吉田松陰は、たしかに昭和の軍国主義を経験した後で読むと、戦中の軍国プロパガンダそのもの
のことが書いてある。いやむしろ昭和の人々が吉田松陰の書いたことをコピーしたというべきか。

> 吾(われ)も人も貴き皇国に生れ 特に吾々(われわれ)は武門武士たる上は 其(その)職分なる
> 武道を勤め 皇国の大恩に報ずべきは論にも及ばぬ事也 (吉田松陰『武教講録』開講主意より)

吉田によれば武とは忠孝なので、これは戦中よく言われた「尽忠報国」ということと瓜二つである。

そして近年外国勢力が優秀な人材を登用し、政治を改革して急速に日本を圧迫してきていること
に対しては、日本は外国と違うということをはっきり認識し、国のため、藩のため、君主のため、
父親のために死ぬ覚悟をもてと吉田は言う。

> … 近世海外の諸蛮、各々其の賢智を推挙し、其の政治を革新し、駸々(しんしん、速いこと)然
> として上国(豊かな国)を凌侮(りょうぶ、辱める)の勢いあり。我れ何を以って是を制せん。
> 他なし、…我が国の国体の外国と異る所以(ゆえん)の大義を明らかにし、闔国(こうこく、国じゅう)
> の人は闔国の為めに死し、闔藩の人は闔藩の為めに死し、臣は君の為めに死し 子は父の為
> めに死するの志確乎たらば、何ぞ諸蛮を畏れんや。(吉田松陰『講孟余話』巻一第1場末尾)

ここで日本が外国と違うということは「国体」、つまり有史以前から王家が変わっておらず、外国
勢力を打ち破ってきたということ、したがって王への忠誠に関するかぎり忠誠の対象は永遠不変
であるということだから、

これも昭和の軍国主義が「国体明徴」を唱えつつ「玉砕」していったことと重なって見えてしまう。