義の人()

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永禄九年(1566)の上杉謙信の関東侵略に伴って行われた
人身売買の相場は、驚くべき低価格で行われている。
余程大量の生捕りを行ったとみえて、一人二十文から
三十文で売買された。相場の百分の一という、驚くべき安値であった。
これは、現在のつくば市に在った小田氏治の常陸小田城を落とした時と、
藤岡城を滅ぼした時の例である。謙信は、城下に人身売買の市を開かせ、
小田城攻略の後などは「春中、人を売買」させたというから、
かなりの規模の奴隷売買であった。藤岡城の時は、籠城していた敵は僅か
数十名であり、これを皆殺しにした後、城下では「人馬際限なく取る」という
人の掠奪を繰り広げたのである。

飢えた越後の百姓たちを引き連れた、「義」の武将;上杉謙信
(長尾景虎時代を含む)の攻城戦というのは、
まず村々や城下に放火し、食糧、雑具、牛馬、そして男女を徹底的に掠奪し、
その上で城に籠った敵を皆殺しにするというのがパターンであった。
籠城している武士は数十名からせいぜい二百〜三百名という、
攻城戦そのものはどちらかと言えば小規模なものが多く、
その割には人の掠奪だけは相当の期間市が立つほどの規模となっており、
明らかに人買い商人(奴隷商人)が常に軍に群がっていたことを裏付けている。