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【歴史】「なぜ神武は纒向ではなく橿原に宮を建てたのか」 日本最初の「元旦」と結びつく「神武天皇」の正体★3
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0001泥ン ★
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2018/01/06(土) 10:43:30.86ID:CAP_USER9
新潮社 フォーサイト 1/4(木) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180104-00543183-fsight-soci

 日本史上「最古の元旦」の記録は、神武天皇(神日本磐余彦=かむやまといわれびこ=)の即位にまつわる『日本書紀』の記事だ。「辛酉年(しんいうのとし、西暦紀元前660年)」に畝傍山(うねびやま、橿原市)の東南の麓に橿原宮(かしはらのみや)を建て、王位に就いたのだ。「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で、中国の讖緯説(しんいせつ)によれば、革命的事件が起きるとされている。だから『日本書紀』編者は、初代神武天皇の即位年にふさわしいと考えたのだろう。

 そこで今回は、神武天皇の即位に注目してみよう。

■神武天皇と「九州の海人」

 近年、神武天皇は次第に軽視されるようになってきたと思う。まず、今から2600年以上も前に即位したという『日本書紀』の話は、明らかな作り話だ。弥生時代(あるいは縄文時代)に国の中心がヤマトに存在したはずがない。

 一方考古学の進展によって、ヤマト建国の詳細が分かりはじめてくると、神武の謎はむしろ深まった。三輪山(奈良県桜井市)山麓の扇状地に、3世紀から4世紀にかけて、政治と宗教に特化された都市・纒向(まきむく)遺跡が出現していて、ここにヤマトが建国されていたことが分かってきたが、そうなると「神武天皇は橿原に宮を建てた」という『日本書紀』の設定にも、疑念が湧いてくる。実在の初代王は第10代崇神天皇で、神武と崇神は同一人物と通説は言うが、それならなぜ、神武は崇神と同じように、盆地の東南部、纒向遺跡の近くに宮を建てなかったのだろう。

 それだけではない。天皇家が九州からやってきたという話も、ここに来て疑わしくなってきた。ヤマト建国黎明期の纒向遺跡に集まってきた土器は、東海地方や近畿地方のものが大半で、九州のものは、ほとんど含まれていなかったからだ。

 また、ヤマト建国の前後、近畿地方や山陰地方から多くの人々が九州に流れ込んでいたことも分かっている。だから、「邪馬台国は北部九州にあって、それが東に移ってヤマトは建国された」というかつての常識は通用しなくなったのだ。そうなると、ますますもって、「九州からやってきた神武」は、影が薄くなる。

 しかし、神武の存在を否定してかかることもできない。神武が創作とすると、かえって分からなくなることがある。

 たとえば神武天皇のまわりに「九州の人脈」が集まっていたという謎がある。

 連載の中で紹介してきたように、神武天皇の母と祖母は姉妹で、海神(わたつみ)の娘だったが、彼女たちは奴国(なこく、福岡市)の阿曇(あずみ)氏と縁が深い。また、橿原宮の周辺を固めていた大伴氏、久米氏、忌部(いんべ)氏たちは、九州の海人(あま)の末裔だったようで、顔に入れ墨をしていたという記事が、『日本書紀』にある。「魏志倭人伝」には、九州の海人が水に潜ってアワビなどを捕っていること、入れ墨をして大きな魚(サメなど)から身を守っていると記録されている。南方の習俗が縄文時代に日本に伝わっていたと思われる。この海人の風習を受け継いだ人たちが、なぜか橿原宮のまわりに集住していたことになる。これは何だろう。

 畝傍山が天皇と強くつながっていたことは、中大兄皇子の大和三山の歌(『万葉集』巻1-13)からも分かる。

「畝傍山が雄々しいので、耳成山と天香具山がキサキの地位をめぐって争っている。神代からすでにそうだったという」

 とあり(異なる解釈もあるが、割愛する)、畝傍山は男王を象徴していたことになる。それはなぜかと言えば、「初代王が畝傍山麓で暮らしていた」という伝説が生きていたからではなかろうか。

続きは>>2
0002泥ン ★
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2018/01/06(土) 10:43:40.24ID:CAP_USER9
■「祟る神」を祀る役割

 ここで仮説を掲げておこう。

 神武と崇神は同一人物ではなく、同時代人ではなかったか。崇神天皇はやむにやまれぬ事情から、神武を九州から招き寄せて、祭司王に立てた――。

 なぜこう考えるか、説明していこう。

『日本書紀』崇神5年条に興味深い記事が載る。国内で疫病が蔓延し、半数の人びとが亡くなったというのだ。天然痘ならば、現代でも致死率は20〜50%に上るから、あながちデタラメとも言い切れまい。困り果てた崇神天皇は占いをしてみた。すると神の意志(祟り)と知らされた。そして、神は「私の子に私を祀らせれば」と言うので、命じられたままに、神の子・大田田根子(おおたたねこ)を探し出して神を祀らせた。こうして、世は平静を取り戻したのである。

 この、大田田根子が怪しい。大田田根子と神武は重なって見える。どちらも「両親が神」なのだ。それだけならまだしも、大田田根子の母は活玉依媛(いくたまよりひめ)で、神武天皇の母の名は玉依姫(たまよりひめ)と、ふたりの母はそっくりではないか。大田田根子も神武も、祟る神(疫神)を祀る役割を期待されたのではなかったか。

 神の祟りなど歴史ではないと史学者は無視してきた。しかし、疫神に対する古代人の恐怖心とその伝承を軽視してはならない。

■疫神を追い払った記念日

 ここで改めて注目されるのが、「なぜ神武は纒向ではなく橿原に宮を建てたのか」、あるいは「なぜそう語り継がれていたのか」である。

 縄文時代から弥生時代への移行期、橿原遺跡(橿原市)に東北地方で盛行していたはずの土偶が集まっていた。どうやら、西から東漸してくる稲作文化をはね返す呪術を、ここで執り行っていたようなのだ。

 稲作を拒むのに、なぜまじないが必要だったのだろう。稲作民との交流によって天然痘などの未知の疫病がもたらされたからではあるまいか。

 奈良時代もそうだが、天然痘の大流行は、北部九州から始まり、東に移っていった。だから、縄文人たちは、稲作とともにやってきた疫病におびえ、奈良盆地の西側の橿原で、呪術を執り行っていたのだろう。

 崇神天皇の時代、神の祟りを鎮めるために、「活玉依媛」の子・大田田根子が連れて来られたと『日本書紀』は言うが、これは実際には「玉依姫」の子の神武天皇で、この人物でなければならなかった理由があったはずなのだ。

 ヤマト建国前後の人の流れは、これまでの常識とは逆に「東から西」で、しかも北部九州の防衛上のアキレス腱である大分県日田市と福岡平野(奴国)に東側から多くの人が入植していたことが分かっている。弥生時代後期の北部九州は大量の鉄器をほぼ独占していたが、ヤマトはこの鉄と朝鮮半島につながる流通ルートを確保しようと押し寄せたのだろう。そしてこの時、敗れた北部九州の貴種たちは、海人たちの伝手(つて)を頼って、南部九州に逃れ、これがのちに天孫降臨神話に化けたのだと思う。高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の県境の高千穂峰と宮崎県西臼杵郡高千穂町の2説あり)に天から舞い降りたという設定は作り話だろうから、次の一歩が大切だ。それが鹿児島県の笠狭碕(野間岬)で、ここに西九州の海人たちが、導いたのだろう。そして、南部九州の地で敗北者たちはヤマトを恨んだにちがいない。

 ヤマトにすれば、九州からやってくる疫病は、敗者の恨みと呪いそのものであって、だからこそ、南部九州に逃れた者の中から祭司王を連れてきて、これがヤマトの王家(天皇家)に育っていったのだと思う。

 神武が纒向ではなく、橿原に海人とともに陣取った理由は、これではっきりとわかると思う。神武は呪う敗者だったからこそ、ヤマトに連れて来られたのだ。

 日本最初の元旦は、疫神を追い払った記念日だったのかもしれない。

(執筆者:関裕二)

★1が立った時間 2018/01/04(木) 15:44:51.11
前スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515087120/
0003名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:44:03.83ID:F8pk6Xm90
朝鮮人が支配した歴史の始まり
0004名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:45:33.50ID:zzOaoalN0
マ○コ火傷して死ぬ
0005名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:46:36.24ID:F8pk6Xm90
>>4
だよな
やっぱり朝鮮から来たやつだよな
0007名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:49:26.59ID:Og9fTUwb0
信州の安曇野なんかも九州の阿曇氏の末裔から地名になったという話もあるし、古代日本ってわりと人の往来や移住が多かったんだな
0008名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:52:06.78ID:R43h803g0
知らんけど纒向遺跡と橿原神宮って近所だよ
0010名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:53:00.85ID:Og9fTUwb0
倭人伝によると、奴国はそこそこの規模のクニだが投馬国や邪馬台国はもっと大きかったり、北部九州に邪馬台国の軍隊が駐留してたりするんだよな
これってヤマト王権の原初の姿なのかと
0011名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:54:08.22ID:WorAZK2F0
三原順子先生がひと言↓
0012名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:56:24.40ID:zsTZNinO0
最初の起源の付くものは全てウリナラが創造したものホルホル
0013名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:56:32.48ID:bo+a0hCH0
巻向って穴っぽこしか出てこないでしょう、俘囚収容所だったんじゃないの?
0014名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 10:59:38.40ID:/epKFMVqO
ギリシャ→ローマ

九州→畿内


こんだけことなんだけど

畿内→九州だって言い張るからおかしくなるんだよな

ギリシャが後に東ローマ帝国になってるから
ローマ→ギリシャだと言い張るみたいな話でさ
0015名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:03:13.09ID:vgmqe/b60
人が移動する時は何か大事な事が起こってるんだよな
天災とか人災とか
そこで暮らしていけない何か
0016名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:05:45.55ID:Og9fTUwb0
>>15
2世紀ごろは寒冷期だったようで、飢餓で朝鮮に倭人が逃げて来た記録もある
0017名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:06:44.43ID:B8/MGmG90
>>9
本当バカらしいよね

ちびまる子ちゃん生誕の謎みたいな感じ
0018名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:07:34.51ID:psosaUc70
だろう
ちがいない

妄想炸裂記事
0019名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:10:46.53ID:rzEH52+Z0
憶測と妄想の類
0020名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:15:40.39ID:51955sQxO
神話の時代に天下統一とか天下布武の思想とかはなかったんじゃね。
割拠した時代が続き、卑弥呼から崇神天皇の時代に近づいた頃に天下統一の思想が出てきたようなキガス。
0021名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:15:45.89ID:Og9fTUwb0
>>1 に関しては面白いんだが、 >>2 はただの妄想だな
妄想が混ざると古代史はなんでもありになっちゃうからつまらん
0022名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:16:38.73ID:T6WcsuDN0
古田武彦の九州王朝説は説得力があって、
アレが深化して行けばと思った。
晩年、変なのに騙されて、老害化がひどく。
自ら説得力を無くしたのが痛い。
0023名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:17:19.89ID:drsIqXVn0
神武は間違いなく韓国人だよ。疑いようもない。
0024名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:19:11.20ID:wkM2umtd0
おつおつ
畿内説のさして説得力のない勝利宣言がまた見れるんだねw
0025名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:19:30.62ID:lmknEpiv0
卑弥呼と吉備津彦が家康で、崇仁天皇が家光みたいな感じなのかなと思った。
豊臣のような存在だったのが吉備国でそこを平定したのが吉備津彦だから。
0026名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:20:09.81ID:ULFiyAT/0
地下探査船?「ちきゅう号」の航海記録の押収、関係者に対する聞き取り調査も必要だな。(-_-)

http://kokusai.kir.jp/politics/?lang=
0027名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:21:22.00ID:zre5ABcn0
>>14
ローマは斜陽になったギリシャを征服して文化を吸収したけどルーツは別だからね。
九州と畿内も同じような話があったんだろう。
0028名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:24:47.65ID:Og9fTUwb0
九州の有力豪族が大和に集まる=ヤマト王権の重要な担い手という風にしか解釈できないんだが、どうして畿内勢力が九州を征服したことになるのかよくわからん
0029名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:28:35.08ID:sWqH9oA60
いまの日本は大震災じゃなくて  

「大 晋 災」に見舞われてるよな
0030名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:30:38.42ID:WVqhim7Z0
「歴史小説家」とか。
言いたい放題だよな。
これが一般大衆に流通しちゃうんだから
恐ろしい。
0031名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:32:26.23ID:xABvFW7R0
奈良ねぇ・・ヤマト=渡来人、東の日の本=ほぼ日本土人でfa?
0033名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:33:44.50ID:AEL3SZhV0
辛酉なんて60年に1回めぐってくるだろ
0034名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:34:46.82ID:xABvFW7R0
>>32
東京土人でござる
0035名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:35:17.57ID:43UBHPl80
征服した大和王朝が歴史を書き替えているから
仮説というかおくそく
0036名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:35:38.31ID:uUh8Dvn10
畿内説を虐めるのはもう止めて!
息をしてないじゃないの
0037名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:39:05.11ID:43UBHPl80
臆測にしかならんよな

大量の歴史書を焼却した蘇我蝦夷が悪い
0038名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:39:27.07ID:zgomVUBK0
>日本最初の元旦は、疫神を追い払った記念日だったのかもしれない。

それを言うなら日本最初の「元日」が疫神を追い払った記念日だろ
元旦と元日の区別も付かないバカが何を言っても説得力ゼロだよ
0039名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:39:48.78ID:m9K4RG000
北部九州の耕作地が無くなったから、
筑紫倭国の王族の四男坊が新たな耕作地を求めて
東征したんだろうな。
0040名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:51:17.77ID:5IXUwoX60
何で纏向の近所の橿原ってだけで稲作がどうの呪術がどうのになるんだよw
仮説にさえなってない。なんでもアリやんけ
0041名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:53:43.33ID:S5zhPY8s0
こんな時代だと占いで決めるんだろ
橿原に住めと出ました!とか
0042名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 11:56:48.51ID:oW1hIuxB0
吉備の傭兵だったらつじつまがあうんだよね、途中吉備周辺で8年もあちこちの小規模な戦に参戦、その後大和進攻だろ。吉備出雲軍の中に混じって東征。ヤマトの中曽根さんの領地を盗った。
0043名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:00:14.31ID:26XOI0JC0
>>21
関裕二ってただの歴史評論家であって学者じゃ無いし
そういう学問素人の中でもトンデモに位置する部類の人間なので
0044名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:03:04.52ID:excCTjfD0
エローヒムさんよ〜

このスレットを見たりカキコミすると地震が起こるんだが、もう止めてくれないか。
0046名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:05:54.65ID:EMEUxbsk0
>弥生時代(あるいは縄文時代)に国の中心がヤマトに存在したはずがない

仮説を前提に積み上げた仮説はダメだよ
0048名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 12:13:16.62ID:excCTjfD0
地震起きなかった。

未来の元日は、オイラガラスの馬鹿息子とアイコ様が九州にセクルス旅行をして大しさい

その子孫が┃´ひん天皇となるんだ●
0049名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:15:49.15ID:hkHTrHDA0
>>17
ちびまる子ちゃんのモデルは作者
分かってて言ってるな
さすがにドラえもんと言ってたら赤ん坊のおもちゃと猫だから無理があった
0050名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:19:03.15ID:PsHetJ2q0
オレの生きているうちに結論、はよっ

あとスターウォーズもね(´・ω・`)
0052名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:26:38.33ID:tD/8cOzC0
日本民法の父、穂積陳重の法窓夜話を現代語に完全改訳
短編×100話なので気軽に読めます

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0053名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:30:03.43ID:Og9fTUwb0
海人の阿曇氏は安曇野だけでなく渥美半島まで来てるという伝承だから、東征はともかく神武が九州の氏族出身で吉備を経由して大和に至っていても特に不思議なことではないんだよな
0054名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:36:40.20ID:G0q4zzm00
>「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で
いや60年に1回巡ってくるから還暦ってものがある訳で
0055名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:37:03.02ID:zulzrgYS0
邪馬台国に関してはもう畿内説で確定しているからな。
神武伝承の検証は別問題。
0057名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:40:31.41ID:51955sQxO
>>53
西暦711年頃、日本に集団を作り戦いをやるなんて意識があったのかは不明。
中国だと春秋時代だからあったんだろうが、日本はまだ狩猟一辺倒に稲作が加わった頃だろ。刀を持ち他の村の集団と戦うのがせいぜいで東征なんて考えもなかっただろ。
中国から人が流れてきて村社会を築き上げ大きくしたならあり得るが。
0058名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 12:41:42.19ID:sjMMd43A0
邪馬台国は、
関西コンプレックスの東大が九州説推してんだっけw
0059名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 12:41:50.85ID:51955sQxO
>>57の訂正
西暦711年頃→西暦前711年
0060名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 12:43:13.34ID:/epKFMVqO
だいたい地域分断工作で話を進めるものはミスリードだな
0061名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 12:49:31.07ID:EMEUxbsk0
>>57
東征は後付かもしれないよ
親族争いで負けるか禁を犯すかして追放された
一団が各地を転々として大和にたどり着いた
途中、田舎に居たまつろわぬ民は権威やらで臣従させた
大和に来てみたら地の利があり栄えた

なんて可能性もゼロじゃないと思う
0062名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 12:53:25.28ID:/epKFMVqO
武内宿禰の眷属が応神朝になったんで
武内宿禰の初代であるイワレビコを神武ってことにした

奴隷王朝ってわけにいかなかったんだな
0063名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:00:12.53ID:zulzrgYS0
神武天皇の奈良盆地での話は大宇陀から葛城地方の豪族、
剣主の物を流用してるのだろう。
0064名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:01:28.46ID:lmknEpiv0
応仁=王仁
だと思う。百済の王族で大学者だったってことじゃないかな。
百済のひとであることは間違いないと思う。
0065名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:05:30.90ID:EMEUxbsk0
>>64
テキトーすぎw
0067名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 13:35:23.66ID:P2g/AoVc0
>>39
先遣隊として送られたニギハヤヒさんも忘れないであげて
たぶん飢饉で食い扶持を減らすために新たな土地を求めたんだろう
神武の頃には既にある程度形になってただろうから事前情報は得ていたと思われる
0069名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:39:10.51ID:Og9fTUwb0
阿倍比羅夫の北征だって実際は行く先々で歓待をうけて帰ってきただけだし、九州の海人が大和に至った話を誇張しただけじゃないのかね
記紀自体、各地の氏族の伝承をまとめただけのものだし
0070名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:39:11.43ID:7oNAyPYT0
海幸彦(火照)と山幸彦(火遠理)の戦いで勝ったのは山幸彦(火遠理)ですよ
海幸彦は強情で気性の荒い人間と描かれている
0071名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:51:58.28ID:QYI65t090
九州王朝は、
 *津波で集落が全滅した。
 *火山活動で集落が全滅した。
 *半島からの侵略で集落が全滅した。
 *九州の戦乱で滅びた。
 *酒宴の席で油断していて女装した刺客に王が殺されて滅びた。
 *出雲の勢力と戦って敗れた。
。。。。。。
いろいろな可能性があるな。
0073名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 13:55:39.60ID:vcOdxMSQ0
宮内庁が有る限り、仁徳天皇陵も箸墓古墳も絶対に調査できないよ
宮内庁を潰すには2019年5月からの元号を拒否する運動に便乗するしかないな。
0074名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 14:01:39.83ID:mCQFOKmE0
半島→北九州→いったん、南東九州→(吉備)→大和
それぞれの地で一定期間、習俗・人間を混合させて、一系の神話にしたのが
大和朝廷?
ただし日本は平地が少なく、山がちな国なので完全征服ではなく、連合擁立型で。
近江朝あたりから中央集権国家を志向するようになって日本になった?
0075名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:06:34.38ID:X+LLM/a80
どうやったら神武が実在の人物とすることができるか可能性をいろいろ考えたことあったなあ
いつの年代だったら東征は可能なのか?
それなりの規模での軍事制圧なのか、少人数での移民なのか?
どんなシナリオ考えても考古学的事実と矛盾してしまうか非現実的な話になってしまい
神武を実在と考えるのは無理だと諦めたわ
神話に書かれた神武関連のことで史実と証明できることは一つもないのだから人物の存在も史実でないとするのが妥当だな
0076名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:07:07.74ID:51955sQxO
>>73
今上は調査させてもいいという御人だが、宮内庁や取り巻きには万世一系にこだわる人が多いみたいだな。
万世一系でなくても一度日本の歴史を整理して正史近いものを作るには天皇陵の発掘調査は必要なんだよね。
次の天皇のヒロちゃんがGOサインを出すことに期待したい。
0077名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:18:34.77ID:ea4aJfTY0
神武天皇が東征する前の皇居の近所に住んでた
よくクワガタ取りに行ってた
0078名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:19:14.67ID:vcOdxMSQ0
船の漕ぎ手を雇う金がある首長なら
瀬戸内海の果てがどんな所だろうか探検に出すのは誰でも考える簡単な事
400q程度の航行なら漕ぎ手さえ見つかれば絶対に行く。
0079名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:21:12.58ID:EMEUxbsk0
同じ海人族 
安曇→瀬戸内海、太平洋岸を中心に地名が各地に残る、河を遡り内陸部にまで拠点、

多数派 那(奴)国や魏志倭人伝に伝わる那(奴)を冠する国々の勢力

邪馬台国

宗像→九州北部と日本海側、出雲、(半島権益に絡んでいた可能性)、神話(朝廷)と関連が深い 

少数派で神武の勢力→倭国→大和王権
0080名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:35:26.10ID:7oNAyPYT0
海人と書いてハヤトと読むことに気付いとったかえ?
0083名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:48:16.18ID:+vvp+lMn0
古代のスメラミコトの系譜で外交関係を大雑把に系統別にすると、記紀と支那古書から2つほど考えられる。

一つは周辺国と外交と拡大維持を進める系統。
いま一つは、国内の統一を優先する系統。
記紀では、神功皇后と応神朝系、その外交拡大を推し留めようとした景行・日本武尊系。
倭人伝では、卑弥呼。その女王卑弥呼と対立した男王卑弥ココ。

初国知らすスメラミコトの称号もこの2つの系統で有ったのではないだろうか?
一つは神武帝、いま一つは崇神帝。
神武の外交事跡は書かれてないが、東征という意味合いからすれば外国とも取れる。
崇神の四将軍も同じだが、これは国内という認識を強く感じる。しかも内政重視の姿勢も強く描かれている。
崇神系は確実に日本ファースト。残る神武を少し強引に外交優先とする。

そこで外国に初めて国を知らしめた王を歴史書で追うと(記紀編集の当事でも)、後漢朝に挨拶に行った漢委奴国王となる。
と言うことで、神武(奴国王)-卑弥呼系、崇神-卑弥ココ系という形に推測して、さあ、記紀の古代での我が朝の様々な展開を推理してみよう w
0084名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 14:52:32.30ID:0d9KETRD0
初めの方の天皇を普通の年齢に直すと、天照と卑弥呼が同じ時期に重なるんだよ
0085名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 15:01:07.15ID:D3dmcaE00
阿曇氏
古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥 地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。
古くから中国や朝鮮半島とも 交易などを通じて関連があったとされ、
後に最初の本拠地である北部九州の福岡志賀 島一帯から離れて全国に移住した。
0086名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:13:39.93ID:wGkM/1q20
>>84
小学校のころそういう読み物あったわ
今ではただの妄想ラノベとしか思ってないが
0087名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:19:37.98ID:1XVhW9/80
昔も余程のことがない限り戦争とかしなかったでしょ
基本それぞれのクニで交流があってモノやヒトが行き渡った感じでしょ
0088名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:36:16.80ID:DhwG/iGq0
ここで自説を開陳してる連中って
ロマン極まって古史古伝作り出しそうだな

天啓だから嘘じゃない真説だと
真顔でいいだしそう
0089名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:41:53.84ID:EMEUxbsk0
>>88
はは、ロマン極まってるが、そんなことは言わないぞw
根拠なく正当性を主張するのは精神病
そういう人が来やすいジャンルではある
0090名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:44:15.18ID:EMEUxbsk0
史書や発見資料を有機的に結びつけていく推理ゲームだからね
気分転換や頭の体操にもってこいなんだよ
0091名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:48:38.48ID:p+L3JGPS0
邪馬台国と大和朝廷は関係あるのか、ないのか?
0092名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:53:26.23ID:wGkM/1q20
>>91
ある
というか同じもの
それぞれ日本での表記と中国での表記
0093名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:55:33.32ID:Og9fTUwb0
>>91
中国の資料には親切にも「魏志倭人伝の邪馬台は大和のことですよ」と書いてあるのに、本居宣長が「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない。邪馬台国は九州!」とか言い出したからややこしいことになった
0094名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 16:58:55.57ID:p+L3JGPS0
>>92
そうなのか?
何でそう言えるのか
簡単に分かりやすく説明して欲しいわ
0095名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:04:24.05ID:p+L3JGPS0
>>93
と、思ってたらそうなんだ
魏志倭人伝に一応ちゃんと書かれてのか
0096◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 17:11:31.80ID:hi2ltHk20
>>79
おおむね同意。
西側の伊都や末盧から壱岐に向かうルートは奴国や安曇に
押さえられていたから、ヤマト王権は、沖ノ島−対馬ルートを持つ
宗像族と仲良くんまったんだな。

景行天皇やヤマトタケルの九州征伐は筑紫を避けているし、
その子の仲哀天皇は、福岡市東区の香椎まで出張ったものの
殺されてるし。
0097名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:14:11.59ID:QJjMVjnW0
そもそも邪馬台国九州説なんて江戸時代まで存在すらしてないんだよな。
北部九州にあるのは大国である奴国に伊都、それ以外の答えはない。
0098名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:18:13.44ID:/epKFMVqO
巻向も同じじゃね?
そこにどこかの豪族の墓場があっただけじゃん
0099名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:20:16.52ID:wGkM/1q20
>>94
ヤマト王権の成立時期が3世紀初頭まで遡ると年代が修正されたこと
3世紀前半には畿内系住人が北部九州に進出していて、博多湾沿岸は畿内政権の傘下に入っていること
纒向や畿内で3世紀前半の中国との交流痕跡があること

魏志倭人伝には魏使は北部九州に頻繁に来ていたとあり
魏使は畿内ヤマトが列島盟主の国であるという情報を入手していたと考えられる
魏使が列島盟主の国を認知している以上、九州の小国は出る幕がない
0100名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:23:46.39ID:wGkM/1q20
>>95
横からで悪いが補足すると「魏志倭人伝の邪馬台は大和のことですよ」と書いてあるのは隋書
0102名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:32:13.00ID:QJjMVjnW0
>>98
巻向遺跡に豪族の古墳が見つかったのか?
それなら大ニュースになるぞw
0104名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:38:31.72ID:zulzrgYS0
>>101
倭国ははっきりヤマトだと古事記にも日本書紀にも明記してあるが。
初代倭国造が神武のヤマト入り道先案内人の珍彦なんだし。
特に南九州は本来倭国と対立的な土地だぞ。
0105名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:40:41.49ID:p+L3JGPS0
>>99
>>100
おお、ありがとう
0106名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:40:43.08ID:uXjEYqYK0
>>75 神代と人代を混同してる言説はすべてダメ

>>76
2600年は数え間違い
魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀
裴松之注:「魏略」によれば、一般の習俗では「正歳四節」を知らず、
ただ、春秋の農作業をもって年をかぞえる。

〇 四節ではなく二節である
四節一年ではない。二節一年か一節一年か?
二節一年ならば正歳といえる。(年のカウントは正しいといえる)
したがって条件1「四節でもない」条件2「年の数え方も違う」を満たすのは
「二節かつ一年」ではなく「一節一年」。

記紀が長寿をそのまま記述してるのは、介入のない証拠であり良心的で、信頼できる。

 在位年数 二倍歴により二分の一化
1 神武天皇 75 38
2 綏靖天皇 30 15
3 安寧天皇 39 19
4 懿徳天皇 33 17
5 孝昭天皇 82 41
6 孝安天皇 100 50 西暦107年クニオシヒト 國王帥升等 升は飛の略字
7 孝霊天皇 75 38
8 孝元天皇 56 28  倭人伝 モモソ 卑弥呼 伊勢神宮の天照大神の神名は「日孁」「日孁女」
 ○ 孁 = 巫 中国最古辞書「説文解字」「日孁女」= 日巫女 ひ み こ 
9 開化天皇 60 30

即ち、神武から開化までの在位年数は276年。神武を崇神モデルにしてもちょうど二千年。
0107名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:41:45.37ID:wkM2umtd0
時代はずっと下るけど面白いなと思った地図
大和朝廷成立から千年ほど経っても九州を倭国とするほど杜撰な認識なのか、倭国のインパクトが強かったのか

四海華夷総図
https://zh.m.wikipedia.org/wiki/四海华夷总图
0109名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 17:48:45.49ID:eK1/Wdff0
そもそもあれほんとに神武の宮なのか
0110◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 17:53:39.52ID:hi2ltHk20
>>107
おもしれーw
大陸西側の「波利斯」がフランスのパリなら、その西側の「西女国」はイギリスだろうか。
ユーラシア大陸の東端と西端に日本とイギリスが配置される左右対称具合が、
いかにも中華思想っぽいよなあ。
0111名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:01:55.96ID:x4LBgEeU0
>>91
ない
新井白石も公職に就いている時には
邪馬壹国大和説だったけど、
隠居後に中国の史書を読みまくった結果、
邪馬壹国は筑後山門だと自著に残している。
そもそも江戸時代の邪馬壹国論争なんてただの音当てゲームだから。
考古資料が発掘されまくった現在では、邪馬壹国は北部九州以外に考えられない。
畿内説はホノケヤマや箸墓の4世紀の古墳を
3世紀のものだと捏造して、見苦しく邪馬壹国論争にしがみついているのが実情。
0112名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:02:38.18ID:hkHTrHDA0
>>104
>特に南九州は本来倭国と対立的な土地だぞ。

隼人の乱とか考えているのならその時も大和朝廷に味方する部族もいた
乱の推移を見ると元熊襲の部族が反乱を起こしたようだな
隼人族も元海洋民族は大和朝廷と宥和的だが元熊襲の山岳民族は反抗的だな
0113名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:07:16.02ID:EMEUxbsk0
>>107
面白いね
旧唐書「日本国は倭国の別種なり」
これを思い出したわ
0114名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:08:07.27ID:Og9fTUwb0
>>111
こういう自説(妄想)を強引にねじ込んでくる輩がいるから古代史スレは毎度荒れるw
0115名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:15:49.90ID:joRN69kx0
日本最初の首都ですからね藤原は
だから自分の墓はご近所の橿原を選んだのでしょう
0116名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 18:17:23.12ID:x4LBgEeU0
>>114
3世紀前半から大和と中国が交易してたとかの方が妄想だろw
纒向のつらく厳しい発掘結果を思い出せw
0117名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 18:18:47.43ID:/epKFMVqO
わざと自分側の批判勢力に化けて電波発言を自演して相手の信用を落とすてもあるからなぁ

最近やっとプラスでも、この手口がやっと認知されてきて
創価スレ辺りでは誰も乗らなくなったけど
0118名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 18:23:17.46ID:joRN69kx0
>>58
その話に佐賀県が「そうに違いない!」と観光資源ゲットみたいに飛びついた

慰安婦と一緒、最初に朝日が叫んで韓国が金蔓ゲット!という流れみたいなもんだ
0119◆HKZsYRUkck
垢版 |
2018/01/06(土) 18:40:21.60ID:hi2ltHk20
神武天皇の出発地、美々津(ミミ族の港)に伝わる伝承。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%80%85%E6%B4%A5

> 伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。
> 神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため
> 早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことから、
> 旧暦8月1日には起きよ祭りが開かれる。時間がなかったので着物の
> ほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。そのためこの地を
> 「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせて餅を作る予定をしていたが、
> 急遽、小豆と餅米を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、
> 今に至るまで美々津の名物となっている。

神武と村人は仲良しだよなw
これが12代後の景行天皇に蹂躙されるのだから、世の中はわからん。
0121名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 19:30:03.58ID:Og9fTUwb0
>>119
12代も間をはさんだらほぼ他人だからな
応神仁徳の頃、日向からの援軍があまりにも文化がちがって「なんだこいつら」って感じだったようだしw
0122名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 19:33:03.27ID:dbyDUJF80
「日本人」はどこから来たのか

歴史 は権力者に都合よく創られる

http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/

縄文時代の終わり頃から続々と侵入してきた稲作民たちの中には、
自分たちを天照大神以来の皇統を受け継いでいる天孫、すなわち
天津神(あまつかみ)の子孫であると主張した人たちがいました。
しかし実際は先住民を次々と征服し、自分たちの王朝を打ち立てた
侵入者(インベーダー)でした。

ヤマト王朝を建国後、万世一系と称する天皇制の皇統譜(こうとうふ)を
作成し、それを『日本書紀』、すなわちヤマト王朝の自分たちに都合のいい
歴史をつくり上げて、「正史」としたのです。歴史とは必ずしも「本当に
あったこと」の記述ではなく、その時々の権力が自分たちに都合よく創り上
げるものなのです。
 ヤマト王朝すなわち天皇制国家が生まれたことにより、先住民族に対する
抑圧と差別が始まりました。天孫族は、自分たちとは異なるルーツをもつ
人々を「化外(けがい)の民」とし、国家の支配体制から差別し排除しまし
た。

そうした先住民は「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれ、各地の山中で自給自
足の生活を送りました。さらに、最後まで抵抗したアイヌの人々を住んでい
た土地から追い出し、賤民としてあちこちに分散させました。
そして、律令制によって天皇制国家を法制化し、公地公民制と
身分制度を確立したのです。東北地方の「蝦夷」と南九州の「熊襲」
(ヤマトに降伏後、「隼人」と呼ばれる)は反乱を起こしましたが、
圧倒的な力の差によって押さえつけられました。このようにして、
律令制にもとづく天皇制とは民族差別の制度化のなかで構築された
ものなのです。

私が大きな問題だと思うのは、研究がどんどん進んでいるにもかかわらず、
未だに天皇家を「神」とつながる特別な血筋であると考える人たちが少な
くないことです。また、日本という国や日本民族が多様なルーツをもつ人々
によって成り立っていることも驚くほど知られていません。
0123名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:35:02.88ID:dbyDUJF80
ニュースZAP 放送日 2017年5月29日
https://twitter.com/newszap_bs/status/869115538617716736
今日のゲストは初登場!漫画『日本の歴史』シリーズの監修も務める
東京大学史料編纂所教授 山本博文さん!
曜日ザッパー モーリー・ロバートソンさんと緊迫する世界のニュース、
天皇家について語り合います!

日本書紀 天皇側が作った
資料すら信頼できない

神武天皇 伝説的な天皇(天皇側が作った)
おそらく仁徳天皇以降が実在した天皇

今の天皇家の祖先 だいたい遡れるのは継体天皇

ニュースZAP 山本博文
0124名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:37:37.19ID:EMEUxbsk0
>>122
またエライ香ばしい人をコピペしてきたなw
0125名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:42:52.95ID:oUU1woSE0
>>119
景行天皇の九州巡行は6年も日向国に宮をおいて滞在するなどきわめて疑わしい
仲哀天皇は福岡県の筑前筑後境界域で熊襲に反撃されて死亡している
日向政権の北九州遠征と反撃されての戦死を畿内王権の事跡としてくっ付けた
0126名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:46:54.28ID:EMEUxbsk0
>>122
縄文人のDNAは皆に入っている
また、父系しか引き継がないY染色体には、全日本人の1/4~1/3に縄文人の遺伝子が残っている

これの意味するところは
・女は基本的に縄文人としか結婚しない
・渡来系は繁殖力が弱かった
・渡来系は極少数だった
などの仮説が成り立つ
つまり渡来系が支配し抑圧なんて無理なんだよ、
少数で来て同化したんだね
あとアイヌは全く別の話だわ
0127名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:47:06.79ID:GUHG1Bqy0
1260年に一回??
0128◆HKZsYRUkck
垢版 |
2018/01/06(土) 19:47:16.34ID:hi2ltHk20
>>121, >>125
問題は、「なぜ記紀はそういうストーリーを採用したのか?」だよね。
基本は各地の神話のつぎはぎなんだろうけど、こういう
あきらかに理不尽な筋は、避けようと思えば避けられる気がする。
0129名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:48:27.24ID:WvBInne/0
😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♬
          
= 日本経済には60年の長期周期がある =
http://image.slidesharecdn.com/08124-120123045008-phpapp01/95/08124-46-728.jpg
http://kakashi490123.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/02/28/20100227.png

昭和の約60年は前半が経済周期の下側、後半が上側だった。
平成の約30年は下側だった。次の30年は上側の明るい時代。
0130名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:54:02.12ID:dbyDUJF80
一重まぶたの「にチョン人」

緑 D系統 縄文系
黄 オレンジ O系統 弥生系
Y染色体別世界地図
http://livedoor.blogimg.jp/polio0/imgs/4/6/466bd3f1.jpg


一重まぶた 「にチョン人」 出自ヤヨイ 職業ネトウヨ ハプログループO系統


   /⌒ヽ
  (ヽ`ん´) 縄文人のDNAは皆に入っているニダ  
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/     /

━━━━━━━━━━━
 「にチョン人」とは
━━━━━━━━━━━


弥生人、朝鮮渡来人、在日朝鮮人たちと混じってしまって、
朝鮮人と見分けがつかなくなった日本人を

「にチョン人」という。

「にチョン人」は性格、言動も朝鮮人と似ていて、
自分たちの都合の良いウソを振りまき、みんなが 
そのウソを信じないと激怒します。
とくに、「にチョン人」の祖先が朝鮮から来たという 
事に異常に拒否反応を起こし、われを忘れてわめきだします。

「朝鮮」にたいする差別意識が生まれつき身についているらしい。
そんなに自分が朝鮮系だと言われると傷つくんだ。
可哀そうだね。
0131名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 19:55:28.78ID:t3fEH5uY0
パヨクのポリコレ歴史はもういいです
0132名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 20:27:58.67ID:tCr7FXzO0
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない


三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)          ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む
0133名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:30:02.66ID:3WF4C/PN0
この系のスレは訳の分からないことを突然言い出す頭どうかしてる奴がいるから怖い
0134名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:32:37.42ID:kSKGX74k0
初期天皇の年齢は春秋暦ってことで処理して実在を主張してる人もいるな
0135名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:40:04.60ID:h7LnL9kD0
>>107
この手のものは、参考にした史書の乏しい情報から想像して書いてるだけだから。
中国三大幹龍総攬之圖
http://2.bp.blogspot.com/_b0wmNWko8rk/TMwu6gsNV8I/AAAAAAAAAOY/x0EnTuVpfvY/s1600/1584..JPG
朝鮮が島になっているが、山海経海内経北径には「東海の内、北海の隅に國あり、名は朝鮮」とある。
この東海内から海の中の島を想像するか突き出た半島を想像するかでは島を想像するだろう。
0136◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 20:44:41.92ID:hi2ltHk20
>>134
俺は2倍歴はないと思う。
歳の概念は作物の生死のサイクルを星の巡りと結び付けるものだから、
必ず前サイクルの終わりが次のサイクルの始まりにつながらなければいけない。
春耕と秋収をそれぞれ区切りにしたら、そもそも円環構造にならないし、
春夏と秋冬では価値が違うじゃんかと。
0137名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:48:11.14ID:/epKFMVqO
初代武内宿禰二代目武内宿禰

市川団十郎みたいなんじゃないの?
0138名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:51:40.03ID:oUU1woSE0
>>128
北部九州には親新羅の勢力がいくらかあった
日向国内で新羅の伝承などは見つからないが百済のなら見つけた
新羅と呼応した北部九州の親新羅勢力を討とうと日向方面からの軍事行動があったと思っている
そして討伐に失敗したんではないかと
応神からは北部九州系の天皇となりしばらく続いた
0139名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 20:51:44.10ID:hkHTrHDA0
>>119
変に宮崎に入れ込むなよ
どうせまとまりのない県内を憂えた宮崎県庁が
昭和になってからキャンペーンで盛り上げてんだから

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0140◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 21:00:40.05ID:hi2ltHk20
>>138
ずっと後だけど、継体帝のときの磐井の乱もあるよね。
なんか伝統的に百済−大和、新羅−筑紫の関係なのかしらん。
筑前国風土記に出てくる怡土(伊都)県主の祖五十跡手も
「アメノヒボコの子孫だ」と自己紹介してるし。

>>135
まあ、大陸の中原から行く場合、天津あたりか山東半島から
黄海を渡って朝鮮半島に行くもんな。
0141名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:01:28.45ID:X+LLM/a80
>>134
紀元前660年ではどう強弁しても無理だからありえそうな年代にこじつけようとしてるだけ
実在の可能性が高い天皇さえ古墳の年代と2倍暦の年代でズレてしまうから問題外
2倍暦がどうたら言ってるやつらは考古学知識がないからズレがあることさえ認識してないだろうけど
0142◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 21:06:36.78ID:hi2ltHk20
>>139
そのコピペはよく見かけるけど、

「昭和になってから宮崎県庁がキャンペーンを始めた」から、
宮崎は日向神話の比定地から除外されるべき。

という主張にしか見えないんだよな。
いや、たしかに阿多説には説得力があるが、そこはそれだ。
0144名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:14:42.05ID:h7LnL9kD0
魏略に倭の暦が魏とは違う方式を使っていたということは書かれていることは伝わっているわけでね。
また、戦国時代には年始が四季の中で複数あったりしたわけで。
少なくとも魏代では一般的になっていた一年を一周とする暦ではなかったということだ。
それと、記紀については伝承過程か編纂時に混乱が発生したと思われるものがある。
応神天皇と仁徳天皇の事績の重複とかね。
考古学知識がーとか言う前の知識の欠如も問題だね。
0145名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:15:48.30ID:hkHTrHDA0
>>142
いや木花の話とか間抜けすぎて反って可哀想になるから
最近あまり持ち出さない
高千穂峡もそう
地名ぐらいに止めてる
0146◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 21:22:07.84ID:hi2ltHk20
>>145
そいや高千穂にいったときに、「木の花幼稚園」というのを見かけて、
ちょっと感動したわ。後付けだろうが創作だろうが、土地の人らの中には
今でも神話が生きているのだ。
0147名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:28:15.65ID:zulzrgYS0
神武伝承はヤマト入りした目的がはっきり書かれてるよね。
一つは日本の盟主になるに相応しい場所にゆく事。
もう一つは大物主の血統を持つ姫との婚姻。
これ等を公式記録に残す事が重要だったんだろう。
0148名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:40:07.75ID:0FJw1S1i0
あの頃はほとんど野宿みたいなもんだったから
あそこは凍死しない程度に温暖で冬京に移動しなくて済んだから
0149名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:49:50.18ID:lgM1e9HV0
単に信じるか信じないかの問題だぞ
例えばキリスト教徒に「ヒトは猿から進化した」なんか言って裁判起こしてみろ
キリスト教徒の多い国だったら裁判に負けるからな
0150名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:50:04.10ID:3PK/XsNf0
恨みだの呪うだの祟りだのこの朝鮮くさい妄想文はなんなのか。
0151名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:53:07.04ID:X+LLM/a80
>>144
「春に耕して秋に収穫するのをもって年紀とする」という文章をどうこじつければ2年とカウントすると解釈できるんだ?
曲解・歪曲の範囲さえはるかに超えて明らかに「捏造」と言うべきもの
台与は13歳で女王になったとあるがこれも2倍暦とやらでカウントしてあり本当は6歳半か?
記紀の編纂で混乱があるからという理由で妄想話までも正当化してるだけ
0152名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 21:56:51.60ID:3WF4C/PN0
雄略天皇の実在はほぼ確定
それに連なる応神天皇辺りまでも有力となる
で、神功皇后を卑弥呼に比定してることからこの辺りで暦を二倍してるのが分かっている

この辺りは明らかな作為
0153名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:08:52.52ID:h7LnL9kD0
>>151
「戦国時代には年始が四季の中で複数あったりした」で察してくれてもいいんだけどね。
春を年始とする暦と秋を年始とする暦があった可能性があるということになる。

>記紀の編纂で混乱があるからという理由で妄想話までも正当化してるだけ

皇統を実際に近づける作業は難しいという話なんだがなあ。
中途半端な作業をした論を中途半端な知識で批判してもしょうがないという話だよ。
0154名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:18:54.35ID:vcOdxMSQ0
船の漕ぎ手を雇う金がある首長なら
瀬戸内海の果てがどんな所だろうか探検に出すのは誰でも考える簡単な事
北九州から大阪堺までの400q程度の航行なら
金さえ出せば漕ぎ手は幾らでも見つかるのでさえ見つかれば簡単に航行できる。
0155名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:20:42.62ID:X+LLM/a80
>>153
1年の始まりが春なのか秋なのかの問題と365日を2年とカウントする問題は根本的に違う
現代日本でも年度は4月始まり
年始がいつからか複数あったからといってそんなのが2倍暦の根拠になるわけないだろが
で、台与は6歳半でいいのか?
0157名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:27:20.76ID:3WF4C/PN0
雄略天皇の時代の年代記述の信憑性や鉄剣への暦の採用を見ると暦がハッキリしてるのはここからなんだろう

そうなるとこの前の時代にはまだ暦がなく日本人が独自の方法で年数を理解してた可能性は十分にある
記紀は単に捏造がしたかったというわけではなく「古代の記録がいい加減だったからとりあえずそこに設定した」と解釈もできる

倭人伝に記載されている日本人の異常な長命さをなどを考えるとそれこそ年に二回としを勘定していたと考えても特におかしいことはない
で、混乱期のシンボル的な存在なら別に13歳が6才だろうが特に不思議とも思わない
幼児だっておかしくない
0158◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 22:30:31.82ID:hi2ltHk20
>>152
俺は河内王朝の応神が始祖王だと思っている。
根拠はさておき。

>>154
瀬戸内海は意外と厳しいのよ。
潮の流れが大きいから、1日の半分は進めない。
当時の和船の寄港は浜に引き上げることだから、
そういう浜があって、なおかつ土地の海人と話がつかなきゃ
泊まれない。
0159名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:31:17.16ID:/epKFMVqO
つまり卑弥呼という女王は実在しなくても成り立つってなるな
0160名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:32:24.52ID:zulzrgYS0
台与が13歳と明記してある事実は大きいよな。
問題はこれが何らかの意味をもつかだろう。
成人の意味合いかあったかだね、元服やユダヤ辺りと同様な。
0162名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:36:08.51ID:3WF4C/PN0
神道の祭祀でも春の祈年祭、秋の神嘗祭、新嘗祭を一つの大きな区切りとしている

神道が古代祭祀の形を何らかの形で現代に伝えていると考えるのなら、この農作業を起点とした始まりと終わりの年の考え方があっても特に無理があるとは思えない
なので春と秋の二回の年のカウントをしてたという暦の考えが倭人にあったと言うことは十分考えられると思われる
0163名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:36:30.21ID:h7LnL9kD0
>>155
なあ、俺がいついわゆる2倍暦の話をしたか?w
>>144をもう一度読めよw
それと、年始が複数発生する可能性は考古学のある研究から推定もできるんだよ。
内山純蔵は関西北陸の縄文遺跡の動物資源の調査から、西日本では季節で生業を交替させる生活文化が
あった可能性を提示した。
水辺や低地の生業と森林、山地での生業だ。二つの生業の場は違うサイクルを持つのなら、違う起点の暦が
発生する可能性がある。
それと、台与(壱与)の年齢は年端も行かぬという意味がわかればいいよw
0164名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 22:37:25.40ID:X+LLM/a80
>>157
>独自の方法で年数を理解してた可能性は十分にある
言い張るだけでなく根拠を示してくれ
可能性は十分にあるとまで言い切るんだから根拠は出せるだろ

>6才だろうが特に不思議とも思わない
これも言い張ってるだけ
男王でも収拾できない争いや混乱を子供が収拾できたという根拠は?
0165◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 22:39:58.47ID:hi2ltHk20
>>160
素直に読めば、巫女の血筋の霊力を強調している描写だよね。
成人男性の王では治まらなかったのに、13歳の少女なら治まった
わけだから、卑弥呼のマジカルな力がトヨに受け継がれたと。
0166名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:40:18.39ID:h7LnL9kD0
>>159
魏人が自分らの政治文化から王としているだけで、卑弥呼の実際は調停役の巫女でしかない可能性もある。
0167名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:45:25.57ID:3WF4C/PN0
神武東征は稲作伝来の伝承だと考えると面白いかもしれない

今の年代観だと稲作伝来は前800年くらいだから、畿内に稲作が到達する時期が前660年と言いうのならとても収まりがいい
まぁこれは強引なこじつけだけど
ネタとしては面白い
0168名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 22:45:50.39ID:uXjEYqYK0
>>152 違う。 >>141 ずれてない。
>>151 >>153 >>155
ヒント ロジカルシンキング 
>>152 神功とモモソの共通点は天皇越えの「神がかり」

2600年は数え間違い

在位年数 二倍歴により二分の一化
10 崇神天皇 68 34
 - 10代プラスアルファ ヒミコ/モモソ
11 垂仁天皇 100 50 いくめ →官のトップは伊支馬(いきま)→ 第11代垂仁天皇 「伊久米入日子伊佐知命」
 - 11代プラスアルファ トヨ 崇神は次期天皇にイクメかトヨ兄にするか悩んだとある。トヨ兄は天皇候補。
12 景行天皇 60 30 やまと姫
13 成務天皇 60 30
14 仲哀天皇 8  4 - 開化の孫のひ孫
 - 14代プラスアルファ 神功皇后 69 35 開化の孫のひ孫
15 応神天皇 40   20
『倭人伝』 代々男王 → 「共立」卑弥呼 → 男王 →「復立」卑弥呼宗女である トヨ(→ 男王) 
『新唐書』 倭日本「仲哀死、以開化曽孫女神功為王」
神功は開化の玄孫、息長宿禰王の子供 開化の孫のひ孫。仲哀も開化の孫のひ孫
『宋史』 日本国「次 神功天皇 開化天皇之曽孫女、又謂之息長足姫天皇」

崇神から応神までの在位年数は
34+50+30+30+4+35+20で 203年
これにヒミコモモソとトヨとの在位年数エックスxを加える。
崇神は西暦200年前後
倭人伝が崇神朝、垂仁朝の西暦200年前後であることは確実。
万世一系皇室、大和朝廷の歴史は二千年。
0169名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:46:02.53ID:h7LnL9kD0
>>160
後漢の安帝が同じ13歳で即位したが、後見の外戚が政治を行った。
この年齢は、少なくとも魏人にとっては若いだろうね。
0170◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 22:47:23.63ID:hi2ltHk20
>>163
もちろん、狩猟採集民の暦は農耕民のそれとは違うだろうけど、
サイクルは天文年(365日)だよね。栗が実るとか
鮭が川を上って来るとか。
0171名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:49:58.42ID:zulzrgYS0
年齢を強調するのはやはり意味あると思うけどね、幼いだけじゃ
別の表現もあるだろう。
何より倭で最初に年齢が描かれた人が台与。
まぁ参考になるかどうかはしれないが、モモソヒメがヤマトから瀬戸内海へ
船ででた年齢が七歳だという伝承はある。
0172名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:50:57.86ID:X+LLM/a80
>>163
2倍暦の話題に割り込んできたんだからそう解釈するのが当然だと思うが
具体的にどんな暦かわからないが固有の暦があった「可能性」があるとだけ言うならそれでいい
可能性だけならどんな可能性もある
古代人は100歳以上の長生きだった「可能性」もあるし、宇宙人だった「可能性」もある
それらと同じくらいの可能性で2倍暦の可能性もある
しかし存在したことを支持する根拠や証拠は皆無
0173名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:52:41.05ID:ZedtmmU60
田布施システム(明治マセソン維新150年)
0174◆HKZsYRUkck
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2018/01/06(土) 22:55:07.93ID:hi2ltHk20
>>171
7歳という年齢には、何かマジカルな意味があるんかな。

神功皇后についても、中国のとある王様の娘として転生して、
7歳のときにお腹に日光があたったら妊娠して応神天皇を生み、
その応神が実は宇佐八幡、てな奇怪な伝承がある(住吉大社神代記)。

要は朝鮮半島にありがちな日光感生伝説なんだけど、
これもやっぱり7歳だ。
0175名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 22:59:55.10ID:uXjEYqYK0
>>164
>>172
テキストから離れて空想してもしょうがない。
aからiのどれに誤りがあると言っているのか?


2600年は数え間違い
魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀
裴松之注:「魏略」によれば、一般の習俗では「正歳四節」を知らず、
ただ、春秋の農作業をもって年をかぞえる。

〇 四節ではなく二節である a
四節一年ではない。b
二節一年か一節一年か? c
二節一年ならば正歳といえる。 d
(年のカウントは正しいといえる) e
したがって条件1「四節でもない」 f
条件2「年の数え方も違う」を満たすのは g
「二節かつ一年」ではなく h
「一節一年」。 i

記紀が長寿をそのまま記述してるのは、介入のない証拠であり良心的で、信頼できる。
0176名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 23:04:14.50ID:3WF4C/PN0
あと弥生時代、古墳時代の人骨を見るとそんな長寿であったとはとても思えないモノばかり
せいぜい30〜40歳が寿命だろう
なので「100年本当生きたかもしれない」というのは成り立たない
で、骨から推察される寿命は長寿とされる寿命を半分くらいにすると丁度いい数値になる
この辺りも年数を独自の方法で勘定して二倍していると考える根拠となりえるだろう
0177名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 23:20:34.57ID:h7LnL9kD0
>>172
どうしてそういう頭の悪いことを言うんだよ。
ずっとお前はバカだと言わないようにしていたのにw
0178名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 23:21:03.24ID:LaiycjgT0
もしやと思ったが、>>1の話を書いたのがやはり、
安定の歴史エンターテイメンナー・関裕二で失笑
0179名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 23:26:18.12ID:h7LnL9kD0
>>165
政治的な権力者だと若い年齢はネックだが、巫女はその限りではないね。
求められるのはその先にいる神なのだから。
大乱による混乱が収束されるにしても、当時の倭で求められていたものは何かについては具体的な記述はない。
0180名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 23:28:00.64ID:X+LLM/a80
>>177
宇宙人と同じくらい荒唐無稽な話だという比喩だ
バカというならどこがバカか具体的に指摘したらどうだ
0181名無しさん@1周年
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2018/01/06(土) 23:32:00.89ID:h7LnL9kD0
>>170
そうだね。
因みに内山は東日本のサケマスに対して西日本のコイフナを提唱してる。
春夏は低湿地の水辺でコイなどを獲り、畑でアワ、大豆などを栽培する。
秋に収穫し魚も深みに沈むようになると、森林や山地でイノシシ、シカなどを獲る。
当時の宗教観も絡むかもしれない。
まだ思いつきの域を出ないので、これ以上つっこんだ話は厳しい。
0182名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 23:49:44.33ID:h7LnL9kD0
>>180
>>75の神武の話だが、そこで出している考古学的事実とはどういうものだ?
前スレだけでも色々と論文が出ていたが、お前は提示できるのか?
お前は根拠を何も提示していないまま、自分が正しいといい続けているんだぞw
0183名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 23:54:42.75ID:3WF4C/PN0
崇神天皇の実在性に信憑性が高まると、纏向古墳群の被葬者が畿内ローカル政権時代の大和朝廷の始祖達と関連してると考えることもできる
そして近年見つかった瀬田遺跡の円形周溝墓が橿原の近くにある事なども神武伝説の史実的な背景を想像できて興味深い

この位置から纏向へと移動したというのならまさに史書の記述通りとなる
0184名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/06(土) 23:58:54.79ID:3WF4C/PN0
霊山の重視の変遷も神武天皇時代は天香久山、畝傍山、耳成山
崇神天皇の時代には三輪山に移動してる

この辺りも墓の移動と併せて考えてとても面白い
0187名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 00:19:17.25ID:zE77lPJx0
https://youtube.com/watch?v=gu9OnGIeAdI
熊襲・新羅連合軍 vs (皇軍?・)日向(連合軍?)
結果:熊襲・新羅連合軍 の勝利、仲哀天皇?の戦死
0188名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 00:21:43.15ID:+IQteqaDO
仮の話だからどうしろっつうの?
0190名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 00:30:26.61ID:mpa3ctvR0
自分は何ひとつ具体性のない話でマウント取りしているだけなのだから、バカとしか言いようがなかろうw
0191名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 00:48:50.15ID:8M4mw3I60
>>190
2倍暦だのに具体的な根拠になるものがないと指摘しただけだがな
もう不毛なレスはめんどいしバカでも構わんよ
0192名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 00:50:43.79ID:MrsIVdCg0
九州の初期古墳を見ると東部に古く大きなものが集中しているのも面白いな
宮崎には西都原があって一説には石塚古墳と同時期の81号墳もある
時期や規模や副葬品を考えると「ここから」ではなく「ここに」と考えられる遺跡だが
畿内勢力の橋頭堡として九州東部が機能してたんだろう
0193名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 00:55:51.63ID:73zUG/hqO
アーサー王とかローマの軍人がモデル説があるけどさ
それと似たようなもんじゃないかな?
普通に読むと、さんざん既出だけど隼人族の傭兵兄弟の生き残りにしか見えない

後の人が脚色しただけじゃないの?
0195名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 01:15:30.51ID:ryTLJwI/0
古墳から出土する器台は死者を祀る儀礼の重要な道具であった
器台は九州の筒形器台を起源とし、瀬戸内や四国で大型化して大型器台、特殊器台へと発展していった
箸墓古墳など畿内の古墳からも特殊器台が出土し、古墳時代初期までは西から東へと文化が伝わっていったことを示している

特殊器台が九州に逆輸入されて古墳から出土するようになるのは5世紀以降であり、大和朝廷が九州を影響下に置いたのは
この時代だということが分かる

http://www.i-rekihaku.jp/gakublo/jyousetsu/6598
■器台の起源
器台形土器(以下、器台と呼称する)は、弥生時代中期初頭(約2200年前)の九州に小型のものが現われます。
出現期の器台は、壺(つぼ)・甕(かめ)・鉢(はち)などの土器を安定して置くための台としての役割を果たしました。
九州では、弥生時代中期中頃(約2100年前)になると、高さが80pを超える「筒形器台(つつがたきだい)」が墓地に出現します。
福岡県朝倉郡筑前町の栗田(くりた)遺跡では、54基の甕棺墓(かめかんぼ)の近くに、よく磨きあげられた真っ赤な土器
(壺・甕・器台・椀・高杯(たかつき))がまとまって納められた地点が複数見つかっており、これらは、死者を甕棺に埋葬した際の
儀礼(マツリ)専用の土器群です。より高く捧げようとした背高の器台は、この儀礼で特に重要な役割を果たしたに違いないと思われます。

■地域における普通器台の出現と展開
九州以外の西日本では、中期後半(約2000年前)に各種の土器に脚台をつけることが多くなり、大型ではない普通の器台が出現します。
瀬戸内地域では、後期初頭(約1900年前)に吉備(きび)、播磨(はりま)、河内(かわち)など吉備以東で器台が出現・展開し、
特に吉備では後期後半(約1800年前)にかけて、大型化・特殊化した独自の器台の文化が展開します。
伊予・松山平野においては、後期になって中部(ちゅうぶ)瀬戸内(讃岐(さぬき)・吉備)からの影響で普通器台が出現します。
そして後期中頃には普通器台から伊予独自の大型器台を生み出し、その後華々しい器台の展開をみせます。
松山平野内で大型器台の出土が集中する地域は久米(くめ)遺跡群とその周辺であり、このエリアは大型器台の出現地として注目されます。
0196名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 01:46:14.31ID:4x9DRhaU0
神武は奈良なんて行ってない、それは記紀の創作
実際は漢から金印を貰った委奴国を倒した人

https://hanzan-qazwsxedc.jimdo.com/%E5%80%AD%E5%9B%BD-%E8%B1%8A%E5%9B%BD-%E5%8C%97%E4%BC%90%E8%80%83/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E6%9D%B1%E5%BE%81/
> 豊前の伝承である『求菩堤山縁起』に「神武天皇鋒端を揺し、中国(なかつくに)を平らげ、威奴の邪神を撥はしめ、九州を政(おさ)めんとす。」とあり、
>神武天皇は、九州を治めたのであって、近畿奈良県には行っていない。
>「威奴(いぬ)」は、神武天皇は、饒速日(男神の天照大神)が建てた倭奴(いぬ)国 と倒した。
>また、『求菩堤山縁起』には、八天狗が、継体天皇の時には、凶暴な鬼になって退治された。と記されている。継体天皇は、人皇27代となっている。
>『日本書紀』では、第26代であるが、九州の神社では、神功を天皇と数え、第15代が神功天皇、第16代が応神天皇となり、1代ズレる。
>東大寺の僧、「然が伝えた『宋史 日本國 王年代紀』と同じである。
>辛酉年(西暦121年)神武天皇、橿原宮で即位する。金印の倭奴(いぬ)国が滅び、邪馬台(やまと)国が成立。
>神武天皇の前の国(倭奴国)の王が、後漢の皇帝より授かった金印が、大和(奈良県)ではなく、筑前(福岡)にある。
>だから、邪馬台国(倭国)が、豊国であるという説です。    
0197名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 02:15:51.91ID:PqSmWZd60
邪馬壹国スレみたいに激しいバトルは起きんのか?
宮崎人は元気ないなぁ
0198名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 03:14:28.42ID:4vpx1Alt0
>>125
飯塚の東にある仲哀峠とその隣の京都郡(みやこぐん)ってその名残かね?
0200名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 03:42:01.96ID:C6VtD4ub0
>>196
やはり九州王朝はあったんだな
神功皇后は九州を拠点に半島攻めしてるし、畿内は応神あたりが始まりなのかな?
0201名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 03:43:16.12ID:tNAJyFdq0
元NHK職員が『紅白歌合戦』の枕営業を暴露!!「芸能プロダクションが天海部長に枕営業を持ちかけるのを”天海詣”と呼んでいる」
http://enewsmtm.blogspot.jp/2018/01/nhk.html
エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】
https://togetter.com/li/1183499
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
【これは酷い】テレ朝系の番組が「安倍晋三記念小学校」をCG合成した悪質すぎるイメージ画像を報道!
https://snjpn.net/archives/37409
徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪
https://honto.jp/netstore/pd-book_28737140.html
偏向報道にうんざり!マスコミの安倍総理批判に国民から大ブーイング
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1499593879/

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/aritayoshifu/status/881045139640143872
有田芳生さんのツイート: "「聖地」が「墓標」に変わる画期的な街頭演説会がはじまります。"

民進党の有田芳生の事前のツイートとかみると民進党と共闘している共産党としばき隊と左翼マスコミが結託して最初から安倍さんの選挙演説をヤジで妨害する計画をたてていたんだろうね
安倍さんの演説妨害した、しばき隊一派はマスコミだけが入るの許されていた一等席に朝から陣取っていた。これって犯罪だよ、明らかに。この件は売国サヨク側にとって致命的な問題に発展する可能性がある
安倍さんの演説妨害していたのはしばき隊だと大量に証拠が残っているのに、自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように報道する売国サヨクマスコミの程度の低さに驚く
日本のマスコミは在日の暴力集団のしばき隊と連携して捏造報道するまで落ちているのだ

CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881872300726829056
報ステ。しばき隊の意図的な演説妨害を自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、
安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように殊更に問題視。
仕上げはイソ子の嫌がらせ質問。我々は詐欺報道の時代に生きている。

元都知事の猪瀬さんもこう言ってる↓
猪瀬直樹
https://twitter.com/inosenaoki/status/881370560105660416
テレビで見たけれど、あの「安倍辞めろ」コールはプラカードなどから、共産党の組織的な行動ですね。
ところがふつうの視聴者には、「辞めろ」はあたかも都民の声と聞こえてしまう。

http://netgeek.biz/archives/99004
安倍やめろの巨大横断幕、しばき隊が2015年につくったものと一致。集団の正体が明らかに

500円
https://twitter.com/_500yen/status/882396914074779648
【計画的選挙妨害】大阪市民の籠池夫妻は都議選の選挙権がないのに上京して、TBS記者と横川圭季がタクシーに同乗。
秋葉原演説会場では、籠池泰典を謎のメガネ男が、籠池諄子を青木まり子が、しばき隊の野間易通たちが陣取る場所まで案内してる。
籠池泰典の掌には、事前にセリフまで書かれている

CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881834647646126080
秋葉原騒動に参加したしばき隊の中で、画像から確認できる中心メンバー:野間易通、日下部将之、無量光(韓国系?)、井手実。
その他、籠池夫婦を連れて来たと思われる横川圭希と青木まり子。

CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/882414630915653634
のりこえねっとで野間が秋葉原での選挙妨害を弁解。
「在特会が先にやった」という論理。妨害された共産党候補は「卑劣な集団には負けない」と、安倍総理と同じようなことを演説している。
自民は在特会と共闘してないが、しばき隊と共産党は共闘関係。

https://anonymous-post.com/archives/16299
「娘さんは慰み者になります」 沖縄タイムス記者を名指しで批判した百田尚樹氏に沖縄マスコミ労が抗議声明←「中国が沖縄を乗っ取ったら」をわざと省いて報道〜ネットの反応「自衛隊が来たら絶対レイプされる、はいいの?二枚舌さんww」

「中国が沖縄を乗っ取ったら」をわざと省いて報道って酷すぎる!
この沖縄タイムズの捏造報道は明らかな名誉毀損であり、損害賠償モノだろ!沖縄タイムズ絶対に許せない!卑怯過ぎる!醜すぎる! 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8)
0202名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 03:44:24.57ID:tNAJyFdq0
左翼マスゴミに好き勝手にやらせたら民主党政権時代の円高デフレ政策の二の舞になって日本の輸出産業は壊滅状態になって韓国の輸出産業が絶好調になるわけだが
シャープや東芝がああなったのも民主党政権時代の円高デフレ政策の時のダメージがあまりにも大きかったせいです
神戸製鋼や日産のスキャンダルも仕掛けたのは左翼マスコミに巣食う在日チョン。彼らは日本の産業を叩き潰して韓国が利する展開にしたいんだよ
売国サヨクマスコミから一番被害受けるはずの企業が左翼マスコミに金を流し続けるのが悪い。もうテレビや新聞に広告出すのやめろよ!企業がテレビや新聞に広告出し続けるのならそれはもう売国であり反日だよ!

ひたすらに倒閣運動にいそしむメディアの自殺行為
http://www.sankei.com/politics/news/170724/plt1707240004-n1.html
憲法改正を恐れ、ひるみ、印象操作か メディアは「言論の自由」と「風説の流布」をはき違えるな
http://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280007-n1.html
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
フェイクニュース「NHKも」名指し バノン米元首席戦略官、会見で批判「日本のCNNに違いない」
http://www.sankei.com/world/news/171217/wor1712170029-n1.html
【青山繁晴】NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
【直言極言】どこまで続く?NHKの反日売国行為
https://www.youtube.com/watch?v=UrayRu8AXlk

安倍政権を倒そうとしている売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業を叩き潰そう!中韓や在日利権の尖兵と化している売国サヨクマスコミを叩き潰す事は国として急務!
広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業のトップ15です
これらの企業の商品は絶対に買わないでください。これらの売国企業の商品について常に悪い噂を流し続けましょう。安倍さんより下の年代はもっと右なわけで、そういうこれからの日本を引っ張っていく層を企業は敵に回す気か?

広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業トップ15
1位トヨタ
2位ソニー
3位日産自動車
4イオン
5セブン&アイ
6ブリヂストン
7マツダ
8武田製薬
9パナソニック
10リクルート
11NTT
12花王
13三菱自動車
14富士重工業
15キャノン

この中で一番悪質なのはトヨタです。「日本死ね!」の史上最低のクズ売国奴の山尾志桜里を当選させたのはトヨタ労組の力です。
そして反日売国新聞の中日新聞に対してもトヨタは影響力を持っています。山尾を支援した売国企業のトヨタを倒産に追い込みましょう
愛国者が1人、売国トヨタの内部告発すれば売国トヨタを倒産に追い込めます。山尾を支援した事を売国トヨタに後悔させましょう

一部メディアのすさまじい偏向の狙いは「倒閣」にある! 安倍首相は本気で対抗策を打ち出してはどうか?
http://www.sankei.com/politics/news/170714/plt1707140017-n1.html
【小川榮太郎×上念司×ケントギルバート】偏向報道マスコミに激怒!TBSを放送法違反抵触で公開処刑!報道ステーションにも異議あり!サヨク系論客との公開討論は?
https://www.youtube.com/watch?v=5steatrZuCc
加計問題、一部メディア「大本営発表」の正体 嘘も100回繰り返されれば真実となる
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290001-n2.html
.加計問題で「悪魔の証明」求めるメディア 筋違いの首相会食批判も懲りずに「1月20日問題」追及
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290002-n2.html
加計学園問題の偏向報道に北村弁護士がド正論!「日本のマスコミは終わっている!加戸さんを報道しないのはありえない!両方の論拠を出し国民に判断させるのが本来の報道!」
https://www.youtube.com/watch?v=1wcEQNvH8B8
「安倍総理は無罪って分かってるけど視聴率がとれるからやめられない」夏野剛がテレビ局ディレクターに聞いた話を暴露
http://netgeek.biz/archives/100699
.加計問題は「朝日新聞のフェイク(ニュース)」 夏野剛氏が指摘したメディアの「マインド」
https://www.j-cast.com/2017/08/07305336.html?p=all
前川氏答弁が加戸氏発言の25倍超だった!加計問題でテレビ報道に異議アリ 民間団体がBPOへ告発検討
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170821/soc1708210002-n1.html
.. 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8)
0203名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 05:08:37.08ID:R2l4wcab0
ファッキン天コロ
0205名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 09:46:49.91ID:/vQsdsAM0
>>196
この話なら邪馬台国は豊国ではなくヤマトになるだろう。
121年神武が即位で葛城の豪族がヒミコかモモソは台与を擁立する。
0206名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 10:45:03.65ID:MrsIVdCg0
九州東部は弥生時代を通じても出雲、四国、瀬戸内海との関係が深い
特に宮崎周辺などは九州にありながら北部とあまり交渉がない
これらの関係から弥生後期後半ごろに西日本の勢力が九州に進入してくる際に協力的な立場になっていたんだろう
後の后妃もこの地域から出ているなど大和朝廷に重視されている様子が見える
神武伝説はこういう朝廷との関係から導き出された神話なんだろう
0207名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 11:00:30.21ID:MrsIVdCg0
西都原古墳に九州最古の古墳があり、最大の古墳がある
そしてこの地域は北部九州との関係は薄く本州、四国と古くから関わっている
こう考えるとこの地域が重視される意味が分かるな
0208◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 11:20:01.12ID:N8EhNbTO0
>>207
コノハナサクヤ姫のパパの大山祇神さんは、
愛媛の大三島の大山祇神社だもんね。

瀬戸内の民俗は面白くて、四国側と山陽側では
系統が違うのだ。四国側はおっしゃるように南九州系で、
産小屋を作る。山陽側は北九州系で、若者宿がある。
0209名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 11:51:22.41ID:/vQsdsAM0
投馬国を妻や端と解釈する事が出来ると思う。
妻を娶る国、もしくは伊都に対して端の国。
出雲とは東の端国の意味になる。
南九州の場合も同様に端の意味を持つから、
共通の名前なんだろう。
0210名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 13:23:45.79ID:b84CvUmh0
当時の発音だと 投馬=ヅマ と読むらしいので、投馬国=出雲 という説はある
0211名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 13:24:40.10ID:3DqFGX3M0
西都原古墳群は300基以上あるけど南九州特有の地下式横穴墓は現存するのは12基だけなんだよね
建造時期も新しく対熊襲、後に対隼人の駐屯地として発展したと思われる
隼人の乱の時、大和朝廷は兵を乱の東西から挟むように送り込んでいるが
主将の大伴旅人は西方から今の薩摩川内市に入っている
まぁ西都原当時の斉殿原には日向国の国府もあったわけだが
隼人の服属後は役目を果たしたとして衰退していく
0213名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 15:16:27.60ID:MrsIVdCg0
宮崎には弥生時代に瀬戸内海系の人々との盛んな交流の痕跡があるが人が定着した様子見えない
あくまでも交易関係という状態が見える
そして古墳時代に入ると前方後円墳が現れる
弥生時代からの交流の結果いち早く畿内と同盟を結んだ土地なのではないかと思われる

扱いとしては九州で最も重視されてるのは大分方面だがここは在地大豪族との同盟という関係が見える
宮崎の方がより直接的な介入をしている場所なのではないかと想像できる
そう考えると畿内との距離が密接な土地として扱われていた可能性がある

神武東征の舞台となったのもそういう事情を反映しているのではないだろうか
0214名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 16:07:52.64ID:7vUEabzz0
お前らに真実の歴史を教えてやろう
あの有名な「白村江の戦い」は白村江だけでは終わっていない

唐の軍隊は勝った勢いで倭国に攻め入ってきた
白村江での大敗によりなすべなく、この時点で、
倭国は事実上滅亡してしまった

当時の倭国は出雲王朝を中心にした連邦国家である
出雲王朝の支配者層はことごとく処刑、惨殺された

太平洋戦争で日本がアメリカに負け、
GHQの命令で政治体制、憲法、教科書が一新された
それを同じことがはるか昔にも起きていたのだ

当時の唐のトップは女帝、則天武后
この名前を貰った「天武天皇」が擁立された

大宝律令という憲法は唐から与えられた
「大宝」とわざわざ形容詞をつけ、
文明後進国のお前らにとっては宝だぞ、と言ったわけだ

天武天皇とその后である持統天皇が主導し
日本書紀、古事記という歴史書が作られた

中国では王朝が交代するとき、その正当性を主張するため、
新しい王朝の立場で歴史書が作られる
暴力で強奪したのではなく、譲られたといい訳するため
「禅譲」という言葉が必ず用いられる

日本書紀という「歴史書」に「国譲り神話」を書く
これは中国人ならではの発想だ

天照という女神を頂点とした国家神道を創始したのも天武天皇である
これは唐の女帝、則天武后を神格化するものである
女帝、則天武后の忌み名は「照」なのだ


そして、神武天皇の正体

やはり「武」の文字があり、
中国の讖緯説(しんいせつ)に基づく「辛酉」を創始元年としている
結局、これも中国の発想であり、唐の支配下において、
唐の女帝、則天武后を神格化するために創作された神話なのだ


このようにして新生日本国は唐人達によって支配され、倭国は滅びた
朝廷を支配した一族が藤原氏=藤氏=とうし=唐氏である
倭国時代の様々な痕跡、歴史遺物は
唐の支配を隠蔽、誤魔化すために修正、上書きされてしまった

日本の歴史を紐解いていくと、合理的な説明が難しい点、矛盾点が多々見つかる
それらは全て、唐人達による歴史の偽装、欺瞞工作の結果なのだ


日本人よ、自分達の真実の歴史を学べ
0215名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 16:10:51.00ID:wwK5bDMT0
>>200
九州王朝は楽浪府と後漢書の奴国王であったと思うけど、いつ無くなり大和に統合されたか?だな。
支那の史書では5世紀の倭の五王では確実。
わが国の国史では、神武か崇神の延長の景行帝。
ただ景行記では九州は支配地の乱にしてるが。
(倭の五王では大和朝の成り立ちとして崇神の四道将軍を参考にしたかのような紹介)

邪馬台国九州説を取れば、この景行の時期で、4世紀に滅亡した事になるか。
邪馬台国畿内説を取れば、やはり神武の時、九州大和が統合され、問題は四道の東西北の地域だな w

面白いのは、南に崇神帝は軍を派遣してない。嫁さんの地盤だけど、崇神勢力の基盤と考えてよいでしょうね。
代わりに北方面との紛争や密着度が2代で描かれてる。先代開化帝や腹違いの兄弟の地盤だったようですが。
2代目の垂仁帝のアマテラスを丹後に持っていったのも何か関係あるかも。
0216名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 16:35:33.12ID:tDDtz9su0
>>214
こういうオレ様だけが真実の歴史を知ってると吹聴する輩は100%頭の逝かれた電波
0217◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 16:40:10.03ID:N8EhNbTO0
>>215
書紀の景行天皇漫遊記wによると、八代から九州西側を北上するが、
御井(久留米のあたり)で東に転じて、奴国や伊都国がある筑前には
入ってないんだよね。たぶん手出しができなかったんだと思う。
けっきょくは、100年後の継体のときの磐井の乱までは、
筑紫はヤマト王権の埒外だったんじゃないかと。
0218名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 16:45:35.46ID:3DqFGX3M0
>>206
>後の后妃もこの地域から出ている

景行天皇−日向髪長大田根、襲武媛、日向御刀媛
応神天皇−日向泉長媛
仁徳天皇−諸県君牛諸井の娘髪長媛

まぁこの頃、妃を迎えることは結構あったけど皇后はいたっけ?
景行天皇なんか熊襲の姫を迎えているぐらいだからな
安彦良和のヤマトタケルを途中までしか読んでないけど
景行天皇の3人の妃は出てきたかな?
字面から美人、熊襲の暴れん坊、武装少女といった感じで面白そうなんだけど
0219◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 16:48:41.89ID:N8EhNbTO0
>>218
景行天皇の襲武媛は、いかにも出張先でできちゃった現地妻だよなw
息子の国乳別皇子は水沼(水間)の君の先祖だ。
今の久留米市三潴町(みずままち)のあたり。
0220名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:02:48.68ID:mpa3ctvR0
>>217
今の福岡県行橋市(旧京都郡)に仮宮を置いて拠点としているのだが。
そもそも熊襲の反乱に対する遠征なのだから、背いていない地域に攻め入る必要はなかろう。
0222名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:07:23.60ID:MrsIVdCg0
景行天皇が来たら北部地域の在地豪族がこぞって降伏して降伏しなかった連中が平定されてるのに何言ってんだろうな

くだらない事ばかり言うくせにコテ付けて何自己主張してんだろうな
0223◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 17:08:06.45ID:N8EhNbTO0
>>220
行橋は豊後じゃなかったけか。
さておき、孫の仲哀天皇は那国の領域の香椎で
死んじゃってるわけだし、ヤマト王権と仲良しだったわけじゃ
ない気がする。
0224◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 17:09:03.19ID:N8EhNbTO0
↑あ、すまん。豊前じゃったい。
0225名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:11:00.51ID:oao1nG0R0
>>214
色々間違っているけど今のアメリカみたいに白村江の後に勝ち戦の勢いにのって
唐や朝鮮が三十年くらい本国がそれどころじゃなくなるまで日本に駐留してたのは本当
0226名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:13:20.76ID:2XaFkO/g0
崇神ならともかく神武って新潮もお前らも日本会議か?カルト好きにも程があるだろ。
0227名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:17:11.07ID:MrsIVdCg0
むしろ北部地域は弥生末期からかなりハッキリと吉備、畿内の土器が広まって在地化している
そして古墳時代に入ると中規模の古墳が出てくる状態
かなり早くから大型古墳が作られて副葬品も際立つ東部地域との差が明確

平定できないどころか真っ先に畿内の影響下に入ってしかも大した扱いを受けてない
熊襲平定に出てこないのも当然、もうとっくに支配下だから
0228名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:17:12.93ID:lJ29NYR50
邪馬台国畿内説の人に質問
・卑弥呼は天皇(称号は後世のものだが)なのか?
・卑弥呼と神武天皇の関係は?
0229名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:25:31.12ID:MrsIVdCg0
北部九州がいつまでも強力な独立国として存在していたような状況は特に見受けられない

よく持ち出す副葬品も周囲に何らかの影響を広めるような影響を持つものではなく、土地柄手に入りやすいものに過ぎない
派手な副葬品などではなく、他地域にまで独自のルールを採用させる実力が問題となるがそういう物はない
彩色にしろ、石人にしろ古墳と言う与えられたルールの範疇での個性を見せてる程度に過ぎない
そもそも古墳システムの下位に組み込まれて、それから脱してもないのになぜここに強大な勢力を妄想できるのか

お笑い物
0230◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 17:25:37.24ID:N8EhNbTO0
>>227
どうなんじゃろ。
九州北部の中でも、豊前はたしかに石塚山古墳などで
早くからヤマト王権の勢力範囲っぽいけど、筑前が版図に入ったのは
磐井の乱で糟屋の屯倉が献上されるあたりだと思う。
0231名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:30:40.11ID:mpa3ctvR0
>>223
周防から渡海しての上陸だから拠点は豊前の京都郡になった地域。
そこから南下して時計回りして豊後、日向、肥後にあたる地域の反乱をおさめて筑後の的邑(現在のうきは市と久留米市)
を経由して大和に帰還。
筑前地域に問題があるのなら、この行動自体できないよ。

>さておき、孫の仲哀天皇は那国の領域の香椎で死んじゃってるわけだし、ヤマト王権と仲良しだったわけじゃない気がする。

後の時代を見ても服していた地域や家臣が反乱なんて珍しくもない。
それから、仲哀天皇の負傷については『一云「天皇親伐熊襲、中賊矢而崩也』で具体的な場所は不明。
味方に筑紫伊覩縣主もいる。儺縣の橿日宮は拠点なのだから、筑前の主要部は反乱していないということでは?
0232名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:30:41.26ID:rq7xq3b00
神武のモデルは、宮崎の石神と宮崎に天降った尾張の火神の子孫。
イワレヒコは岩割彦。

豊かになった尾張や九州南部の縄文系の人々が全国平定を始めたのが倭国大乱です。

九州では宮崎や遠賀川の石神が住吉三神など渡来人の勢力を倒す。
畿内では、阿波や尾張の火神、九州からきた宮崎や遠賀川の石神達が倭人の勢力を倒すんですね。神武東征。

できたのが、纒向遺跡です。沢山の倭人の民が捕まり兵にされたんですね。ヤマト政権です。

尾張の火神、阿波、宮崎や遠賀川の石神が四道将軍として畿内、丹後半島や出雲、瀬戸内海、北陸、四国、関東、東北と征伐していきました。
0233名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:34:17.97ID:MrsIVdCg0
当然、当時はまだまだ集権と言うにはほど遠い状態で多くの地域の王と呼べるような豪族が残存していた

記紀を見れば九州に限らず大和朝廷はこういった勢力を様々な方法で打ち倒していくさまが描かれている
吉備や葛城、出雲、武蔵、いろいろな豪族に対する介入と解体が描かれている
九州の勢力が特別なのではなく、中央集権化を進める一環の物語の一つに過ぎない

むしろ歴史的には吉備や出雲の征伐の方がより重要な意味がありことさら九州だけを言うのがおかしい
0234◆HKZsYRUkck
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2018/01/07(日) 17:34:46.59ID:N8EhNbTO0
>>231の後半
古事記では、香椎で死んだことになってるよね。
住吉の神の信託を信じなかったら、琴を弾きながら死んでた。
0235名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:40:17.52ID:mpa3ctvR0
>>234
急死という伝承について昔の人間が神罰と解釈したということだね。
病死でも神罰になるし、暗殺でも神罰になる。
暗殺であっても容疑者は敵味方どちらにもいるだろう。
自分がそう思うということ以上の答えが出るほどの情報量はないよ。
0236名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:42:38.22ID:MrsIVdCg0
そもそも仲哀天皇は上古の天皇でもその存在のあやふやなことで有名

この伝説の更に暗殺という本文にないあやふやなものを持ち出して、更に遠征さえもしてない場所で暗殺されたとか

もう支離滅裂も良いところ
我田引水としか言いようがない
0237名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:43:24.30ID:rq7xq3b00
九州南部と遠賀川の石神、阿波、尾張の火神、葛城の勢力が畿内を征伐してできたのがヤマト政権です。
物部氏や天武天皇、蘇我氏などの祖先ですね。

ヤマト政権は、大阪、讃岐、播磨、岡山、丹後半島、滋賀、北陸、関東、東北と征伐していきました。タケミカヅチ、四道将軍やヤマトタケルです。
征伐された民は兵にされたり、殉葬されたり酷い目にあわされました。
0238名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:45:04.51ID:/vQsdsAM0
>>228
漠然とした質問だが現在の認識で、卑弥呼は勿論天皇ではない。
巫女王であり皇室、歴代天皇の有力な関係者としか言えないだろう。

勿論神武天皇とも直接的な関係はない。
ただ古事記、日本書紀記述では色々思わせ振りな点があるのは事実。
0239名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:47:40.39ID:rq7xq3b00
誤解している人が多いですが、全国を征伐し全国平定を行ったのは、
尾張の火神、奈良の葛城、宮崎や遠賀川の石神などの豊かになった縄文系の勢力と阿波です。
0240名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:51:48.28ID:rq7xq3b00
彼らは日本書紀を作りあたかも自分達が渡来人のイザナギの子孫であるかのように偽装し、
全国征伐の罪をイザナギや倭人に押しつけました。

四道将軍、ヤマトタケル、タケミカヅチ等、全国征伐を行ったのは、尾張の火神、葛城、阿波、九州南部や遠賀川の石神達です。
隼人、九州南部の海人も彼らの被害者です。
0241名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 17:58:52.82ID:h5SDi5p40
同一人物でなくて、何人かの豪族の伝説を集めたものじゃないの?
0242名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:03:53.93ID:MrsIVdCg0
と言うか畿内 説は記紀に書いてることを何でも当てはめてるわけじゃない

箸墓だって崇神天皇と言う人もいれば台与と言う人もいる
卑弥呼も敢えて言うなら有力と言うだけで別にヤマトトトヒモモソヒメであるというわけでもない

倭人伝に記載される北部九州をはじめとして当時の日本のほぼ全土を影響下に入れている双方向の中心地が纏向にあると言うこと
こんな場所は他のどこにもない
ここを除いたら倭人伝の記述なんてどこに持って来ても成り立たない
仮に九州に纏向の10倍の遺跡が見つかろうが最早関係ない
0243名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:04:32.97ID:/zECBAmo0
■ケーブルで、繰り返し映画「日本誕生」ww

日本会議の爺たち、ガン張ってるな!ww
0244名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:08:57.39ID:PqSmWZd60
>>229
>持ち出す副葬品も周囲に何らかの影響を広めるような影響を持つものではなく、
>土地柄手に入りやすいものに過ぎない
>派手な副葬品などではなく、他地域にまで独自のルールを採用させる実力が
>問題となるがそういう物はない

紀元前から伊都国で副葬されていた三種の神器のことですね。
三種の神器を権力者のシンボルとするルールに畿内も従いましたよね。
0245名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:10:46.17ID:lJ29NYR50
>>238
なるほど
それでは卑弥呼の邪馬台国の時代には天皇に相当する人物が他にいたということ?
親魏倭王の金印をもらい倭国王と認められた卑弥呼より上の地位の人物?
0246名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:12:27.72ID:rq7xq3b00
倭人の男達は海で漁を生業としていました。
2世紀中頃の南海トラフ地震の津波で多くの男性が死にます。

内陸に住んでいた焼畑や石器作りを生業としていた勢力が、隼人や倭人の、女子供ばかり残された集落を襲い始めました。倭国大乱の幕開けです。
0247名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:12:38.18ID:4Kn1NMY/0
日本書紀の通りだろ。
日向から東征して熊野から飛鳥に入って勢力を維持。
大和を統一したのは数代後の子孫だろう。
0249名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:15:25.95ID:rq7xq3b00
丹後半島に進出した尾張の火神は、その地の王を追い出し民を支配下に置きます。
更に島根のオオナムチと手を組み、神庭にいた王を追い出し、島根の多くの勢力を征伐して統一します。
0250名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:19:38.93ID:rq7xq3b00
尾張の火神や葛城、阿波、九州南部の石神、遠賀川の石神達が作ったのが纒向遺跡。
ヤマト政権の始まりです。
彼らの王が卑弥呼です。

彼らは生贄の習慣を持っていました。卑弥呼が亡くなった時100人も殉葬されました。

生贄の習慣は尾張などでは平安時代まで続き、時の朝廷に禁止されることになります。
0251名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:22:54.90ID:OXAWftWp0
>>228
古事記にも日本書紀にもその時代に女性天皇の存在がないから天皇じゃないだろ?
もしそうなら推古天皇みたいに系譜に記載されるだろ。
0252名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:23:21.59ID:PqSmWZd60
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku277.htm
> 纏向遺跡のホケノ山古墳の年代は、庄内式土器の中葉とされていたので、ホケノ山古墳や纏向遺跡の年代は300年以降であり、
> 卑弥呼の時代とは結びつかないとされていた。
> しかし、2001年に橿原考古学研究所から刊行された『ホケノ山古墳調査概報』で、ホケノ山古墳の中心の埋葬施設から出土した
> 小枝と南西添え柱材についてAMS法による炭素14代測定を行った結果、これらは西暦50年〜150年ごろのものと報告された。
>
> 『調査概報』の年代を見た近畿説の考古学者は、ホケノ山古墳の年代をさまざまな理屈を付けて古く持っていき、
> これが卑弥呼の年代と重なると述べるようになった。
>
> しかし、今回の2008年の研究報告書では、ホケノ山古墳についてかなり新しい年代が報告された。
> 今回の報告書は、樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
> これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。
>
> 小枝からとった試料No.1の2σ暦年代範囲は250〜400calAD(95.4%)、 試料No.2の2σ暦年代範囲は320〜420calAD(81.5%)と
> 250〜300AD(13.9%)である。
(中略)
> この結果は、ホケノ山古墳の年代が卑弥呼の時代の3世紀中頃よりも、かなり新しく4世紀後半であることを示している。
> 『調査概報』のデータを見て、ホケノ山古墳の年代を卑弥呼の時代まで遡らせる主張をしてきた考古学者たちは、はしごを外された恰好になった。
0253名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:24:05.37ID:/vQsdsAM0
>>248
巻向の東側は割りと開けた場所だけどな、三輪山はずっと南になる。
西側は勿論日没までたっぷり陽を浴びるし。
0254名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:25:05.53ID:b84CvUmh0
卑弥呼やトヨは斎宮の原点かもわからんね
崇神の頃はかなり女性皇族が活躍しているが、それだけ巫女の祭祀が重要視されていたと推測される
0255名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:25:50.49ID:PqSmWZd60
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku270.htm
> ホケノ山古墳から出土した画文帯神獣鏡と文様がほとんど同じ同デザインの鏡が4面見つかっている。
>
> 出土地               直径          時代          備考
> ホケノ山古墳           φ19.1
> 石川県狐山古墳      φ19.41〜19.56     5世紀後半       ホケノ山の鏡と直径や銘文が近く、ホケノ山の鏡と親子鏡、兄弟鏡か?
> 愛知県大須二子山古墳  φ19.43〜19.53     6世紀中葉
> 出土地不明         φ18.0〜18.5
> 中国江蘇省(くい)県       φ16.5       眼眼眼胎紆       (くい)県は呉鏡の分布する中国南方地域。
>
>
> ホケノ山の画文帯神獣鏡は、直径も銘文も愛知県大須二子山や石川県狐山から出土した古墳時代のものに近い。
>
> 五世紀後半の築造と言われている熊本県の江田船山古墳出土の画文帯神獣鏡もホケノ山古墳のものと文様が近い。
>
> ホケノ山古墳は庄内期と言われているが、このような鏡の分析からは、ホケノ山の鏡は、むしろ5〜6世紀の
> 古墳時代出土の鏡に近く、ホケノ山古墳はそれほど古くないと考えられる。
0256名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:26:53.70ID:/vQsdsAM0
また邪馬台国の会の宣伝ですか?
本当に九州説の連中は懲りないねw
0257名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:31:57.60ID:rq7xq3b00
渡来人が全国征伐を行ったと誤解している人が多いが、逆です。

倭国大乱を引き起こし、ヤマト政権を作り、四道将軍などで全国征伐を行ったのは、尾張の火神、葛城、阿波、宮崎や遠賀川の石神達です。
縄文系の人々が、畿内や各地の渡来人や縄文系の人々を征伐していきました。
0258名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:33:00.21ID:PqSmWZd60
むかしむかし、奈良に都が造られる、およそ240年ほど前に筑紫(つくし)に都が造られた。
これを倭国筑紫王朝の太宰都督府という。その王を中国では「倭の武王」と言った。
『宋書』倭国伝によれば、「倭の武王」は、478年に中国宋朝皇帝に
「竊(ひそか)に自ら開府儀同三司を仮し」とする上表文を送っている。
「三司」とは中国古代の官名で「三公」のことであり、太宰(だざい)・太傅(だいぶ)・太保(だいほ)をいう。倭王「武」は中国皇帝に対し、
「中国に倣って自ら都を開き、三公も設置した」と述べている。
0259名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:34:10.38ID:rq7xq3b00
九州対畿内などない。

大阪の勢力と博多湾の勢力は親戚でした。
彼らもまた尾張の火神、九州の石神、阿波などに征伐されたんですね。
0260名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:38:34.88ID:lJ29NYR50
>>251
では卑弥呼はヤマト政権の中ではどういう位置付けになる?
それとも邪馬台国とヤマト政権は別?
別なら古事記や日本書紀にないのも頷けるが、そうすると時系列がぐちゃぐちゃにになる
0261名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:43:49.08ID:b84CvUmh0
>>260
だから斎宮みたいなもんでしょ
0262名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:45:39.52ID:MrsIVdCg0
鏡についてだが

・記紀に登場する鏡の移動は「降伏」「権利の委譲」「格上の存在への献上」である
・倭人伝にある通り鏡は外交の主体としての証でありその移動は権利の移動を意味している
・紀年を示した鏡が見つかっており国産舶来の議論はともかくとして、畿内の政権がその外交の詳細を正にその当時に把握し自らの成果として示している
・邪馬台国を契機として畿内の鏡の出土量が急増し、この時期に独占的に鏡を入手していた九州は畿内にルートを明け渡している
・畿内の鏡の配布は三角縁神獣鏡を伴うことが大半でこの文化を一切持たない九州と質を異にしている
・小型?製鏡も畿内で生産され別系統の物として存在している
・古墳祭祀は畿内と吉備が中心となり多くの地域の祭祀を取り入れたもので、鏡の副葬も九州を畿内が主体として取り込んだことを意味する

この事から「畿内に鏡が見つかる」と言うのは九州が鏡の独占権を失い政治的外交的権利を喪失し、畿内が独自の方法で自らの秩序の下で配布を始めたことを意味している
0263名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:46:42.62ID:lJ29NYR50
>>261
魏志倭人伝に女王とか親魏倭王と書かれているのは嘘っぱち?
0264名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:52:15.64ID:b84CvUmh0
>>263
斎王だから王で間違ってはいない
男王ではまとまらなかったという話だから、当時は巫女の霊力が重要視されたんだろう
0265名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:52:38.60ID:rq7xq3b00
2世紀中頃、尾張の火神、阿波、葛城、宮崎や遠賀川の石神達が始めた全国征伐。
この争いは600年続きます。
尾張の火神、阿波などvs彼らにやられた勢力です。

ヤマト政権内で権力闘争が繰り返され、8世紀後半には後継者がいないという可笑しな状況に陥ります。
そして仕方なく敵対勢力から桓武天皇を迎えることになりました。
桓武天皇は、倭国大乱前の渡来人も縄文系の人々も仲良く暮らしていた時代の王、イザナギの血を引く方でした。

以降両勢力は和睦して、今の日本があります。
0266名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:55:14.82ID:MrsIVdCg0
九州説が自らの主張の根拠とする

「九州には三角縁神獣鏡など元々なくこれは畿内の鏡だ」

と言うことがまさに示す通り、これは畿内政権独自のスタイル
この配布を伴う畿内政権の鏡と九州の鏡は根本的な部分を異にしているのが分かる

畿内は九州の鏡の主体としての立場を奪い取り、独自の方法でそれを配布してることが明確となる
この事から鏡の移動は東遷や東征などの証ではなく、九州の権利の喪失と畿内の新しい秩序の成立を意味するものと分かる

この事は景行天皇の段に登場する北部九州勢力の鏡を伴う降伏の姿とも合致する
0267名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 18:55:55.09ID:PqSmWZd60
>>259
大阪は好きだよ。
博多の街は太閤さんに格別の厚遇をいただいた。
「なおす=片付ける」というような独特の方言の共通性もみられることから、
きっとずっと昔からの商人同士の行き交いがあったのだろう。
畿内の歴史・文化もリスペクトしている。
でも邪馬壹国は北部九州だw
0268名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 18:59:50.43ID:rq7xq3b00
邪馬台国九州説を唱えている学者はいません。

九州vs畿内の対立を煽りたい輩がいるだけです。

ヤマト政権は尾張の火神、奈良の葛城、四国の阿波、宮崎や遠賀川の石神など権力欲の強い勢力が手を組んで始まります。
偶々、最初の都が奈良になっただけです。
0269名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:03:07.23ID:KDn02sSE0
出雲にずば抜けた天才的な政治家や名将が現れて北陸から九州北東部までの広大な勢力圏を築き上げたという説はそれなりに説得力があるんだよな
0271名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:05:14.85ID:KDn02sSE0
通説では纒向遺跡に埋葬されてるのが女なんだろ?
出雲の英雄はことごとく男だからあんまり関係なさそうなんだが
0272名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:08:47.76ID:MrsIVdCg0
周知のとおり九州からは鏡を副葬し始めてから400年以上の間、三角縁神獣鏡を配布するような時代はなかった
そして大型墳墓、埴輪のような土器祭祀も九州には存在せずこの時代になって九州に突如としてなだれ込んでくるものである

邪馬台国の時代に大成したこの新しい祭祀こそが、九州と畿内の政権の根本的な部分での繋がりのなさを示す証拠となっているのが分かる
0273名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 19:08:53.93ID:KDn02sSE0
崇神天皇が征服したのは北陸、東海、中国地方で九州を征服したという話はないんだよな
0274名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 19:09:56.75ID:rq7xq3b00
島根は元々色々な勢力が共存していた地。
その王が神庭のサルタヒコ。暦を独占することで島根は1世紀まで栄えた。

尾張から丹後半島に進出した縄文系の火神が、島根の一豪族だったオオナムチと手を組み、武力で島根を統一。
出雲の王サルタヒコは、大阪に逃れてくる。
優しい大阪の鳥達がサルタヒコを保護したんだね。
0275名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:13:45.76ID:rq7xq3b00
大阪の地は優しくて各地から逃れてきた人々が住み着くんだ。
丹後半島のヤマタノオロチ(本来のスサノオ)、出雲のサルタヒコも逃げてきたんだね。

倭国大乱で彼らを殺したのが、阿波!尾張の火神こと国常立神!九州からきた石神!。
0276名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 19:27:27.62ID:G9IA3lv+0
鹿の絵が多いのは旧約聖書の創世記のイサク伝承によるものでしょう
長野県の諏訪大社はモリヤ山(守屋山)と呼ばれる山のふもとにあります
御頭祭は、毎年四月一五日に行なわれます
この祭が旧約聖書に記されたイサク奉献の伝承に驚くほどよく似ています
旧約聖書では、解放された少年イサクの代わりに羊が生贄にされるのですが
日本にはもともと羊がいなかったので
御頭祭では羊の代わりに鹿が用いられています
昔は本物の生きた鹿がその場で殺されたのです
動物の生贄の風習のなかった日本においては、この諏訪の鹿の生贄の風習はたいへん奇異に見られていました
彼等は旧約聖書を伝えた古代ユダヤ人の末裔なのでしょう
0277名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:31:26.12ID:rq7xq3b00
鹿。

若草山の山頂の古墳誰の墓なんだろう。
0278名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:39:06.05ID:lJ29NYR50
邪馬台国畿内説の人に卑弥呼と天皇の関係を聞くと最初は適当に自分の思い込みを答える
でもおかしな点を突っ込むとダンマリか、あるいはブチ切れて根拠のない妄想を強弁する
いつもこのパターンでまともに答えられた人は一人もいない
0279名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:39:45.34ID:h5bBYfgn0
>>277
東大寺山古墳は和邇氏の古墳で、周囲の古墳群も和邇氏といわれてはいる
0280名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:47:14.21ID:rq7xq3b00
若草山山頂の古墳、鶯塚古墳。

仁徳天皇の時代かな。
仁徳天皇、鹿の話が多いからな。

タケミカヅチの子孫の墓とかかもしれない、想像は広がるな。
0281名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:48:38.44ID:ILwq/GJJ0
出雲で戦った天皇の記録なら孝霊天皇しかいないからな。
具体的に海を渡ってきた月支国の船団とされている。
しかも弥生後期の大集落、妻木晩田遺跡の名前の由来が
孝霊天皇が妻をここで娶る事からなんだよ。

弥生後期で戦闘跡のある激戦区で神武の伝承はなく、孝霊や
吉備津彦の伝承が残るのは神武伝承が幾つかの話の
合作なのは間違いないだろう。
0282名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 19:59:16.93ID:rq7xq3b00
魏志倭人伝

官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。

伊支馬は生駒。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。

孝霊天皇の時代かな。
0283名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:04:56.21ID:ILwq/GJJ0
生駒は矢田丘陵、山背な。
ミマカキなら矢田丘陵南にある馬見丘陵地わ現在上牧の辺りの豪族。
この辺りは孝霊天皇の基盤とよべる場所だからな。
ミマキイリヒコの意味もこれで判る。
0284名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:06:36.62ID:rq7xq3b00
竹取物語は面白い。

色好みの五人衆。それぞれの先祖の罪にあった難題が出されるのが面白い。


鶯姫も興味深い。鳥達のステルス攻撃は凄いな。
0287名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:10:47.17ID:PqSmWZd60
福岡も大阪も兵庫も仲良くせないかんよ。
奈良は畿内説を捨てたら仲良くしてやるw

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20140717-OYTAT50000.html
博多に商都の繁栄太閤さん人気今も/

オフィスビルが立ち並ぶJR博多駅前(福岡市博多区)。
メインストリート「大博たいはく通り」(約1・8キロ)は博多湾まで延び、
海外貿易で発展してきた姿を伝える。街は碁盤の目状に整然と区画されている。
線引きをしたのは豊臣秀吉だ。
「商都」をテーマに案内をお願いした地元の観光ボランティア・浜口周也さん(69)が、ある句を教えてくれた。

博多町 幾千代までや つのるらん

薩摩(鹿児島県)の島津義久を攻め、九州を平定した秀吉が1587年、
帰路の筥崎宮はこざきぐう(福岡市東区)に滞在した際、
地元の豪商らと催した連歌会で詠んだ句。
「博多の街が永遠に繁栄を続けるように」との意味だ。
兵庫県出身で大学時代を大阪で過ごした浜口さんは「街の基礎は太閤さんが整備したと言うと、
大阪の人はうれしそうに反応してくれる」と話す。
化粧品メーカーの営業担当として全国を飛び回ったが、
約30年前に福岡市に赴任した際、開放的な土地柄を気に入り、
市内にマイホームを購入。2001年に転職し、腰を落ち着けた。
退職後の07年、ご当地検定で1級を取得し、観光ボランティアを務めるようになった。
浜口さんは「博多も大阪も人情味あふれる街だ。
この二つの商都をつくった太閤さんの偉大さを観光客にも伝えていきたい」と言う。

平清盛が日本初の人工港「袖の湊」を造ったとされ、中国などとの貿易で繁栄した博多。
それゆえ、戦国時代には大名が争奪戦を繰り広げ、度重なる戦火は街を荒廃させた。
島津を攻略した秀吉は1587年、部下の黒田官兵衛に「太閤町割」と呼ばれる区割り作業を命じ、
街の復興に着手する。
現在の大博通りを軸に、幹線道路を東西に3本、南北に4本走らせ、各区画を整備。
商人に自由に営業させる「楽市楽座令」も施した。
武士が住むことも禁じ、商人を手厚く保護した。
福岡県文化財保護指導委員の牛嶋英俊さん(68)は
「秀吉は長浜や大坂でも同じ手法で街をつくった。ノウハウを博多にも活用し、
目指したのは九州最大の商都だった」と話す。
0288名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:15:54.80ID:ILwq/GJJ0
ちなみにミマキイリヒコという名前だが、これはマキ地方にいる製鉄術、もしくは
丹を持つ男という意味だね。
因みに聖徳太子の時代に不自然に存在が消えるヒコヒト皇子もこの辺り
に基盤がある。水銀の山を持っていたとされる。
0290名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:18:31.68ID:h5bBYfgn0
>>283
ミマキイリヒコはミマナを支配下に入れた天皇との意味
ミマナの国名は日本に納める税として魚が指定されていたから
真菜=主たる副食
菜=副食
0291名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:22:46.80ID:ILwq/GJJ0
>>290
それは違うね、マキとマナは混同されないだろう。
それなら当然ミマナイリヒコとなる。
0292名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:24:15.84ID:rq7xq3b00
纒向、卑弥呼は生贄祭祀のある部族だな。

尾張の火神だろう。平安時代まで生贄祭祀を続けていた勢力だからな。

飛騨の口碑の話、眉唾と思っていたが、かなり事実を反映しているかもね。
0293名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:37:06.33ID:kNbh11xM0
>>23
>神武は間違いなく韓国人・・・

なら、日本が韓国併合したのは問題ないじゃん!www

それに韓国なんて国はいつ出来たんだよ?www
0294名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:54:22.81ID:b84CvUmh0
そもそも、征韓論や日韓併合は記紀から日本と朝鮮が元々同祖だという思想から出てきた話なんだよな
0295名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 20:58:45.25ID:73zUG/hqO
古代のタイムラグは100年200年を軽く誤差扱いしちゃうじゃん
炭素ナンチャラでさ
あれ危ういと思うんだよねぇ

例えばさ
源頼朝と足利尊氏はさ事跡が似てる
関東を足がかりに畿内に入って旗を上げて最後は兄弟で争い兄が勝つと

これの時代的な誤差が200年しかない
こんだけ似たような内容だと同一人物に習合されかねない

古代でも似たようなことが別人で起きてないとは言えない
0296名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:14:16.32ID:oj3zwXga0
例えば仏、ホトケなんて呼び方だが
冷静に考えてホト、フツの化身だからな。
0297名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:22:07.46ID:PqSmWZd60
>>289
奈良県民って鹿や大仏のように穏やかな連中と
聞いていたけど、歴史問題になると牙を剥くんだなw
0298名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:25:31.65ID:UvelkGxg0
HLA A %
******24*****2****26***11****31
三重 37.0**23.5***9.9**9.0***7.6
奈良 38.8**24.5***9.7**8.8***8.6
大阪 37.0**24.2**11.2**9.5***8.8
岡山 37.6**24.0**11.6**9.6***9.9
徳島 39.8**23.6**11.8**9.8**10.0
福岡 37.3**23.3**11.8**9.6***8.5
宮崎 38.3**22.6**11.4**9.9***9.8
沖縄 34.2**31.6**16.6**7.2***6.8
B
******61****52****51****62****54
三重 10.8**11.1***8.6***7.9***8.0
奈良 11.2**12.6***8.7***8.5***8.0
大阪 12.2**11.3***9.3***8.2***7.8
岡山 13.6**11.6**10.2***7.6***7.8
徳島 14.1***8.5**10.8***8.5**11.0
福岡 12.4**12.8***8.7***8.4***8.3
宮崎 13.9**11.9***8.6***8.4***8.8
沖縄 14.8***3.6***8.4**10.0***8.6
DR
******4*****15****9*****8*****14
三重 21.7**16.3**13.8**13.5***6.6
奈良 21.9**18.2**14.9**12.8***5.8
大阪 23.5**17.9**14.8**12.7***6.6
岡山 24.1**17.0**15.3**13.6***7.2
徳島 27.2**15.1**14.6**15.1***7.1
福岡 24.2**19.4**14.5**11.7***6.0
宮崎 26.7**18.4**17.2**13.5***5.7
沖縄 28.3**20.5**11.4**11.6**10.8
0299名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:46:13.12ID:VTx2WIVi0
>>294
満州や中国江南やベトナムなど日本人の故地とおぼしき所はあらかた勢力下に置いていたな
さすがにイスラエルなどには及ばなかったが
0300名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:58:19.38ID:80Q43PvH0
>>295
似ているが関東ではない三河


京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない


三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)          ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む
0301名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 21:59:58.66ID:80Q43PvH0
得に足利尊氏と徳川家康は、三河の点で丸被り


◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇

【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷

【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城

【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城

【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官

【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆

【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)

【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
0302名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 22:03:41.10ID:80Q43PvH0
三河の源頼朝も裏を探れば、三河の母方縁者でガッチリ固めている


三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)

【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)

■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系

■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系

■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)

■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)

■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹

■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田)
0303名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 22:38:46.84ID:mpa3ctvR0
>>245
調停役が首長連合の最上位とは限らないかもね。
魏人の政治風土だと神官(巫女)の調停役が王に見えただろうけど。
0304名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 22:48:14.35ID:+zpRC2DW0
>>248
万葉集は都のあった所を朝日の照り輝くと歌っている歌がある。
明日香も纒向もちょっとイメージが異なる。
朝日が何時のことかにもよるが
0305名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 22:48:56.50ID:+zpRC2DW0
万葉集には荒磯なども結構出てきて、非常に解釈に難儀する
0306名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 22:51:32.86ID:mpa3ctvR0
>>282
>伊支馬は生駒。火の神。         ←馬を「マ」と読んでいる。
>弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。  ←馬を「ミ」と読んでいる。
>弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。         ←馬を「ミ」と読んでいる。

どうしてこうなるか解説をしてくれる?
0307名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:04:59.43ID:RhwO8SQy0
>>303
魏では神官が皇帝よりも上だったのですか?
0308名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:12:18.84ID:lqWO+W9W0
「馬」バ(漢音)、メ(呉音)、マ(唐音)同書中ではいずれか統一すべきでしょうな
0309名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:12:37.87ID:wwK5bDMT0
>>295
そうなんだよね。
悩ましいね w
0310名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 23:20:19.36ID:AtSPwUBi0
「目」訓読み「マ」(まなこ)
「米」音読み「マ(イ)」
馬は「マ」だな
0312名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:22:15.89ID:mpa3ctvR0
>>307
いや、そういう意味ではないよ。
向こうは皇帝が天を祀る。それが一番偉い人間がやることだから。
また、古典を紐解けば殷王も祭祀を取り仕切り、春秋の覇者は他の諸侯を集め会盟してる。
魏から見て一番偉く見える者を王として冊封した。だから卑弥呼を親魏倭王として記録もした。
0313名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 23:39:21.36ID:RhwO8SQy0
>>312
つまり魏の役人が巫女を女王だと勘違いをしてしまったということですね?
男王や台与も勘違い?
魏の役人ってボンクラだったんですね
0314名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 23:39:42.65ID:wwK5bDMT0
>>288
普通に漢字の当て字、御間城で納得できますよ。
マキ・ムクになると真城で、向はどういう意味があったか?
景行帝の皇居が、巻向なんですよね。
また半島最南部の地名でキはシラギなど国なりエリアの意味がありますね。
もっとも今の彼らはシンラと読んで、シラギじゃないといってますが w
0316名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:43:20.96ID:OlJ/DqPx0
百済大井宮が本当に百済にあったりして
0317名無しさん@1周年
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2018/01/07(日) 23:44:47.86ID:mpa3ctvR0
弥馬獲支(ミマカキ)は崇神天皇の和風諡号である御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
の「ミマキ」と符号するという内藤湖南などによる説がある。
「ミマカキ」と「ミマキ」で「カ」はどこに行ったと思っていた。
御間城の「城」を「キ」と読むのは借用語の可能性があることから、「カキ」が「垣」なら意味が同じになることに気が付いた。
0318名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:48:54.18ID:2FV/wTuI0
邪馬台国は北九州だろ。ただし、邪馬台国より遥かに大きな国が近畿にあったけど。
0319名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/07(日) 23:51:26.27ID:mpa3ctvR0
>>313
自分の文化圏の物差しで誤解をするのは古今東西存在することだよ。
丁度モデルケースとなるものとして、こういうものがある。

ポウハタン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3
ポウハタン酋長
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3%E9%85%8B%E9%95%B7

ポウハタンと違って弥生時代の西日本には階級は存在しているが、連合体の中身を考える上では参考になる。
0320名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:04:26.55ID:iIURUZMq0
>>314
個人的にはマキムクならマキの向かいの意味でいいと思うけどな。
上牧のある馬見丘陵地と向かいあう場所の意味。
巻向の西側には牧野古墳(バクヤだが元々マキノ)もある。
0322名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:26:10.16ID:qTQUSn3M0
『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」「日向=宮崎」説を覆す
「日向=北九州」説
 神武東征伝承が疑問とみられる理由として、まず出発地「日向」にある。
 葦原中国の大己貴神に国譲りをさせて天孫が降臨した地が、僻遠の南九州の「日向」、
宮崎県とされる。その後の天皇家とまるで縁のない地で三代(日向三代)を過ごしてから、
大和入りを図るという筋書が荒唐無稽で、これにより神武東征の史実性は根底から崩れているとされる。
「日向」とは、もともと南九州全域を指し、後に薩摩・大隅の文理で日向一国となるが、
異民族的な色彩の隼人が住む未開地であった。
これが皇室の現実の発祥の地でありえたかは疑問が大きい。
 記紀の編者が「日向」を日神の子孫と称する皇室の先祖が住む土地にふさわしいとみて、天孫降臨させた結果、日向と大和を結びつける必要性のために、「神武東征」は日神思想による観念から生まれたもので、歴史的事実ではない」とみられることになってしまったのだ。
 この「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。
実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。
旧地名でいえば筑前の早良郡・怡土(いと)郡の地域であり、
現在の地名では福岡市の西区あたりから糸島市にかけての地となる。
ここが、福岡平野の那珂川流域にあった海神族の国「葦原中国=奴国」
を屈服させて天孫降臨があった地域だとされる。
『書紀』には「筑紫の日向」と表現され、『古事記』でも「竺紫の日向の高千穂」、
「この地は韓国(からくに)に向ひ、……、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」と書かれてあり、
こうした地理的状況に筑前海岸部は合致する。
西区と糸島市との境界あたりには日向峠・日向山や槵触(くしふる)山の地名も残る。
0323名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:40:21.75ID:qTQUSn3M0
>>321
ああ和歌山なら気性が荒いのも納得です
0324名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:46:34.70ID:p1ewo6In0
日本ではヒメヒコ制度といって、弥生時代後期から古墳時代前期にかけては
男女別集団の共立的統治形態をとっていたところが日本各地であった
農耕的女子集団の長を主にヒメ、軍事的男子集団の長を主にヒコと
いったことからヒメヒコ制と名づけられた
魏志倭人伝によると卑弥呼を共立したとあるので、邪馬台国のカリスマ的な
ヒメが連立王国の女王になったのかもね
0325名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:52:08.13ID:q+VE9Oh+0
そんな古い事によく興味わくね?
0326名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:58:32.90ID:f+dLVsLh0
>>324
・やまと国 邪馬台国、古代大和朝廷とは

○ 代々男王 → 「共立」卑弥呼 → 男王 →「復立」卑弥呼宗女である トヨ 
(→男王 『梁書』倭国伝と『北史』倭国伝)
復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王。竝受中國爵命。
その後男王 並んで中国の爵命を受ける。「竝」は「並ぶ」

男王女王「共立」の国。
共立を繰り返す =「復立」 。
すなわちヒメヒコ制の実在。
天皇と斎王が「共立」「復立」を繰り返してきた歴史

ももそ姫 崇神
豊鋤入姫   (とよすきいりひめ)崇神・垂仁
倭姫     (やまとひめ)  垂仁・景行
五百野   (いおの) 景行
伊和志真  (いわしま) 仲哀
稚足姫   (わかたらしひめ) 雄略
荳角     (ささげ) 継体
磐隈     (いわくま) 欽明
莵道     (うじ) 敏達
酢香手姫  (すかてひめ) 用明〜推古

共立の一代目が卑弥呼/モモソ 伊勢神宮の初代斎王 
鏡と天照を託された初代斎王はももそひめ
二代目トヨ 三代目ヤマト姫 三代とも皇族皇女で且つ巫女。

モモソヒメの鏡はトヨが継ぎヤマト姫がさらに継ぎ、鏡を持って伊勢神宮を建立。
伊勢神宮モモソトヨヤマト姫、四つとも鏡と天照大神が託されている。
0327名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 00:59:53.43ID:iHPRO6Cc0
>>322
宮崎ではなく阿多と考えればその後隼人族を近習として使ってた意味がわかる
北九州よりずっと天皇家との関係は密だぞ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0328名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:03:09.67ID:o64PkjhG0
はいはい
古代史議論でなく現代政治の闘争の一環だからな
アホらしくて付き合ってられない
0329名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:05:05.02ID:f+dLVsLh0
>>313
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。ヤマト、奈良盆地、大和朝廷で確定。
邪馬壹  邪馬臺  祁馬臺  邪靡堆
邪摩堆  邪馬臺  邪馬台
邪馬臺 = 邪靡椎 『隋書』倭国伝 「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
倭迹迹日百襲姫命= 卑弥呼 = 夜麻登登母母曾毘売命 夜麻登 ヤマト 
日の巫女と国を治める男弟の関係の適合者は、ももそ姫ー崇神天皇
-------
夜麻苔  日本書紀  邪馬台
夜麻登 = 夜摩苔  万葉集表記  「苔」の読みは「タイ」ではなく「ト」
  やまとは くにのまほろば   
夜麻登波 久爾能麻本呂婆  =  夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩
----
壹與   倭人伝表記  臺與   梁書、北史表記
台与 トヨ 卑弥呼の後継者  豊鍬入姫命(天照とももそ姫の鏡を託された巫女)トヨ その後の伊勢神宮 初代斎王(現今上陛下の姉)
-----
壹  臺 臺  堆 堆  臺 台  ------- 苔   台  ----壹  臺  台
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。奈良盆地の大和朝廷で確定。 ちょうど二千年一系。
殷王朝の祭司王の形式と周王朝の徳治の
文化を継承する易姓革命のない、古き良き中華文明の正統継承国。〈倭者、自云太伯之後〉
0330名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:11:46.68ID:f+dLVsLh0
>>310
竹田と渡部昇一両者倭人伝をでたらめと明言している
中国語自慢の竹田
漢文漢詩漢籍自慢の渡部 
両者の著しい学力の欠如
渡部は白川静との対談書があるが
まともに相手にされなかったのもせんかたなし

倭人伝崇神朝の話なのに遠い遠い親戚竹田に否定されるむなしさよ
官のトップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇 「伊久米入日子伊佐知命」いくめ
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后 「氷羽州比賣命」
三席は 弥馬獲支
(みまかき)  なら  「御間城姫」 崇神天皇の皇后
(みばかし) なら  「美波迦斯毘賣命」 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃 

四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃 「沼羽田入毘賣命」

いずれにせよ崇神、垂仁、景行天皇の範囲に収まる。
倭人伝は皇室の話。
畿内説ではなく大和説。
0331名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:12:16.16ID:S3EbzlTH0
>>329
魏志倭人伝の邪馬台国から読みを拝借しただけだろうけど

大和朝廷?の正史である古事記日本書紀に

何故?邪馬台国の記述が一切記録されてないのか?

その浅学な知識で頼むw
0332名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:13:12.89ID:WB+5lX8C0
日本と中国の古文書で違いがあったら全て仮説とか憶測ってレベルだろ
0333名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:23:13.89ID:f+dLVsLh0
>>331
○ 日の巫女のキャラクター。

a モモソ姫は崇神のおば 神がかり系 旦那とは霊を下ろして会話をするエアー結婚
b トヨ 豊鍬入姫命は崇神の娘 豊鍬入姫命 もももそひめを継いで「祀り」を担当。
  崇神は次期天皇をイクメ伊支馬垂仁かトヨ兄かどちらにするか悩んだとある。トヨ兄は天皇候補。
c ヤマト姫は垂仁の娘 崇神の孫

三人三代共に d 皇女であり 「卑弥呼宗女」適合 
       e 天照と鏡を祀り託される神託 「鬼道」適合
            「鬼」とは死者の魂のこと。
       f 伊勢神宮の斎王である。「王」適合
       g 天皇と斎王が共立してきた歴史 「共立」「復立」適合

伊勢神宮は天照と豊トヨを祀る場所。
 豊鋤比賣命、拜祭伊勢大神之宮也。

伊勢神宮モモソトヨヤマト姫、四つとも鏡と天照大神が託され祀られている。

ひみこの言葉の性格から日女子 日の巫女どちらでも意味が適合する。

伊勢神宮の天照大神の神名は「日孁」「日孁女」

○ 孁 = 巫   中国最古辞書「説文解字」

「日孁女」= 日巫女 ひ み こ 

倭人伝が崇神朝、垂仁朝の西暦200年前後であることは確実。
日本人のアイデンティティの決定的な核になる要素がつまっている。
0334名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:26:42.56ID:iIURUZMq0
古事記、日本書紀に大昔の倭人伝に即した邪馬台国や卑弥呼の記述を
入れると当然当時の交易関係が公にされてしまう、当時の新生日本は
それを避けたかっただけの話だろう。
外交上自国を強大に見せたいのは当たり前の話。
半島二国が今でもやっているのと同じだね。
0335名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:39:04.19ID:iIURUZMq0
倭人伝に描かれた邪馬台国とはヤマトの事で確定だろう。
七万戸は実数ではないが倭人の国では最大級の国なのは間違い無い。
そのエリアは河内瑚南側から奈良盆地桜井辺りまでのエリア。
邪馬台国とはあくまで女王を輩出した、最大戸数の国という
意味だからな。中でも都とされたのははっきりいうと
鍵唐古から馬見丘陵辺りにかけての地域。孝霊天皇や百襲姫が産まれた
とされる場所の事だろう。この辺り長らく都村という。

倭国が乱れたのは孝霊天皇の代の話。
0336名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:44:27.43ID:f+dLVsLh0
>>289
畿内説対それ以外
というか
倭人伝奈良盆地皇室説対それ以外ぐらいしかない
「畿内説」はもはや古く不明確
倭人伝皇室説が的確であり真理

>>254
その通り
神功とモモソの共通点は天皇越えの神がかり

>>251
伊勢神宮の斎王の系譜が綿々とある
天皇斎王 共立復立の国

『梁書』『北史』其後復立男王。竝受中國爵命。
その後男王 並んで中国の爵命を受ける。「竝」は「並ぶ」
0337名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:44:33.34ID:Ak6RdPOH0
崇神天皇の宮の名前は、日本書紀では磯城瑞籬宮で古事記では師木水垣宮。
どちらも「しきのみずかきのみや」と読む。
3世紀の纏向遺跡付近の復元図
http://asajihara.air-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/22/makimukuunnga2_2.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7f/3c44ac84c8020c809e532b92a368116e.png
このように扇状地で河川に囲まれていて、発掘中も掘れば水が沸いてくるそうな。
大型建物が出た時には崇神天皇の「みずかきのみや」を思い浮かべた研究者もいたと当時の新聞で読んだ。
「みずかきのみや」の別名は日本書紀では纏向珠城宮、纏向日代宮で、古事記では師木玉垣宮、纏向日代宮
であり、「たまかきのみや」と垣が意識されたものもある。
御間城の城が垣であり宮のことなら、(水の)間に囲まれ垣を廻らせた宮に住んだ首長という意味かもしれない。
五十瓊殖も漢字の意味だけを見ると多くの玉を増やしたとなり宮の別称とのつながりを感じる。
0338名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:45:52.12ID:S3EbzlTH0
>>334
詭弁使うにしてももう少し知恵を使わないと
追い詰められた頭の程度の低さを露呈してるだけだなw
0339名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:50:54.52ID:Ak6RdPOH0
>>319のポウハタン族については、合議制の調停者である酋長をイギリス人は皇帝と記録したとある。
イギリス側の記録だけ見れば、先住民には専制的な国があったように見える。しかし、実際は合議制
の連邦であった。
こういうことが魏書と記紀の間にも存在したのなら、記紀には卑弥呼という「女王」は存在しないだろう。
0340名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 01:55:40.10ID:iIURUZMq0
以前にも書いたがシキとは現在の東大阪の八尾市辺りから奈良盆地東の
桜井市辺りを指す。当時は河内瑚の時代だから
瀬戸内海と面していた国という事になる。
またその間にある明神山、ヒルメ山からは国々が見渡せていた
事になる。なのでアマテラスの名前がついている。
0342名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:10:27.18ID:qTQUSn3M0
>>329
それは江戸時代に畿内人の松下見林が
「邪馬壹国」では天皇が居た「ヤマト」と読めないから、
「ヤマト」と読める「邪馬臺国」を採用したからだろ。

「邪馬臺国」や「邪馬台国」と書いた古刊本三国志は一切存在しない。
0343名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:20:21.72ID:joNrBCet0
国譲りを受けて日向(鹿児島宮崎)に赴くって、高天原はやっぱり北部九州のどっかだったんだろうな
ただ日向はあくまでも皇統を受け継いでいる者の事跡を追っただけで、同時に別働隊が関門を越えて東進もしてるだろう
日向を平らげたあと別働隊を追っかけて神武が東征した、と
0344名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:23:48.53ID:Ak6RdPOH0
>>343
前スレで弥生時代には日向と瀬戸内のつながりがあることを示す論文があったよ。
0345名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:25:43.83ID:lrPSQBuL0
つまるところ、神武天皇は邪馬台国の何なんですかね?
結局何も進まないという
0346名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:26:52.42ID:f+dLVsLh0
>>238
出来の悪い研究者がなんでもかんでも創作だのでっち
上げだの存在しない宣言だのする害のほうが大きい

民俗学
神話研究
文化人類学
社会学
の展開に学べばこれらの宣言は幼稚に思える。

わからないならわからないと述べるほうが良心的。

>>210
初期前方後円墳からすれば吉備岡山大和の結びつきのほうが強いだろうね
0347名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:30:57.41ID:SOVmyeNW0
やってることはは都合の良いように組み合わせて「きっとこうに違いないニダホルホル」と変わらない

宮内庁管理の古墳を調査できないんだから
0348名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:31:32.08ID:7gWsFhs60
神武天皇は徐福説
三重に住んでるけどなんとなくそんな気がする
0349名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:34:54.51ID:JPhpzgkm0
徐福はともかく、大陸から逃げてきた人たちが弥生文化の発達に貢献したことは間違いないな
0350名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:38:39.66ID:pEhBpctC0
>>344
あれ「一時的な交流があったが定着せずに短期間で終わった」って内容だろう
0351名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:39:37.98ID:rR9xGhfj0
>>345
これは俺も知りたい
邪馬台国が畿内で神武も実在と頑なに主張してる人たちが結構いるみたいだから
この辺のところをどう考えているのか興味ある
0352名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:40:21.60ID:joNrBCet0
>>344
あ、だから、日向に行ったのかな
別働隊が中国地方をスムーズに進むために、瀬戸内とつながりのある日向を三代が抑えた
0353名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:43:00.12ID:pEhBpctC0
神武東征に関しては考古学的にこれを示す証拠は皆無だからな

まぁ正直なんでこんな話があるのかサッパリ理解できないから困る
0354名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:44:28.39ID:GJlzMGSf0
>>345
神武は邪馬台国とは関係ない 倭人伝では菊をシンボルとする一族(菊池彦)として登場してるのだと思う
もっとも当時の菊はヨメナのことなんだがな
0355名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:46:57.97ID:Ak6RdPOH0
>>350
弥生中期中葉から後期末までの400年間の交流が短期間なのかw
瀬戸内東部の影響だけでも300年くらいになるぞw
0356名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:50:18.48ID:Ak6RdPOH0
>>352
基本的に瀬戸内から日向への流れが大きい。
最初の頃は日向から伊予への動きもあったけどね。
2000年前くらいに南海トラフの地震による津波が太平洋沿岸で確認されているので、その影響による動きかもしれないが。
0357名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:52:24.00ID:R00pMrQ/0
タイムマシーンで行けば一発でわかるのにな
このスレの住人は、もう二度と戻れなくても、行った先でたとえ山賊に殺されても
喜んでマシーンに乗っていく奴ばかりだろうね、ほんと歴史のロマンだね
0358名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:55:22.97ID:lrPSQBuL0
>>354
神武天皇(に類する人)が狗奴国出身ってのも考えてみるものなんだろうけど
結局考えるだけだもんね
0359名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 02:58:18.42ID:iIURUZMq0
神武天皇は存在しないがモデルはいる、そうとしか言えないだろう。
東征話は複数の豪族の組み合わせ。ルートがあまりに不自然すぎるしね。
邪馬台国との関係と言われても、倭人伝に神武天皇を思わせる
人物が存在しない以上、無いとしか言えない。
0360名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:01:42.13ID:pEhBpctC0
>>355
中期の交流は四国の伊予周辺との交流だろ
で、肝心の後期になると東瀬戸内海の影響が少し見えるが搬入は小規模になる
そして最終的に在地土器に影響を残さずに消える
しかも一方的な形で九州側からの影響は限定的

これで神武東征がどうのとか言うのは無理があるんじゃないかね
0361名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:03:36.50ID:Ak6RdPOH0
ニニギは瀬戸内・大阪湾沿岸の高地性集落の出身かもしれんよw
高天原は高地性集落の記憶。
国産みの最初に地表がドロドロしていたのは津波被害。
津波前に住んでいた平野部を出雲系移住者から取り返したのが国譲り。ついでに出雲本国を勢力下にしてしまったりと。
出雲の出土物には瀬戸内の影響があるからね。
ニニギは被災地の開拓で派遣された集団のひとつで、九州の辺境が担当になった。
大阪湾方面はニギハヤヒが派遣された。
0362名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:03:39.98ID:joNrBCet0
>>356
瀬戸内と大分の交易は無かったのかな?地理的には近いんだけど
大分はすでに瀬戸内とは対立する北部九州の勢力の手中にあったのか
0363名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:05:35.36ID:pEhBpctC0
>>355
多分君は先日この論文出して神武東征の根拠だと言ってた人だよね?

瀬戸内海から日向方面に天孫降臨→逆輸入的に瀬戸内海方面に戻って神武東征だとか言う主張をしてた
一番盛んだった時期が元々九州との関係の深い四国西北部で、畿内に影響の深い地域との交流時期になったら関係が希薄化してるわけで
論としてかなり無理があると思うけど
0364名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:06:38.64ID:Ak6RdPOH0
>>360
>そして最終的に在地土器に影響を残さずに消える

折衷土器ができたり影響あるのだが。
それと、神武集団が存在したとしてもそれは瀬戸内集団なのだから外部に移っても日向系土器の
移動とはならんだろう。
0366名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:09:48.16ID:uVuiLBPv0
>>345
奈良の三輪山の山頂で
巫女(何代目かの卑弥呼)が霊的儀式を行っていたとか
出生は九州かどこかわからんが仕事場は畿内だったかも
そこは邪馬台(ヤマト)国で巫女が死んだ後、統治が混乱し
日向から天皇系の日向族が移動して国譲りを受けたと
0367名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:11:17.51ID:Ak6RdPOH0
825 名無しさん@1周年 sage 2018/01/05(金) 22:26:22.33 ID:FYZA4JGw0
>>802
更に追記するが、論文では3期に分けていて(1期は弥生中期中葉〜末葉、2期は後期初頭〜中葉、3期は後期後葉〜末葉としている)

1期 相互交流  南九州←瀬戸内系土器・石包丁←瀬戸内(伊予中心) 南九州→土器・住居→瀬戸内(伊予中心)
2期 相互交流? 南九州←瀬戸内系土器←瀬戸内(瀬戸内 東部中心) 南九州→?→瀬戸内(瀬戸内 東部中心)
3期 相互交流? 南九州←瀬戸内系土器←瀬戸内(瀬戸内 東部・西部) 南九州→?→瀬戸内(瀬戸内 東部・西部)

2期は瀬戸内からの搬入が減り折衷土器が増えるとある。搬入と折衷に東部瀬戸内の影響がみられる。
論文にはないが、時期的に西日本を襲った津波との関連も興味深いところだ。
0368名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:13:23.66ID:joNrBCet0
国譲りが本当にあったとしたら、戦闘のあとは少ないだろうとおもう
日本海側で大陸と交易ができ、周辺に絶大な影響を及ぼした大国出雲は
呉の劣勢をみて、親魏倭王の系譜に国を譲った、とか
0369名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:14:13.58ID:pEhBpctC0
>>364
もし仮に日向に一時滞在した集団の帰還がそうだと言うのなら、日向なりの影響の痕跡を畿内に見出さないといけない
そうじゃないと「この集団は日向から戻った勢力である」と言う根拠が何もない
単に一時的な交流をしてたと言う以上の情報をここから読み取ることは出来ない
神武東征に結びつけるのは相当な無茶だと思うがね

論と言うにはあまりにも希薄なものだろう
>>365
それは知らないな
どんなことを言ってたの?
0370名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:16:53.26ID:iIURUZMq0
>>358
俺は個人的には神武天皇は狗奴国のルーツにあたる人物だと思うけどね。
つまり狗奴国は熊本や四国西部にかけての国という説。 
狗奴国側の人物が台与以降に邪馬台国の主導権を握った、という説だな。
0371名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:17:03.42ID:Ak6RdPOH0
>>369
前スレは全部読んでいないのか。
大地震と大津波と高地性集落の関係性についてだよ。
0372名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:19:48.54ID:Ak6RdPOH0
日向なのに瀬戸内の東部の影響が強い(折衷土器ができるほどに)んだよね。
どうしてこんな動きがあったんだろうかね?
0373名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:24:38.43ID:kBsmGPMP0
全く速報性無し
0374名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:27:25.46ID:pEhBpctC0
>>372
その論文にも書いてるけどしっかりとした定着を見てないから短期間の滞在の交易目的だろう
東部の影響が増えると言っても四国と4対6くらいの割合だし
折衷土器もほどなく限定的な器種に減少して影響が薄れているし

四国と瀬戸内海、九州の地理的な関係を見ればむしろ交易してて当然だろうしね
特筆するほどの凄い理由はないと思う
0375名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:28:54.46ID:pYZiUWV10
倭の五王武の上表文に先祖は自ら甲冑をつけて戦い、東の55ヶ国、西の66ヶ国、朝鮮半島に渡って95ヶ国を平定したとある
倭王武とは雄略天皇のこと
5世紀の時点での認識は天皇家の先祖は奈良を拠点にしていたということ
先祖が九州から東征してきたという認識はなかった
0376名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:29:51.31ID:f+dLVsLh0
>>351
ずっと2600年と高千穂宮崎比定は怪しいと思ってる
2600年は上に書いた通り一節一年/倍歴解決。

高千穂はこのスレにもあったが相当怪しい。
東征は西征なのでは?とひそかに思ってる

宮崎については
弥生の昔からいつくかの貝殻を宝物として沖縄奄美あたりから仕入れているから
南方の玄関があってもおかしくはないね、ぐらい
0377名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:31:15.47ID:GwfK+NT+0
当時の王権って単に暴力で支配してねつ造で歴史を塗り替えたきただけだ
大した価値はないし、暴力王権の血を受け継いできた呪われた天皇家など
思いっきり蔑んでやって当然の存在よ
0378名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:32:02.44ID:Ak6RdPOH0
>>374
瀬戸内をひとまとめするのは大雑把だな。
論文でも地域を分けているのに。
0379名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:38:06.83ID:rR9xGhfj0
邪馬台国九州説と神武実在はあり得る
別王朝があっただけのことで簡単に説明できる
でも邪馬台国畿内説と神武実在の組み合わせは一番ありえないだろ
時系列でどっちが先かとか、倭人伝と記紀で建国の経緯が全く違うとか矛盾点だらけ
0380名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:40:04.71ID:Ak6RdPOH0
弥生中期末から後期初頭にあたる2000年前頃の大津波の後に東部瀬戸内地域の活動が拡大している。
こういうのも論文から引用した。

>またこの時期には、南部九州と入れ替わるように、中期に瀬戸内系土器がほとんどみられなかった北部九州に
>東部瀬戸内系土器が流入するようになる。この東部瀬戸内系土器流入の背景には、大陸系文物の入手を目的
>とした交流があると指摘されているが(西谷2005)
0381名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:40:53.99ID:GwfK+NT+0
過去の歴史の支配者層なんてのは暴力とねつ造だらけで真面目に取り扱うのが無駄よ
真面目に仏教やってた僧の方がはるかにまともだし
最高峰は司馬遷みたいな権力と一定の距離を置いた知識人こそが
本当の人類全体にとっての価値のある資産よ
0382名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:42:23.69ID:Ak6RdPOH0
>南部九州と入れ替わるように

北部九州へ向かう南部九州の活動が減衰したのは地震と津波の被害のせいかな?
0383名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:45:14.71ID:f+dLVsLh0
>>379
そうなるとwikipedia読んでもらう事から始めてもらわないと

倭人伝は崇神朝の話。

神武と崇神200年離れてる >>106参照
0384名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:48:07.30ID:pEhBpctC0
>>380
四国西北部は銅矛が多く分布する場所でそもそも北部九州とも関連が深い
別に南部に限定した関係じゃない
特に中期となると北部九州の勢力の最盛期だからね
瀬戸内海西部と盛んに交流してるのはむしろ当然の時期だろう

で、後期の半ばくらいの吉備・畿内が急成長する時期にこの地域の人々が南北九州に進出するわけだからこれも特に不思議ではない
でも南部への影響もそう長く続くものでない交易が主体の関係と判断できる
その関係も一方的な感が強く出戻って畿内で何らかの影響を残したという痕跡もない

別に君の発想を全否定してるわけではないけど、地理的に近い対岸の土地としての交易以上の情報を見出すのは難しいんじゃないかね
0386名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 03:52:37.30ID:Ak6RdPOH0
>地理的に近い対岸の土地

播磨から東は九州に近い対岸なんだw
言葉の誤魔化しが凄いなw
0387名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:56:54.41ID:4Ie1sJST0
宮崎は中国長江流域からの血が濃く
満州日本海沿海地域からの血が薄い
九州他地域と比して沖縄とはむしろ遠い
0388名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 03:58:16.21ID:avVY92jX0
古事記とかってのはすげーよな。
昔は八百万神の自然神しかいなかったところに
体制つくるために「おめーらが崇めてる神、元をたどるとぜーんぶウチんとこの出だからw」って言って
(日本限定の)人類みな兄弟的な話にしちゃってるんでしょ?だからけんかすんなよ。
0389名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:03:52.17ID:pEhBpctC0
>>385>>386
この論文は1〜3期に分けて解説してる

で、その一番交流が盛んだった時期が伊予を中心とした四国西北部
君が盛んに言ってる東部の影響が見えだすのは後期に入ってから
折衷土器も表れだすが依然として四国西北部との関係も多く瀬戸内海東部は目立つようになったという関係
それも後期後半に入ると影響も薄れている

瀬戸内海の通路上で接してるんだから地理的に近いと言って別に差し支えない
そもそも瀬戸内海の交易ルートは縄文からあるわけで何も特別な理由を考えるまでもなく交易路としてなりたっている
何も特殊なものではないと思うが
0390名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:08:31.65ID:Ak6RdPOH0
2世紀前半の日本列島では天変地異が起きていたという、総合地球環境学研究所中塚武教授の研究。
同じ時期にまた南海トラフ地震が発生している。
http://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-f830.html
> 約1900年前の紀元後127年の降水量は平年を3倍を上回っており、大洪水が発生したであろうとしている。

> 中塚教授の作成した降水量の折れ線グラフによると、127年からわずか5,6年後には逆に極度の渇水状態になっており、
>この前後10年ほどは気候の大変動があったと読み取れるという。

> 洪水、渇水のどちらも米作りにとって最悪の事態を引き起こしたであろう。そしてこのことによって『魏志倭人伝』に記され
>ている「桓・霊の間、倭人乱れ、歴年攻伐せり」という記事がクローズアップされてくる。

> すなわち後漢の桓帝(在位146年〜167年)と霊帝(在位167年〜180年)の治世西暦146年から180年の間に倭人国家群の
>間で規模の大きな争乱があったとしているわけだが、その原因の大きなものはこれらの気候大変動による大災害ではなかっ
>たか。

> また南海トラフ基因の大地震とそれに伴う大津波もその頃に発生している。おそらく南九州はそのどちらからも著しい痛手を
>受けたはずで、さらに加えて例年やって来る台風や桜島・霧島等の火山災害は南九州人をして「移住」を考えさせる以外の何物
>でもなかったろう。
0391名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:10:57.18ID:pEhBpctC0
なんて言うか他にもコピペで高千穂が嘘で薩摩こそが日向だ!とか言い続けてる人もいたけどさ

そこを神武伝説の地としても何の考古学的痕跡も資料的な記述も見いだせない
九州の東南部との交易かもしくは短期滞在の影響が見えたからと言ってこれもまた神武伝説を想定させるような痕跡を見いだせないのは同じ
それが見えるならそもそも神武伝説の痕跡なんてもっと明確な形で表れててしかるべきわけで

「文字や地名が似てる」
「交流があった」

という点をみて安易に結論に結び付けすぎる
こんな薄弱な根拠じゃとても論とは呼べない
0393名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:13:03.14ID:lQBtkBKP0
橿原と柏原の読み方で苦労したなあ
地元じゃないからよく間違えたw
0394名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 04:22:42.84ID:pEhBpctC0
>>392
君は神武東征の話をしたいんじゃないの?

弥生後期に気候変動で食糧難が起こり東アジア全体の政治不安を引きおこしたという説は知ってるが、
それとさっきから言ってる九州東南部との交流を絡めてどういう結論を見出してるのかね

もしかして飢餓に陥って九州に進出してた畿内の人間が畿内に戻って行ったのが東征だとか言いたいのかな?

それじゃどの道同じこと
九州から畿内に出戻りだろうが何だろうが影響を拡大してる様子は見られない
そもそもそれだから神武東征を証明できないと言う話なわけで

正直君の言ってることは何も示してないよ
0395名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:27:18.88ID:Ak6RdPOH0
2世紀前半の大地震の痕跡はこれ。卑弥呼の頃にも大きな地震があったようだ。

地震考古学から見た南海トラフの巨大地震
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol2.no7_205-207.pdf
> 徳島県を流れる吉野川下流の黒谷川宮ノ前遺跡(板野町)では,同じ砂層から少なくとも4回の液状化現象が発生し
>たことがわかった(第4図).図には新旧2層の水田があり,古い水田に削られる砂脈aは弥生時代V期中頃(1世紀末
>〜 2世紀前半)である.砂脈bの最上部で噴砂が古墳時代初頭(3世紀中頃)の水田面に広がり,水田が廃絶している.
>砂脈cは古墳時代,砂脈dは14世紀に生じた.隣接する黒谷川郡頭遺跡では,弥生時代V期中頃の液状化跡が見つかり,
>砂脈aに対応する.また,静岡県袋井市の鶴松遺跡でも同じ年代の砂脈が見つかっており,この時期に東海地域も
>激しく揺れたことがわかる.
> 堺市の下田遺跡では,黒谷川宮ノ前遺跡の砂脈bに対応する年代の砂脈が見つかっている.この年代は庄内式
>併行期といわれる古墳時代の始まりの時期で,女王卑弥呼が邪馬台国を統治した頃でもある.
0396名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:35:22.01ID:fGaSSqZ50
先日おいらのY- DNAか判明したよ。
ハプログループDだとよ。
天皇家はDらしいから、おいらと遠い血縁関係があるな。
0397名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 04:39:36.52ID:Ak6RdPOH0
崇神天皇の代では疫病が流行ったり災害が多かったりで祭祀の方法を変えたり八百万神を集めて
問うたら倭迹々日百襲姫に大物主が憑依したとか色々やってるね。
>>395の庄内式併行期の状況と合うね。
0398名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 04:39:57.31ID:pEhBpctC0
天変地異が神懸かりの巫女の存在をより際立たせて卑弥呼が登場したと言う話なら理解できる
九州に進出した畿内の人間が飢餓で出戻ったのが東征だったという話も一つの大胆な仮説としては面白いけど、どの道東征を示す考古学的な痕跡が皆無なことは変わらないわけで
面白いネタ話の域を出ないかと
0399名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 04:56:05.83ID:OFAoKjgg0
>>5
糞食い人種朝鮮人は脳に寄生虫が居るんだっけ
こうなっても仕方ないな
0400名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 05:42:21.76ID:Ak6RdPOH0
>>398
>九州に進出した畿内の人間が

俺は瀬戸内・大阪湾沿岸としか言ってないのだがなあ>>361
l考古学的にも記紀の国産みなどでも重要な淡路は畿内ではなく南海道だね。
0401名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 05:47:25.18ID:97jLo6B+0
>>396
先祖が降臨して何万年か経ったとか神武天皇が言ってたので
降臨したニニギさんは縄文人と言うか石器時代人だな
古すぎてDかどうかは
0402名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 06:09:12.46ID:fhs9zRtP0
テラとアブラハムは
神から命じられて、ウルから約束の地カナンに向けて旅立つわけだが
その旅の途中で今のアルメニア共和国タガーマ州ハランに
長年滞在したことが分かっている
つまりアブラハムがイスラエルに来る前に住んでいた場所はタガーマハラン
高天原はタガーマ・ハランを高天原と当て字したものだろう
0403名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 06:14:57.02ID:V8bOurfo0
なぜ近鉄は花園にラグビー場を建てたのか?
0404名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 06:21:04.91ID:qTQUSn3M0
日本誕生神話が筑紫に始まり、日本の古代が太宰府を拠点に展開したことは
明らか。太宰府造営が大和政権の事業であるとするなら、
正史『日本書紀』は当然にそのことを記すはずなのだか、何も記述がない。
中国の正史『宋書』倭国伝には、「倭の武王」が478年に宋朝の順帝に上表文を送り、
「使持節都督、倭、新羅、任那、加羅、泰韓、慕韓、六国諸軍事、安東大将軍」
に除せられたことが書かれているが、『日本書紀』は、この事にも触れない。
倭王武は第21代「雄略天皇」のこととするのが現在の定説になっているのだが、
武王を含む「倭の五王」は近畿大和政権の王ではない。
朝鮮半島への支配権を執拗に拘り続ける倭国筑紫王朝歴代の王のことである。
0405名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 06:40:16.02ID:WoDJ7K+p0
>>272
そういう大嘘ばかり吐くから畿内説はゴッドハンダー畿内なんて恥ずかしいアダ名をつけられてしまったんだぞ
>>195を見れば分かるように、九州で生まれた器台を祀る土器祭祀が西から東へと伝わり畿内でも継承された
東に伝わる間に生まれた特殊器台が九州に里帰りするのは5世紀のことで邪馬台国とは一切関係ない
0406名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 06:41:42.57ID:iHPRO6Cc0
>>391
薩摩ではなく阿多ね
薩摩と統合して言えるのは薩摩国が出来てからかな
考古学的痕跡が無いのは記紀を読んでいれば当たり前
最低限記紀ぐらいは読もうね
書いてある根拠が信じられないなら記紀の記述が現実と比べ矛盾しているところを挙げるなどして
神武天皇及びモデルの存在を否定したらいいんじゃないかな

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0407名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 07:12:42.45ID:6up/M1LE0
物部氏が九州から神武一家を招いて傀儡政権を作ったのである
神武一家は朝鮮からきたのである
0408名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 07:34:41.37ID:rGLHEl0q0
墳墓に鏡・剣・玉の三種の神器を埋葬する文化はもともと北部九州のもの
畿内で出土する鏡の中には平原遺跡の大型内行花文鏡に匹敵するような巨大なものはなく、当時の文明度は明らかに九州の方が上である
また、下池山古墳からは平原のものより二回りほど小さい内行花文鏡が、畿内ではほとんど出土しない貴重な絹に包まれて副葬されていた
つまり内行花文鏡こそ九州邪馬台国を象徴する鏡であり、九州邪馬台国から派遣された人物が畿内の支配者になった証でもある
0409名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 07:48:40.73ID:4m8v+nlW0
九州は弥生時代から既に発展していてメインストリートのすぐ側にまで古墳を作らなきゃいけないほど土地が不足していた
この土地不足こそ、神武が東征しなきゃいけなかった理由だろう

http://www.asahi.com/culture/news_culture/SEB200703080016.html
>「都市計画」によって造られたとみられる国内最古の「道路」跡が、福岡市博多区の那珂遺跡群で見つかった。
>同市教委の発掘調査によるもの。
>
>古墳時代初頭(3世紀後半頃)の道路跡で、福岡平野に栄えた奴(な)国のメーンストリートとみられる。
>これはちょうど「魏志倭人伝」が記す邪馬台国の時代にあたる。
>
> 見つかった道路は長さ100メートル、幅7メートル。両脇に幅70センチ、深さ60センチの溝を備えている。
>那珂遺跡群の北にある同時期の比恵遺跡群など十数カ所で断片的に溝の跡が出土しており、今回の発見で、
>全長1.5キロの直線道路が復元できるという。
>
> また、道路の脇には前方後方墳1基、円墳2基が見つかった。同遺跡の北150メートルには那珂八幡古墳があり、
>これらが道路に沿って並んでいる。
0410名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 10:35:52.21ID:Dcb03/fa0
どうやら九州の話を地名だけ奈良に持って行って辻褄をあわせたのが記紀、ということのようだな
だが地名は持って行けても地下資源までは無理だったようだ


https://hanzan-qazwsxedc.jimdo.com/%E2%91%A0%E9%A6%99%E6%98%A5%E7%94%BA/2-%E9%A6%99%E6%98%A5%E5%B2%B3/
※ 香春岳 が倭三山であり、香春岳 一ノ岳=畝尾山、香春岳 二ノ岳=耳成山、香春岳 三ノ岳=天香山。
  香春三ノ岳(本物の天香山)からは、金も銅も採れる。自然金が、 三ノ岳の横鶴鉱山から採掘された。

< 天香山 (三ノ岳)に関する記述>
  『日本書紀』、『古事記』の記述にあるように天香山は、金属(銅、金、鉄)が採れる山であり、また、万葉集2番歌に歌われている
  ように、山に登れば海が見える事が比定地の条件。
  * 大和(奈良県)の香具山では、山に登って海が絶対に見えない。 また、金属は、一切取れない。
0412名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 10:49:06.86ID:9l1xvq8k0
>>29
友達作れよ

滑ってるのは教えてくれるから
0414名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 10:55:57.69ID:ay7quANi0
このスレ住民的には
埼玉県行田市のさきたま古墳群は
どういう位置付け?
0415名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 10:56:32.45ID:gJC95SXV0
>>410
そこまで妄想するのはもはや病気だな。
ちなみに奈良の二上山は香山とも呼ばれるよ。
妄想ついでに二上山周辺には金山彦、金山姫神社の基もあるしサヌカイトや金剛砂の産出地。

勿論鉱山で鉱物資源もあり、何より青玉サファイアも産出する。
ちなみに弥生後期なら眼下は河内湖だからな。
0416名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 11:14:25.15ID:fhs9zRtP0
神武天皇の生誕の地は高原町でしょ
高原町には神武天皇の幼名「狭野尊」に由来して狭野神社がある
高千穂峰の麓は皇子原だし
霧島連山のえびの高原には天の逆鉾が刺さっている
唐と新羅の連合軍により敗れた百済国の王族や武官のおびただしい人々が
宮崎の美郷町に亡命したのは
百済国の王族や天皇家の故郷が日向国であることを表しているわけ
0418名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 11:23:00.29ID:JPhpzgkm0
>>414
獲加多支鹵の鉄剣も出てるし、ふつうに大和系の有力な豪族でしょ
0419名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 11:28:17.31ID:JPhpzgkm0
神武東征ってあれだろ
福岡の阿曇氏の一族が信州やら伊豆近辺まで至ったのと同じような伝説だろ
弥生時代には楽浪郡くんだりまで頻繁に行ってたんだから、西日本の海路はかなり発達していたってことかと
0420名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 12:17:04.37ID:KlUvhmWI0
>>375
ワカタケル大王は神武東征なんか知らねーと言ってるのか
0421名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 12:22:19.87ID:KlUvhmWI0
地震や津波があったから宮崎から奈良に引っ越したとかアホらしいこじつけ
0422名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 12:46:38.43ID:cF+MAR6n0
>>353
言えることは古事記、日本書紀が書かれる前の日本は諸国の豪族達が権力を握っており

天皇家も一豪族に髭が生えた位だったのだろう。

聖徳太子だって病死と言うよりは陰謀によって殺された可能性の方が強いんじゃねーの?

当時は中国の進んだ文化を如何に導入し統一国家を打ち立てるかが全てだし

人気が集まれば天皇の地位に付く確立が高かったんだんべし。

それにしても惜しい人を殺してしまったと気がついたから

丁重に葬り直したんじゃねーの?
0423名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 12:51:03.16ID:zReGqWdq0
もしかして隼人が倭だったのでは
0424名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 12:55:45.20ID:cF+MAR6n0
>>407
昔は通い婚が主流だった見たいだから除福一派の中にも婿兵として豪族に入り込んだ中国人も多かったんじゃね?

2,3代も過ぎれば立派な日本人だ。昔を懐かしんでウリナラ2000年を言い出したのだろう。

元々の住人ならわざわざそんな経歴自慢する必要も無いし。
0425名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 13:11:05.89ID:cF+MAR6n0
>>368まぁ〜当時の争いは地縁血縁どうしの争いがメインだったので百姓をも巻き込んだ殺し合いほど
大規模な戦争が無かったから痕跡を見付けられないだけでしょっちゅう喧嘩していたんだよw

だいたいが拝み屋卑弥呼が地域の纏め役なんだから雨乞いしたら雨が降ってきた

よって酋長って位のくじ引きだったんだよ。


何でもエエから神話の世界と現存する皇室を切り離す調査をすべきだよw
手っ取り早くDNA解析だな。

それから時間をかけて考古学的調査を行えばエエ
人の流れも随分と分かる時代に成ったのだから
0427名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 13:48:45.61ID:p1ewo6In0
神武天皇は飛騨の系統だよ
ニニギが飛騨から九州に降臨し
ウガヤ王朝を開いた、その子孫
0428名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 15:03:52.10ID:48jKbM3X0
>>425
陛下のY染色体ハプロタイプ他遺伝子情報を公開すべきですよね
国民の知る権利
ミトコンドリアDNAはどうせ雑多なの分かってるからどうでもいいけど
0429名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 15:24:51.69ID:JPhpzgkm0
>>422
古代史では皇子だけでなく大王が権力争いで殺されるとか割と日常茶飯事だったみたいだしな
0430名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 15:39:54.25ID:zReGqWdq0
三国志や後漢書に書かれている倭は
違う時代位置の違う倭が混ざって書かれているように見える
0431名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 15:46:55.58ID:zReGqWdq0
記紀の方も混ざっていく国の有様を
織り交ぜながら記録しているように見える
0432名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 15:47:53.82ID:mCAbSSDH0
>>1
神武は崇神じゃなくて応神と同一人物だと考えると辻褄が合う
0433名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 16:30:57.84ID:Ak6RdPOH0
>>420
漢文は簡潔にまとめかつパターン化した言葉を連ねる修飾をする。
例 斯羅國 本東夷辰韓之小國也 魏時曰新羅 宋時曰斯羅 其實一也 或屬韓或屬倭 國王不能自通使聘

長くはない上表文の中でまとめているということしかわからんよw
細々と書くのなら国々を数字だけにはしないだろ。
0434名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 16:59:03.73ID:iHPRO6Cc0
>>432
津田左右吉もそう考えて欠史十三代を唱えたが
その後崇神天皇以降の実在性が強まり欠史八代となった
更に減っていくような発見が待たれるよね
0435名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 17:04:34.83ID:czkm3R+O0
明治神宮って明治天皇を祀ってんだってな
有難がって損した
0436名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 17:11:34.44ID:fWqzsr5e0
橿原に建てたのじゃなくて、建てた「ことにした」んでしょ 記紀の勧進元の天武が橿原に(藤原京)
建てたから
0437名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 17:25:54.75ID:6ugsLXZ+0
誰でも出来るそんな妄想は要らん
これからの時代は遺跡遺物や科学的な根拠付きの想像を持って来てくれよ
0438名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 17:29:43.12ID:gJC95SXV0
まぁ欠史の部分をダイジェストで説明してるのが神武伝承だね。
神武天皇は崇神天皇の先祖なんだろう。
モモソが卑弥呼、孝霊のモデルがスサノオだ。
0439名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 18:32:28.65ID:wmra3Kv70
>>416
それみんなあやかりの観光名所みたいなもんだろ
先に書かれてるように高千穂より薩摩の阿多のほうが現実的
0440名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 18:38:03.46ID:B3GT56jz0
欠史というけど、実在性の高い崇神の先代開化帝と先々代孝霊の根子朝2代は実在と見てよいでしょ。
崇神側が開化勢力を駆逐してるのは、垂仁のイクメ(奈良市)イリの名称と開化の皇居が奈良という点でわかる。
大田田根子もその関連人物で、国津・地神・大国主命側って感じかな。
開化の名も稚日本根子彦大日日天皇でオオヒヒってのも気になる。
卑弥弓呼(ホホ・クコ・ココ)とは違うが、関連はありそう。
0441名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 18:38:43.73ID:XTdN8C/N0
影の政府は水面下で集団ストーカーシステムとテクノロジー犯罪を行い、影の政府に都合の良い国民を作り
出しています。影の政府は、集団ストーカーシステムとマインドコントロール兵器を悪用する事で、影の政府
に都合の良い国民を作り出しています。※影政府は反左派&反イスラム&反創価であり、戦前の国家神道体制の
回帰を目指しています。十数年以上も前からの犯罪なのに、警察が捜査をしない事や集団ストーカーシステム
でネット右翼が急激に増やされている事や、このシステムが左派の人達や近隣諸国の工作員の仕業であればと
うの昔に治安維持機関の公安等が捜査して解決しているはずである事や、たくさんの証拠からこの事に気が付
きました。※警察は 影の政府の一部なので 捜査をしません。

私が思う”影の政府”配下の組織
安部政権、オウム真理教、公安警察、創価学会、日本会議、暴走族、街を汚す落書き犯、ネトウヨ、寺社放火
犯、暴力団、検察、裁判所、電通、精神医療業界

世界最大の麻薬密輸機関、米ClAの下部組織(反日組織)・・・北朝鮮、アルカイダ、オウム、
創価、統一、電通、NHK、日本警察、在日朝 鮮人、自民党安倍政権、暴力団、公明党、維新の会、
マスコミ、アイエス、金正恩、 前原誠司、小泉進次郎、竹中平蔵、小池百合子、西室泰三、藤崎一郎、他無数
0442名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 18:48:21.62ID:fw99BaYY0
>>440
開化の墓が年代が新しい前方後円墳なのは無視ですか?
都合の悪い記述を無視してこじつけにつかそうなところだけを抽出してストーリーを作っても説得力ないなあ
0443名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:02:50.79ID:f+dLVsLh0
>>440
モモソ兄弟とクニオシヒト兄弟も確実。
一節一年/倍歴で時代も合致する >>106参照
だから「欠史4代」。

『後漢書』倭國王帥升等
『通典』 
倭面土   國  王 師 升 等
ヤマト の クニ オ シ ヒ ト
そのまま大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
○ヤマトである  ○文身黥面 入れ墨 してる土地である
○国王である    ○名はクニオシヒト
○師 リーダーシップがあり ○飛(升)略字 成長させた 
まさに西暦107年国押人、クニオシヒト 該当者 6代 孝安天皇 
卑弥呼と違い下げる単語の使い方ではない、
読みと意味の二重のとても良い漢字の使い方をしてもらっている。

西暦200年前後10代崇神天皇 モモソ ヒミコ トヨ 
「飛」の略字は「升」 難 升(飛) 米 ナ  ト  メ
国 王 師 升(飛)等  『後漢書』 國 王 師 升(飛)至  『翰苑』
クニオ シ  ヒ ト = 国押人命 = 第6代孝安天皇
 大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
=孝安天皇 = 国 王 師 升 等 くにおしひと  『後漢書』 107年
翰苑では「後漢書曰、安帝永初元年、有倭面上國王師升至」やまと くにおしひと
等は「〜〜たち」の意味ではなく音。トの音。だから翰苑では「至」イコール「等」
意味ではなく音。孝安天皇。欠史8代は実在。
ちなみに同じクニオシヒトで天足彦国押人命は孝安天皇の兄。
0444名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 19:31:32.54ID:raKiyraW0
>>443
西暦107年に畿内が大陸と通交してたわけはないから、孝安天皇は九州王朝の人だな
やはり欠史は九州の話と考えなくては辻褄が合わない
0445名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 19:35:59.40ID:N1IdHNlN0
>>439
鹿児島から弥生時代の鉄器がほとんど出ないし
奈良などの存在をどれほど知っていたか定かでない
宮崎からは東瀬戸内形式と折衷したような土器が出ておるのでしょう?
ほんなら東に良い土地があるそうだと言ってた通りに知ってたでしょ
鹿児島宮崎いずれかと考えたら宮崎だと思いますよわたしゃ
現段階知り得た範囲ではね
神話でも隼人は海幸彦でっしゃろ
0446名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:41:43.96ID:f+dLVsLh0
>>444
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國。於國中有如刺史
検察を畏れはばかる。

卑弥呼の時点でヤマト大和邪馬台の北九州支配が完成している。

中国の刺史とは?

→ 「地域の行政権を完全に握る」

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/刺史


伊都國
丗有王皆統属女王國郡使往來常所駐

代々の王が女王国に統属する。

王が王に仕える。大王原型が既に出来上がっている。

卑弥呼の時点で福岡の代々の王がヤマトに仕える関係であり

ヤマトの北九州支配が確立している。
0447名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:42:08.32ID:Y/3sPyBD0
>>322
凄いローカルな話を記紀で誇張してる可能性もあるかもね
何回熊襲退治に行くんだよて感じることもある
0448名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:42:30.64ID:+2Xt+pCU0
>>444
金印からわずか50年後のことだし、普通に福岡の山門郡だろうね
0449名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:45:09.01ID:Ssm4LiFL0
>>446
いや女王国は九州だからw
卑弥呼の時点じゃ九州のほうが畿内より国力も武力も上
>>195などの考古学資料もそれを裏付けている
0450名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:48:10.33ID:9TKjl+WC0
>>408
畿内には殆ど無かった絹で包んでいたって、相当大切にされていたのが分かるな
九州の故国から持ってきたものだったのだろう
0451名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:54:37.12ID:f+dLVsLh0
>>449
北九州の場合, 銅鐸が埋められる時期に,北九州でも銅矛を埋めるようになっていく

無槨だった墳墓にヤマト・吉備系の槨を付けることが増えていく。

弥生時代後期から末期にかけて瀬戸内系土器の比率が急激に高まり,

固有土器の出土率がどんどん減っていくので,

2世紀後半までに伊勢・ヤマト・吉備・出雲連合の進出を受けたというほうが

土器の出土から言うとしっくりくる説明になる。
0452名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 19:55:21.00ID:N1IdHNlN0
>>449
福岡と奈良では弥生時代の鉄鏃の出土数に100倍の差があるそうですな
0453名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:05:46.29ID:gJC95SXV0
地名に関しては和名抄の記録上ヤマトの
名前はやはり奈良盆地が一番古い。

大和神社のある現在の天理市、それに
法隆寺のある場所もヤマ郷、山背の名前も
これで裏付けがとれている。
もう一ヶ所が大坂山のある現在の香芝市辺り。
山直郷という。読みはヤマタヘ。
ちなみにこの近所は神功皇后の母、
葛城高額姫の生まれた場所だよ。
0454名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:07:20.90ID:vhWXQq+C0
>>451
日常使いの土器は>>380の引用にあるように、単なる経済交流の結果としか考えられないよ
それは身分が高い人間が作ったり使ったりするものじゃないからな
祭器として重要な器台が九州→吉備→畿内と伝わっていっている以上、文化の流れは西から東にしか想定不能
0455名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:09:42.95ID:AMCFA/hC0
>>452
邪馬台国の時代には鉄鏃にしても絹にしても九州北部が圧倒的に多い
魏志倭人伝に記されている倭国の様子と合致してるのは九州だけ
0456名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:11:11.27ID:f+dLVsLh0
>>454
銅鐸と同時に銅剣、銅矛、銅戈もいっせいに埋納放棄されて消えている

これらの祭祀の分布域のほうが面積的にも大きい

青銅器祭祀の流行が終わったとしか言いようがない

終わった青銅器祭祀の例外のように見える鏡も、

実は九州中心の破砕祭祀が衰えて、

畿内の完鏡主義が台頭する

九州は畿内の文化的影響を受ける側


ttp://iseki.shimane-u.ac.jp/tanken/Chrctr/kofun/img/3/kagami_bunpu.jpg

ttp://kamnavi.jp/log/gesisan.jpg

ttp://homepage3.nifty.com/s-yoshida2/042--0(18).jpg
0457名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:11:50.96ID:gJC95SXV0
更に葛城高額姫の生れた場所は竹内遺跡にも
近く、二上山のすぐ麓にある。
竹内は勿論武内宿禰の本拠と言われる場所で
縄文時代からの遺跡もある場所。

奈良盆地の塩はここから分配されていたと
言われる場所でもある。
0458名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:12:15.70ID:UbX4Jg2O0
>>410
やはり神代の記述はどう見ても九州での出来事の記録だよな
0460名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:19:58.72ID:gJC95SXV0
まぁ倭人伝はあくまで倭人伝で邪馬台国伝ではないからな。鉄や絹なんていくら出ても
全く邪馬台国に関係ない。
北部九州は間違いなく邪馬台国ではないと断言していい。奴国3万戸の国だろう。
あの場所に14万戸の国なんて100%成立しない。
0461名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:22:18.74ID:o26WlT6r0
>>456
三角縁神獣鏡は国産鏡だし4世紀のもの
そんな間違った資料を堂々と出されても失笑するだけ

邪馬台国の弥生時代後期は九州北部が圧倒的に出土数が多い
http://inoues.net/9shumapnew21.gif
0462名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:22:29.39ID:f+dLVsLh0
>>459
土器は日常の道具であり、
土器の移動は人が移動したことをを示す。
庄内式土器は、畿内で作られた土器だが、
畿内から西、とくに九州で大量に発見される。
これは畿内から九州への人が移動したことを意味する。
0463名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:24:32.57ID:R1dKNWZV0
>>454
三種の神器も九州発だし、畿内の葬礼祭祀の中心部にあるのは九州文化だな
0464名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:25:49.54ID:f+dLVsLh0
>>463
玉、剣、鏡はそれぞれ他の遺跡でも頻出すること、

勾玉・管玉は縄文期から日本全国に見られる(が海外に見られない)形態であること、

北九州の他の遺跡を見てもこの3つがセットと見なされていた痕跡に乏しいこと

などから言えば偶然の一致を針小棒大に言っているだけだろうねえ
0465名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:27:15.42ID:WoDJ7K+p0
>>462
妄想乙
通常の土器は「物入れ」であり、単にモノを移動しただけでも移動する
九州にあった大陸系文物と物々交換した結果に過ぎない

>またこの時期には、南部九州と入れ替わるように、中期に瀬戸内系土器がほとんどみられなかった北部九州に
>東部瀬戸内系土器が流入するようになる。この東部瀬戸内系土器流入の背景には、大陸系文物の入手を目的
>とした交流があると指摘されている(西谷2005)
0466名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:30:26.04ID:3xa5LFbYO
東ローマ帝国がギリシャ文化圏で済む話が
日本だとギリシャはローマ文化圏でルーツもローマになっちゃうんだよな

変な話だよ
0467名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:31:52.68ID:gJC95SXV0
鏡なんて弥生中期の時点で信貴山、葛城地方に
大陸からの物が来ているし、しかも銅鐸と一緒に使われていたと見れるからな。

貨泉も河内まで出土しており、この時点で葛城から大陸までは交易していたのは確定済み。
三世紀なんて既に北部九州は単なる通過拠点に過ぎないな。まぁ伊都の役目はそんなもんだ。
0468名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:43:07.45ID:Z60bMYn+0
>>467
近畿がただの僻地って事だろうが
たまに中国からのおこぼれ品が回って来ただけだ
0469名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:45:45.67ID:Z60bMYn+0
>>460
熊本平野があるだろう
0470名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:53:51.68ID:N1IdHNlN0
>>462
そのまま移動したんでなく折衷というのが興味深いですな
ほー…見事なもん作りよりますなあ、って言う素直さ
自分のもん捨てて真似してみようっていう性質
行ってみたいと思いもしたんじゃないのか
頑固で見栄っ張りで土地に執着しすぎる田舎爺じゃ駄目なんですよ
東征みたいな移動には必要な気風だ
九州土器が畿内でごく稀なことの説明にもなる
0471名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:55:27.82ID:JimWZrsz0
昔、漫画家騙ってたヤツ思い出した
ヤタガラススタジオだっけ?サイボーグクロちゃんの作者を自分の手先扱いしてた
0472名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:57:37.74ID:WoDJ7K+p0
>>467
直接の交流があったことの証明になってないんだが?
>>465の通り、九州との物々交換で入手したんだろ
その結果九州に畿内の土器が残った
0473名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 20:57:59.75ID:zReGqWdq0
畿内に都があったから
後世にお宝を北九州から畿内に運ぶ事はあっても
畿内から北九州に運ぶ可能性は少ない
つまり北九州にあるお宝は当時のままの可能性
0474名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 20:59:28.60ID:gJC95SXV0
熊本は奴国の南だから狗奴国だな、
半島への港が欲しいから、瀬戸内海
女王国と組んだ北部九州と対立するのは
当然だろう。
邪馬台国は畿内の河内から奈良盆地だからね。
0475名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:02:58.82ID:xsljZaxd0
>>260
邪馬台国と大和朝廷を無理に結びつけなくてもいいかもね。
卑弥呼が後々の大和朝廷になる原大和朝廷の人物かどうか確証ないし。
時代変われば文化も変化するんだろうけど魏志倭人伝に書かれている倭人の風俗と後々の大和朝廷の古墳時代風俗は違いすぎやしないだろうか?
0476名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:13:56.45ID:uJQ2cVVU0
>>475
邪馬台国奈良説ならば、ドンピシャ大和朝廷の成立時期と一致する。
0477名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:14:06.55ID:Z60bMYn+0
>>474
邪馬台国が畿内とか100%ない
あの記述では畿内に行かないから
九州で上陸したあと、航海はしていない
あり得ないよ
0478名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:16:37.04ID:R1dKNWZV0
>>464
畿内にはもともと宝物を副葬するという文化そのものが無かったんだよ
それが古墳時代のあるとき突然副葬を始め、しかもその内容が九州北部の葬礼そっくり
どう見ても九州からやってきた人物が畿内の支配層に収まった結果
0479名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:17:55.07ID:Ak6RdPOH0
>>472
まあ、魏書では「郡使往來常所駐」とある伊都国はともかく邪馬台国は直接交流しているような書かれ方はしてないんだけどね。
0480名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:19:26.23ID:Z60bMYn+0
>>479
卑弥呼や台与の所までいってるぞ
旗とか与えてるし
0481名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:20:17.47ID:qTQUSn3M0
だから、どうやって軍事力も文化力も劣っていた大和が
筑紫を支配するんだよ
0483名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 21:22:06.97ID:Z60bMYn+0
大体畿内から九州に来るまでも大変だぞ
使節だけならこれても軍勢とか無理
道はないからな
大軍は派遣できないよ
0484名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:23:29.96ID:YAf0PtSe0
一大率って中央から見て遠方に設置するものでしょ?
同じ九州に置くもんかね
0486名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:25:19.10ID:Z60bMYn+0
>>484
なんだその勝手な定義はw
どこから「遠く」なんて言葉が出て来たんだ
港湾とかの関係で動きやすいところに置いたんだろ
0488名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:33:27.91ID:Ak6RdPOH0
>>480
その時だけだろ?
「郡使往來常所駐」に匹敵する何かが書かれているのか?
0489名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:40:34.80ID:fD6O6ruY0
いろいろ謎だよな

巨大古墳群を作ってた人たちは、大和政権とは違う
巨大古墳群を作ってた人たちは大和政権に滅ぼされた側だろうし

それから卑弥呼というか邪馬台国も、これも巨大古墳群を作ってた人たちの国と関係あるのか無いのかもわからん
0491名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:49:23.15ID:3xa5LFbYO
>>490

ハードルが高く中央集権は天武の頃に、やっと成立してるんだから
前提としては成り立たないね
0492名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:52:22.93ID:pYZiUWV10
>>482
ホケノからだろ
箸墓の直前の時期
そんな時期に九州から畿内に人の移動はない
九州に進出した畿内系住人が九州の副葬の習慣をパクっただけ
そもそも前方後円墳は全国の葬制の寄せ集めだから副葬習慣もその一つの要素に過ぎない
0493名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:53:26.51ID:3xa5LFbYO
一大卒(タケル)なんじゃないの?
ヤマトタケルはクマソタケルから名を貰うんだろ?

クマソからヤマトって権力が移ったってことじゃないの?
0494名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:54:02.02ID:a596PU5M0
邪馬台国は九州にいくつかあった国の一つで、機内の大和朝廷とは別の国だろ
一緒にするからおかしくなる どっちも実際にあったわけだから、どっちの論も成り立つ
0495名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:56:09.70ID:iHPRO6Cc0
>>445
哀れなことだが宮崎を推す人はその根拠が記紀に日向とあることをいうが
更に詳細に記紀を読むと阿多であること気づいても
なんとか宮崎に持ってこようとして記紀を否定してしまってることに気がつかない

だいたい記紀を読んでれば東征が実は放浪記である
ならば宮崎でどういう土器が出ようが意味が無いことにも気付きそうだが
ただ神話の国にしがみついて哀れなことだ
0496名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 21:57:35.06ID:gJC95SXV0
>>480
その旗らしき鉄器が三世紀後半の黒恁テ墳から
出土してるからな。
この場所はまさに古地名からもヤマト地域、邪馬台国はヤマト以外にない。
0499名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 22:01:03.18ID:iIURUZMq0
>>494
無理だよ、九州に七万戸の集落は入らない。
弥生後期の北部九州以上に栄えた場所なんて南にはないから。
0501名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 22:08:06.24ID:MCeRcwHT0
>>1
(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった


(2)日本人のルーツは大雑把に分けて二つ
 @寒冷地適応する前の縄文人 
 A寒冷地適応後の弥生人   

https://i.imgur.com/BRdvUlH.jpg
https://i.imgur.com/lClIoyD.jpg

https://i.imgur.com/1mxEhnm.jpg
https://i.imgur.com/O7aHT1Z.png

https://i.imgur.com/tU0yFoG.jpg
https://i.imgur.com/bZ5RQka.jpg
0502名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 22:08:43.29ID:iHPRO6Cc0
>>445
ちゅーか弥生時代の鉄器って宮崎でもほとんど出土してないのね
0503名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:09:50.05ID:l/QrHKp20
諏訪が古代日本の最強のくにだった
なぜ諏訪は日本全土を蹂躙しなかったのか
それができるだけの恐るべき超大国だったのに
0504名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 22:12:26.11ID:Y/3sPyBD0
福岡平野にある奴国が2万戸として、

福岡平野250㎢
筑紫平野1200㎢

古代の水面の上がり方が福岡平野より筑紫平野が幾らか大きかったとしても絶対に無理ってことはないんじゃないか
0505名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:12:38.48ID:Ak6RdPOH0
古墳時代の九州南部の人骨は山間部と宮崎県の平野部で形質が違いことがわかっている。
以下の引用は25年以上前の古い論文だけど。畿内との比較もあり興味深い。

南九州における古墳時代人骨の人類学的研究
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/29416/1/ishi_i1044ronbun.pdf
>1.頭蓋
>(1)脳頭蓋  南九州古墳人の頭蓋長幅示数は,最大値が88.24(跡江)で,最小値は72.43(諏訪野)であり,
>過短頭型から長頭型まで著しく、変異に富んでいる。しかしこれを地域別にみると,宮崎平野に短頭型の
>一群があり,宮崎県より鹿児島県に及ぶ、山間部では,短頭型と中頭型が混在し,さらに周辺地区では
>長頭の傾向が強くなる。また鹿児島県南部の大隅・薩摩半島では短頭型が認められる。
>山間部古墳人は,他地方の縄文,弥生,古墳人と大差はないが,宮崎平野,大隅・薩摩半島に見られる
>古墳人の短頭型は一つの特徴であろう。ただ宮崎平野の中で,柿木原遺跡の人骨のみは長頭に近い中頭
>であり,また頭高においても他の南九州地域のそれより著しく低く,やや特異的である。

>(2)顔面頭蓋  南九州の山間部古墳人は,「低・広顔」傾向を示し,宮崎平野の古墳人は「狭・高顔」傾向
>が強い。眼宮および鼻部の形態も,顔面全体の形にそれぞれ相応している。ここにおいても宮崎平野の柿
>木原古墳人は顔面全体の形は他の平野部古墳人に似ているが,眼宮および鼻部の形態は山間部古墳人
>に類似している。
>南九州の山間部古墳人の顔面頭蓋は,西北九州,大友両弥生人および縄文人に近いが,これらよりもより
>強い低顔性が認められ,大きな特徴に数えられる。宮崎平野の古墳人は北部九州の弥生人に近似しているが,
>柿木原古墳人の眼寓および鼻部はむしろ西北九州弥生人に近い。

>(3)偏差折線,主座標分析  計測結果から南九州古墳人を山間部と,平野部(1)および平野部(II)(柿木原)
>に分類し,他地方の縄文人,弥生人,古墳人等との聞に偏差折線を描いて観察し,また頭蓋主要14項目に
>ついて,ペンローズの形態距離を算出じ,主座標分析を行い,これを2次元に展開してみた。これらの結果
>は,いずれも山間部古墳人は西北九州,大友両弥生人および縄文人に近親性が認められ,平野部(1)の
>古墳人は横隈狐塚,金隈両弥生人および筑前古墳人に近似していた。また平野部(II)の古墳人はこれら
>いずれの群とも近似性を見出し得なかった。

>(4)畿内古墳人との関係記・紀によれば「隼人」と畿内古墳人とは歴史的に深い関係があるので,計測値,
>偏差折線および主座標分析により比較してみると,南九州古墳人の中では,平野部(I)の古墳人のみが,
>近い関係を示していた。

>2.推定身長
>ピアソンの公式により,大腿骨最大長をもちいて推定身長をもとめると,南九州の平野部(I,II)古墳人は
>いずれも160cmを越え,高身長であり,北部九州弥生人よりもむしろ高い値を示している。山間部古墳人
>は低身長で,縄文人,西北九州,大友両弥生人,朝団古墳人に近く,顔面形態と同じ傾向を示している。
0506名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:13:44.91ID:iIURUZMq0
魏志倭人伝の頃に百済も新羅も存在してないのにな、朝鮮人工作員かよw
0507名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:14:06.03ID:3xa5LFbYO
神武は畿内入りしてるorしてない
どっちにしても初代と目されてる人物は隼人族
応神朝は九州を基盤とした勢力が畿内入りして出来た王朝
事実上の大王家の開祖しての基準点になってる
後継の大王が正統性を主張するのには応神から何代とかとしてる

もうこんだけで十分じゃね?
0508名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:18:27.80ID:AX1gNIrP0
>>498
すでに卑弥呼の時代じゃねーか
紀元前だったり卑弥呼後だったり応神前だったり
毎度思うんだが九州からの東遷説って人によってバラバラで、
どの時代で主張して歴史のどこに当てはめたらいいのかさっぱりわからん
0509名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:19:17.96ID:Ak6RdPOH0
>>500
またその印象操作か。
それは南朝梁武帝の職貢図の写し。
日本は宣化天皇、欽明天皇の頃。
0510名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:20:58.84ID:iIURUZMq0
>>504
いくら面積で可能でも、遺跡で裏付けないと全く相手にされないから。
現に弥生後期の集落なんて明らかに西日本一帯に広がってる。
また3世紀には既に丹後半島から畿内方面の方が、
鉄や鏡の出土傾向が移っているだろ。
0511名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:21:41.16ID:jfo7gv0G0
大和三山って、何もでてないのかな?掘り返すこと自体が難しいか
0513名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:27:40.48ID:dC93TC+o0
>>498,508
ホケノ山古墳は4世紀のものだ
卑弥呼の時代より後

http://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
> ■ ホケノ山古墳の年代
>
> 石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の小型丸底土器が
> 出土したことを述べている。
> 小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
>
> ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、それよりも新しい布留T式土器が出土したことになるので、
> 考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は布留T式の時代と言うことになる。
> 石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
>
> 報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちてきたのではないかと、
> 苦し紛れに書いている。
>
> これについて橿原考古学研究所の関川尚好氏に問い合わせたら「そんな馬鹿なことは絶対にありません。」ということであった。
>
> また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)のついた銅鏃が出土したことも述べている。
> このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、前期古墳の後半で布留T式以降と考えられている。
>
> 箟被(のかつぎ)つきの銅鏃が発見されたことにより、発掘当初から、ホケノ山古墳は新しいのではないかと見る専門家もいて
> 問題になっていた。
0514名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:30:23.86ID:1Sqj9Nhy0
神武は紀元前600年に即位したことになってるが荒唐無稽。
紀元前に建国した高句麗に対抗して国を古く見せようとしたんだろうな。
0515名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:34:05.07ID:WoDJ7K+p0
>>492
被葬者の直ぐ側への副葬も、祭祀の中心だった器台も九州が発祥
寄せ集めと言いつつ祭礼の核心部分が全て九州のもの
0517名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:43:36.04ID:3wZyHHQs0
>>122
だからさまざまなルーツを持つ大和民族がこれからの権力者として
日本に都合の良いストーリーを編み出したらいいってことなわけ
勿論最大科学的理論的に検証する必要は有るけど卑屈になる必要は無い
0518名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:45:36.52ID:j5OKvCBt0
>>501
またチョンが進入してきたな
Chonga弥生人としてるのは弥生顔じゃなくてツングース顔だよ
ツングースは略奪しか能がない族蛮
粛慎やユウロウについて調べてみな
0519名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:47:00.52ID:xsljZaxd0
>>476
もし大和朝廷の前身ならば邪馬台国の事も何かで記載してるだろ。
後漢や魏に使者を送ったとかさ。
遣隋使や遣唐使なんて思いっきり記録してるわけだしさ。
0520名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:48:11.24ID:j5OKvCBt0
ツングースの今とシナ江南の今を見ろ
なんならベトナムだっていい
ツングースよりベトナムタイなどの東南アジアの方が遥かに良い
あの顔は駄目なんや
0521名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:50:55.27ID:pYZiUWV10
>>515
何百年も離れているものを持ち出してきてどうする?
九州から瀬戸内への文化の伝搬があった
それだけ
0522名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:53:39.49ID:MCeRcwHT0
>>518
これには反論ないの?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった


(2)日本人のルーツは大雑把に分けて二つ>>501
 @寒冷地適応する前の縄文人 
 A寒冷地適応後の弥生人   
0523名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 22:56:00.21ID:iIURUZMq0
>>519
都合がよろしくなけりゃ省くでしょ。
現に神武より後の欠史の部分は何も具体的記述がない。
でも神社等の記録に残っていたり、葛城地方に古い遺跡は出土しだしてるからな。
0526名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:01:35.87ID:1Sqj9Nhy0
まあ、今となっては結局はわかりようもないが、弥生以前に半島や九州方面から民族移動的に移って来たとしてもなんら矛盾しない。
とにかく近畿地方に最初の政治権力ができた。これだけは確か。半島や九州からの征服の痕跡もない。
0527名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:03:17.87ID:U/UeA+Wl0
超一級史料でも正確なこと書いているとは限らない、、、
0528名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:05:27.38ID:Z60bMYn+0
>>488
意味不明だな
そこは単に「駐する」場所だろ
そう言った場所は今でもある
全勢力で首脳の前に出るなんて事はない
ごく普通の関係だよ
0529名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:06:20.34ID:Z60bMYn+0
>>496
旗が鉄器とか、なんの話なの?
0530名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:07:11.40ID:j5OKvCBt0
>>522
古いわ
日本人のルーツは四つはある
0531名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:09:01.04ID:Ak6RdPOH0
>>528
漢字が読めないのかわざと外しているのか。
「往来」と「常」の字が読めますか?
0532名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:11:10.80ID:MCeRcwHT0
>>530
日本書紀を書いた渡来人(天孫族(笑)については、これで良い?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
0533名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:12:59.26ID:MCeRcwHT0
>>523
巨大古墳を作ったことも都合が悪いの? あんな大事業なのに書いてないけど。
0534名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:13:12.31ID:Ak6RdPOH0
>>532
>中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった

アイヌ語も日本語と同じSOVだぞw
0535名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:15:41.87ID:XyWuObsW0
古墳の埋葬品からすると卑弥呼の時代の後大和に東遷してきた可能性が高いってことか
0536名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:19:40.02ID:MCeRcwHT0
>>534
で、日本書紀を書いた渡来人(天孫族(笑)については、これで良い?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
0537名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:22:39.79ID:j5OKvCBt0
>>532
天孫族というのが当代で東征したわけではない
当地の嫁を娶りながら何代も経たわけなんだろ
中国から来たとして次代で中国語を話せなくなるわ
一貫して日本嫁を娶り続ければ血的にも日本人だよ
0538名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:27:12.69ID:1Sqj9Nhy0
筑紫とか日向とかから嫁を娶ったら親戚になるわけで、
その時、近畿の政権が神話として英雄譚とか取り込んでいくわけでしょ。
東征神話は事実を反映しているわけでもないんじゃないかな。
0539名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:28:26.38ID:MCeRcwHT0
>>537
>>中国から来たとして次代で中国語を話せなくなるわ

なんで? 中国から来たなら漢字も使えるはずなのに。
0541名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:29:58.78ID:iHPRO6Cc0
>>523
欠史の部分でも誰と結婚したとか出てくるよ
それで勢力範囲というか交際範囲が広がっていくのが判るし
妃の数が増えていくのが判る
0542名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:34:30.46ID:1Sqj9Nhy0
崇神天皇の時代以前にも奈良に古墳があるから誰かはいたんでしょうけど、
後代の記紀の段階では話の辻褄をつけたとしても、実際は血が繋がってると限らないし、
同じ王朝であったかもわからない。
結局はわからんとしか言いようがないよね。
0543名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:36:01.07ID:WoDJ7K+p0
>>521
>>513にソースがあるが、畿内では副葬の風習は邪馬台国よりも後に始まってる
そしてその中核をなしたのが九州式の三種の神器
0544名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:36:26.84ID:Ak6RdPOH0
>>536
遼東の興隆窪文化や紅山文化の担い手のウラル語族と同じY染色体N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が
青森県で見つかっている。
朝鮮半島では報告はないな。
それのことか?w
0545名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:39:55.06ID:MCeRcwHT0
>>544
で、日本書紀を書いた渡来人(天孫族(笑)については、これで良い?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
0547名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:42:31.32ID:Ak6RdPOH0
最近はニ頭里文化は周辺の祭祀や青銅器、玉器などを採用して逆にスタンダード化して中心に
なったという見方らしいな。
0548名無しさん@1周年
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2018/01/08(月) 23:44:26.53ID:7Z3onGsU0
あくまでも三種の神器に関しては、現天皇家の先祖が九州から東遷してきたことしか表してない。
卑弥呼や邪馬台国との関係性は不明だ
0549名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:45:02.27ID:WoDJ7K+p0
邪馬台国の時代の畿内遺跡からは絹がほとんど出土しないため、
当時の畿内ではまだ養蚕が行われていなかったのが分かる
>>408の通り九州から来たと思われる権力者の墓から僅かに出たのみ
副葬の習慣も、副葬された物も九州発のものばかり
0551名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:47:07.53ID:1Sqj9Nhy0
邪馬台国が九州であろうと近畿であろうと近畿に最初の統一権力が成立したことに変わりないからそんなに大事な問題かなと思うね。
0553名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:55:40.07ID:WoDJ7K+p0
>>548
平原遺跡からは皇室の三種の神器の一つ、八咫鏡の同型鏡が5面も出土している
また平原遺跡からも三種の神器がセットで出ている
この事実は邪馬台国時代の中心が九州北部にあったこと、その勢力が後の皇室とのつながりを持っていたことを示している
しかもこの鏡は内行花文鏡で、>>408にある畿内では希少だった絹で包まれた鏡と同じ文様
0554名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/08(月) 23:58:43.60ID:MCeRcwHT0
>>552
元の時代からね。

で、残り二つについては?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
0555名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 00:03:02.99ID:1dphRlKt0
>>540
でも外交やなにをしたか等の記述はないからな。最近の遺跡の出現で徐々に証明されてゆくだろう。
今後葛城地方はかなり鍵になる。
0556名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 00:05:35.07ID:FFoG/b1d0
>>554
SOVは渡来人が持ち込んだというのは半世紀前の説だよw
遺伝子と言語学の比較研究だと、水稲と関係する「渡来人」のY染色体O1b2系統はオーストロアジア語族の
O1b1系統の仲間でSOVではない可能性が高いんだよ。
0557名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 00:09:03.03ID:0CnGMlTG0
>>556
で、残り二つについては?

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
0559名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 00:53:59.25ID:FFoG/b1d0
(164)瀬田遺跡の円形周溝墓
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2017/04/tanken164.html
>県内最古の前方後円形

> 2016年春、橿原市の瀬田遺跡で、弥生時代の終わり頃に造られた「円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)」が
>見つかりました。円形の墳丘の南側に台形の陸橋がとりついており、古墳時代の「前方後円墳」にそっくりです。
>全長はおよそ26メートル、墳丘の直径は約19メートル。残念ながら、墳丘は後世に削りとられていましたが、
>周溝がよく残っていたため、お墓の形や大きさがよくわかりました。

> 瀬田遺跡の円形周溝墓は、県内で見つかった最も古い前方後円形のお墓です。橿原市の東北に位置する
>桜井市には、最古級の前方後円墳とされる箸墓(はしはか)古墳や纒向(まきむく)石塚古墳があります。ところが、
>さらにそれよりも古い前方後円形の円形周溝墓が、これまでに香川県や兵庫県、大阪府、滋賀県では見つかっ
>ていました。

> 当然、奈良県でも纒向石塚古墳よりも古い、前方後円形の弥生時代の周溝墓が見つかるはず……。そうした
>予想と期待に応えたのが、今回の発見だったのです。瀬田遺跡の円形周溝墓から纒向石塚古墳へ、そして箸墓
>古墳へと、前方後円墳がどのように出現したかを考えることができるようになりました。
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%94%EF%BC%89%E7%80%AC%E7%94%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%AE%E5%86%86%E5%BD%A2%E5%91%A8%E6%BA%9D%E5%A2%93.jpg
> 畝傍山(奥)に近い瀬田遺跡で見つかった円形周溝墓。周溝の跡がよく残っていた

>(奈良文化財研究所主任研究員 森川実)
>(読売新聞2017年2月12日掲載)
0560名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 00:58:24.77ID:J3zSsBKG0
>>410
倭三山も九州だったか
これはもう確定的だな
0563名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 01:44:26.44ID:DpGsiCFK0
>>561
香具山で金属が採れないのはどうにも誤魔化しようがない
やっぱり九州だったんだよ
0564名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 01:47:07.67ID:0CnGMlTG0
>>556
その水稲と関係する「渡来人」と、日本書紀を書いた「渡来人」は同一なの?
0565名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:07:51.94ID:1dphRlKt0
>>563
何を訳わからん事を。
古来の資料で香久山は鉱山なんて書かれた資料はないのだが。
逸話にしても伊予と大和に別れた山と
は書かれているが、九州は全く無関係だよ。
デマはよくないな。
0566名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:11:05.24ID:0CnGMlTG0
巨大古墳を作ったことが、あんな大事業なのに、記紀に書いてないのは何故?
0567名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:14:17.25ID:1dphRlKt0
箸墓逸話なら日本書記に載ってるけど?
大坂山から石を運び、昼は人が、夜は
神が作ったと。
0568名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:18:00.49ID:FFoG/b1d0
>>565
天の香具山の「金(かね)」は神話のこれのことだろう。
http://www.j-texts.com/jodai/shokiall.html
>《第七段本文》是後素戔鳴尊之為行也。(中略)時有高皇産霊之息思兼神云者。有思慮之智。乃思而白曰。
>宜図造彼神之象、而奉招祷也。故即以石凝姥為冶工。採天香山之金。以作曰矛。又全剥真名鹿之皮。以作天羽〓。
>用此奉造之神。是即紀伊国所坐日前神也。石凝姥。此云伊之居梨度〓[口+羊]。全剥。此云宇都播伎。
0569名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:23:36.14ID:1dphRlKt0
>>568
天香山なら二上山、大坂山の可能性の方が高いな。別名がまさに天香山、高山とも呼ぶ。
二上山なら鉱山だからな
0570名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:24:30.95ID:DpGsiCFK0
>>565
デマは畿内論者しか言わないよw

故即以石凝姥為冶工 採天香山之金以作日矛(日本書紀)
0571名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:26:56.99ID:DpGsiCFK0
>>569
「二上山、天香山」でググってもそれらしき内容が全くヒットしないが?
デマは良くないなw
0572名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:32:29.96ID:1dphRlKt0
>>571
ネットが全てではないからな。地元ではダケヤマ、香山、イノセ山とよんでいた記録がある。
0573名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:36:31.95ID:qVukgXG10
そもそも香久山は九州に関する記述が全くない時点で話にもならんわw
ググると妄想全開のブログばっかり。
0574名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:38:23.70ID:DpGsiCFK0
>>572
ソースは?
このネット全盛の時代に全く話題に挙がらないような内容を信じろって?w
0575名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:42:37.05ID:1dphRlKt0
ちなみに二上山麓にあったのが香池、これは
中学校の名前の由来になり、合併した
町の名前にも採用された経緯もある。
コウ山、高山とも呼んでいたので、麓の
宅地の高山台の由来にもなったな。
0576名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:43:07.81ID:DpGsiCFK0
>>573
九州の話であることを隠すために改竄捏造したのが記紀なんだから直接書いてないのは当然w
でも>>195>>408など、考古学的には記紀の神代に当たる時代、
すなわち邪馬台国の頃は九州が日本文明の中心だったのは明白だし、
天香山で銅が採れたとかあり得ない内容で記紀の捏造がバレてしまっている
0577名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:44:12.73ID:DpGsiCFK0
>>575
地元の町おこし紹介は要らないから早くソースを出せよw
0578名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:48:58.74ID:DpGsiCFK0
そもそも二上山は鉱山といっても石器の材料のサヌカイトの鉱山だw
鏡の材料になる金属が採れたなんて話はない
0579名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:49:36.58ID:FFoG/b1d0
葛城山の麓の葛木坐火雷神社の祭神は何故か天香山命なんだよな。
0580名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:50:49.01ID:Jfghwr770
軍事力で圧倒していた弥生時代の北部九州が畿内に対して行動に出れば、
とても太刀打ち出来ないというのが尤もな見方であるのが明らかだが、
地元イズムとプライドが賢明な畿内説諸兄の目を曇らせるのであろう。
またも負けたか八連隊(大阪)、それでは勲章くれんたい(京都)、と詠われる畿内兵の弱さである。
兵装においても精神力においても利がない畿内軍が精強な九州鉄器軍団に勝つのは不可能であったろう。
0581名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:51:00.71ID:FFoG/b1d0
香具山は天から落ちてきたという伝承もあるし、隕鉄拾ったかもな。
0582名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 02:55:33.07ID:DpGsiCFK0
>採天香山之金
だから、そこに金属があると最初から知ってたわけだ
苦しい言い訳を並べても見苦しいだけ
0583名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 02:57:23.91ID:qVukgXG10
本気でいってるなら怖いものがあるな。
天香久山が大和と伊予二つに別れたとあるのは伊予と阿波の
風土記で日本書紀ではない。勿論九州、筑紫に
あった記述なんて何処にもない、妄想も度がすぎる。
ちなみに二上山は金剛砂も産出、鏡や剣を造るのには使った可能性はある。 何より金山彦神社のすぐ横だからな。
0584名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 03:02:21.72ID:WQGK+lvx0
箸墓を堀ればいいのに
親魏倭王の印綬が出てくればおk、でなきゃダメ、でいいだろ
0585名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 03:08:08.81ID:1dphRlKt0
>>582
言い訳もなにもそもそも天香山
が九州にあったというソースがあるのかと。
ちなみに白い岩も二上山麓にはあるよ。
屯鶴峰という、これなら普通にネットで見れる。
一応葛城山系は銅も取れるので念のため。
0586名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 03:38:52.16ID:ie2httHr0
>>574
ネットが全てなのかテメエは?馬鹿じゃねえの?
0587名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 06:14:19.67ID:uuLEgWEj0
舒明天皇は629年に即位して、明日香に都をおいた天皇
630年には遣唐使も送っていて所在もはっきりしている
有馬温泉に行っただけで記録に残っているのに
九州の天香山になど行ったことはないだろう
和歌の話なら雲海を海に、山を島に見立てた
幻想的な風景を歌っているだけ
山に登ったら海とカモメが見えましたなんて
小学生の作文レベルに貶めるなよ
0588名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 07:29:41.87ID:M87IwBDi0
>>585
屯鶴峰って漢字で見ると風雅だが「どんづるぼー」って言うと何だかなあ
0589名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 07:35:50.31ID:JIyDhKc30
奈良の地名はもともと北九州の朝倉の地名が由来になってて移住説の根拠になってる
0590名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 07:52:15.63ID:vlQo2aFy0
ゴッドハンダー畿内どもの断末魔が楽しいスレだな
0591名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 08:00:30.66ID:w8R3Wakn0
>>563
何も九州だけじゃない。
海が見えて鉱物や蜜柑、杉や榊が生えてそうな山で、高山とか香山と名前がついた山はあちこちにある。
0592名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 08:01:36.68ID:ie2httHr0
九州説論者ってDpGsiCFK0みたいな基地外が多いのか?
0593名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 08:03:04.85ID:riNsCZNO0
九州は大陸と連合軍でも組んだか
あるいは九州も侵略された側とか
0594名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 08:03:57.13ID:w8R3Wakn0
>>581
まあいわいる、レプリカと言うことだろう。
新しい都を作ったとき、昔の都にあった象徴のレプリカとしてそれに見立てて、名前をつけた。
0595名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 08:09:55.26ID:WGsIEFYu0
没126歳の時点で()
0596名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 09:45:59.94ID:bGDeok8Z0
三種の神器を埋葬する風習が北九州から畿内の前方後円墳へ入ってきます。
0597名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 09:50:20.00ID:VDbZo0Zt0
神武天皇なんぞいないよ。
0598名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 10:29:30.79ID:Qa08nRVy0
三種の神器は九州独自?
大陸にはないんかな
0601名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 11:01:00.13ID:1dphRlKt0
>>587
舒明天皇は伊予までは行って記録残したんだよね。香久山の伊予と大和に別れたというのは
この辺りからも何らかの理由があるかもしれない。
ちなみに舒明天皇系は二上山周辺に基盤を持つ
のもはっきりしているからな。
牧野古墳の彦人皇子だったり、二上山頂きに
葬られた大津皇子とかね。

>>585
実際見たら本当に真っ白なんだよな。
鶴が群れた様子というより、確かに白い衣を
干してる様に見える。
0602名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 11:17:45.33ID:jlqacA0uO
いくら洗濯物干したように見えても、神聖な山をそんなふうに形容するって、裏の意味を思う
持統天皇の裏の顔
0603名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 11:20:55.19ID:rcD+LiWm0
>>598
九州独自のものではない
墓の中には鏡の他に武器としては剣、刀、矛、戈、弓矢、鏃などが入れられた
装飾品としては勾玉、管玉、ガラス玉、ピアスなどが入れられた
そういう副葬習慣は畿内に伝搬
あらゆる武器や装飾品が副葬されたのであって剣と勾玉が特別に扱われてたわけではない
いつの頃か不明であるがヤマト王権はその中から鏡と剣と勾玉を選んで3種の神器にしたと思われる
ちなみに畿内で副葬を始めた最初がホケノ山であるが鏡と剣は入っていたが、勾玉は入っていなかった
0604名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 11:21:24.09ID:jlqacA0uO
スレタイについては、今の外交問題もかかわっていると思うから、推測できていても語れない
0605名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 11:30:28.58ID:olIWvK+G0
昔は倭も日本も大和も漢字の読みはヤマトだったよ
0606名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 11:55:53.09ID:zosTLGGG0
>>1
 新唐書卷220 列傳第145 東夷
【現代訳】
日本は古の倭奴国(いどこく)である。都長安から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中にある島国である。その国土の広さは歩いて東西は五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
国都には城郭がなく、材木を並べて木柵とし、草で屋根をふいている。周辺には五十余りの小島があり、それぞれ勝手に国と号し、日本国に臣下として服従している。王は統轄者を一人置いて、諸地方を監督させている。
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

其王姓阿每氏 自言初主號天御中主 至彥瀲 凡三十二世 皆以 尊 爲號 居築紫城 彥瀲子神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州 次曰綏靖 次安寧 次懿コ 次孝昭 次天安 次孝靈 次孝元 次開化
次崇神 次垂仁 次景行 次成務 次仲哀 仲哀死 以開化曾孫女神功爲王 次應神 次仁コ 次履中 次反正 次允恭 次安康 次雄略 次清寧 次顯宗 次仁賢 次武烈 次繼體 次安 次宣化
次欽明 欽明之十一年 直梁承聖元年 次海達 次用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通 次崇峻 崇峻死 欽明之孫女雄古立 次舒明 次皇極
0608名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:00:12.01ID:2xnglTEc0
ID:Z60bMYn+0
日本語も読めないキムチ臭いのが必至だな
今日も湧いてそう
0611名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:07:17.02ID:zosTLGGG0
>>1
新唐書には、日本はむかし金印を与えた倭奴国。
筑紫に三十二代いた後、神武のときに大和に移ったと書いてあるんだよね。
三十二代じゃなくて二十三代の間違いじゃないかとも言われてるけど、徳川十五代で三百年だから少なくともそれより長く九州にいた計算。
倭奴国が光武帝から金印を受けたのが西暦57年。後漢書
卑弥呼が親魏倭王の金印を受けたのが西暦240年。
魏志倭人伝に書かれた邪馬台国への行程。
そこにある奴国が倭奴国のことだろう。
0612名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:08:22.69ID:LfNPrGj60
今の橿原神宮自体は明治に建ったんだよね?
神武天皇の霊は収まってるとは思うけど。
0613名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:11:40.15ID:jJne0dorO
>>611
文献を素直に読めば九州以外の結論は有り得ないんだよな
0614名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:19:14.27ID:DJgS4E+10
元旦と神武は関係ないよ。語源が中国だし、新年の祝う習慣なだけだ。
0615名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:19:51.41ID:zosTLGGG0
>>1
魏志倭人伝

帯方郡から水行で海岸を循って狗邪韓国まで7000余里。
始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。
また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。
(帯方郡から末廬国まで船で1万里)

東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。
東南に100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと、不弥国に至る。
(末廬国から不弥国まで陸路で700里)

南へ水行20日で、投馬国に至る。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。
(再び船に乗る 不弥国から邪馬台国まで船と陸路で1000〜1300余里)

帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。
------------------

帯方郡から対馬などの島を経由して九州本土の末廬国に着くまでが一万里。

『古事記』の「末羅県(まつらのあがた)」、『日本書紀』の「松浦県(まつらのあがた)」にあたることからも、佐賀県唐津(からつ)市内に比定される。(日本大百科全書)

そこから邪馬台国までは二千里だ。内訳は上にある通り。
伊都国は福岡県糸島市。奴国=倭奴国=筑紫。不弥国。ここまでで既に700里。邪馬台国までは残り1300里。
内陸にあるらしい不弥国から再び船に乗ったということは、海ではなく筑後川を下ったところに邪馬台国があったということだろう。

神武天皇の時に大和州に遷都したと言ったら、中国の皇帝に、遠くて大変だなと同情されたらしい。
こんなことからも邪馬台国と大和州は別物だということがわかる。
0616名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 12:19:55.90ID:6FzQZoXl0
ま、偏向報道…
0617名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 12:20:12.97ID:qVmsjkMl0
............天智天皇
................|
聖徳太子-橿原神宮-伊勢神宮
................|
............天武天皇
0618名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 12:22:59.58ID:WWP4UAyY0
2600年は嘘だと思うが神格化されただけで神武天皇にあたる人物はいただろ
0619名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:23:27.81ID:Tf46F1te0
>>3
10センチずつ動かしてねつ造ストーリーに持ち込むヤツやね
0620名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 12:26:33.84ID:jJne0dorO
>>591
他の考古学資料と突き合わせて考えれば九州以外じゃ有り得ないんだよ
大体古事記も日本書紀も奈良に都が出来たのは宮崎から来た神武の時だとしている
ならばそれより前の神代の記事は別の場所じゃなきゃおかしいんだよ
そんな前から畿内に注目していたなら最初からニニギは畿内に降臨すればよかったってことになるからな

本来は主家筋だった九州王朝を滅ぼして簒奪したのを隠そうとして高天原なんて仮想世界を作ってみたり、
九州の地名を畿内にコピーしたせいでまだ神武東征前なのに畿内が出てきてみたり色々辻褄が合わなくなってる
0621名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 12:30:53.24ID:Tvq4UsJs0
ネトウヨは嘘つきだからな。
0622名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 12:44:03.70ID:IEgHqQmF0
「卑弥呼」は魏でどう発音されてたんだろ?
0624名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 13:02:09.21ID:hV1oyVk50
>>604
どの道、現在の朝鮮人とは何ら関係ないよ
連中が皆殺しにして乗っ取っているから
0625名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 13:12:54.17ID:6HlWuAKk0
現代朝鮮は、元の襲来時王族が島に引きこもって、半島部分は焦土と化してるからな
中国もそうだが、一度遊牧民に蹂躙されると民度の回復は何百年経っても難しい
0626名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 13:15:03.62ID:6HlWuAKk0
>>611
新唐書くらいになると日本書紀などを参考とした記述になるからあまり参考にならない
0628名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 13:22:47.16ID:ONB88s5m0
日本は古代研究がタブーだからな

天皇が半島人ってバレちゃうから宮内庁も隠ぺいに必死

街宣車乗ってるコリアン系右翼は歓迎すべきなのにな
0629名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 13:28:59.56ID:jlqacA0uO
>>628
古墳がある地域の専門家と共同で、本格的な発掘調査するって決定済みだよ宮内庁
0630名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 13:29:26.80ID:m207UxzM0
旧唐書にある通り、日本は倭国の別種なんだよ。中国の史書の日本国についての記述には白村江の戦いの記述が無い。
0631名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 13:38:36.32ID:qVukgXG10
>>628
それは違うな。逆の意味で半島南部が倭の国だと判明していくからね。
半島から九州経由で文化が流れたとする思考と逆行すると困るから。

だから箸墓の年代、前方後円墳の始まりを必要以上遅くしようとする連中は
色々怪しいと思った方がよい。
0632名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 13:42:51.98ID:6HlWuAKk0
>>628
逆だ
朝鮮半島は元々倭国の領域だったという思想から、明治時代の征韓論や日韓併合になったんだぜ
0633名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 14:16:34.83ID:zosTLGGG0
>>629
それは楽しみだわ。天皇陵からD1bのY遺伝子が出てくるかな?
0634名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 14:21:34.43ID:hV1oyVk50
>>628
当時の半島人と、朝鮮人とは別物だろ
古代ローマ人とイタリア人とは別物ってのと同じ
0636名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 14:28:53.92ID:6HlWuAKk0
>>629
本来なら墓もちゃんと整備しないといかんし、いい傾向だな
0637名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 14:38:48.09ID:1tLv+GDd0
九州と近畿どころか
四国、中国地方、関東でも地名が被ってる。
富士山も最初は四国だったって話もある

どこが最初かはどうせ分からんし、それをやりすぎるとユダヤ人とか言いだすことになる。
0638名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 14:44:27.81ID:zosTLGGG0
大和は邪馬台にあやかって名付けたんだろうな。
0639名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 15:01:29.86ID:t2s3hDOg0
>>638
偶然日本を代表する二つの別の国が似たような名前だったとは考えにくいよね
畿内のヤマトを邪馬台と表記したのか、九州にあった邪馬台からとって奈良の東南部がヤマトと呼ばれるようになったのか
神武東征前に畿内ヤマトがヤマトと呼ばれていた痕跡ってあるのかな?

ポリネシア系の言語でイア・マトで湿地帯という意味らしいけど、湿地帯はどこでもあるしこれはあまり参考にならないか
0641名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 15:32:47.48ID:FqEOggoq0
開化帝の先代孝元が帝が、クニクル(国牽・国玖琉)で大国主命を想定してるようだけど、その父さんの孝霊はなんだったんだろうね。
孝霊帝の和名はフト"ニ"(太瓊・賦斗邇)。崇神の和名がイ"ニ"エ(五十瓊殖)。
「瓊」の意味は玉。「邇」の意味は"近い"(おそらく似るのニ)。
玉は日本では魂になるので、孝霊の霊と合う。
ここまでは編纂当事の神話を引っ掛けて創作でも良いんだが、その開化以前の子供達と祖と主張する子孫達が存在し、大和朝確立の逸話に登場する点。
それらは大国主命や地神=国津(山陰山陽東国)側と関係がある。
0642名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 15:49:55.04ID:rcD+LiWm0
>>639
・遺跡の年代測定によるとヤマト王権の首都であった纒向が造られたのが西暦200年前後
・魏志倭人伝によると倭国大乱の後、女王卑弥呼が共立された時期も西暦200年前後
・邪馬台国が存在していたと文献に明確に書かれている最後の年は西暦266年

九州にあった邪馬台国が東遷してヤマト王権になったという説は時系列が逆転しているので不可能
両者を同一と考えるのがもっとも妥当だと思うが
0643名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 15:57:12.31ID:t2s3hDOg0
>>642
遺跡の年代測定には誤差があると指定されてるから別のアプローチができんもんかなと思ってね
0646名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 16:11:53.11ID:qVukgXG10
>>641
孝霊という名前は中国霊帝の諱に合わせているのだろう。
ピッタリ倭が乱れた時代とも合っている。

また神話のスサノオと逸話が被っている。どちらも
出雲で戦ったり、嫁取りしたりの話があるからな。
それにイザナミの墓を参った逸話があるのも孝霊。
0647名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 16:19:23.62ID:qVukgXG10
>>639
そもそも一番古い地名記録の和名妙でも奈良盆地周辺にヤマの名前が多いだろう。
天理市がヤマトに斑鳩法隆寺周辺がヤマ、大坂山周辺は皆ヤマタヘだから。
0648名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 16:39:52.47ID:85Hkvsnc0
>>643
年代については学者の間では誤差10年20年の範囲に収まってる
こういう掲示板で貼られているのはだいたい素人のイチャモン
あとは関川編年だが学者の賛同者ゼロ
畿内と九州で同じ土器が出土しても100年近くズレてることになるんだから賛同する人がいるはずもない
0649名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 16:55:20.88ID:6HlWuAKk0
邪馬台が祭祀の中心だっとしても、この頃は地方豪族同士の連合協定みたいなもんだな
政治ではなく祭祀でまとまってるから男王が継ぐと大荒れになった訳で
0650名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:16:39.05ID:0DZlY3dL0
橿日・香椎があやしい
0652名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:25:24.28ID:0DZlY3dL0
橿波良能宇美備乃宮だったりして
海岸に近い香椎
宇美に備えた宮
0653名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:34:05.70ID:2xnglTEc0
嘘だらけの九州説推しの馬鹿は日本の歴史をゆがめてる反日キチガイ
日本の歴史にどうやってもケチをつけたいらしい
0654名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:35:46.40ID:wp4g6yiV0
この人の本って基本終わってるよねwwwwwwwwwwwwwww
0655名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:37:06.90ID:wp4g6yiV0
本当の学者から全力で嫌われるタイプの歴史作家wwwwwwwwwwwwwwwww
0656名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 17:38:39.58ID:wp4g6yiV0
こういう奴等を金儲けの為に野放しにしている出版社は本当に酷いと思いますwwwwwwwwwwww
0657名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 18:22:06.61ID:jlqacA0uO
いろんな人の突拍子も無い推論たのしいから、読むのが日常の喜び
0658名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:22:23.44ID:96OOajVGO
応神朝が大王家の始まりじゃないの?

それ以外は単なる豪族で終わりだろ
0659名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:26:43.85ID:JcHH/P1W0
>>658
いう通り応神天皇辺りから他国の歴史書、遺物との出来事と年代の照らし合わせが出来るので史実の可能性が高くなっている

ただ、この時代に最盛期を迎える古墳はその200年以上前から使われている
この日本独自の墓制の分布と使用法を考えると系譜の是非はともかくとして根本的に同じ勢力が成長拡大していたものと考えられる
全く異質の勢力が成り代わっていたと考えるのはむしろ困難
0660名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:33:14.83ID:96OOajVGO
>>659

国譲りってそういうもんじゃないの?
インフラ基盤は頂きますってだけでさ

単純に主従逆転があったんじゃないの?
0661名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:42:41.65ID:JcHH/P1W0
>>660
確かに当時の大王は安定したものではなく記紀の都や古墳の移動を見ると、豪族間の調整によって大王の立場が変化していることは見て取れる

ただ単純に勢力の大きさなどを考えると吉備は古代で最も強力な勢力と考えられるがここに中心が移ることはない
他にも周辺に大きな存在感を持つ勢力がいるがそこにも動かない
中心は畿内を出ることがなくその中で拠点が移動している

この事からどこかの勢力が優越して勝手に何かをするのではなく「共立した権威」と言う存在を維持していた可能性が高い
戦国時代などの天皇の存在に似ている
0662名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:45:50.72ID:FFoG/b1d0
>>589
朝倉は白村江の戦いの際に斉明天皇が遷幸して宮を置いたとこだね。
朝倉橘広庭宮で崩御したから、その周辺に奈良の地名をつけたのかも。
朝倉の地名を奈良につけたとか言っている人達は斉明天皇のことには触れないよねw
0663名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:49:30.52ID:96OOajVGO
ヌシ系とキミ系が争って単純にキミ系が勝ったんじゃないの?
むしろキミ系が惻隠の情でヌシ系を残しただけじゃないかなぁ

その後の日本の歴史はこれの繰り返しになる
源平合戦や南北朝など

蘇我と物部の争いも同上
0664名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 19:55:25.16ID:JcHH/P1W0
>>663
出雲の衰退はもっと前だよ
古墳時代に入ると弥生時代の存在感をいきなり失って特に目立つことのない土地になる

古墳時代の政権を左右する存在ではないよ
0666名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:04:14.90ID:JcHH/P1W0
弥生時代の後期の頭頃には吉備も畿内も出雲の祭祀に参加してその影響下にあるのが見える
ただ畿内ではその象徴である四隅突出型墳丘墓は用いず、独自の墓制や祭祀を発展させてそれに飲み込まれることがなかった
そして弥生末期になると吉備、畿内の勢力がその勢力地盤を完成させて出雲を逆に影響下に入れるようになる

この動きが神話の出雲の先行と、後の大和政権への服属の物語なのだろう
0667名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:04:55.35ID:yHui/ysh0
>>664
その割に前方後方墳で最後まで頑張ってるけど
0668名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:06:31.73ID:dStebQMq0
ポリコレクソパヨク出て行け
0669名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:11:46.13ID:qVukgXG10
イヅモは夷のツマ、伊都からみて東の端の意味があったと個人的に思う。
イズミやアズマも同様な意味だったはず。
なので出雲地方とは弥生中期位の地勢感が反映してるのだろう。
0670名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:12:03.61ID:RWfMT9d90
新唐書には
「倭国」に、彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号して、
大和州に移って統治した
と書いてあるわけで
神武天皇は歴史的事実でしょう
0671名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:12:33.96ID:ngopVZ6e0
神武天皇がキュロスで
継体天皇がダレイオスみたいなもん
0672名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:14:52.58ID:RWfMT9d90
隋書には
倭国の真ん中には「阿蘇山」があり
と書いてあるので
倭国は九州で間違いありません
0673名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:15:34.50ID:FFoG/b1d0
>>630
>中国の史書の日本国についての記述には白村江の戦いの記述が無い

どの史書だよ。
それと、外国の伝はその代の王朝にとって特筆すること以外は省略するから倭国は日本のことだで終わってしまう。
0674名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:25:58.05ID:qVukgXG10
>>672
その理屈では倭人伝には阿蘇や火山の記述がないから
熊本辺りから南側は倭ではないという意味にもなるな。

倭国伝の隋の時代に隼人を制圧して倭国となったという事だろう。
0675名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:30:10.42ID:FFoG/b1d0
>>611
宋史日本伝に日本から来た僧侶が「王年代紀」なる書物を宋皇帝に献上した話がある。
宋史日本伝
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/soushi/soushi_yomi.htm
その内容は歴代の名前を省略している新唐書と違い連ねており、記紀の神々であることがわかる。
日本書紀
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html
現代の皇統譜のように書き連ねてあったものかもしれない(あれも天御中主以下の神々がつながって書かれている)。
記紀を読めば自然神だとわかるものも、皇統譜のような逸話・事績のないものだと人間だと勘違いするだろう。
0676名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 20:37:48.46ID:uuLEgWEj0
自分は飛騨の口碑やウエツフミに興味があるので
神武は飛騨から来た一族の子孫で
飛騨から九州に行き、奈良に東遷して神倭国を開いたが
神武の子の綏靖天皇ではやくも途絶え(理由は不明)
しかも三輪はもともと飛騨の一族の聖地だったのに
国譲りの件で恨みがあった出雲系の崇神天皇に
乗っ取られたというストーリーが一番好き
意外と現実味もある気がする
天照も神ではなく飛騨の予見に長けた巫女で
外国から来た人たちが日本中で暴れまわることも
お見通しだったそうだ
0677名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/09(火) 20:41:04.13ID:FFoG/b1d0
年代紀だと編年の史書になるが、文化が違うとはいえ日本書紀の神代の内容を人間だと思うだろうか?
0680名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 21:08:15.28ID:FFoG/b1d0
>>679
>>675のURLに読み下し文の宋史日本伝があるが、新唐書で筑紫城とある辺りは
「凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。 彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す。」
とあり、記紀と基本は同じであることがわかる。
記紀の内容だとイザナギに至るまでの神々をひとつながりの系統として見るのは難しいので、記紀の神代にあたる部分は簡略され
ているかもしれない。
0682名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 22:41:30.03ID:8u3wA7e70
>>669
今でもそうだが瀬戸内と日本海側
まったく気候が違う
ちょうど南北の県境から不気味な感じになる
鳥取島根は完全に北国。
瀬戸内海は陽気。
なので出雲押しの人はそこら辺の根本的なところの感覚がない
人なのではないかと思う
0683名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 22:53:43.57ID:uuLEgWEj0
出雲は大陸に近いし、鉄などの資源も豊富
古代なら本州の中心と言える場所
縄文時代は飛騨でさえ温暖で住みやすかったというから
出雲もよい気候だったのだろう
あくまで縄文時代の話だけどね
0684名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 22:53:57.82ID:FFoG/b1d0
>>681
それは南朝梁武帝の職貢図の写し。
日本は宣化天皇、欽明天皇の頃で使者は派遣していない。
この時代の倭(日本)の貴人である使者がそのような服装なわけがないので、想像で描かれたものだろうというのが通説。
0685名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 23:05:36.09ID:8u3wA7e70
>>655
というか現国のテストで使用すればいいんだよね
ひっかけ問題作りたい放題だからw
妄想に飛びついたアホは全部落してやるw
0686名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 23:18:13.93ID:qVukgXG10
>>684
それ貼ってるのはまたいつもの人だろう、
3世紀に百済や新羅が存在するはずもなく。
0687名無しさん@1周年
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2018/01/09(火) 23:43:36.99ID:8u3wA7e70
>>676
そういう二次創作よりも
原文そのままのほうが面白いんだけどね
妄想本の類は読んでて気分が悪くなる
一行一行飛躍を突っ込まなきゃいけないから

特に古代史は
と学会「世間のトンデモ本やトンデモ物件を品評することを目的としている」
的な活動が一番必要

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E5%AD%A6%E4%BC%9A
0688名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 00:25:12.02ID:tNUDx2BX0
>>664
派手に大虐殺された痕跡があるのは青谷上寺地遺跡だっけ?
出雲方面の勢力は戦乱でこっぴどくやられたのかもしれんね
0689名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 00:31:38.62ID:1OwVlF260
ウガヤフキアエズ第四代は宣告します。
「私の国に、外国人たちがやってきて悪事をなすのは、私自身の罪なので、
それを祓うために霧島山にお宮を建てて、イザナギとイザナミをお招きしよう。」と・・・。

そこで、イザナギとイザナミは、
「嬉しいことだ、喜ばしいことだ、私たちの子孫が祀ってくれるとは。
外国人がやってきて蜂起して、悪いことをしている人たちを追い出すなら・・・」と、
お祓いをして、戦勝のために数々のお宝を授けます。
また、手に持っていた天の沼矛を投げると、霧島山の頂上に逆さまに刺さりました。
これは人民の長生きを守る神様となりました。

加羅支那の国の王・セムキの使者のハカルウテが、新羅の国を越えて、対馬に渡り、そこから天草の海峡にやってきて、鹿児島のオヂトという所にいた、鹿児島の国主・秋津大潮百人彦の命に申し上げます。
「加羅支那は御国の属国となりますので、お願いをかなえてください。」
そこで首都のあった高千穂の二上の大宮に連れてゆくと、平身低頭しながら
「私の国の王が申すには、国内には産業がありません。
今の人はみんな毛皮を着ていますが、我が国には繭、麻、綿も採れないので、人民は木の皮を着ています。」というので、
3大臣(中臣氏、物部氏、オモイカネの子孫)は協議して、5種類の穀物の種を授けました。
これが豊かに実ったのでこの国ではいまだに5柱の神として祀っています。
さらに、機織の神や造船の神を派遣して、産業を興すこととし、また文字も教えることとしました。
ところが、約5年後にこの国の使者コロムキがやってきて、
「いただいた穀物は実りませんでしたので年貢はかなり先になりそうです。」と申し上げます。
だからこの使者の着いたところを唐津城(からつき)の国といいます。
この加羅支那国がのちに任那となって、日本による朝鮮半島統治の中心地となりました。
さらに、神宮皇后が遠征して、三韓征伐を行ったことは記紀にもあるとおりですね。
0690名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 00:41:12.03ID:nW2tmmMa0
弥生以前の受傷人骨って結構見つかってるんだね
0691名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 02:06:08.24ID:1i7QBy010
短頭・長頭のことで興味深いことが。ベトナム人も短頭だってさ。Y染色体O1b系統の特徴だったのかも。
日本人は混血が進んでY染色体と身体の特徴が一致しずらいけど。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E4%BA%BA-129742
>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
>ベトナム人 ベトナムじん Vietnamese
>安南人,キン族ともいう。ベトナムの基幹住民。カンボジアにも一部居住する。形質的には一般に短頭型で手足は短く,
0692名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 02:10:03.97ID:1i7QBy010
オーストロアジア語族のカンボジアのクメールも短頭なんだね。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%97%8F-56080
>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
>クメール族 クメールぞく Khmer
>カンボジアの人口の大半を占める民族。先史時代からモン族と混血し,これに1〜2世紀頃から南インド系植民者が
>混血したものとみられ,その他マレー人の血も混っているとみられている。言語はモン=クメール語族に属する。
>形質的特徴としては,長身,短頭,皮膚は黒色が勝ち,髪は波状である。
0693名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 02:41:32.40ID:XzsCu1FT0
>>673
新唐書。
同じ唐王朝の史書である旧唐書の倭国条項には白村江の戦いの記述があるのに、新唐書の日本国条項にはない。
0694名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 02:43:30.11ID:jBJzih0u0
志賀島って中世には中国から福岡方面に来た船が絶対留まる場所だったらしいじゃん
そんな場所に大規模集落があったら遺跡が有るはずだし
無いなら金印がそんな場所から見つかるのは甚だ不自然だ
0695名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 02:46:25.53ID:XzsCu1FT0
>>675
新唐書には、「国王の阿海氏が自ら言った」とある。
0696名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 02:54:03.74ID:XzsCu1FT0
国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。

其王姓阿每氏 自言初主號天御中主 至彥瀲 凡三十二世 皆以 尊 爲號 居築紫城
0697名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 03:10:01.46ID:XzsCu1FT0
>>694
志賀島は安曇氏が拠点としたらしい。
現在の志賀海神社で航海の安全を祈願する場所だったのだろう。
0699名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 06:55:57.92ID:F/WcDRm40
>>689
ウエツフミ?
当時は穀物の種や文化文明を与える代わりに
年貢を徴収するということを日本国内でも
行っていたのかなあ
その辺、記紀にはあまり書かれていないよね
0700名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 07:51:53.18ID:6BrhBK/R0
欠史八代を時間稼ぎのまったくの作り話だったか?を検討すると、
何時の作り話か?とその内容になる。

何時の作り話か?では、時間稼ぎは確実に記紀編纂時。
また作り話に見える伝承に伴い変化(減ったり増えたり都合よく)する点を除いて、
原型は記紀編纂以前に作り話は作られてると考えられる。

では作り話だったか?では、作り話にある意図を持つ以上、矛盾しないように書くでしょうね。
しかし欠史八代でも矛盾も多く、その作者の想像力に感嘆するばかり。一人では出来ない。多くの人の参加があった。多くの人の参加とは伝承って事になる w
その上で編纂指示した天武は自分の都合を入れ込もうとした事も確実。天武と伝承を持つ多くの氏人の間の緊張感が記紀に現れている。

ま、通説通り、当事もミカドの名を書いている帝記はあった。崇神の叔父のオウビコ系を書いてる稲荷山古墳の剣の銘文のようにね。
0701名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 08:07:09.92ID:6BrhBK/R0
記紀は伝承を歴史に変えた中央政権としての確立と、時代の進歩であり、しかも民族を意識したものとしてまとめてる。
天武、また鎌足やそれを承認した多くの氏族は、ネトウヨの大先人である事は間違いない w
ま、中央政権なんて、どの国もネトウヨそのものですがね。とすればネトウヨとは国、政権を構成するものである。当然ですが w
0702名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 10:38:22.37ID:68Tsap7P0
そもそも、日本書紀に日本の歴史には各氏族毎に色んな歴史が語られてるが、各氏族
に都合良く書かれていて矛盾も多い。従って各地方から風土記を取り寄せて中央が纏
めて日本の正規の歴史書にするって書かれている。物部は物部に都合がいい伝承が有
り、秦氏、紀氏には、異なった伝承が有った事は明らかだ。蘇我の大臣が日本の歴史
の記録を保管していたが、滅びたので伝えられた歴史書も失われたとも書かれている。
日本書紀は意外に正直だよ。日本書紀が足りない部分を、風土記や中国の歴史書から
引っ張って来てる事は、十分な検証はされてるが、研究者の裁量でどれだけ引っ張って
切ってるかは決まる事だから結論はでない。蘇我氏の埋められた遺構から木簡でも出て
来たら色々判るだろうけど、古墳なんてそうそう発掘できないしね。w
0703名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 10:57:22.43ID:8aeH3TF20
日本書紀にも注釈として入れられていない部分が重要だろう。
あれは仏教を広める為でもあるからな。

だから古代からの有力氏族、忌部氏なんかは不満だったんだらよ。
銅鐸に関する話も忌部氏側の歴史書には記述されている。
0704名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 12:27:10.79ID:l86UKH8F0
藤原鎌足の正体は百済王豊璋
藤原氏=百済人
聖徳太子は蘇我入鹿

関さんの本の内容ってだいぶ常識化したけどマジなの?
0706名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 14:52:51.18ID:Kj9RbBi+0
直ぐに渡来人が日本を支配してたとか言い出す人がいるが渡来人に対する、古来から平安時代に至るまでの扱いを見てればとてもそんなことは言えないと思うんだけどね

安易な陰謀論みたいなものをいう人はやっぱり基本的な知識さえもないな
0708名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 19:38:14.58ID:kERI4EHc0
>>1
で、結局、日本書紀を書いた渡来人(天孫族(笑)については、これで異論は全くないのね

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった>>501
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
0709名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 19:47:41.08ID:N1UMIiYm0
天皇のハプログループは非公開w

朝鮮人ってばれるからねw
0710名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 19:50:42.38ID:v0iS/Jmh0
>>1
>「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で

60年に一回だろ
頭大丈夫か
0711名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 19:53:36.41ID:F/WcDRm40
縄文人だろうがなんだろうが
もとはみんなアフリカから来た渡来人では
0712名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 20:08:33.04ID:M5lqhr8x0
>>710
Wikipediaからだけど

明治時代の学者那珂通世は、神武天皇の即位の年代について、
「革命勘文」にある鄭玄の注「天道不遠 三五而反 六甲爲一元
四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」を挙げ
1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉の年には
大革命があるとし、推古天皇9年(601年)がその年に当たり、この年の1260年前である
西暦紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を立てた。

でもこの説がどれだけ正しいか分からん
1320年周期説もあるみたいだし
0714名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 20:13:14.83ID:1OwVlF260
「中臣」と言うのは「ナカエットアミ」
ヘブライ語で私の民を罪から清めてくださいと言う贖罪日を意味します
0715名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 20:59:58.89ID:4NmLtvWD0
神武とか邪馬台国とか全部架空の存在じゃん
神話を正史として扱ってる国なんて日本以外にあるのかね
0716名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:05:21.01ID:F/WcDRm40
少なくとも邪馬台国は架空ではないだろ
記紀にしか載っていない神武と
中国の歴史書に載った邪馬台国では全く違う
0717名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:16:42.44ID:OuBRUmi40
橿原神宮駅駅
0718名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:19:03.94ID:Kj9RbBi+0
神武東征は考古学的な証拠が何一つない以上、架空の物語としか言えないな
0719名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:23:20.75ID:5GBRTTXB0
>>648
こうやってウソを百回言って本当にしようとするのが畿内論者の特徴なんだよな
だからゴッドハンダー畿内と馬鹿にされる

炭素14測定でホケノ山が4世紀だと出ている
墓だけ新しくて都市は古いなんてことがあるはずもなく、纏向は邪馬台国より後の4世紀の遺跡なんだな

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku277.htm
> 『調査概報』の年代を見た近畿説の考古学者は、ホケノ山古墳の年代をさまざまな理屈を付けて古く持っていき、
> これが卑弥呼の年代と重なると述べるようになった。
>
> しかし、今回の2008年の研究報告書では、ホケノ山古墳についてかなり新しい年代が報告された。
> 今回の報告書は、樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
> これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。
>
> 小枝からとった試料No.1の2σ暦年代範囲は250〜400calAD(95.4%)、 試料No.2の2σ暦年代範囲は320〜420calAD(81.5%)と
> 250〜300AD(13.9%)である。
(中略)
> この結果は、ホケノ山古墳の年代が卑弥呼の時代の3世紀中頃よりも、かなり新しく4世紀後半であることを示している。
> 『調査概報』のデータを見て、ホケノ山古墳の年代を卑弥呼の時代まで遡らせる主張をしてきた考古学者たちは、はしごを外された恰好になった。
0720名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:36:07.60ID:AsL3HXtC0
>>719
関川編年ドンピシャだな
ゴッドハンド仲間が集まって数を誇っても科学には勝てなかったか
0721名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:47:07.17ID:/S0U4CJs0
神武はおそらく、紀元前の徐福の足取りを神話として盛り込んだものと思われる。
徐福一行は佐賀に上陸し、瀬戸内海を転々とし、熊野に渡った。
なお二回目の上陸は、丹後、尾張、富士とおそらくこれはニギハヤヒの足取りと思われる。
0722名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:52:46.76ID:p57/dz/s0
>>719
邪馬台国の怪からのコピペを貼り付けるやつがくると、それに同意するレスを被せてくるやつが必ず現れる
これがニュー速+名物の複数IDを駆使した自演なんだろうな
0723名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:53:32.61ID:YU+E4GZ80
>>719-720
やっぱりな
関川氏が一番信頼できると最初から思ってたよ
0724名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:54:23.18ID:AsL3HXtC0
>>722
ほらほら負け惜しみはやめて涙をお拭きw
0725名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 21:58:13.69ID:At6nTeRx0
日本人 = 朝鮮人
0727名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:03:26.92ID:DpRm59fj0
>>726
C14測定の結果なんだから諦めろよ見苦しい
0728名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:04:43.67ID:AsL3HXtC0
>>726
全く反論できず印象操作に逃げるしかないとは憐れよのうw
0729名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:09:07.49ID:ARVUCcHG0
徐福は、富士と南紀に橘を植えた。
これが、みかんの始まりである。
香久山とはみかんが植わっている所に山である。
つまり富士山が元で、そのレプリカを各都に置く。
奈良の香具山はレプリカである。
0731名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:16:10.95ID:ARVUCcHG0
三重には弥生後期の漢字の墨書き土器や刻印土器が発掘されている。
中国から、民族が来ていた事は確実である。
0732名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 22:23:10.25ID:1i7QBy010
>>693
宋代に編纂された新唐書の日本伝の冒頭は「日本は古の倭奴なり」だぞ。
用明天皇をタリシヒコだとしている。

>>695
それは隋書からの引用。旧唐書でも引用してる。
0733名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:24:33.06ID:Kj9RbBi+0
というかホケノ山の年代を土器から4世紀とすることは別に問題ないが、だから何だと言うのかね
土器編年が変わるわけでもないし
布留1式が320年くらいからだと言うのは元から定説なわけで
炭素年代も大きな幅があるわけで5世紀とか言い出したら今度は九州も含めて土器の様相が意味不明になる

毎度そのコピペを持ち出してくるけどそれが一体何だと言うのかね
0734名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:27:09.24ID:8aeH3TF20
>>728
なんだ、図星だったのかw
本も売れないから大変だね。
そもそも一部の資料で年代に拘っても意味はないぞ。
伊勢遺跡や鍵唐古遺跡がクローズアップされるだけの事だからな。
畿内説は北部九州から何が出土しようと奴国なんだから、で終わる話。
0735名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:29:27.01ID:1i7QBy010
>>704
>関さんの本の内容ってだいぶ常識化したけどマジなの?

トンデモ説愛好家の露出が増えたという意味か?
0736名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:31:10.78ID:AsL3HXtC0
>>734
妄想が激しいなw
畿内説は帯方郡から女王国まで万二千余里でとっくに終わってますw
0737名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:34:45.46ID:DpRm59fj0
>>733
>土器編年が変わるわけでもないし布留1式が320年くらいからだと言うのは元から定説なわけで
いや、その定説を覆してムリヤリ箸墓を卑弥呼の墓にでっち上げようとしてたのが畿内説論者なわけで
0738名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:34:56.69ID:8aeH3TF20
>>736
え、女王国は瀬戸内海からだかはピッタリだよw
邪馬台国はヤマト、七万戸でヒミコ=モモソが生まれた国だから
何の問題もない。モモソは瀬戸内海の女王だしな。
0740名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:37:18.30ID:Kj9RbBi+0
むしろホケノ山は古い庄内土器など幅広い年代の物が出てくる
この事から過渡期にすぐに土器の様相が変化したのではなく古い土器と一緒に併用されていたということが分かる

なのでこの古墳がその橋渡し的な時期に出来たもので、敢えて大幅に新しく考えるのは難しいことが分かる
布留1式の定説がほぼ正しかったことが追認される発見であって何かセンセーショナルな話が出たわけじゃない
0742名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 22:42:43.17ID:XCi7Jb3T0
今の九州説の連中は倭人伝を邪馬台国伝と未だに思い込んでるからな。
まぁ30年前で頭の中が止まったままなんだよ。
0743名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 22:47:30.54ID:8aeH3TF20
邪馬台国の場所なんて畿内以外にもはや選択肢はないから。
でも巻向を邪馬台国だというのではなく、あくまで
邪馬台国の時代に使われた、祭祀目的の場所なんじゃないかという認識。
異常に箸墓や巻向にこだわるのはむしろ九州説の人なんだよ。
0744名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/10(水) 22:49:06.04ID:vlS1CiS+O
邪馬台国と狗奴国をセットで考えると九州しかないよなぁ
0745名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 22:55:59.42ID:8aeH3TF20
戸数と距離や日数を考えると九州説は無理だね。
南九州に北部九州奴国以上の戸数の国が複数入る場所はない。
畿内説は方角がネックだがそれも方角間違い例なんて
沢山あるから問題無し。
今来てる北朝鮮の木造船団でさえ流されて秋田や北海道までくるんだからな。
0746名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:00:14.10ID:wwij8ihG0
745創価学会による組織的な嫌がらせの手口 簡略版
文中にある被害者とは、創価学会の嫌がらせ行為の被害者の事です

■組織的な嫌がらせ行為に住民等を巻き込む方法
・被害者の居住圏の住民と、被害者の職場の同僚や上司に、創価学会員がデマを吹き込み、被害者への嫌がらせ行為を正当化すると同時に
 嫌がらせ行為への加担を依頼して協力者にする
・創価学会員が多くの住民組織で役員を務め、住民組織を動かせる状況を悪用して、被害者を不審人物や危険人物にでっち上げて
 住民組織と地域住民が地元の警察署と緊密に連携を図って行なっている、防犯パトロールの警戒対象者にしてしまい
 防犯パトロールを行っている住民達に、被害者に対して、尾行や監視、付き纏い行為等を行わせる(創価学会による嫌がらせ行為の代替行為)
・防犯パトロールに関与する地元警察署の警察幹部等を懐柔し、創価学会の協力者として抱き込む

■組織的な嫌がらせとして行われる具体的な行為
・(24時間体制の監視)被害者の自宅を、創価学会員や近所の住民らに共同で監視させる。被害者が外出した場合には、指定された電話番号に通報する
 指名手配犯のような監視網が敷かれており、住民らに被害者を見かけたら通報するようにとの情報がいきわたっている為、
 仮に創価学会員と近所の住民が気付ない間に外出しても、目撃した住民が指定された電話番号に通報する仕組みが出来上がっている
・(定点監視)被害者の位置情報が協力者に一斉送信され、被害者の位置に近い場所にいる協力者は、家の前に出て立ち話をするふりをしたり
 ごみ捨てのふりや歩道の草むしりのふりをしたりして被害者を待ち伏せし、自宅前を通過すると、その旨を指定された電話番号に通報する
・(移動監視)被害者の位置に近い場所にいる協力者は、通行人やジョギングの人間、自転車で被害者とすれ違う
 ※防犯活動として行われている為、建前上、被害者が犯罪を犯さないか監視する名目で行われているが、実態はただの付き纏いであり嫌がらせ
・(創価学会による監視と付き纏い、尾行)上述の二点とは別に、創価学会が会員を使い、定点監視や移動監視(付き纏い)、尾行を行っている
 車両による監視も行われ、その際には、被害者を盗撮し、その画像を協力者達にばら撒くという犯罪行為も行われている
・つまり、監視者の通報により、被害者の位置情報が正確に把握されており、その情報を基に、複数の人間で連携して監視するのが手口である
・被害者の位置情報を完全に把握している事を利用して、近くにいる警察車両を急行させて、被害者と故意に遭遇させる
 この被害に遭っている被害者は、外出時に必ず一台は警察車両と遭遇する(警察側は防犯効果を狙ったものと弁解するが、実際はただの付き纏い)
・被害者のところに警察車両、追加で消防車や救急車を急行させた際、緊急時でもないのに、赤色灯を回転させて、サイレンを鳴らす
 被害がもっとも激しい時だと、一度の外出に五台も六台も警察車両と遭遇し、全てが、赤色灯を回転させてサイレンを鳴らしている状態で
 こうした事が連日続き、その期間が三週間以上続く事もあり、何もしていないのに警察から付き纏われる精神的ストレスから
 被害を受けた人がノイローゼになったり、ストレス性疾患を発症する事もある(指示を出している警察幹部はバレたら懲戒免職)
・被害者が通り過ぎる際に、協力者にドア・引き戸・網戸等を音が出るように強く閉めさせる、咳やクシャミをさせる
 表向きは人が監視している事に気づかせて、防犯をしているとされますが、実際には被害者にこうした行為を続けて、音を聞かせ続ける事によって
 最終的には聴覚過敏症を引き起こさせると同時に、故意に行われる嫌がらせと自然音の区別をつかなくさせて、そこに過重ストレスを与える事で
 被害者に統合失調症を引き起こさせる事が狙いであると考えられています
 尾行や監視、付き纏いを含むその他の嫌がらせも、故意に行われる嫌がらせと偶然の区別がつかなくさせるのが目的(統合失調症発症の誘発が狙い)
・ストーカー行為で得た被害者の情報を利用して、その内容を想起させる言葉を協力者に喋らせたり、動作を取らせる事で、監視の事実を告げる嫌がらせ
・その他には待ち伏せさせた車両でハイビームを浴びせる、片目ライトの車を頻繁に遭遇させる、道を塞ぐ嫌がらせ、店舗内での嫌がらせ等
0747名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:02:38.83ID:Kj9RbBi+0
そしてホケノ山古墳が新しいものになったと言って特に何か大きな変化が起こるものでもない

寺澤氏が提唱している纏向型前方後円墳の発展過程の初期段階からホケノ山が外れるくらいの物
この説もまだまだ発展途上で細かい部分に修正が出るのくらいは特に不思議でもない
特に大勢に支障がない

むしろこの流れを絶対視して「この後に出た箸墓はもっともっと新しいはずだ」とか言う話を主張してる人が見受けられるが見当違いとわかる
0748名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:02:39.32ID:vlS1CiS+O
戸数とか大袈裟に行ったとか有りうるけど?何せ中国人は昔からこうじゃん
けど現地の風習と対立国とかを間違えるはないだろ
0749名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:03:33.45ID:LvCXi3ug0
>>725
現代の朝鮮人は新羅の末裔で、新羅の人達は3〜4万年ほど前に遊牧民となる系統と別れ
悪魔の門の洞窟の葡萄人からほぼそのまま変質するのこと無くアムール川の近辺で暮らし、どこかでエベンキ(ツングース)系のウリチ(キエフ・ルーシのウリチとは異なるので注意)族と別れ朝鮮半島東部にたどり着いた人達だと
DNAからほぼ特定されたとロシアの研究機関は断定している
ほぼ完全に特定の民族集団として一万年ほど前には確立されていた集団のようだ
0750名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:07:40.30ID:vlS1CiS+O
足利尊氏は源頼朝にしようとする研究なってんな
確かに足利は源氏なんですよ!
という論理展開なんだよなぁ

邪馬台国畿内説はさ
0751名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:22:30.95ID:p57/dz/s0
ホケノで思い出したがこれわかる人いる?
ホケノから小形丸底鉢が出てることをもって布留0か布留1とする人がいる
一方このサイトの一番下の表を見ると小形丸底鉢の出現は纏向2類に当てており庄内式土器の出現より前の時期
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html
纏向編年が見直されたときに小形丸底鉢の年代も見直されたということなんだろうか?
もしそうならホケノが布留0とか布留1の主張には根拠がなくなり、公式発表通り庄内3が正しいことになる
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html#hokeno
0753名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:46:16.98ID:1OwVlF260
記紀では神武天皇の正室や兄弟や子孫たち、重要人物たちも巧妙に捏造されているから
日向族が二度と復活しないように、歴史から消し去ろうとする強い意図が感じられるね
神武天皇の父君や伯父さん・叔母さんたちはは他人と差し替えられているし
神武天皇の正室はイスケヨリ姫であり、歴史から完全に抹消されている
記紀では、媛蹈鞴五十鈴媛命が正室として崇神系列がここに割り込んでくる
0754名無しさん@1周年
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2018/01/10(水) 23:57:45.29ID:vlS1CiS+O
創価スレで集団ストーカーの話をすると
逆に電磁波による思考盗聴を創価はしてるよね的な方式か
0755名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 00:41:51.35ID:W6fQYOyn0
>>752
本当に地質学調査と一致があるなら出してみろ
0757名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 01:41:33.72ID:gFZ7so9y0
上で記紀の欠史八代で海外交渉が書いてないってスレがあったけど、
欠史八代ではないけど文明(近代学では農耕と都市)を初めてもたらした話は書いてあると思う。
文明を初めて開いた大国主命。
権力(王権)を肯定的に考えた場合、飢えや戦いの不安を無くすということですね。
この2つを書いた記紀の出雲神話。
先ず農耕を大国主命(オオナムチ)と後の宰相の名称スクネの元であろうスクナビコで書かれ、戦いの解決を天神との国譲りで書いている。
スクネが役名ならオオナも役名ではないか?意味合いとして王様って事ですね。
オオナムチのムチの意味合いは何か?
他にオオヒルメムチという名称もあって貴いの尊称って事になってますが、現代語との関連が無くピンと来ない。
でも何かあるで言葉散歩をしてみると、先ずオオナと関連してヘビでマムシのム、ムシ(虫)は地を這うって意味があるかも知れない。
少し関連してムロ(室)やムシロのム。湿地とか湿度を高くする洞窟のような人工蔵ですね。やはりピンと来ない。
次に本命のムネ(胸、宗、棟、正)のム。
一番判りやすいモチ(持ち)の母音変化もありますけどね w

で、マキムクのムクは、身体語胸が語源である正面に「向く」で良いと思いますが、実を顕すの剥くのムクもあるかも知れない。
これは剥ぎ(ハギ)、ハゲとは違う意味合いがあるでしょうね。
0758名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 01:42:19.51ID:bXrHo3J50
>>732
>宋代に編纂された新唐書の日本伝の冒頭は「日本は古の倭奴なり」だぞ。
>用明天皇をタリシヒコだとしている。
587年に用明天皇が亡くなって、
推古天皇と同時代の607年に多利思比孤が隋の煬帝に使者を送ってるんだけど。

>それは隋書からの引用。旧唐書でも引用してる。
すまんレスの意味がわからん。
論点は新唐書の記述が「王年代紀」からの引用なのか、
若しくは日本の使者からの伝聞なのかってとこなんだけど。
そして新唐書には、国王自らがそう言ってると書いている。
0759名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 01:47:53.01ID:W6fQYOyn0
>>756
弥生時代まででなく5世紀頃もそうだろ
河内湖2の時代
0760名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 02:09:07.58ID:QcogWiSo0
三輪王朝、葛城王朝の話をせずにこんなところでもどうでもいい邪馬台国の話かよ
0761名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 02:14:42.66ID:5+IWpiGv0
>>758
史書の編纂は当代の記録だけでなく過去の史書も使うんだよ。
新旧唐書は隋書も引用しているってこと。
0763名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 02:20:19.65ID:hbtINo1a0
>>757
欠史のうち西日本一帯での逸話が残るのは孝霊なのは間違いない。
特に出雲で伝承を残したり、江戸時代まで富士山とセットで語られたり
する事から本来は倭の王的立場なんだろう。
妃の名がオオヤマトクニアレヒメ、大倭を産んだ姫という意味で
娘がモモソなら、やはりモモソが卑弥呼に一番可能性としては高い。
しかもモモソは瀬戸内海で女神扱いされてるからね。

オオナムチの意味はアナムチ、簡単に言うと鉱山持ちでしょう。
屯鶴峰のある穴虫なんて地名はその名残かもね、洞窟もあるし。
ちなみにトンツルは本来の意味はガンチなんじゃないかと
最近は思ったりします。色々調べたらね。
0764名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 02:42:00.45ID:W6fQYOyn0
>>762
河内湖2の時代が湖ではなく湿地帯になっているという根拠は?
その画像にも河内湖と書かれている
そもそも白肩之津という地名を記紀編纂者がどうやって知りえたか?
神武という人物が実在して、かつて津であった地名が津でなくなった後世にも伝承されたなんて非現実的な妄想
記紀編纂の時点でもそこは津であったと考えるほうがはるかに現実的
0765名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 02:51:34.82ID:5+IWpiGv0
>>764
河川の中洲だったところは島がつく地名になることが多いが、河川の流れが変わって中州ではなくなっている
ところは沢山ある。
この程度の知識もなく非現実的な妄想と言うお前のそのレスが妄想以下の屁理屈だよ。
0766名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:05:32.44ID:W6fQYOyn0
>>765
で、湿地帯の根拠は?
ひたすら言い張るだけか?
0767名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:14:57.44ID:5+IWpiGv0
>>766
>河内湖2の時代が湖ではなく湿地帯になっているという

なあ、>>762の画像と「湿地帯になって湖面が遠のいているんだよ」の言葉を見て、どうして湖が完全に消滅した
と解釈したんだ?
AとBでは河内湖の面積が変わっているのはわかるだろ?
0768名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:24:27.20ID:5+IWpiGv0
ID:W6fQYOyn0 に対してこのアラル海の変化の図を見せて「砂漠化しかつての東岸からは湖面が遠のいた」と言うと、
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/img.imidas.jp/topics/wp-content/uploads/2017/09/05231709/D-40-107-16-01-1_sp.png
「湖ではなく砂漠になっているという根拠は?その画像にもアラル海と書かれている」と言うのだろうな。
0769名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:27:23.14ID:W6fQYOyn0
>>767
こっちが言ってもないことを捏造してイチャモンやめろ
日下周辺が湿地帯になっていた根拠を出せばいいだけだ
出せないならおまえは妄想をひたすら言い張っていたで終了
0770名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:33:44.15ID:W6fQYOyn0
>>768
全く関係ないものを持ち出して難癖
大阪平野の変遷を研究した人が5世紀は河内湖の時代だと言ってるのに
おまえが勝手に湿地帯だと言い張ってる
研究が間違ってると言うなら根拠を出せばいいだけだ
0771名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:36:03.21ID:5+IWpiGv0
>>769
>こっちが言ってもないことを

764 名無しさん@1周年 2018/01/11(木) 02:42:00.45 ID:W6fQYOyn0
>>762
河内湖2の時代が湖ではなく湿地帯になっているという根拠は?
その画像にも河内湖と書かれている
0772名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:42:24.40ID:W6fQYOyn0
>>771
ほらおまえの捏造だった

“湖が完全に消滅した”
こんなこと一言も言ってない
湿地帯だと言うから湿地帯の根拠を出せと言っただけ
0773名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:50:45.85ID:5+IWpiGv0
>>770
古代地図と軟弱地盤
http://mbp-osaka.com/oado/column/21026/
>こうして見ると上町台地以外は近世まで湿地帯・砂洲などで出来ていた軟弱地盤である事が伺えます。

https://www.suito-osaka.jp/history/history_2.html
>仁徳期の治水事業により、河内湖の水域が減少するとともに、流入している大和川枝川等が河口に三角州をつくります。
>そして湿地・草原あるいは堤防敷となり、その後、河内低地の陸地化が始まります。
0774名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:51:36.34ID:5+IWpiGv0
>>772
「河内湖2の時代が湖ではなく湿地帯になっている」は湖がなくなっているという以外にどう読めと?
0775名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 03:55:19.75ID:5+IWpiGv0
「河内湖 湿地帯」で検索すれば、河内湖が大和川の土砂の堆積で埋め立てられ湿地化していくという
過程が共有されているのがわかる。
0776名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 04:00:14.76ID:W6fQYOyn0
>>773
近世の話だろが
5世紀に湿地帯になっていた根拠は?
0777名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 04:01:27.39ID:5+IWpiGv0
そもそも、河内湖があった辺りは近代になって大和川の付け替え工事をするまでは、その流域の湿地帯として
知られていた場所なのだが。

大和川の歴史
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2015072600070/
>さらに周辺は低湿地であるため、一度洪水が起こると、なかなか水が引きませんでした。
0779名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 04:03:25.05ID:xKVKK1Fp0
神話と現実がごちゃごちゃになって狂った歴史を信じてしまい修正が効かなくなった悲惨な低知能おじさんの巣窟スレ
0780名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 04:04:24.24ID:28CjJ/BE0
>>757
飛騨の伝承によると

ヒル=昼の様に明るい
メ=女性
ムチ=尊い人

だそうだ
ムチで終わる神様は三輪系に多い名前らしい

オオナムチは

オオ = 大きい
ナ = 土地
ムチ = 尊い人

タミール語のモチ(年上の賢い人)が語源ではないかと
タミール語起源説の学者は言っているが
あくまで憶測だね
0782名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 04:09:58.54ID:W6fQYOyn0
>>778
根拠のない拡大解釈で妄想の正当化はやめろ
5世紀以降では時期を特定できないなら、河内湖1の時代でも十分
1600年前すなわち西暦400年で湖だった
0783名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 05:02:34.58ID:r9uzWpHr0
横からなんだけど河内湖は徐々に細く浅くなり
途中からは人の手も入ってその傾向は更に加速するんだよね
船で何時まで日下の蓼津つまり生駒山の麓まで行けたと思ってるの?
古墳時代には湖と言っても河口はふさがり湖底は浅く
自由に航行できる状況じゃなかったと思うんだけど
0784名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 05:17:45.25ID:X8lUVfuW0
畿内信者は頭がおかしい奴ばかりだな
0785名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 06:54:35.76ID:28CjJ/BE0
河内湾が完全にふさがれて河内湖になったのが
弥生〜古墳時代の間と言われている
日下町って石切の近くなので電車で通ったことあるが
ちょうどあのあたりから傾斜続き
紀元前600年〜700年はまだあのあたりまで
海岸線が来ていたとしても不思議ではない
本当に神武東征が紀元前660年だったらの話だけど
0786名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 07:24:56.98ID:kEF5lUEX0
纒向って大和川の水運を利用して西日本から物資を運んでいたんでないのか?
亀の瀬あたりは船で遡れないだろうから降りてロープみたいなので引っ張ってたかもしれんが
0787名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 07:27:01.28ID:RvUY2woq0
日本書紀を書いた渡来人 天孫族

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
 ・寒冷地適応済みの民族だった
 ・文字(漢字)を持たない民族だった
 ・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった


(2)日本人のルーツは大雑把に分けて二つ
 @寒冷地適応する前の縄文人 
 A寒冷地適応後の弥生人   

https://i.imgur.com/BRdvUlH.jpg
https://i.imgur.com/lClIoyD.jpg

https://i.imgur.com/1mxEhnm.jpg
https://i.imgur.com/O7aHT1Z.png

https://i.imgur.com/tU0yFoG.jpg
https://i.imgur.com/bZ5RQka.jpg
0788名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 07:48:27.55ID:bXrHo3J50
>>761
新唐書
国王の阿海(あめ)氏が自ら言うには、
神武天皇の父親の彦瀲まで三十二代、筑紫城に住んでいた。

宋書
其の年代紀に記す所に云う。
初めの主は天(御)中主と(号)す。 
次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って(号)と爲す。 
次は天八重雲尊。次は天彌聞尊。次は天忍勝尊。次は贍波尊。次は萬魂尊。
次は利利魂尊。次は國狭槌尊。次は角魂尊。次は汲津丹尊。次は面垂見尊。 
次は國常立尊。次は天鑑尊。次は天萬尊。次は沫名杵尊。次は伊弉諾尊。 
次は素戔烏尊。次は天照大神尊。次は正(哉)吾勝速日天押穂耳尊。 
次は天彦尊。次は炎尊。次は彦瀲尊。凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。
0789名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 07:53:32.68ID:9fFqtawH0
>>788
王年代記で23世だったのが新唐書で32世になってるのは、多利思比孤が言い間違えたのかな?
0790名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 07:59:49.47ID:uLbjxc+V0
筑紫城いたのか筑紫の日向宮にいたのか
大和洲を統治したのか移ったのか
どっちなの?
0791名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 09:07:52.14ID:hbtINo1a0
>>780
だからオオナムチは鉱山持ちでいいんだろう。
モチは知識その他持つ人の事。つまりオオモノヌシ。
ヒルメはまぁそのままだね。
モロとムロは同義、宇陀の室生口大野だと鉱物搬出場所の意味かな。
室戸だと阿波の水銀産出場所だろう。
0792名無しさん@1周年
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2018/01/11(木) 09:16:22.56ID:hbtINo1a0
>>786
亀の瀬じゃなくても北に上がって奈良市北部の木津川から水運を使える。
木材等大型の荷はこっち経由だろう。
だから鏡も大量に出土した椿井大塚山古墳がこの辺りの豪族の象徴になる。
0793名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 09:22:55.32ID:dGOaoTQC0
よくわかんない。
0794名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 09:31:09.01ID:kEF5lUEX0
河内湖でググった知識によると、4世紀?5世紀ごろには草香江(くさかえ)と呼ばれていた。
日下のあたりが一番最後まで残っていたようだ
0795名無しさん@1周年
垢版 |
2018/01/11(木) 09:47:54.60ID:UxeO+7b30
歴史書は時の権力者の都合に合わせて書き換えられるからね
橿原の方がいろいろ都合が良かったんだろうな
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