【東京】太平洋戦争末期、陸軍が極秘開発 未完のジェット戦闘機「火龍」の部品か ICU敷地で見つかる
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「ネ230」の排気ノズルとみられる部品。高柳昌久教諭(手前左)と調査した日本航空協会の長島宏行氏=三鷹市のICU
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171126001769_comm.jpg
「ネ230」とみられる部品。左右が排気ノズル、中央がノズルのカバー
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20171126001771.html
太平洋戦争末期、ひそかに開発が進められていた陸軍初のジェット戦闘機「火龍(かりゅう)」。そのエンジンの排気ノズルとみられる部品が、国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)の敷地で見つかった。未完で敗戦を迎えた火龍の部品は、当時の日本の技術力や航空機の開発過程を示す貴重な資料という。
ICU教養学部4年生の古川英明さん(21)が2015年6月、授業のリポートを書くため、学内の管理を請け負っている業者の社長に話を聞いたのがきっかけだった。社長によると、先代社長はキャンパス内で「富嶽(ふがく)」の部品を見つけたと話していたという。
富嶽はスバルの前身の中島飛行機を創業した中島知久平が構想し、未完に終わった巨大爆撃機だ。中島は海軍を経て創業後、政界に転じ、戦争末期から1949年に亡くなるまで、現在のICU敷地内にあった邸宅で暮らしていた。
古川さんはICU高校時代に日本史を習った高柳昌久教諭(51)に連絡。2人は大学内の資材置き場で、排気ノズル2個とノズルにかぶせるカバー1個を確認した。ノズルはステンレス製で、下端の外径は約75センチ、高さ約73センチ、重さ71キロ前後。先代社長が自宅で長く保管していたものを、現社長が20年ほど前に資材置き場に移したという。
ICUの開学は53年。今でもすぐそばにスバルの東京事業所があり、キャンパスの敷地には戦時中、中島飛行機の三鷹研究所があった。ICUの本館は、かつての研究所の建物だ。
高柳教諭は、形状から富嶽のエンジンではないと考え、専門家に照会。「ジェットエンジンの部品の可能性はある」との回答を得たが、それ以上分からない。
一体何なのか。「三鷹研究所で試作されていたとされる火龍のジェットエンジン『ネ230』の部品ではないか」。そう思い至った高柳教諭は、防衛省所蔵の資料から同時期に試作されたジェットエンジン「ネ130」「ネ330」の図面を探し出す。今回の部品とよく似ている。そこで、日本航空協会(港区)に調査を依頼。協会は国立文化財機構東京文化財研究所(台東区)でも詳しく調べ、両者は今年10月、「『ネ230』の可能性が高い」とする中間報告をまとめた。
高柳教諭によると、日本は戦時中、同盟国のドイツからジェットエンジンの資料を持ち込んでいた。中島飛行機はこれらを基に、日立製作所と共同で「ネ230」を試作。その部品の一部が三鷹研究所で造られたようだという。最大速度852キロ、航続距離980キロとされる火龍の試作機は、敗戦約4カ月後の45年12月に完成する予定だった。
「ネ230」に関わった技術者たちは戦後、大手自動車メーカーの技術者などとして活躍したという。今回の発見について、高柳教諭は「戦争中の日本社会の一端(いったん)をリアルに知り、私たちが歴史の流れのどの辺りにいるかを知ることができるもの」と説明している。(河井健)
配信2017年12月9日15時42分
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKCS65CZKCSUTIL061.html ICUなんて略称、堅気は知らねーよw
ってか、知りたくない
知らないことにしたい 三菱重工は中国人ばっか雇ってないで少しは日本の為に仕事しなさい キングダム、魏火竜の霊凰さんは
見せ場もなく、最悪の死に方だったよね。 >>1
これ産経ソースで先月立ってただろ。さっさと止めろ。 技術立国日本は戦前の世代が担った
戦後世代は日本をアニメとフーゾクの国に育てた >>5
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ >>13
今や世界に誇れるのは
フィギュアの造形位だものな
最近は役者をそのままスキャンして作れるそうだけど いまどうなってるのか知らないが、ICU本館は地下立ち入り禁止だったが図面上は地下3階くらいまであった
トンネルがあるという噂もあった 鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
ちゅ愛っっっっっっっ十 ひりゅうと読むのかと思ったら、かりゅうなんだなw
ひりゅうは戦艦の飛龍と被るしなw >日本は戦時中、同盟国のドイツからジェットエンジンの資料を持ち込んでいた。
そういえばフランケンシュタインの心臓も敗北直前のドイツがUボートを犠牲にしてまで
日本に渡してたよね。だが研究所が広島だったんで被爆して崩壊。
後にその瓦礫の中をうろついてた浮浪児が巨大化して地底怪獣と戦ってた。 >>4
当時のジェットエンジンで問題なのは
むしろ耐用性だな...レシプロに比べると
圧倒的に耐用時間が短い。 田布施システム(ドトールコーヒー(法窓夜話(アベガー))) 今も昔も日本のあらゆる上層部は検討と実行が遅い。
先の大戦から日本人はホント学べてないわ。 今の自衛隊-政府-自民党の決断速度は旧海軍の1/4くらいかな あと3年ぐらい戦争がんばってたら
第二次大戦がジェット機の戦いとかに
なってたんか? このネタで3スレ目だろw
引っ張り過ぎてスレも伸びんよw 三鷹研究所?中島の武蔵野製作所だろ。
昭和19年の9月以来数回にわたり当地は米軍の空襲受けて
工場機能は停止だったろうに >>25
ジェットエンジンはガチガチに固めたアスファルトの滑走路じゃないと離着陸不可能
田圃道みたいな滑走路しかない当時の日本に取っては、宝の持ち腐れでしかない >>27
その上層部は、かつては優秀な新人やったんやで
今も昔も >>1
焼き芋焼く器具みたいだ
八百屋の店先で見た気がする 終戦の日とか、本館西側のトイレのとこに出るんだよね
チャペルの納骨堂より怖い >>1
スレ重複させんなカス
こっちの方が先な
【東京】旧日本陸軍初のジェット戦闘機「火龍」の部品か 太平洋戦争末期に極秘開発
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1512830660/ >先代社長はキャンパス内で「富嶽(ふがく)」の部品を見つけたと話していたという
これは絶対にガセだわw >>35
そうでもないだろ
上に受けがいいきまじめタイプとかを
引き上げたがるのが日本じゃん
東条が出世して天才肌の石原莞爾が
嫌われるのが日本
石原が出世したらがちがち頭になった
なんて話じゃねーし >>44
そのころお前らの祖先は乳だしチマチョゴリ着てたんだがな >>46
史実を言っただけなのにこのファビョり様w 日本的精神ではないなw 戦争末期にドイツが開発してたジェット戦闘機と似てるな こんなこと本当は言いたくないんだけどさ
これドイツの丸パクリだよねwwww これ、一昨年のニュースだろ?
新たに別のが見つかったというわけでもなさそうだしな。
紙面の穴埋めで同じネタ何回使い回すやら。 Me262とMe163とHe162とTa152がごっちゃになって
秋水の元ネタってMe162だっけ?ってなる どうせなら木製ジェット戦闘機の方が
日本向きで良かったかもね
http://www1.mahoroba.ne.jp/~ple/t181_01.gif ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
<ICU!ICU!ICU!ICU!ICU!ICU!ICU!ICU!ICU! >
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/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 「陸軍初のジェット戦闘機」って微妙な言い方してるけど、
既に海軍で橘花が実用化されてんだから、それを無視して
日本で初めてみたいなイメージを植えつけようとすんな。
朝日は日本語の使い方が汚らしい。 ドイツからの資料なんて秘密部分はなにも書いてないから、外観くらいの資料でしかない。 戦前戦中の常軌を逸したともいえる兵器開発が、
結果的に戦後の経済成長に結びついた部分もあるんだよな。
徴兵にしても、兵役行ったやつはどんなやつでも、
体と根性が強くて働き続けられたし、
どんなアホでも銃の分解組立や無線の修理くらい速攻で出来たし。 >>34
軟弱地盤にセメント混ぜて締め固める程度のコンクリート舗装だろ
富嶽の場合は1mの厚みで2000mか2500mの長さのコンクリート舗装が必要だって試算だった
必要なセメントの量が当時ではありえないくらい莫大な量だったらしい >>65
戦艦大和に関して戦後世界中から絶賛されたのは
バルバスバウでも15メートル測距儀でも
46センチ砲でもなく、西島造船大佐の工程管理手法だった。 戦前戦中の日本は自動車、電気通信、電子機器、あらゆる工業技術で諸外国に遥か後塵を拝していた。
その日本が戦後一躍トップの技術力を身に着けたのも元々潜在的に有った物にせよ、
外国(とりわけアメリカ)から学んだものにせよ戦争と言うファクターが無ければ開花しなかったことは間違いない。 >>33
ttp://imepic.jp/20171210/265840
ttp://imepic.jp/20171210/265850 陸軍と海軍が別々にジェット機造る必要なかった、一緒にやってればもっと早かったろ。 >>61
橘花は特殊攻撃機であって戦闘機ではない。 >>49
外面だけな
外面だけ図面があり
中身を完全新設計して再現するっていう変態っぷり >>72 陸と海の中の悪さも、敗戦の要因だしな。
戦闘機の機銃弾やエンジンも統制しなかったし、本当に不合理な仲だった。 >>58
これ、パイロット脱出するとき、吸われね? >>75
あるとも言えるが (;゚д゚)ゴクリ… >>77,78
射出座席が付いてる
当時のドイツは天才が好き勝手できてたから、他国とは時代がズレてる 角界一のトンパチ大関か。最後はトラックと相撲とって死ぬ。 >>58
木製機は日本の高温多湿では不向き。だから陸海軍共に全金属にするしかなかった
疾風を元に試験機造ったが、空戦やろうとすると合板が剥がれてくるそうだ
イギリスのモスキートなんかも東南アジアでは
結構な数が機体の合板が剥がれてくるくるトラブルにあってるらしい >>9
Me262となんか違いあるの?
三つ目のは夜間型だろうけどアンテナがぶっとすぎる、ゲームのCGかね >>58
日本には飛行に耐える充分な強度を持った接着剤を作る技術が無かった
戦前の化学工業は欧米に一歩も二歩も遅れていたので
ハイオクガソリンの製造も難しかった >>22
重箱読みや湯桶読みはどちらかと言うと変則的な読みだからな 火龍が半年早く完成していたらどうなってた?
我が物顔で高空を飛来したB29を撃墜出来た?
もしそうなってたとしたら、また戦局も後の世の
世界情勢も今とは相当違ったものになってたかも
知れないよね。 >>92
Me262を実戦投入したドイツは戦局を変えられたか?
V1・V2を投入した事が逆に連合国側を必死にさせ、戦争終結を早めたともいわれている。
またその技術力を狙われ、技術者は東西両陣営に連れていかれた。
日本の終戦が遅れても米の新型戦闘機、本土上陸決戦、原爆の更なる投下…
いい未来図はなかったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています