【日本史】「鎌倉」でなく「北条時代」が区切り 時代区分に新提案 明治以前を「古墳→大和→山城→北条→足利→織豊→徳川」★2
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時代区分(古墳から明治以前)
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171108004256_comm.jpg
■時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授
歴史には時代区分がある。だが、日本史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。
――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。
「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」
「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日本の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。王権の変化で区切るほかありません」
――では、最初の王権はいつできたのでしょうか。
「3世紀初頭、邪馬台国の卑弥呼の時代と考えます。その頃、前方後円墳の原型といえる古墳が纒向(まきむく)(奈良県桜井市)に営まれ始めた。そこで従来3世紀末か4世紀初めとされる古墳時代の開始を、邪馬台国の成立時とします」
「前方後円墳は、つぼを横倒しにして半分埋めた形なんです。後円部に埋葬された人の魂が、つぼのくびである前方部を抜けて天に飛翔(ひしょう)します。こういう神話を信じた人たちが邪馬台国をつくった。古墳時代は神話時代です。ただ、その神話は天皇家のものとは限りません」
――古墳時代の次は大和時代となっていますが、どこで区切るのでしょうか。
「大王の血筋が確定して後の天… 残り:2408文字/全文:3097文字
配信2017年11月9日03時17分
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKB05T40KB0ULZU015.html
★1が立った時間 2017/11/09(木) 10:39:36.22
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1510191576/ >>297
教えるも何も先史時代なんて教えようが無えだろうが
(自称)古代研究家の妄想を子供に叩きこめ、とでも言うの?w >>363
英語版、Wikipwdiaだと
天皇家以外の日本のデファクトな支配者として
「蘇我家、藤原家、平家、源家、北条家、足利家、徳川家」
の有力氏族がいたということは普通に書かれてる >>362
世界史からみると信長自体も悪の手先になるしな 時の政権つっても、どの程度まで力持ってたのかわからんよね
徳川はかなり力持ってたんだろうけど 弥生時代を無きものにしたい朝日新聞NHK学者
朝鮮民族が成り立つまでは日本は国でなく植民地の未開民族でなければならないからな
実際には大和朝廷が出来てても朝鮮半島は3つの別々の民族にわかれてたから致命的に無理だけど
慰安婦20万とかメチャクチャ言う学者ばかりだからなあ >>360
>初期鎌倉幕府って今でいうと防衛省を鎌倉に移しただけかもしれないな
全然違います(笑) 鎌倉に幕府があったから鎌倉時代で良いじゃないか
一応源氏ではなくとも将軍はいたし 源頼朝の扱いは難しいな。
北条時政の傀儡でも旗頭ではあったから。 日本の都
沼島/淡路洲 国産み(イザナギ/イザナミ)兵庫県南あわじ市
須 我 ヤマタノオロチ(スサノオ)島根県雲南市
出 雲 因幡の白兎(オオクニヌシ)島根県
高千穂 天孫降臨(ニニギ)宮崎県高千穂町
橿原宮 B.C.660年(神武天皇)奈良県橿原市
庵戸宮 B.C.291年(孝霊天皇)奈良県田原本町
纒向宮 1世紀(垂仁天皇)奈良県桜井市
難波高津宮 4世紀(仁徳天皇)大阪府大阪市
近飛鳥八釣宮 5世紀(顕宗天皇)奈良県明日香村
石上広高宮 5世紀(仁賢天皇)奈良県天理市
近江宮 667年(天智天皇)滋賀県大津市
平城京 710年(元明天皇)奈良県奈良市/大和郡山市
恭仁京 740年(聖武天皇)京都府木津川市
紫香楽京740年(聖武天皇)滋賀県甲賀市
長岡京 784年(桓武天皇)京都府向日市/長岡京市
平安京 794年(桓武天皇)京都府京都市
福原京 1180年(安徳天皇)兵庫県神戸市
南 朝 1336年(後醍醐天皇)奈良県吉野町/五條市
東 京 1868年(明治天皇)東京都千代田区
※ 天皇が(一時滞在を前提とせずに)移住・居住した地
※ 近場は古い方のみ記載 日本の「番地」はわかりにくいから欧米にならって「道+番号」にしろって言ってるやつらと同じ臭がするわ
世界的にグローバリズムが嫌われだしてるのに何言ってんだか >>378
源氏はいらないかな
天皇家を簒奪できた勢力はそれぐらいかな 北条が権力を握った後も幕府は鎌倉だが、元は源がトップでややこしい
足利の前の南北朝はともかく、足利の統制が利かなくなった時代も長いのに
戦国時代を省く理由もよく分からない
豊臣はほぼ全国統一と言っても良いだろうが、信長はそこまでいってない
よくある、お前が思い付く程度の事は先人が既に考えてる
実行しないのは何かの大きなデメリットがあるからだ状態 天皇って
初期は仏教を守る正義の象徴だったけど
あとの年代になるほど
無意味になって
最後はエタヒニン薩長の神輿に使われて
軍国主義時代は
天皇カルトに成り下がったよね。
初期の徳の高かった時代はいずこへ。 >>379
自分で第六天魔王と言ってるんだから日本史でも同じだろう 足利尊氏がちょっと決意してれば栃木が日本一の大都会になって首都になってたべ >>366
あれは律儀&お飾りアピ
裏はかなりやり手だったそうな >>386
時政の傀儡なんていつの時代の頼朝像だよ 法治が正解っちゅうあと智慧だと3大偉人は
聖徳太子(十七条憲法)
北条泰時(御成敗式目)
徳川吉宗(公事方御定書)
聖徳太子は官位十二階っちゅうあえて科挙ではなく九品官人法ベースの身分制度導入したのがかなり大きい
九品は生まれで役職完全固定だったがスタート地点が違うだけで出世できる極冠制度に改良した(近現代軍制の二等兵スターとか軍曹スタートか少尉スタートのようなもん) 中世の始まりは、これが一番大事なんだよ
三河の藤姓熱田大宮司家と三河の源頼朝、三河の足利氏
そして、三河の徳川だ
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(味方県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代足利氏)を生む >>386
頼朝時代は北条はそんなに強くない
頼朝とその嫡男の頼家の乳母だった比企氏一族が強かった
この時代は次代の当主を幼少から教育できる乳母一族が一番権力握ってる
北条は頼朝生存時はそこまでの力がなかったから次男の実朝にしか乳母を送り込めなかった >>364
古墳時代以前 朝鮮国の支配
NHKや朝日新聞がよくやるねつ造 >>379
つか、悪とか悪じゃないとかの区別が無意味ではないの?
ハンニバルとスキピオのどっちが善でどっちが悪なのか
劉備と曹操のどっちが悪でどっちが悪なのか >>340
とりあえず新羅は唐と組んで最後まで残っただけで新羅が朝鮮統一したとは思えないが
高句麗百済を滅ぼした主力は唐だしな
で唐は朝鮮統治を始めたが朝鮮での抑えが手薄になったところで新羅が反乱しただけ そういえば、よく忘れられるけど日本もヨーロッパのように宗教勢力が武装して、
武士ー朝廷ー僧兵の3つ巴の争いだものな
宗教が、でしゃばるのは危険であることを教えた方がいい >>389
何の関係もないけどな。今の歴史観がむしろ西洋史学を参考にしてるわけで >>406
愚かな人。
北朝鮮を見れば
悪の為政者がいるとわかるでしょ。 >>1
元記事呼んだ
すげーわかりやすい
王権が強かった時代は土地、武家政権が明確に確立して以降は武臣王の政権
と区切っていくというのはかなり分かりやすかった
西欧式の区分と皇国主義史観の影響(足利→室町)が歪に絡まった状態をなんとかしてほしいし
個人的には現状の弥生時代という名称だけはどうしても許せない >>403
その比企一族の土地にいた豪族が強かったんだがね
そのエリアをもう少し調べたほうが良いよ >>392
江戸幕府はしめつけがキツいし
室町幕府は統制が効かないし鎌倉ぐらいが良いのだよ >>408
普通に半島全土支配したのは新羅だからそこは新羅が統一でいいっしょ
他人の力借りちゃダメってこともないし >>403
間違い
鎌倉将軍の次の別格は足助氏だ
足助氏は昇殿出来たんだぞ
これが三河システム(三河縁故の武士が武家社会を牛耳るシステム)
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 >>407
あ、バレたw
まあこんなゴミクズ説は瞬殺論破出来ないと困るんだが
まともに取り合う奴がここにも多いからなあ 聖徳太子はいなかったとか1185とか本当もういいから
歴史的新事実が見つかったのならともかく
自分で歴史教科書書き換えたい偉い人に付き合う必要が全く感じられない APA壺時代→オラウータン時代→アキバ時代
ミンス時代→モリカケ成田神戸時代
めまぐるしく時代が移り替わってるよな。 北条家(後北条ではない)のチートっぷり
承久の変で北条義時が
歴史上、唯一武将として朝廷に勝ってるからな
おまけに歴代各執権が有能すぎる >>409
信長の比叡山焼き討ちとキリシタン弾圧は教科書でもっと賞賛すべき >>401
同意
あんな昔に雅な文化が爛熟した時代は
他の国にはなかったんじゃないかなぁ
女性小説家は日本が世界初って聞いたことある 和珥と名乗る一族の末裔が比企郡、東松山に移り住んでいて、
古墳もだいぶ作ってるから 場所で区切ったほうがわかりやすいから今の呼び方なんでしょ
それを人名と混ぜてどうすんだよ
しかも大和とか山城なんてよけいわかりにくいわ しょくほうと読ますのか
おとよかと思って豊久かよってなった >>376
そんなど田舎に幕府の中枢を置いても
意味ないだろう。
てか、後醍醐も吉野に逃げるし、
上皇、天皇のいる京都は確保しないと、
いけないから、当然だと思うが。 勘違いしてる人がほんと多くて
笑える。
仏教を宗教だと思う人がほんと多い。
実は仏教はアンチカルト宗教の
宗教批判勢力。
仏陀の時代の宗教ってのはバラモン教。
宗教批判思想なんだけど
なぜか仏教も宗教扱いされちゃったw >>404
まぁ古墳時代以前は権力の源泉が何であったかはハッキリしないからなぁ 日本史というが、「日本」が始まったのは1192年から。
それ以前は全国各地に小国家群が存在。
日本という単位で捉えるなら、北条と徳川の二つを知るだけで事足りる。 日本語の歴史で言うと
鎌倉時代初期と明治時代初期が一番言葉が変わった変革期なんだよね。 >>420
もう十年以上も昔から史学会では定説になっていることが遅まきながら教科書に反映されるだけだぞ
教科書で採用いなかの話題になるのは干支が一回り以上も前に史学会では定説になってるのよ
一回り前の教育受けた老害が自分が時代遅れにされるのが嫌で抵抗してるだけ >>362
韓国、あるいは親韓国朝鮮勢力など一部の勢力を除けば
現在の時点で国際的に日本の侵略行為とされてるのは
第一次大戦以降のアジア太平洋地域への軍事進出だけだ
日韓併合までの日本の軍事行為は
そういうわけでごく一部を除けば現代人が責任を負うべき
国際非難の対象にはなっていない
信長が企図し、秀吉が実行した朝鮮出兵もその例外ではない
世界史的な残虐行為と
第一次大戦以降の日本の軍事行為を同列に語るのは
倫理観や時代背景の変化を理解してない愚かもののやることだ 宗教にはだいたい神様がいるけど
仏教は神様を敬えって思想ではない
悟りなさいという考え。
バラモン教が神様神様言ってて
それを批判したのが仏陀だから当然の話。
宗教を批判したのは仏陀です。
仏陀は宗教家じゃないです 近世では元号がそのまま時代を示してるからアカピ的には気に食わないのだろ。
そこで東大名誉教授の虎の威を借りて大政奉還以降の呼び名を変える布石にしたいのかね? またイデオロギーがからんでんじゃねーの?急にどうしたんだ >>428
北条以後は土地支配から人の支配に変わっていった事を強調したいんでしょ 鎌倉幕府の成立は、日本人にとっては革命的な出来事であり、日本らしさの出発点です。
支配層の変化なんて何の価値もありません。 >>181
お前はドリフターズスレで暴れてる奴かな? >>376
出生地が栃木とかアホか
家康が生まれた城から直線距離で1.5キロのとこで生まれとるわ
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の屋敷、大門屋敷(三河県岡崎市)の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 織豊政権って言葉だけはかなり前からあるよね
20年くらい前には見た言葉だ >>435に捕捉。
つまり鎌倉幕府以前は、各地が「郷土史」として地元の歴史をバラバラに覚えればよいだけ。
例えば関西地方なら地方王族として皇室、など。
「日本国」「日本人」としての単位で歴史を語るなら、1192年以降だけを教育したらよい。 >>432
貴族文化しか記録に残ってないからそう思えるだけ
町民文化が積極的に記録されるようになったのは江戸時代から
だからそれ以前の町民文化がよくわからないってだけの話
これは世界史も一緒で基本的に記録は貴族階級のことがメインになってる コンセンサスが重要でしょ。
場所と人を混在させた区分なんてコンセンサスを得られない。 >>437
おまえ、もしかして江戸時代と今の口語が通じないとか思っちゃってる?
言文一致以前の文語は古典でも口語はパリ万博の時の録音音声からも、普通に方言でも無ければ理解可能だと言われてるぞ もし鎌倉時代が無かったら漢字二字熟語は生まれてなかったんだよな。
それまで雅なやまとことばが正式な言葉で日常会話に漢字熟語が出る場面なんてなかった。 日本の昔話にも
竜の神様に生贄を捧げるなんて伝承があるじゃない?
そんなのおかしいわー
カルトだわーという事で批判的だったのが
仏教思想勢力なんですよ。
アンチカルトが仏教
仏教は宗教ではないのです >>445
売名と古墳時代以前の日本を未開民族に仕立てる事が目的だよ
九条の会学者と朝日新聞のコラボな >>395
なるわけねーだろ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>453
変革期→言葉が通じないって
おまえ凄い発想の飛躍をしてるな いい国作ろう鎌倉幕府も変わってしまったし
足利尊氏の髭面の絵も違うと変わってしまった。 >>1の人は結局何が言いたいんだ
つーか縄文人や王権が固まる前の弥生人がいないじゃねーかどうなってんだ >>435
支那や朝鮮の場合にはそういう考え方がありうるが、日本の場合には縄文時代から
ほとんど同じような民族が各地に共存して数千年のあいだに混交して日本民族が
成立している。 (沖縄も含めて)言語も生活習慣も大きな違いはない民族が
各地に小さな単位で分立していたのだから、それが統一国家を作っていようといまいと
日本の歴史として教えるのは当たり前のことだ。
朝鮮など、明らかに蒙古人や満州人の歴史まで「朝鮮の歴史」としているじゃないかwww >>435
「日本」が始まったのは天武天皇からだよ
天武天皇が外交文書などに使い始めた証拠がちゃんとある
支配地域が今より狭かったとか言い出すんなら
沖縄や北海道の先まできっちり支配下に置いたのは明治になってからだぞ >>450
国家としての日本が始まったといえるのはそれこそ明治維新からだろ
それ以前の日本は天皇家という司祭の一族を祭った蛮族の集い >>437
明治維新は、「日本」で初めて西日本側の勢力が天下を取った一大転換期。
東日本側としたら、歴史上唯一の黒星であり黒歴史となる。
しかし首都を東京が勝ち取った事で面目を保った形。
そして西南戦争で薩長西軍を討伐した事で名誉回復。 >>405
大坂の陣でなら殺意覚えるかもしれん
関ヶ原で真田の立て籠る上田城兵力2000を3万の大軍で囲んで敗北
関ヶ原にも遅れて行って、家康からお前に期待した俺がアホなのかな?
真田の長男は出来た息子だよ。武功を上げて貰った所領を
お前を苦しめた親父と弟助けるためなら返すってさって散々嫌味言われてる
で、大坂の陣では真っ先にたどり着こうと強行軍して
逆に兵の疲労や士気を考えられないのかお前はつって、家康からまた罵倒されてるからな
まあ、秀忠がアホといえばアホなんだが 俺らが学んだ歴史は若者に言えば間違いと指摘されるんだよな >>411
学問的に歴史を考える上で
自分の時代、自分の立場の倫理観に立ち
それに影響されながら思考し判断する方がよっぽど愚かだと思いますよ
というか、そういう「道徳倫理を一旦おいといて考える」と
「今の目で見ての蛮行」を肯定する行為が
同じものだと混同してしまっている時点で
(それ故いきなり、愚か者とかいきり立ってしまったんでしょうけど)
あなたは論理的思考に向いた頭を持っていないと考えるが如何ですか? 安土桃山時代も織豊時代もいらんだろ
統一政権は江戸幕府から
だからその前の時代はまとめて戦国時代でいい で、後の時代になって
アホでリテラシーの無い人たちが
仏陀って神様と同じようなものでしょ
神様仏様でしょ?
同じでしょ? 仏様ありがたやーと神様と同じ扱いになtってしまったのが仏教。
仏陀はアンチ宗教です。 歴史なんか本当にあったことなのか分からんしな
実際に見た奴が今一人もいないんだから
何の役にも立たない意味のない学問だ >>456
神話でくくると世界中にイシュメールの神話がバラまかれてるわけだが? >>466
それは違う。
「日本」という単位を統治する組織が誕生したのが1192年の鎌倉幕府。
そして江戸幕府。
その二つ以外が統一された国家の体をなしてなかったのは同意。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています