明治あたりから中央集権国家になったせいで一地方で災害あると日本全体で救済するはめになったからな
徳川の時代なら災害あったらその一地方の問題で他の地方は関係なかった

江戸中期の天明の大飢饉1782年(天明2年)から1788年(天明8年)の間に92万人余りの人口減
東北地方中心に農作物に壊滅的な被害があり
江戸時代の蘭学医だった杉田玄白は著書『後見草』で、東北地方で死んだ人間の肉を食べたり
人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状だったと伝えているが
幕府は特に救済はしていない