【明治維新150年】なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 反"薩長史観"本が相次ぎ刊行 ★13 [無断転載禁止]©2ch.net
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最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。
ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。
来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。なぜここに来てブームになっているのか。このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。
■「薩長史観」により偽装された幕末維新史
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。
だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。
それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
(続きは 東洋経済オンライン で)
https://news.nifty.com/article/magazine/12208-20170908-187322/
2017年09月08日 13時35分
https://i.imgur.com/YaJJqxw.jpg
敗者となった会津藩をはじめとする「旧幕府側」からの、「もう一つの幕末維新史」とは?(写真は会津若松城:shira / PIXTA)
★1が立った日時 2017/09/08(金) 20:09:53
※前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1504998303/ >>1
世の中には一定の割合でひねくれものがいると言うことだし、
あまりにも一方的な物の見方が流布されていると、アンチを気取る奴が出て
来ると言うだけの話だ。
反薩長本なんて可愛いものだ。
どうせなら明治天皇すり替え説を話題にしろよww 東京幕府体勢のほうが日本は幸せだった
埼玉は武蔵の国でダ埼玉などと呼ばれることもなかったのだ
群馬も上毛の国でグンマーなどど蔑視されていなかっただろう 薩長が要らんことしなかったら朝鮮と関わる事も無かった ・【アッキード/森友】財務省職員らの背任容疑、捜査継続 籠池氏は起訴へ ◆3★720 [無断転載禁止]©2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1505009835/
【アッキード事件】加計学園/森友学園/国際医療福祉大学/総合・避難所★712 [無断転載禁止]©2ch.net [786271922]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1504772780/ ●吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた。
●高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた。
●木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた。
●初代内閣総理大臣の伊藤博文は殺人者で、放火犯であった。
●西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた。
●西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した。
●三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた。
●薩摩と長州は何食わぬ顔で攘夷を放棄して、代わりに尊皇主義を旗印とした。
●岩倉具視は女官を使って孝明天皇に砒素(ひそ)を飲ませて毒殺させたとうわさされていた。
●大政奉還でなされた「慶応維新」は評価すべきものだったが、薩長による武力討幕の前に粉砕された。
●「討幕の密勅」といわれる天皇の宣旨(せんじ)は完全に偽造されたものである。
●坂本龍馬の暗殺は、薩摩の大久保利通らが指令を出していた可能性がある。
●西郷隆盛は「薩摩御用盗(ごようとう)」を指揮して江戸市中を騒擾させ、軍用金を強奪させた。
●鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「錦の御旗」は偽造されたものであった。
●戊辰戦争は薩長によって強引に引き起こされたものであった。
●大村益次郎は上野にいた彰義隊を不意に砲撃し、「官軍」は戦死者の肉を食ったとうわさされた。
●「官軍」は国際法を無視して捕虜や負傷者を惨殺した。
●「官軍」は会津などで強奪と強姦の限りを繰り返していた。
●帝国陸軍に君臨した山県有朋は、越後長岡戦争では裸同然で敗走していた。
●明治維新がなければ日本は外国の植民地になっていたというのは完全なうそである。 長州や薩摩の志士は帰化人。
天皇を利用した維新の真実はこうだ。
関ヶ原で負けた長州は対馬を通じて朝鮮との密貿易で藩を維持した。
同様に、薩摩は琉球を通じててチャイナ及び朝鮮と密貿易していた。
http://www.shuseikan.jp/word/clan08.html
このため、薩摩藩の藩校では年に2回
朝鮮語のスピーチ大会が行われていた。
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/culture/2009/post_146.php
そして、
大久保利通の父親など朝鮮系帰化人が琉球館で通詞として活躍。
https://bakulab.blogspot.jp/2014/09/blog-post_26.html?m=1
http://www.kagoshima-cci.or.jp/?p=11554
薩摩から上方への密輸品の輸送は、一旦、下関に集積したから薩摩藩と長州藩は密貿易では連携していた。
http://mitarai.org/history/
因みにこの密輸品の瀬戸内海での
内海輸送を担当していたのが安倍の先祖の一人である松岡洋右の生まれた廻船問屋の今津屋。巨額の利益を得て大名貸しを行い、幕末には志士に資金提供していた。
https://books.google.co.jp/books?id=Q8W-CwAAQBAJ&pg=PT19&lpg=PT19&dq=今津屋+松岡
&source=bl&ots=4YoAZ_4tNJ&sig=WCbdAtHQUI-zBZQeU5HQN5gZLgI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjb0Z-AppnWAhUMT7wKHZViCNUQ6AEIHDAA#v=onepage&q=今津屋%20松岡&f=false
で、両藩は幕末にはイギリスとも密貿易を開始。オランダが幕府に密告してる。
だから坂本龍馬が薩長を繋いだのウソでもある。英国から薩摩が密輸した銃を長州に廻したのは密貿易の通常業務。
そして、密貿易の商品だった陶磁器のビジネスと通詞を通じて朝鮮系帰化人の下級武士の存在をイギリスが知る。
攘夷の世論操作をしてからテロを演出し、
(高杉晋作らの英国公使館焼き討ち事件を思い出して欲しい。実は1862年の生麦事件もある意味やらせだった。なぜなら薩摩藩は生麦事件以前から攘夷などではなく藩内に英国人が居たからだ。)
イギリスと両藩が開戦、藩内クーデターを支援し朝鮮系帰化人下級武士に権力奪取させ、両藩を掌握。
明治維新へ。
これが真相。わかりやすいだろw ●【神頼み】神社本庁から有力神社が続々離脱、改憲賛同署名集まらぬ状況 ★5 [無断転載禁止]©2ch.net
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1504844387/ >>7
まさかと思うが、
朝廷(天皇)+薩長 VS 江戸幕府
という構図も知らないアホですか? 日韓併合は植民地支配というより2国の融合という印象が強い。
日本人だったら朝鮮と融合したいなどとは絶対に考えない。
そんなことを推進しようと考えるのは帰化朝鮮人くらいなもの。
つまり長州を中心とした地域に帰化朝鮮人勢力が広がっていたと考えれば納得がいく。
そして併合の実施はいまだに非朝鮮系日本人に多大な迷惑をかけている。 対米開戦を誘導した海軍は軍令部が実質的に作戦立案したんだが、開戦時は薩長ばかり。
対ソ戦しか考えてなかった旧幕府軍子孫が多い陸軍は海軍に騙されて孤島にばら撒かれ、最後は責任おしつけられただけ。
「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみるとーーーーー
軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、
沢本 頼雄(海軍次官)、
岡敬純(軍務局長)、
中原義正(人事課長)、
石川信吾(軍務第二課長)、
藤 井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、
高田利種(軍務第一課長)、
前田稔(軍令部情報部長)、
神重徳(作戦課員)、
山本祐二(作戦課員)が鹿児島県出身。
これに父が鹿児島県出身の大野竹二(戦争指導班員)を加えれば、薩長閥の左官クラスのそろい踏みなのである。
藤井茂中佐は昂然としてこういうのを常とした。
『金と人とをもっておれば、このさき何でも出来る。予算をにぎる軍務局が方針を決めてその線で押し込めば、人事局がや ってくれる。
自分たちがこうしようとするとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる。』
荷風が言うように、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたといえるのである。」
半藤一利『永井荷風の昭和』 実は明治維新は征韓論、朝鮮併合、満州建国、開戦と繋がっていた。
それは、明治維新を起こした薩長の下級武士は帰化人だったからだ。
彼らは、北部中国、半島、日本にまたがる大高麗または大韓の復活を一貫して目指している。
そして、今も薩長支配は復活しつつある。麻生は大久保利通子孫。安倍は、岸の子孫。
彼らは集団的自衛権や、日韓トンネルで大高麗復活を目指している。 次の都知事選で直系の徳川さんに
立候補して貰えばいいだろ
大政奉還だ 実に信じ難いが、
日本の明治以降の支配層は、建州女直・満州族系朝鮮人の帰化人なんだよ。
彼らは豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜になり、日本に来た。
彼らはモンゴルと女直の混血した朝鮮人だ。だから背は高い。
高麗はモンゴルの属国で代々、王子はモンゴル宮廷に人質に出され、成人しても王妃はモンゴルからきている。
李氏朝鮮は、モンゴル名をもつ女直系の李成桂が建国。
李成桂の父子春は、高麗を東北方面からおさえるモンゴル勢力の拠点であった永興の双城総管府につかえ、千戸(千人隊長)だった。
つまり、高麗以降の朝鮮人は基本的には、モンゴルと女直系。
そして、女直は17世紀に満州と改称した。
で、こいつら一部は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜になり、日本に来た。
その一部は薩摩長州で帰化し下級武士になって、子孫がイギリスの手先になり明治維新を起こした。
そして、維新後には、故地の半島を併合しすらに満州まで自分らの領土だと思って満州まで領土拡大した。これが大日本帝国。
清になっても八旗に入らなかった辺境に残ったエヴェンキ族が今もロシアやモンゴルにいるエヴェンキ族。
モンゴル臣下になったのは建州女直・満州族でつまり李氏朝鮮。
これが事実だ。
安倍やら電通やら長州閥ひいては満州閥の使い魔のネトウヨが
「朝鮮人エヴェンキ説」を執拗に唱えるのは真実を日本人から誤魔化すため。 何故かスレタイぱっと見「反町隆史」に見えるんだよな >>12
それは戊辰戦争直前の構図
禁門の変で朝敵認定を受けたのは長州
薩摩と長州はこれで一時期、犬猿の仲となる 山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響をもっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのはぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。
(司馬遼太郎) 明治政府はアヘン漬けにされた清をみて憂国に苛まれてた吉田松陰の影響を色濃く
受けてたからな。結果として欧米列強にとって代わる拡張主義が国体を守る道とし
て朝鮮半島、満洲国と関わって、挙句の果てに南下政策までしちゃった。
ドイツがダンケルクで勝ったの見て手を組んだのがポイント・オブ・ノー・リターン。 変に志士が高身長なのは理由がある。
幕末当時の日本人男性の平均身長 159cm
西郷隆盛 180cm
大久保利通 177cm
木戸孝充 174cm
坂本龍馬 173〜179cm(坂本乙女175cm)
大隈重信 180cm >>12
孝明天皇が亡くなって京を武力支配したうえでの子供天皇ですけどねw >>15
補足すると吉田松陰の教えは下記の通り
↓
「北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、
進取の勢を漸示すべし」
この精神は1945年8月15日まで、引き継がれている次第
吉田松陰のすばらしさなど微塵もなく、放伐論を掲げ
気にいらなければ元首を変えてしまえと説き、その源泉は一般市民、
これを草莽崛起と煽り、隠密活動(スパイ活動)を飛耳長目として世間に解き放つ 坂本龍馬 ← こいつの真実を知ることで薩長が嫌われる流れになるのは当然必然だよ 終戦間際に玉音放送阻止しようとした近衛師団の畑中健二も
吉田松陰の大ファン、吉田の遺物をなんとか遺産認定するなら
吉田に影響された人物も取り上げないと、単純な戦前回帰になるだけです
伊藤博文は、女体盛り大好きのエロ爺さんであるし山県有朋は賄賂大好き
実像をとらえず、すごいねスゴイネスバラシイ〜では、これは最早洗脳です 中世的な封建領主支配の地域共同体である藩を潰したのが廃藩置県、
中世的な宗教権威を破壊したのが廃仏棄釈と合祀令。
すべては、帰化人系下級武士による大日本帝国という国家に民衆を統合して、国民とするための方策だ。 明治維新の首謀者が勝手に戦争始めて、挙句に日本を敗戦国にした。 安倍は帰化人。以下韓国の雑誌から翻訳。
このような事実は金忠植(キム・チュンシク)東亜日報論説委員が最近発刊した本『悲しい列島−永
遠の異邦人四百年の記録』(ヒョヒョン出版)で明かされたことで、壬辰の乱直後の1598年日本
に連行された陶工で日本の陶磁器宗家を成すまでになった沈寿官家門の14代子孫をインタビューす る過程で明らかになった。
「佐藤さんの言うことは驚くべきことでした。私に'あなたは日本へ来てからどれくらいになりました
か'と問うので、400年近くなったと言ったら、'私たちの家門はその後に渡って来た家'というので
す。半島のどの故郷からいつ来たかは詳らかに分からないが、自分の先祖が朝鮮から渡って来て山口
に定着した、という話だったです。」
論語の述而編に出る表現という。(中略)この揮毫から、佐藤元総理の心情を推し量ることができる。
このように見る時、岸総理と佐藤総理はもちろん安倍長官にも韓国人の血統が混じっているわけだ。
これと共に安倍長官の父親で同時に80年代4期連続日本外相を引き受けた安倍晋太郎にも韓国系が
多い山口県出身という事実は、安倍に韓国人の血が濃く流れていることを傍証する。
佐藤は彼に「言葉にせ
ず黙々とあっていても、認めることはすべて認めて通じる」と言う意味の「黙而識之」という言葉を書いて去った。
「対韓半島タカ派の先頭走者が韓民族後裔だなんて…」金委員は本で「日本総理の靖国神社参拜を積
極支持するナショナリスト(国家主義者)に韓半島血統が伝えられているということはまことに皮肉 だ」と言った。
(後略)
ソース(佐藤栄作の揮毫写真あり):プレシアン(韓国語)2006年5月17日 日本次期総理1順位安倍晋三は韓国系
http://megalodon.jp/2016-0805-1952-07/m.pressian.com/m/m_article.html?no=49423
http://m.pressian.com/section_view.html?no=49423 昔から左翼学者という寄り、日本史の学者達から吉田松陰は基地害だと通説認定されてるじゃないか >>36
その通り。
実は明治維新は征韓論、朝鮮併合、満州建国、開戦と繋がっていた。
それは、明治維新を起こした薩長の下級武士は帰化人だったからだ。
彼らは、北部中国、半島、日本にまたがる大高麗または大韓の復活を一貫して目指している。
そして、今も薩長支配は復活しつつある。麻生は大久保利通子孫。安倍は、岸の子孫。
彼らは集団的自衛権や日韓トンネルで大高麗復活を目指している。 インターネットが広まって
薩長の悪事が白日の下に晒された 攘夷で扇動して政権取ったら身内で攘夷はどうなったと言ってきた人たちを粛清だろ
そりゃ突っ込まれるわ 大久保利通もなあ、やったことはすごいんだけど人間的には屑なんだよな 清河八郎vs吉田松陰
どっちがキチガイか
この議論は盛り上がりそう 薩摩の帰化人沈寿官のはなし
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。
沈家は、慶尚北道青松に本貫を置き、その一族は李朝四代世宗大王の昭憲王后を始め、領議政(国務総理)九人、左議政、右議政(副総理)、四人等を出した名門である。
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。
陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。
江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、
また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。
沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には
天才 十二代 壽官を輩出した。
http://www.chin-jukan.co.jp/history.html 明治維新否定派は、恨の文化の会津系か、
逆張りこじらせた人といっていい
もちろん個別案件での明治維新の負の側面は山ほどあるよ
坂本龍馬ごときがヒーロー扱いされてるのもそのうちのひとつだよね
ただあの辞世にあれを成したことを総合評価としてマイナス評価する奴はバカだろ アベガー火病症候群
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
安倍憎けりゃ長州まで憎い
ってこと
はい論破 >>6
日本が植民地になってるだけで平和だったよな >>47
長州 vs 会津
日本 vs 反日
安倍 vs サヨク
二項対立を変に強調しないでほしいな。
カルトの洗脳手法だなw
長州の下級武士=朝鮮系帰化人=イギリスの手先
だけなんだから。 >>34
幕末歴史ヲタが知識をひけらかし、それに朝鮮キチガイが絡んでるからw 徳川幕府の功績:
日本を開国させる
近代化を進める
公武合体による平和的な近代国家への移行を模索
横須賀製鉄所造船所を建設
樺太を守り抜く
明治政府の功績:
廃仏毀釈・廃城令でお寺、文化財、お城を徹底的に破壊
江戸市民文化を全否定し文化遺産を消失させる
華族士族という特権階級をつくる
鹿鳴館で外国人に媚びまくる
日本史上最悪の不平等条約を結ぶ
樺太を二束三文でロシアに売り渡す
日本の富を朝鮮にばらまく
日本を朝鮮人だらけにする 攘夷攘夷言って政権強奪したら即開国して文明開化の音がするって何の冗談なのよw 松蔭は清朝を倒して大アジアに雄飛するという妄想に支配されてたからね
その悪夢は70年ぐらいで現実になり国民全員が餓死しかけたのだからワロえない >>49
多分イギリスの代わりに対外戦争はしてない。 >>49
日本を植民地化しようとした列強はないよ
局地の租借はあり得たかもしれないけど 帰化人一族である岸家の真実とは?
岸家と佐藤家にまつわる余談の挿話だが、「郷里田布施の選挙戦のとき佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。もともと岸家は悪代官の家系ではないかとだれかが言い始めた。
というのは、毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人
であったという。
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
ところがこれが悪代官で、年貢はきびしく取り立てるし、女を囲う、金を貯める。
このガンの子孫こそ、ほかならぬ“岸(がん)”ではないか、というのであった。選挙戦となると、佐藤陣営はこの昔話を“岸家”にこじつけて“岸信介は悪代官の子孫だ!”と、喚きたてた。
龍太郎も最初のうちは、そうだ、そうだ、と同調していたが、しだいに照れくさくなって言わなくなった。
…考えてみると信介が岸家に養子にいったのは事実だがそれ以前に信介栄作の父佐藤秀助は岸家から佐藤家へ養子に来た男である。
栄作にも、そして龍太郎にも岸家の血が流れている。悪代官の子孫だ、と佐藤派の者が叫ぶたびにヘンな気がしてきたという。天にツバするとはこのことか。
岸家と佐藤家は、異なるようで同じく、同じようで違う。両者“悪代官”の果てかどうかは定かでないが、
この挿話は両家の関係をよくあらわしている」[110]という。
引用 110] ^岩川隆 1984, pp. 58-59.忍魁・佐藤栄作研究 (徳間文庫) てか、薩長史観なんて呼ぶ程、西南雄藩の主張ばかりでは無いと思うけど
それこそ、旧幕府、史談会速記録、京都守護職始末、会津戊辰戦史、戊辰庄内戦争録等々、佐幕派から見た幕末戊辰の史料や資料は明治初期から第2次世界大戦までの間に色々と出ているのに 長州の乃木希典も帰化人。
乃木家が朝鮮人とする下関市立長府博物館所蔵「藩中略譜」(文政年間作成)と添田仁『壬辰・丁酉倭乱における朝鮮人被虜の末裔――乃木希典の由緒』(神戸大学大学院人文学研究科海港都市研究センター『海港都市研究』一号 二〇〇六年三月)を読め!
「但馬國某ノ村ニ乃木谷ト称スルアリ、朝鮮国ノ人、豐太閤ニ従フテ帰化スルモノ古田織部ノ管護スル所トナリテ乃木谷ニ居リ、其土人ニ通シテ一男子ヲ得タリ、其子長シテ自ラ佐々木三太夫源冬純卜称ス(或ハ云、母ノ家ヲ佐々木ト称ス)
冬純金山豊春ノ女ヲ娶リ一子ヲ得タリ、醫ヲ学ヒテ佐々木瑞昌ト称ス、瑞昌当藩ニ仕フ、乃木傳庵ト改ム、傳庵男子無シ、宗對馬守ノ臣打它壽庵ノ子瑞心ヲ養フテ聟ト為ス、母ハ加島権八ノ女ナリ、
(對馬藩)瑞心二子アリ、兄ハ道伯、弟ハ隨陽、道伯ハ重就公ニ従フテ萩ニ入ル、隨陽匡敬公ノ小性ニ召出サル、新右衛門ト改称ス、以テ瑞心ノ家ヲ此藩ニ存ス、後チ故アリ断絶ス、
更ニ松平豊後守ノ藩医烏山松周ノ子ヲ以テ道伯ノ嗣ト為ス、是ヲ壽伯庸貞ト称ス、壽伯死シテ嗣子無シ、藩人宗岡慶隆ト称スル者江戸ニ在リ、以テ壽伯ノ嗣ト為ス、是ヲ乃木隆伯ト称ス、
隆伯三子アリ、第一文國病アリテ家ヲ續カス、第二栄次郎国嶋傳右衛門ノ養子ト為ル、第三龍玄(或ハ隆玄ニ作ル)家ヲ続ク、子無シ、乃木次郎左衛門希健ノ三男希幸ヲ萩ヨリ迎へ以テ嗣トナス、因テ医業ヲ免ス、惣吉ト称ス、又子無シ、
其弟喜十郎希吉ヲ以テ嗣子ト為ス(希幸ノ母内藤備後守ノ臣嶌田松秀女ナリ、希吉ノ母ハ大久保安藝守ノ臣野村才右エ門利久ノ女ナリ)、
希吉ノ子希次源太郎ト称ス、母ハ隆玄ノ女ナリ、希次家ヲ嗣クニ及ハスシテ死ス、希吉射ヲ善クス、弓馬ノ事ニ於テ悉ク其故實ヲ窮メ蘊奥ニ至ラサル莫シ、元義公ヨリ仕入テ四世ニ至ル、
其間亦清末侯ニ傳タリ、後妻ノ子三男アリ、第一(後闕) 」 >>40
朝鮮支配が復活っていうか
明治から連綿と続いてるよ 明治時代の首脳陣が朝鮮帰化人なんて証拠はない
必死に日本の輝かしい歴史を否定する反日どもよ >>63
清和会支配だな。
清和会の事務局はずっと李王家邸だったなw >>49
日本が植民地になる危機があるとすれば、それは日露戦争だよ。
日本は戦費がないので主要港湾の徴税権を担保に差し出し、
英米から巨額の借金をしてロシアと戦った。
辛勝できたからよかったものの、万が一負けてたら、
日本は英米露の植民地になってたはず。
日露戦争の戦争目的は朝鮮と朝鮮人をロシアから守るためなんだけど、
日本が国家破滅の危険を冒してまで朝鮮を守る必要性がある?
明治政府の中枢が汚鮮されてなければ、常識的にありえない選択だった。 >>64
明確なのは開戦時の外務大臣の東郷重徳。
もとは朴重徳。 >>66
正しい。
いま、集団的自衛権で同じことしようとしてる。 >>64
朝鮮キチガイの脳内には「朝鮮」の二文字しかない
それ以外の思考はできないという、器質的欠陥があるんだw
薩長はチョン
会津もチョン
朝廷もチョン
幕府もチョン
もう、日本じゃなくて「東朝鮮」に改名する運動でも起こせばいいのにw >>64
高杉晋作や奇兵隊の顔写真をよく見ろよ。
日本人じゃないことは一目瞭然だよ。 >>66
脳内ソースじゃなくて、史料、文献で説明してみろよ、キチガイw 帰化人一族である岸家の真実とは?
岸家と佐藤家にまつわる余談の挿話だが、「郷里田布施の選挙戦のとき佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。もともと岸家は悪代官の家系ではないかとだれかが言い始めた。
というのは、毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人
であったという。
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
ところがこれが悪代官で、年貢はきびしく取り立てるし、女を囲う、金を貯める。
このガンの子孫こそ、ほかならぬ“岸(がん)”ではないか、というのであった。選挙戦となると、佐藤陣営はこの昔話を“岸家”にこじつけて“岸信介は悪代官の子孫だ!”と、喚きたてた。
龍太郎も最初のうちは、
そうだ、そうだ、と同調していたが、しだいに照れくさくなって言わなくなった。
…考えてみると信介が岸家に養子にいったのは事実だがそれ以前に信介栄作の父佐藤秀助は岸家から佐藤家へ養子に来た男である。
栄作にも、そして龍太郎にも岸家の血が流れている。悪代官の子孫だ、と佐藤派の者が叫ぶたびにヘンな気がしてきたという。天にツバするとはこのことか。
岸家と佐藤家は、異なるようで同じく、同じようで違う。両者“悪代官”の果てかどうかは定かでないが、
この挿話は両家の関係をよくあらわしている」[110]という。
引用 110] ^ 岩川隆 1984, pp. 58-59.忍魁・佐藤栄作研究 (徳間文庫) >>71
これは意見だからソースは不用。
バカにはわからないだけ。 >>3
>>1の結論部分が反日のアベガーのチョンが書いたものだからそもそもフィクションだがそろそろそこを考えた方が良い。本気で信じてるオッサンが多い 薩長が作った旧体制に戻したいって連中は天皇の権威を笠に来て
為政者に文句を言わせない社会を作りたいんだな
軍人が威張る社会というか >>70
耳糞がドライで、一重瞼、鋏状咬合なら、お前も帰化人だよ、バーカw 薩摩長州帰化人支配は小泉、安倍に続いている。あるブログから引用。
ソースは証言だから仮説として後は調べて欲しい。
伏「僕がずっと前から気になっていたことで、ネットにも色々な情報が流れてるんだけど、前の総理大臣の小泉純一郎の実父の鹿児島出身の小泉純也、
旧姓、★鮫島純也★は朝鮮人だって噂があるんだけど、何か聞いてる?。」
東「そうだよ。鮫島純也は加世田の朝鮮部落の出身者で、純粋の朝鮮人だよ。ついでに言えば、鮫島っていう姓は嘘っぱちで、自分で勝手に名乗っているだけだよ。
本当の姓は、はっきり覚えてないけど、朴だったけかな〜金だったけかな〜忘れちまった(笑)、どっちみち朝鮮人は姓の数が少ないからな〜ほら、
よく日本人で海外で詐欺師を働く奴が、近衛や、有栖川とか名のったりするだろう、あの類よ(笑)」
彼は、あっさりと、小泉純也朝鮮人説を肯定した。
いささか、拍子抜けした。
伏「有難う。疑問が氷解したよ。」
東「なに、地元では公然の秘密さ(笑)小泉が総理になってからは、タブー化しつつあるけどね。」
伏「と言うことは、純也は在日朝鮮人なの?」
東「いわゆる、「在日朝鮮人」とは違う。公式記録によると小泉純也は1904年生まれだ。丁度日露戦争が勃発した年だよ。
「在日朝鮮人」とは、1910年の日韓併合後、大日本帝国の臣民となり、日本本土に移住してきた半島出身者で、1945年の日本敗戦で、大日本帝国が消滅した時に、日本国籍を失った人たちだよ。」
伏「よくわかりにくいけど、もっと詳しく説明してくれないか。」
東「小泉純也・・・ややこしいな、取りあえず朴純也としておこう。朴純也が生まれ育った、鹿児島、加世田の朝鮮人部落と言うのは、
日本でも珍しい独特の歴史があるんだ。これは、薩摩藩島津家の公式記録である「島津家文書」にもちゃんと記載されている事実なんだけれども・・・」
伏「どういうこと?」
東「発祥は、豊臣秀吉の時代、安土桃山時代に遡るんだ。秀吉の朝鮮征伐の時に、薩摩藩主の島津義弘、僕たちは維新公と言って親しんでいるんだけど、朝鮮に出征して、1598年に休戦帰国する時に、多数の朝鮮人捕虜を連行して薩摩に帰国したんだ。
その中には李氏朝鮮で武士階級(引用注:朝鮮では正確には武官でしかない)だったもの、職人だったもの、単なる荷駄の運搬に使った労務者もいる。連れ帰った捕虜の中には、手に素晴らしい技術を持つ者がいた。
彼らが後世に伝えたものが、“薩摩焼き”だ。産物に乏しい薩摩藩は、陶芸技術を持つ朝鮮人は、苗代川と言う所に集めて、集落を作らせ、薩摩焼の生産に専念させた。
薩摩焼は、薩摩藩が藩外に輸出して、貨幣を稼ぐ貴重な生産品だったので、藩は彼らを手厚く保護して、集落内は広範な自治を認めたんだよ。
藩から優遇されプライドも保たれた、彼らは朝鮮人であることを隠さなかった。収入も良く、生活ぶりも豊かな彼らは、
明治維新後は、薩摩士族の株を買って、士族になるものもあらわれた。
その有名な例が、東条内閣で外務大臣を務めた東郷茂徳さんだよ。」 >>66
同意。そもそも朝鮮進出あたりから日本を戦争というバクチの担保にしている欧米の思惑があったんじゃないんかな 天ちゃんがイカサマ
それをでっち上げたのが薩長だからや あんまり詳しくないんだけど、一つ不思議なのは、なんで倒幕運動に動いたのが薩長の二藩だったのかってこと。
薩摩なんて西の端っこでしょ。
司馬遼太郎の小説だと清河八郎が遊説したからだとか書いてあったけど。
歴史研究してる学生の友達によると攘夷思想などが薩摩に伝わった経緯は実はよく分かってないと言ってたな。 >>34
まあ色々なことの結節点になってるからじゃねえの?
戦前の日本って言うほど極悪じゃなくね?っていう認識が
だいぶ浸透したし、それを根底からひっくり返したい思惑はありそう。 >>81
焼き物で帰化朝鮮人がいたから。
薩長土肥。
薩摩焼、萩焼、有田焼、土佐焼。 有田焼の誕生は17世紀始めのことです。
豊臣秀吉時代頃、戦乱に明け暮れた武将たちの間で茶の湯が流行っていました。茶の湯の指導的茶人であった千利休はわびさびの茶に導き、
高麗茶碗を珍重していました。秀吉は、そんな高麗茶碗を作り出していた朝鮮半島へとても関心を深めていたようです。
秀吉の朝鮮出兵の際、佐賀藩主の鍋島直茂は朝鮮の撤退時に何千という朝鮮陶工たちを日本に連れて帰りました。
そうした陶工の中の一人に、李参平(りさんぺい)がいました。和名を金ヶ江三兵衛(かねがえさんべえ)と呼びました。
李参平は、最初のうちは佐賀の多久にて陶器を焼いていましたが、なかなか納得のいくものが出来ず、良質の原料、
すなわち磁器を作るための陶石を見つけるために、旅に出ます。
http://aritayaki.jp/aritayaki/history.html 薩摩の帰化人沈寿官のはなし
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。
沈家は、慶尚北道青松に本貫を置き、その一族は李朝四代世宗大王の昭憲王后を始め、領議政(国務総理)九人、左議政、右議政(副総理)、四人等を出した名門である。
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。
陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。
江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、
また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。
沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を
輩出した。
http://www.chin-jukan.co.jp/history.html 昔『長州力』っていう朝鮮人のプロレスラーが居てだな・・・・ まだやってんのかwwwwwwwww
どんだけ印象操作したいんだよ
反日プロパガンダはwwwwwwwwwwww
思いつき、嘘で書き込みして
史料文献出せって言われたら
話そらしたり逃げたりするクセにwwwwww
日本第一の桜井さんもラジオで
150年前の事で恨む奴は日本人として
認めないって言ってたけど
まったくもってそうだよなwwwwww
おまえら反日プロパガンダは日本人じゃないわwww ヨーロッパなんてのは、千年以上騎馬民族やイスラムと戦ってきたんだから
世の中が綺麗事じゃないことぐらい分かってんだよ
そして、それと同じくらい綺麗事の大事さも分かっているそれがキリスト教
中国はアヘン戦争と植民地化で目覚めた
世の中はやる前にやらなければ負けることに
共産党の動きはこれで分かる
朝鮮半島も隣に中国、モンゴル、ロシアがいたから綺麗事じゃないことくらい分かっている
日本の場合、地政学的な幸運と何とかなってしまった歴史のため一番分かっていない >>18
しつこいし見えないよ?
毎度毎度なんだよ荒らし? >>87
おまえじゃなく、世間つまりROM専が判断するよw >>29
★1から言い続けてるけどチョンの中でしか流行らない>反町 後に萩藩の開祖となる毛利輝元もまた、秀吉から茶の湯に親しむことを許され千利休や古田織部とも交遊があった大名で、
文禄慶長の役の際に朝鮮の陶工李勺光を、のちに弟の李敬も招きました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに敗れ領土を削られた輝元は、安芸の広島から長州の萩へ移ることになります。
輝元にお預けの身となっていた李兄弟もこれに従って萩へ移り、萩の松本村に藩の御用窯を開いたのが萩焼の始まりです。
http://www.hagiyaki-kaikan.com/hagiyaki/index.html >>90
いいのかなあ?
そういう詭弁使っちゃって >>59
実績で言ってもしょうがないだろう
意思の統一が出来なければ他のアジアの国と同じ運命をたどった可能性が高い >>66
ロシアが南下すればイギリスとか中国に権益持ってるお歴々が困るから。
閔妃が親露政策をしてるし。
日本にしても釜山にロシアの艦隊がずらりって事にはしたくないしな。 >>81
>なんで倒幕運動に動いたのが薩長の二藩だったのか
薩長は密貿易で荒稼ぎしてたんだよ。
ところが幕府が開国し各地の港湾で自由貿易が開始されると、
薩長の密貿易利権が消えてしまう。
そのため攘夷を叫んで開国・近代化政策に敵対することになる。
さらに馬関戦争、薩英戦争で欧米にボロ負けしてからは、
割拠を唱え、日本から分離独立し藩単位で英米の庇護下に入ろうとしてる。
結局、藩の利益しか眼中にない売国奴なんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています