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原爆投下直後の長崎で被爆医療の拠点となった「浦上第一病院」の一部と見られる積み上げた赤いレンガが初めて見つかり、専門家は「被爆遺構として原爆の惨状を伝えるために残していくことが必要だ」と話しています。

長崎市の爆心地からおよそ1.4キロにあった「浦上第一病院」は原爆で建物が壊れながらも、当時医長だった被爆者の秋月辰一郎さんらが原爆投下直後から被爆者の治療に当たり、長崎の被爆医療の拠点となりました。

跡地にはその後新しい病院が建てられましたが、関係者によりますと、先月下旬、今の病院の敷地内で進められている県道の関連工事の現場で、当時の「浦上第一病院」の一部と見られる積み上げた赤いレンガが見つかりました。レンガは土の中に一部だけが見えている状態で、病院の建物か外塀と見られるということです。工事を進める長崎県はレンガが見つかった現場を撮影したうえで、予定どおり工事を進めるとしています。

被爆遺構に詳しい長崎市の活水女子大学の下川達彌教授は「今なお残る被爆遺構として貴重な資料で、原爆の惨状を今に伝えるために残せるものは残すことが必要だ」と話しています。

9月5日 4時56分