日本軍の内部にはスパイがたくさん入り込んでいたからな

日本軍が上海を陥落させた約1カ月後の1937年12月3日、松井石根大将は、上海租界の「南京路」で示威行進を行った。
このとき爆弾テロ事件が発生したが、処理にあたった将校らの名前や階級、行動だけでなく、人間関係や発せられた冗談まで米軍は把握していた。日本軍にも米軍のスパイがいたのだろう。

ところが、米政府が約8年の歳月と3000万ドル(約33億円)の費用を使って調査した「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」に、米軍が「南京大虐殺」を把握していた形跡はない。