『何故嵐の最中、田んぼを見に行くのか?
百姓は自分の田んぼに水を引く順番が決まってる。順番が来たら水路をせき止めて、自分の田に水を入れるわけだ。
水が入ったら下流の百姓に「水利」を譲るべく、水路をせき止めていた板とか、石を入れた肥料の袋とかを取り除かねばならない。
たまたま台風が来たときに、田んぼに水を引く権利がある百姓は水路の責任を負っている。もし水路をせき止めたまま溢れさせて、
近隣の田植えが済んだ田んぼを水浸しにして稲をダメにしたり、民家を床下浸水でもさせたら、やはりその時の水利を持っている
百姓が責任を負う。だから水路を見に行くのさ』
『洪水のときとか、上流の人が我慢すればいいんだけど、自分の田んぼは助けたいと思って放水してしまうんだな
するとその下流の田んぼは壊滅する
だから、田んぼを見に行くのは、上流の人にそういうことをさせないように監視しに行くケースもある
普段、どんなに仲が良くても、水利に関しては全く別問題なんだよ
逆に渇水の時も、自分の田んぼにだけ水を入れる人がいるんで見張りに行く(これは事故にならないからニュースにはならない)
俺は郵便屋で、ド田舎の局に赴任して、初めてその現実を知ったんだけど日頃温厚な農家の爺ちゃん婆ちゃんも、水が係るとマジで人間が変わる
水路って、住所のもとにも立ってたりして、飛び地とかにも関係している 深いよ 』
『勘違いしてる奴多いけど、田畑持ってる人間皆が皆見に行くから、一定確率で死ぬんだよ
交通事故みたいなもんで、見に行ったから死ぬわけじゃない、正月の餅も同じ 』