121
あんまり知られてないけど満州の撫順炭鉱でも現地住民をスパイの疑いで500人ぐらい虐殺した平頂山事件というのもあるしなあ。 >>492
国のために戦った軍人さんに敵意を持ってる人は、今自衛隊員を嫌ってるのと同じ思考回路さ。要はそういう人たち。 >>497
>確かに同情はするけど、冷静に見るべきだと思うよ。
政治利用するならこの線で政治利用するのがいい
家族まで引き連れて帰って来るような手筈にすることを有権者は肯んじない 北海道のど田舎出身なら故郷もそんなに変わっていないはず
(シナ畜だらけの登別温泉は除いて)
訪日を早く実現させてあげて >>500
戦争中と戦争後では、別次元だろ。
シベリア抑留なんて、戦争が終結した後の話だからね…
日本だけじゃなく、ドイツとかのヨーロッパでも、批判してる人はたくさんいるだろうね。
>>503
登別温泉にもぜひ浸かって貰ったら
どうして日本人が外国からの残留者帰還を嫌がるようになったのか肌で感じてもらえるわ こんな腐った国と国民のために戦わされてご愁傷様です。 >>505
まあそれを言うと中国人苦力のことも言わなければならなくなるから
先進国も日本も痛し痒しだろう 「にっぽんに、わたくしは、行ってみたいであります」
昔の日本人の言葉って感じ >>508
自分は腐ってないつもりなんだろうけど、そうは見えない ずっと外国にいると本当に日本語を忘れてしまうんだな >>16
ほんとだよな
北海道のど田舎の小僧が、満州とシベリアで地獄を見て半世紀以上、
今の日本をいきなり見たら「俺は何のために戦ったのか」「これが本当に日本なのか」
自我崩壊、発狂するかも >>511
戦後の日本人は皆腐ってるよ。
俺も君も皆。 日本政府は日本国のために人生や命を捧げた人達をほったらかし。
情けなさ過ぎる。日本人と日本政府は恥を知れ。 >>514
賢くなったってことだよ
ものごとは物語のように理想どおりにはいかないんだ >>506
岸信介とか、満州を踏み台にして政界進出したんだろ。
王道楽土と言われて、たくさんの日本人が大陸に行ったんだろ。
引き揚げ事業は、自分の経歴をむしかえすようなものだからな…。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています