【歴史】昔から自称○○は居た!NHK大河「直虎」になぜ“但馬守”? 調べたら…
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今年も残りあと1カ月。振り返ると、今年ほど「但馬」という言葉が、全国のお茶の間で聞かれた年はなかったのではないか。
「おい、但馬」。NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、主人公の井伊直虎が、幼なじみという設定の家臣・小野但馬守政次を呼ぶせりふだ。
戦国時代の遠江国(現在の静岡県)が舞台のドラマに、なぜ兵庫県の但馬が出てくるのか。疑問を残したままでは年も越せない。年末の総集編を前に調べてみた。(阿部江利)
長いので続きはソースで
神戸新聞NEXT 2017/12/2 05:30
https://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/201712/0010781425.shtml 要するに明治維新まで天皇の権力なんて無いも同然だったってことだ >>69
先祖伝来、俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に
の季節になり申したな
で、俵星さんは玄蕃 >>51
じゃあ、唐入り成功したら西域都護とか
涼州州牧とか大秦国大都督にしようず (´・ω・`) >>61
中曽根は主計少佐の時の従六位のままだぞ
没後従一位にはなるだろうが 在日職員が1000人もいるNHKに歴史ドラマ作らせるってどうなの 吉田大備後(土佐)
織田上総介(尾張、美濃、近江)
羽柴筑前守(播磨) >>107
自称して、ただのりと間違われたくないですし (´・ω・`) 自称織田信長の子孫ってフィギュアスケーターが居たよね
自称だから構わんが、マスコミは”自称”を外してまるで本当の子孫かのように
報道するのは止めろや
あと、通名も”自称”って付けろよ >>6
どうしてこういう嘘を書く奴が出てくるのか。 >>1
上野国には淡路の守がおりましてな
なんでも私の遠いご先祖さまだとかで >>61
豊臣秀吉はあくまで摂関家近衛家の
養子扱いとしての関白だからな >>121
流石にいないは言い過ぎだと思う。
学者で直虎女性説を信じているのはごくわずかくらいにしておくべき。 >>108
そー言えばまだ生きてんだよな
後10年ぐらい死ななそう >>1
さすがに小中学生向けの記事過ぎる
しかも江戸時代は幕府の許可を得られればって、江戸時代はきちんと官位に準じた官職名しか「与え」なかったくらいうるさいんだっつのw
望んでも準じた官位を持ってなきゃ絶対に認められんし、優先順位もあり、かぶりも許されんし、避けなきゃならん官職もある 小野政次みたいに、先祖の地にちなんで、済州守を名乗るニダ。 かみ
すけ
じょう
おさかん
の四等官もしらないのか。 >>20
難波や千日前は平成になる前は南区だった
旧西成郡
旧西成郡は摂津国
たぶん浪速区も摂津
尼崎あたりも摂津
京都は南部が畿内の山城国
海側は確実に山陰道の丹後
丹波は入り組んでてよくわからん
兵庫県とまたがったりしてるはず
京都市内でも右京区とか西の山の方は丹波だと思う 去年くらいから大河でも官職名で呼ぶようになったな
前は名前呼びだった >>136
去年は真田親子三人が主役みたいなもんだからわかりやすくするためにも官職呼びにしたと思うよ
視聴者へのわかりやすさが一番だからこれからも例えば家康は三河守だの内府だの、東照大権現だのとはあまり呼ばれないし、織田信長も弾正や右府、明智光秀も日向や惟任とは呼ばれない
けど一般的に有名な筑前=秀吉や治部(少輔)=石田三成は使われ続ける 荘園制の頃から、土地を寄進して藤原姓を名乗るのはごまんといた >>100
あほ、戦国時代は自称、もしくは、
わざわざ朝廷に、自分の領地の官職をもらいにいったりしてる。
(鎌倉幕府以降はほとんど実行力のない官職だけどな)
江戸時代は、幕府から朝廷に要請して、
ちゃんともらうんだよ。
ただ、江戸時代の場合は全部名誉職だから、
領地と合っていなくても問題ないだけ。 昨日の再放送の直虎で但馬が連呼されていたせいか
その後にやってたサッカーの試合で呼び上げられた鹿島アントラーズが
但馬アントラーズに聴こえたのはきっと自分ぐらい 実際のところ公家が国守になって地方行ってたのいつくらいまでなんだろう
南北朝時代の南朝?応仁の乱? 秀吉が琉球の守を無理やり作ろうとしたって話は聞いたことある 武家官位と王朝官位の違いも併立してたこともわからん中卒しかいなさそうだな
この記事書いた馬鹿も大概やが この時代は名字や名前じゃなくて
官位、役職で呼んでたらしいよな >>145
室町期は幕府の守護職が実質支配だし、
鎌倉期も、公家でなく武士が任官したりしてるから、
平安期じゃないか?
南北朝は確かに、南朝方が乱発してそうだけど。 >>143
江戸時代は中世以降で実際の領地と官職を合わせるのが一番重視された時代
薩摩守は島津、陸奥守は伊達等、代々その家しか名乗れない暗黙の了解があったが、
それ以前は例外的に支配権アピールのために合致させたレアケースがあったのみで、そのルール外にあるおこぼれ国守名を官位相当の幕閣が名乗ってただけ
一番好き勝手名乗れたのが戦国時代 一番有名なのは直江兼続の山城守かな
この〇〇守って、その国の領主というわけじゃなくてただの官職名で、
国名はただのランクを示すものであったとかどっか読んだような
平和な江戸時代になっても、松平信綱が伊豆の領主じゃないのに、伊豆守だし 右衛門や左右衛門って名前をつけちゃダメ、朝廷の役職だから
ってお触れがあったらしい
ドラえもんもダメだねえ >>154
伊豆守ときくと未だ真田信幸が真っ先にでてくるー >>138
真田パパの「安房守」は元は武田勝頼から恩賞として貰ったいわゆる官途名で正式なものじゃなかったけど、後に秀吉に取り次いでもらって朝廷から正規に「従五位下安房守」を叙任してもらってる 官職に多いのが国司だから
そういう官職なのりが多いだけで
ほかにも玄蕃とか主計とか百官名はいろいろあるみたいだけど
やはり国司より格下だからかな
古田もわざわざ物好きに織部を選んだのでは、とコミックでのシーンにしてたな >>123
「直虎は男なのが有力」って2chでしか見ねえぞ。 去年の真田丸で興味を持って調べたけどナントカの守も正式なものとなんちゃってな私的なもがあったり、名前も諱や仮名や官途名&受領名といくつもあって立場や相手との関係で使い分けされてたりと複雑でけっこう面白い
公式の名前である諱も昔は目上の人と同じ漢字を使うのを憚って改名したりすることもあったけど、後になると偉い人から一字もらうのがステータスや身内の証明になってたり、敵対すると名前を変えたりとかもあったりして
一人が一生の間に何度も改名したり複数の名前を持ってるのがあたりまえだったりで今とぜんぜん違うんだよね 去年の真田丸でうまいと思ったのが秀吉がずっと自分に仕えてきた石田三成を「佐吉」という身内でしか使わない仮名で呼んでてそのつながりの深さを表現してた
それが秀次を処罰しようとした時に諌めた三成に激怒して切腹を申し付けようとした時、「治部少輔」と官名で呼んでるんだよね
あれで秀吉と三成の間の関係の変化と、激情に流されながらも公的な切腹命令として官名で呼んだ秀吉の一片だけ残っていた冷徹さが実にうまくでていたと思う >>135
もっと南でも摂津だよ
歴史的には堺の大小路が堺(=境)。明治以降は大和川が境
近くに三国ヶ丘ってのと方違神社がある。
そこが摂河泉三国の境界 >>46
秋田城介とかは国じゃないけど
千葉介とかは千葉にいる下総(権)介の略だからいいとしても 上野城代の藤堂采女(代々この名乗り)はなんで女官である采女なんて名乗ってたんだろ 朝日の記者がジャーナリストを名乗ってるのと同じこと あぁ、なるほど。
テロ組織・朝日新聞社が、勝手に新聞社と自称してやがるのもそうだな。
朝日新聞死ね!
朝日新聞社死ね!
朝日新聞社構成員ども無間地獄へ逝け! (-_-;)y-~
島津但馬もいた。
タジマサー。 そりゃいただろうよ
オレあの有名な剣豪の○○なんだぜ?とか言ったら
町娘がきゃぁすてきぃってオマンコ開いてくれんだから
モテないヤツはそうやって必死にオマンコにありついたんだよ
5人で金出し合って遊郭から落ちてきた
年増で病気持ちの女を買ったりとかもあったらしいし (-_-;)y-~
信長の野望にも出てくる薩州島津家島津義虎、この人にタジマサーは殺されたんよ。
んで、うちの家はおそらくタジマサーの配下。
江戸時代、薩州島津家は島津宗家から不忠裏切りの家とされた。
陪臣の陪臣の家臣として、二重に不幸な扱いを受けたわけよ、タジマサー配下は… 官途状(かんどじょう)とは、室町時代以降、主君が武功を挙げた家臣に対して特定の官職を私称することを許した書状のことである。官途書出、受領書出とも。
織田上総介も羽柴筑前守も明智日向守も、全て朝廷から任命された官位ではない。 >>170
采女を管轄する役所「采女司(うねめのつかさ)」の長官の「采女正(「うねめのかみ」または「うねめのしょう」)」を省略したものらしい 直虎も自称の大河であって大河ではない
ワースト大河は大河と呼べる代物ではない 戦国期だろ。
そりゃお公家さんも食うのに必死だったんだろう。
献金して貰ったら、重複してようがなんだろうが、乱発したんだろうな。
公家も家臣を抱えてるから、そいつらが地方豪族を騙して朝廷から偽の発給をすることもあっただろうし。
あながち自称とも言えないんだよ。 >>183
関白退任者、右大臣、内大臣クラスの高位高官になると自称はない
朝廷からの正式なお墨付き >>1
ニュー速+にスレ立てる前に自分の頭で考えられないのかお前は > アルカリ性寝屋川市民 ★ 左衛門佐とかも名前みたいだけど
勝手に役職を名乗ってるわけだよな(´・ω・`) 勝海舟なんか安房守を名乗っていたが安房(千葉県)と全く縁もゆかりもない。 >>191
真田信繁の「左衛門佐(さえもんのすけ)」は秀吉の馬廻衆になってから従五位下の位階とともに叙された正式な官名 >>65
佐久間信信殿は誠に果報者でござるな
何となく思い出した >>194
そういう武将もいたが、勝手に名乗っていたのが殆どだわな。 >>158
個人的には
知恵伊豆こと
松平信綱かな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています