【日本史】「鎌倉」でなく「北条時代」が区切り 時代区分に新提案 明治以前を「古墳→大和→山城→北条→足利→織豊→徳川」★2
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時代区分(古墳から明治以前)
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171108004256_comm.jpg
■時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授
歴史には時代区分がある。だが、日本史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。
――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。
「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」
「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日本の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。王権の変化で区切るほかありません」
――では、最初の王権はいつできたのでしょうか。
「3世紀初頭、邪馬台国の卑弥呼の時代と考えます。その頃、前方後円墳の原型といえる古墳が纒向(まきむく)(奈良県桜井市)に営まれ始めた。そこで従来3世紀末か4世紀初めとされる古墳時代の開始を、邪馬台国の成立時とします」
「前方後円墳は、つぼを横倒しにして半分埋めた形なんです。後円部に埋葬された人の魂が、つぼのくびである前方部を抜けて天に飛翔(ひしょう)します。こういう神話を信じた人たちが邪馬台国をつくった。古墳時代は神話時代です。ただ、その神話は天皇家のものとは限りません」
――古墳時代の次は大和時代となっていますが、どこで区切るのでしょうか。
「大王の血筋が確定して後の天… 残り:2408文字/全文:3097文字
配信2017年11月9日03時17分
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKB05T40KB0ULZU015.html
★1が立った時間 2017/11/09(木) 10:39:36.22
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1510191576/ 鎌倉幕府の成立は、日本人にとっては革命的な出来事であり、日本らしさの出発点です。
支配層の変化なんて何の価値もありません。 >>181
お前はドリフターズスレで暴れてる奴かな? >>376
出生地が栃木とかアホか
家康が生まれた城から直線距離で1.5キロのとこで生まれとるわ
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の屋敷、大門屋敷(三河県岡崎市)の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 織豊政権って言葉だけはかなり前からあるよね
20年くらい前には見た言葉だ >>435に捕捉。
つまり鎌倉幕府以前は、各地が「郷土史」として地元の歴史をバラバラに覚えればよいだけ。
例えば関西地方なら地方王族として皇室、など。
「日本国」「日本人」としての単位で歴史を語るなら、1192年以降だけを教育したらよい。 >>432
貴族文化しか記録に残ってないからそう思えるだけ
町民文化が積極的に記録されるようになったのは江戸時代から
だからそれ以前の町民文化がよくわからないってだけの話
これは世界史も一緒で基本的に記録は貴族階級のことがメインになってる コンセンサスが重要でしょ。
場所と人を混在させた区分なんてコンセンサスを得られない。 >>437
おまえ、もしかして江戸時代と今の口語が通じないとか思っちゃってる?
言文一致以前の文語は古典でも口語はパリ万博の時の録音音声からも、普通に方言でも無ければ理解可能だと言われてるぞ もし鎌倉時代が無かったら漢字二字熟語は生まれてなかったんだよな。
それまで雅なやまとことばが正式な言葉で日常会話に漢字熟語が出る場面なんてなかった。 日本の昔話にも
竜の神様に生贄を捧げるなんて伝承があるじゃない?
そんなのおかしいわー
カルトだわーという事で批判的だったのが
仏教思想勢力なんですよ。
アンチカルトが仏教
仏教は宗教ではないのです >>445
売名と古墳時代以前の日本を未開民族に仕立てる事が目的だよ
九条の会学者と朝日新聞のコラボな >>395
なるわけねーだろ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>453
変革期→言葉が通じないって
おまえ凄い発想の飛躍をしてるな いい国作ろう鎌倉幕府も変わってしまったし
足利尊氏の髭面の絵も違うと変わってしまった。 >>1の人は結局何が言いたいんだ
つーか縄文人や王権が固まる前の弥生人がいないじゃねーかどうなってんだ >>435
支那や朝鮮の場合にはそういう考え方がありうるが、日本の場合には縄文時代から
ほとんど同じような民族が各地に共存して数千年のあいだに混交して日本民族が
成立している。 (沖縄も含めて)言語も生活習慣も大きな違いはない民族が
各地に小さな単位で分立していたのだから、それが統一国家を作っていようといまいと
日本の歴史として教えるのは当たり前のことだ。
朝鮮など、明らかに蒙古人や満州人の歴史まで「朝鮮の歴史」としているじゃないかwww >>435
「日本」が始まったのは天武天皇からだよ
天武天皇が外交文書などに使い始めた証拠がちゃんとある
支配地域が今より狭かったとか言い出すんなら
沖縄や北海道の先まできっちり支配下に置いたのは明治になってからだぞ >>450
国家としての日本が始まったといえるのはそれこそ明治維新からだろ
それ以前の日本は天皇家という司祭の一族を祭った蛮族の集い >>437
明治維新は、「日本」で初めて西日本側の勢力が天下を取った一大転換期。
東日本側としたら、歴史上唯一の黒星であり黒歴史となる。
しかし首都を東京が勝ち取った事で面目を保った形。
そして西南戦争で薩長西軍を討伐した事で名誉回復。 >>405
大坂の陣でなら殺意覚えるかもしれん
関ヶ原で真田の立て籠る上田城兵力2000を3万の大軍で囲んで敗北
関ヶ原にも遅れて行って、家康からお前に期待した俺がアホなのかな?
真田の長男は出来た息子だよ。武功を上げて貰った所領を
お前を苦しめた親父と弟助けるためなら返すってさって散々嫌味言われてる
で、大坂の陣では真っ先にたどり着こうと強行軍して
逆に兵の疲労や士気を考えられないのかお前はつって、家康からまた罵倒されてるからな
まあ、秀忠がアホといえばアホなんだが 俺らが学んだ歴史は若者に言えば間違いと指摘されるんだよな >>411
学問的に歴史を考える上で
自分の時代、自分の立場の倫理観に立ち
それに影響されながら思考し判断する方がよっぽど愚かだと思いますよ
というか、そういう「道徳倫理を一旦おいといて考える」と
「今の目で見ての蛮行」を肯定する行為が
同じものだと混同してしまっている時点で
(それ故いきなり、愚か者とかいきり立ってしまったんでしょうけど)
あなたは論理的思考に向いた頭を持っていないと考えるが如何ですか? 安土桃山時代も織豊時代もいらんだろ
統一政権は江戸幕府から
だからその前の時代はまとめて戦国時代でいい で、後の時代になって
アホでリテラシーの無い人たちが
仏陀って神様と同じようなものでしょ
神様仏様でしょ?
同じでしょ? 仏様ありがたやーと神様と同じ扱いになtってしまったのが仏教。
仏陀はアンチ宗教です。 歴史なんか本当にあったことなのか分からんしな
実際に見た奴が今一人もいないんだから
何の役にも立たない意味のない学問だ >>456
神話でくくると世界中にイシュメールの神話がバラまかれてるわけだが? >>466
それは違う。
「日本」という単位を統治する組織が誕生したのが1192年の鎌倉幕府。
そして江戸幕府。
その二つ以外が統一された国家の体をなしてなかったのは同意。 >>414
お前何か鎌倉にロマンチシズムを覚えてるだろ? >>474
それは単なる無学の言い訳にしかならない 内藤湖南に習えば
応仁の乱以前→以後
で簡単だけどな >>461
九条の会学者と朝日新聞のコラボだ
古墳時代以前は日本は未開民族で、朝鮮国から文化文明を与えられた!
って事にしていきたいのがNHKや朝日新聞の韓国系学者 >>452
なら全部土地名にすればいい
土器の文様の縄文と、土器が発見された場所の弥生が混雑してるとかありえんだろ >>427
ワニ氏は興味ある
もともと奈良の春日に本拠地はあったらしいのだけど
近江や、その他の全国に拠点を移した。
そして製鉄技術は、大規模な土木工事をも必要としたし、
鉄鉱石を取るためには石を知る知識も必要だった。
またワニは、サメという説とアリゲーターのワニの説がある。
日本人はもともと南方から来た人が多く、ワニは、そのままワニである
という意見も強い。
そしてサメもワニも鋭い牙を持つ。
日本の先住民が「鬼」と言われていたけれど、鋭い武器はワニに
通じる。ワニとは何のか気になる。 >>474
日本政府や日本国というものも実際に見たことないだろ?
このあらゆる物事はほとんど実際に見ることが出来ないものばかりだよ >>467
明治維新は大名家じゃなく下級武士の集まりが政権を握った共産主義革命もビックリの下から革命だよ
島津も毛利も殿様連中は政権からは完全シャットアウト
どこの馬の骨ともつかん下級武士たちが日本という国の国体を根本から替えて牛耳った
フランス革命よりもよっぽど過激な革命なんだわ >>482
ワニなら混浴温泉に行けばいくらでもいるよ >>466
ドイツとかヨーロッパもそんなもんだよね。 歴史学者の言うことなんてテキトーなもんよ
昔は正解とされたことがどんどん変わってくんだから
今区切ったって、また将来変わる可能性大 >>465
それは「日本」ではなく、関西地方にあった土着集団の酋長。
それをかの地では朝廷、皇室、公家と呼称していた。
つまり舛添東京都知事が韓国政府と親善交流してたようなもの。
「領域」ではなく「国家」という概念は、鎌倉幕府という統治機構の誕生を待たねばならない。 >>448
いま、俺は岡崎市日名南にいるわけだが、あの神社には、そんな歴史があったのか。知らなかった。
今度、行ってみるわ。
ありがとう。
ところで、邪馬台国畿内説で、箸墓古墳が卑弥呼の墓だとすると、古墳時代と大和時代の境目は分からなくなるな。 いい加減、大宝以前は分けろよ
そっちの方がはるかに問題だ 北条氏はそもそも源氏の姻戚で執権から乗っ取っただけでしょ。 北条時代とか笑カスw いや大丈夫だ
そもそも時代のならびがわからず、15分くらい考え込む自信がある
大学受験は世界史なんで、日本史は赤点とらないレベルに
おざなりにしたツケが…
…ちなみに応仁の乱ってどのへん? 野蛮人の文化が
生贄ささげて、神様神様ーと言って
独裁国家で残虐支配というのが
元々の、日本の政治形態で
それは駄目だよね。
文明人になろうよというのが仏教。
初期の天皇は仏教の守護者だったという事だね。
これが日本の歴史の初期でしょう。 >>485
明治維新は関ケ原の敗残兵によるクーデターに過ぎないよ。 >>450
お前にかかったら中国史もめちゃくちゃになりそうだな
殷周秦漢と初めは黄河流域の狭い地域だったのが段々拡大していったわけだが
それは郷土史扱いになるのか?
馬鹿じゃねーの 頼朝が征夷代将軍になった年で鎌倉幕府としていいのに
歴史学者がこねくりまわして1185になった 几帳面というか、何か縦割りにしたいんだろうねえ
定義を厳格にしたところで、この先研究が進めばまた揺らぐんじゃない? >>495
東ローマ帝国滅亡とかダ・ガマの喜望峰到達のあたり それはさておき
史学者ってそんな頭良くない連中だからな
論理性なんか極めて怪しいし
最近の奴らは知らないけど科学的な検証には疎いし(仕方ないけど) なんで頼朝はいなかったことにされてんの?鎌倉が一番分かりやすいわな
あと信長は政権運営してねーから「織」はねーよ >>497
室町というと足利?
最後の方かな
そこから安土桃山時代まで何年くらいあるんだろう
ああ、ヤバすぎるw 日本の歴史で一番重要なのは、源頼朝の父方ヘイト、母方優遇だ
その母方が三河で、松平やトヨタが絡んでくるのがたまらんとこだろうが
松平、トヨタは源頼朝の曽祖父が立券した皇室領荘園だったところを発祥地とする
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 豆知識
東大教授でも東大卒→東大院卒→(中略)→東大教授は頭良い。
しかし、・・・・大卒→非一流大院卒・・・(中略)→なぜか東大教授だと微妙www
京大、慶應早稲田あたりの行き来なら、まあマシだけど
>>1はそういうことw >>490
それをいったら、物理学もいい加減って話になる
まぁこれは正解不正解って話でもないでしょ
元々が分かりやすく区切っただけって話だし >>498
アホ?古墳時代には志那チョンと違って、意に沿わない殉死は止めさせようって
埴輪を代わりに埋めるようになったのが日本だが? >>502
聖徳太子とその一件で歴史学者ほどいい加減な人間はいないと目が冷めたわ
銀河英雄伝説で歴史学者って公平で偉い人だと勘違いしてた >>495
東ローマが滅んだり百年戦争が終わったちょっと後 >>470
琉球王朝の歴史が、日本史として語られていない現実を体系的に説明できまい?
歴史とは学問、学問とは硬直した発想を解き放って柔軟に見聞する事。 >>476
推古天皇の時代に遣隋使を送って国家として外交交渉をやってたんだけど・・・
国家国家というけど実は日本は昔から帝国で肯定の下に国王が大勢いた連合国家なんだよ
これ欧州や中国なんかも同じね >>506
宮崎市定という歴史学者は、歴史には論理性がないと認めないという人だった
中国史読んで感銘したわ 朝日新聞が発信するんだから捏造だろ?
情報源の先生はまともそうな感じだが、発信元を変えた方がより多くの人々に
受けいられるんじゃないか? >>476
荘園なんかあれある意味国みたいなもんだったしな
鎌倉の守護地頭は日本史的にかなりの転換要素だったと思う >>507
おまえいいこと言うな
確かに列島を網羅した支配体制は敷いてないしな そら、この学者が好きな御託を述べるのは勝手やけど
あまり意味はない
この学者は勝手にほざいとけ 従来の区切りの方が良く出来ている
目立ちたいのは分かるけど・・・ 天皇(皇室)の権威とは?
明治維新で新政府を樹立した薩長西軍が創作した物語。
これを皇国史観と呼ぶ。
自分たちの正当性を確立するために編み出した小説。
事実、それまで殆どの日本人は天皇という存在自体を知らなかった。 >>491
地方にも及ぶ収税制度とか、「軍団」制みたいな、地方豪族から切り離した中央政府所属の軍事組織とかあったのに
鎌倉幕府とどう違うのだろうか? >>508
室町幕府の末期。1467年〜始まるグダグダな戦乱。 >>499
それでは毛利や島津の殿様が政権握っていないことの説明がつかない
明治政府の主要なメンバーは下級武士の出身の志士ばかりで占められていて
公家、大名家の出身者はほとんどが締め出されていた
これは官僚組織にも徹底されていて旧大名家・公家出身者の高級官僚に占める割合は
同時期のヨーロッパの貴族層が占める割合と比較して極端に低い
軍隊なんかは更に極端で士官学校を試験でパスした人間以外はいじめの対象
公爵クラスの子弟が軍隊はいっても平民出身の一般兵に虐めまわされる始末
下層階級がそれまでの支配階級に完全にとって代わったのが明治維新の真実 アカピが書いてる時点で、裏にどんな企みが隠れてるかを考えるべきだな。 バカヤロー
こんな馬鹿が聖徳太子を歴史から消し去ろうとしたんだろ
死ねよ 平安は末期百年の院政期くらい別区分で考えていいんじゃないのって気がする >>501
ねつ造はダメだろ
九条の会学者と朝日新聞のコラボなんか
そもそも分類基準、命名方が墓や地名や人名でバラバラ
話にならないガキのねつ造 >>512
仏教は元々
アンチカルト アンチ野蛮人 の
正義の思想だったんだよ。
だから半島でも百済などに仏教入ってたけど
北から野蛮人のエベンキツングースがやってきて
仏教を滅ぼしたでしょう。
野蛮人は仏教が憎い
仏教は野蛮人を憎む。
そういう関係性なんだよ 前にテレビで、ピラミッドは実は奴隷労働じゃなくて、
古代エジプトの優れた技術を用いた、きわめて民主的な公共事業だった、
みたいなのやってたけど、古墳とかお城とかもそんな感じだったのかねえ 歴史って、ある意味宗教的な物なんだよな
例え事実であったとしても、変更が難しい
学者と信者では話がまとまる訳がない >>476
お前の知ってる歴史の中には国司やら国府なんてもんは存在しないのか…
>>520
そういうことを言い出したら江戸期の藩(家)も同じだよ
東北や九州南部にまで支配権が及んでいなかった等で済む話をさらにかき回してどうすんの 古墳時代以前に日本が無かった事にしたがるのがNHK朝日新聞
大和朝廷の呼名も無くして倭国倭国と言い張ってる韓国系学説ばかり採用してる >>499
薩摩
この恨み晴らさでおくべきかグヌヌ
長州
この恨み晴らさでおくべきかグヌヌ
臥薪嘗胆する事200年長いわーマジで長かったわ 歴史論議で気になるのは、いわゆるネトウヨ層が「皇国史観」を信じてる事。
1945年の敗戦によって、昭和天皇の人間宣言で洗脳から覚めるべき夢。
薩長政権の軍国主義と共に、皇室=国体のファンタジーと、それを権威づける小説は終焉した。
日本史を考察するうえで、皇国史観は一番の踏み絵。 >>1
うぜえ。
専門家の売名アピールで勝手に変えられたら迷惑だわ。
んなもん、従来のままで誰も困っちゃいないだろう。 >>534
エジプトから逃れた一部が日本にたどり着いてるからね >>496
源氏につながるのはよくわかる。
琵琶湖を挟んで和邇氏と沙沙貴山君→後の近江源氏
と両方が製鉄に関する豪族だから。
その製鉄に関して、日本の先住民も技術を持っていた
ということ。そのあたりが気になる。 >>536
そいつは日本における「国」の使い分けすら出来ていないから、かなり無知だよ 平安京だから平安時代じゃ駄目なの?
支配者の天皇に苗字ないんだから山城なんて馴染みない名前じゃなくて平安でいいじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています