本年1月31日、名古屋で自決した、山健組中京ブロック長、藤森若頭補佐のことはみなさんのご記憶にも新しいことと思います。
藤森ブロック長がなにゆえ自ら命を絶つようなことになったのかを、ご説明します。
昨年9月、藤森ブロック長は分裂以降、名古屋という土地柄もあり、組合のシノギがほぼできなくなったということもあり、経済的に行き詰まり、会費を滞納するという状況になっていました。
そして、それを払える目処もない中で、意を決して、山健組本部にあがり、その窮状をうったえ、役を降りさせてほしいと、松藤組跡目の高倉の兄弟と一緒に、お願いにいったそうです。
そのとき対応したのは伏見若頭、與本部長、中田若頭代行の3人だったそうです。
そして、その3人と藤森ブロック長との4人で約2時間ほど話し合いをしたのち、別室で待たされていた高倉の兄弟が呼ばれ、その3役から、藤森の会費滞納額が150万ほどある。
高倉、先代がこまっとるんやから、なんとか助けてやれんのかと言われたそうです。
高倉の兄弟は先代を助けたいのはやまやまなんですが、今の私にはその余裕はありません。
なんとかしてくれと言われるのなら、事務所を処分して、お金をつくるくらいしかないんですと返答したそうです。
すると、伏見若頭が事務所は山健組の出城やから、売ることはできんやろと言ったのち、驚くことに事務所を担保に金をつくれんのかといったそうです。
高倉兄弟は、わかりました、借りれるかどうか頑張ってみますとしかいえず、そののち、藤森ブロック長と名古屋にもどり、数日かけて走り回り、金を出してくれる人を探したそうです。