【歴史】「大和朝廷は中華思想」「周辺は夷荻」「未服従の遅れた人々だと位置づけ」 蝦夷と坂上田村麻呂の足跡 ヤマトの外に独自文化★2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
清水寺に建つ「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)之碑」=京都市東山区で、戸田栄撮影
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/01/11/20180111oog00m010020000p/9.jpg
本州の北方や東方にあって、ヤマト側とは異なる世界を築いていた人々は「蝦夷(えみし)」という蔑称でしか今に伝わっていない。奈良や京都を中心とした初期の日本が勢力範囲を拡張していく中で、蝦夷は征服されるべき野蛮人というイメージを持たされているが、本当にそうだったのか? 歴史家の故・上田正昭氏は「日本人の多くの人がもっている蝦夷観は間違っている」(世界人権問題研究センター編・人権問題研究叢書15「講座・人権ゆかりの地をたずねて」)と指摘する。今はよく知るすべもないが、やはりどんな人々であったのかが気になる。
「大和朝廷から見た史料しか残っていませんから、そうなってきました。大和朝廷は中華思想で、自らの周辺は夷荻(いてき)であり、未服従の遅れた人々だと位置づけました」と、井上満郎・京都市歴史資料館長は語る。奈良時代初めに成立した日本書紀に描かれる蝦夷は、怪物のようでもある。冬は穴に寝て夏は木の上に巣を作って住み、毛皮の上で血を飲んでいるという。山に登れば鳥が飛ぶように、草の中を駆ければ獣のように素早いとも。同じ人間であるから、こうした描き方は現代ではリアリティーを欠くが、昔は未知の世界への恐れが強く、こんな調子で通用したのかもしれない。
井上館長によると、近年、蝦夷がいた東北地方が古くから相当に文明化の進んだ地であったとわかり、蝦夷を考えるのに重要な手がかりとなっている。縄文時代の大規模な集落跡である三内丸山、大陸と交易をしていた平安時代にさかのぼる十三湊の遺跡発掘などが、かつての東北のイメージを覆した。加えて、上田氏は東大寺の大仏の完成は陸奥守(現在の宮城県などを管轄)からの黄金献上があってのこととし、そこに地域の大きな経済力をみる。
経済力は文化を招き入れ、奥州藤原氏による平泉の文化が花開く。京都市出身の井上館長は初めて平泉を訪れた時、「京の仏像とは違う文化のもとにある仏像と一目でわかり、驚きました」と語った。そして、それは蝦夷の社会や文化の流れをくむ、大和朝廷側とは異なる豊かな社会があったことを示しているという。
それにしても、蝦夷とはどういう人たちだったのか? アイヌとの関連をつい考える人が多いようだが、文献資料でそう示すものはなく、本州の北方や東方に住み、大和朝廷側の支配の外にあって、独自の暮らしを営んでいた人々とまずは把握すべきらしい。奈良時代後期からは大和朝廷と、集団的に戦っており、部族的なまとまりを持っていたとも考えられている。
さて、蝦夷についての想像をふくらませながら歩ける京のマナび場を紹介しよう。まずは、京都市東山区の清水寺にある「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母〓(モレ)之碑」。同寺の観光順路では音羽の滝を見終えての帰路にある。1994年、岩手県奥州市の有志が同寺の協力を得て建立したものだ。
アテルイは蝦夷の指導者で、789年に胆沢(現・奥州市)での戦いで、大和朝廷の軍を大敗させている。その以前から朝廷側は蝦夷に苦戦を続けていた様子があり、上田氏は「蝦夷は強いのです」と書いている。アテルイは強い蝦夷のヒーローとして、地元では人気があるようだ。
これを破ったのが、征夷大将軍として後世に名を残す坂上田村麻呂だ。その後に続く二つの戦いで勝利を収め、802年にはもう一人の敵将、モレとともにアテルイを平安京へ連れてくる。助命嘆願をしたものの、朝廷内の反対で2人は処刑されてしまう。清水寺は、賢心上人の教えに感銘を受けた田村麻呂が建立した寺だ。その縁から、アテルイらの碑が建った。
田村麻呂ゆかりの他の場所も歩いてみよう。田村麻呂は、武具などとともに平安京の東に向けてひつぎを立てるようにして埋葬されたという。死後も平安京の守護をたくらされてのことで、国家危急時には塚が鳴動するという伝説もある。だが、その所在地はずっとわからなかった。
近年の研究で、山科区の西野山古墓がその場所として有力となっているが、山の中で訪ねにくい。気軽に行けるのは、1895(明治28)年の平安遷都1100年祭にあたり、山科区勧修寺東栗栖野町の坂上田村麻呂公園にある墳墓だ。正しい場所かはさておき、明治時代になってもこれほどの墓が整備された田村麻呂の人気をうかがい知ることができる。
続きはソース
http://mainichi.jp/articles/20180111/ddl/k26/040/474000c?inb=ra
★1が立った時間 2018/01/13(土) 23:52:48.50
前スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515855168/ 渡来人の支配
新羅=倭国の属国
新羅王脱解は日本出身
>『三国史記』卷一・新羅本紀第一・始祖赫居世三十八年(紀元前20年)条
瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。
「瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。初めは腰に瓢箪をぶらさげて、海を渡って来たことから、瓠公と称される。」
>『三国史記』
脱解本多婆那國所生也其國在倭國東北一千里
「脱解はもと多婆那国の所生・その国は倭国の東北一千里なり」 >>78
延喜式における日本三神宮のうち
HQである伊勢はともかく、
鹿島香取があえてあの位置にあるのは決して偶然じゃないと思うけどね >>1
#10. 🛍일본어로 in my BAG / japanese ver. I n my BAG
https://www.youtube.com/watch?v=1O05hMI0omQ はあ?
アテルイとかただの反政府テロリストでしょ?
東北人がアテルイを賛美するのは勝手だが、日本人にとっては、
朝鮮人が安重根を英雄視するようなもんだとキチンと認識してほし。 >>78
アイヌ語地名は秋田より南はぐっと少なくなるとは聞いた
蝦夷=アイヌと考えるのは違うとは思う。
関東に関しては大和民族系(適切な言葉がみつからない)がかなり早い段階で入りこんだ気がする >>2
京都で唯一残念なのは京都人
京都から京都人をなくせば京都は素晴らしくなる >>76
東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い
佐治敬三が何故そんなこと言ったのかは
彼は戦前の硬直したガチガチ皇国史観教育を受けてモロ育ってる訳
小学校の教科書にも天皇に逆らった豪族として
荒々しい絵付きで教科書にも載せてあったぐらいだから
佐治敬三は小学校の頃の教育でイメージとしての熊襲と
東北は相当文化程度の低いと思い込んでたみたいだから
佐治の認識でその言葉が結び付いたんだろう アイヌと同族はかなり南までいた
紀伊半島まではいたようだ
同じ文化風習が今でも残っている
それを蝦夷とするのはほぼ間違いない >>85
国民ではないからアテルイを安重根と同一視するのは違うんじゃないか?
当時のヤマト王権の支配領域はそこまで及んでいないわけだし >>81
韓国人の祖先エベンキ人と日本人は全然別物だぞ >奈良や京都を中心とした初期の日本が勢力範囲を拡張していく中で、蝦夷は征服されるべき野蛮人というイメージを持たされているが、
いや、持ってないって。
後に大和朝廷って呼ばれる地方豪族の一番強いのが勝ち残ったって、みんな分かってるからさ。
口に出して言わないだけで。 http://i.imgur.com/RXXfQ0q.gif
最初は、化石でなく生体の頭長幅指数分布の分布図である。
頭長幅指数とは上から見た頭骨について長さに対する幅の百分比であり、値が大きいほど短頭である(丸い頭である)ことを示す。
この場合、朝鮮半島と同様に九州から中四国、近畿そして関東にかけて、短頭の地域が分布している。
日本学術会議の研究班は1949年から4年をかけ全国5万6千人を対象に日本人の生体を計測した。
小浜基次はこの結果の地方差から東北・裏日本型と畿内型に分類し、
「その2つの型の分布状況を歴史的に解釈すると、まず、アイヌ系の東北型が広く日本に分布していた。
その後、朝鮮半島から朝鮮系が渡来し、畿内、瀬戸内に本拠をしめ、一部は東進して南関東に達した。
この畿内型の周縁や西日本の離島に東北型がのこっているのも、先住民であったからであろうといっている。
上田常吉はこの後来の朝鮮系が弥生文化をもたらしたと解釈した。」
(樋口隆康「日本人はどこから来たか」講談社現代新書、1971年) つまり真の中華とは日本なんだよ
ちなみに清の皇帝や大韓帝国皇帝のご子孫も日本で過ごされている まぁ当時の中国は最先端の超大国だったしね
日本はずっと中国に畏怖や憧れを抱いていた 秀吉だの家康だの、ああいう田舎侍が天下を盗ってから日本はおかしくなった。
ここらで皇居を京都に移さないと本当に日本は滅びる。 >>92
ヤマト王権的にはヤマト王権に服さない=野蛮人って感じじゃないかな
もちろんヤマト王権が天下を統一(?)したのは最強の豪族であったからというのは間違いないだろう >>88
蝦夷は知らないが熊襲はチョンに近かったのを知って言ってんのかねそのチョンは >>97
当時の東アジアにおいては別格だろうな
世界的にも大国であったのは間違いない 少なくとも今の日本人は蝦夷が野蛮ってイメージは持ってないと思ってたがどうなんだろう
天皇は素晴らしいって立場の人はまた違うのかな 101あ創価学あ会による組織的な嫌がらせの手口 簡略版
文中にある被害者とは、創価学会の嫌がらせ行為の被害者の事です
■組織的な嫌がらせ行為に住民等を巻き込む方法
・被害者の居住圏の住民と、被害者の職場の同僚や上司に、創価学会員がデマを吹き込み、被害者への嫌がらせ行為を正当化すると同時に
嫌がらせ行為への加担を依頼して協力者にする
・創価学会員が多くの住民組織で役員を務め、住民組織を動かせる状況を悪用して、被害者を不審人物や危険人物にでっち上げて
住民組織と地域住民が地元の警察署と緊密に連携を図って行なっている、防犯パトロールの警戒対象者にしてしまい
防犯パトロールを行っている住民達に、被害者に対して、尾行や監視、付き纏い行為等を行わせる(創価学会による嫌がらせ行為の代替行為)
・防犯パトロールに関与する地元警察署の警察幹部等を懐柔し、創価学会の協力者として抱き込む
■組織的な嫌がらせとして行われる具体的な行為
・(24時間体制の監視)被害者の自宅を、創価学会員や近所の住民らに共同で監視させる。被害者が外出した場合には、指定された電話番号に通報する
指名手配犯のような監視網が敷かれており、住民らに被害者を見かけたら通報するようにとの情報がいきわたっている為、
仮に創価学会員と近所の住民が気付ない間に外出しても、目撃した住民が指定された電話番号に通報する仕組みが出来上がっている
・(定点監視)被害者の位置情報が協力者に一斉送信され、被害者の位置に近い場所にいる協力者は、家の前に出て立ち話をするふりをしたり
ごみ捨てのふりや歩道の草むしりのふりをしたりして被害者を待ち伏せし、自宅前を通過すると、その旨を指定された電話番号に通報する
・(移動監視)被害者の位置に近い場所にいる協力者は、通行人やジョギングの人間、自転車で被害者とすれ違う
※防犯活動として行われている為、建前上、被害者が犯罪を犯さないか監視する名目で行われているが、実態はただの付き纏いであり嫌がらせ
・(創価学会による監視と付き纏い、尾行)上述の二点とは別に、創価学会が会員を使い、定点監視や移動監視(付き纏い)、尾行を行っている
車両による監視も行われ、その際には、被害者を盗撮し、その画像を協力者達にばら撒くという犯罪行為も行われている
・つまり、監視者の通報により、被害者の位置情報が正確に把握されており、その情報を基に、複数の人間で連携して監視するのが手口である
・被害者の位置情報を完全に把握している事を利用して、近くにいる警察車両を急行させて、被害者と故意に遭遇させる
この被害に遭っている被害者は、外出時に必ず一台は警察車両と遭遇する(警察側は防犯効果を狙ったものと弁解するが、実際はただの付き纏い)
・被害者のところに警察車両、追加で消防車や救急車を急行させた際、緊急時でもないのに、赤色灯を回転させて、サイレンを鳴らす
被害がもっとも激しい時だと、一度の外出に五台も六台も警察車両と遭遇し、全てが、赤色灯を回転させてサイレンを鳴らしている状態で
こうした事が連日続き、その期間が三週間以上続く事もあり、何もしていないのに警察から付き纏われる精神的ストレスから
被害を受けた人がノイローゼになったり、ストレス性疾患を発症する事もある(指示を出している警察幹部はバレたら懲戒免職)
・被害者が通り過ぎる際に、協力者にドア・引き戸・網戸等を音が出るように強く閉めさせる、咳やクシャミをさせる
表向きは人が監視している事に気づかせて、防犯をしているとされますが、実際には被害者にこうした行為を続けて、音を聞かせ続ける事によって
最終的には聴覚過敏症を引き起こさせると同時に、故意に行われる嫌がらせと自然音の区別をつかなくさせて、そこに過重ストレスを与える事で
被害者に統合失調症を引き起こさせる事が狙いであると考えられています
尾行や監視、付き纏いを含むその他の嫌がらせも、故意に行われる嫌がらせと偶然の区別がつかなくさせるのが目的(統合失調症発症の誘発が狙い)
・ストーカー行為で得た被害者の情報を利用して、その内容を想起させる言葉を協力者に喋らせたり、動作を取らせる事で、監視の事実を告げる嫌がらせ
・その他には待ち伏せさせた車両でハイビームを浴びせる、片目ライトの車を頻繁に遭遇させる、道を塞ぐ嫌がらせ、店舗内での嫌がらせ等 >>105
中華思想的って事だろうさ
ワザと誤解させてるみたいだよ 木造の家に住んでる人と竪穴式住居に住んでる人が普通に居た時代
どっちが良いか別にして穴に住んでるって言われても仕方ない >>104
ヤマト王権に比べて文化文明が開けていないという意味なら蝦夷は野蛮じゃね?
もちろん俺は現在の東北地方の人々を蝦夷とは考えていない
というかかつての蝦夷はヤマト民族に吸収されたわけで 清河八郎『西遊草』(岩波文庫)
上方は柔弱にして人をあざむく。
・池田次郎『日本人のきた道』(朝日選書)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
『アジアからみた古代日本』(角川書店)
朝鮮系の土器の列島内における分布は、畿内の河内、大和にとりわけ多い。
・熊谷公男『列島の古代史1』(岩波書店)
河内国が列島随一の渡来人の集住地域であったことはよく知られている。
・中橋孝博『日本人の起源』(講談社)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い。
・関晃『古代の帰化人』(吉川弘文館)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
・『国民百科事典』平凡社
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する。
https://www.frpac.or.jp/about/files/sem1721.pdf
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。
(松村博文/人類学者/兵庫県出身) * | |l | ∧_∧ 阿呆
| |l | ;`ハ´) 小日本子孫的徐福アル
| |l_|
| .|_∧ 誰がどう考えても現代日本人の先祖は
| .|`∀´>偉大なる大韓からやってきた渡来人だということは
| .⊂ ノ これはもう火を見るより明らかな真理ニダ
*アジアミリタリーサイト
http://moemoemoeone.web.fc2.com/index.html
*要塞島でフィリピンに抗議された中国 インドにまた侵入していた!
*戦闘機随伴で中国編隊現る 更に半島略奪プラン判明
*台湾,インドに中国の圧力増加 日本はダイヤのエース戦略で対抗へ
*アメリカで日本で 浸透するチャイナスパイ >>105>>110
中華の意味をググってごらんよ。 泥ン ★ ← コイツ毎回わざとヘッドラン壊してるんだけど誰? ニライ? みつを?
>>105
>>110
ほんこれ
どこの国の始まりがいきなり民主主義で外交を踏まえた態度からはじまるんだよ
っていう
中華思想っていうなら日本を世界の真ん中で、ここさえ奪い勝ち取れば地球は
我が物って勘違いしてないといけない まあ、800年ごろは隼人族なんかも健在な時代だからな
隼人族から朝廷の警護の任務につかせていたしりょうがある >>1
Japan SPA fashion / 일본SPA패션 / Tokyo / fashio n lookbook
https://www.youtube.com/watch?v=2JvdhaOwtw8 早い話が京都人は、イタリア人、ギリシャ人
プラス関西人で、かなり始末が悪い。
絶対に関わりたくないわ 人国記の陸奥国の特徴は他とは違う特徴が書かれていて面白い >>39
その通り
そもそも中華思想という言葉が乱用されすぎている
中華思想というのは、元々中国人の考え方で、
自分たちに近いものほど遠遠いと考える
したがって、宇宙の中心に中国人がいると考えている
大和朝廷がそのような活動をしていたようには見受けられない
中世のキリスト教と大して変わりない
中華思想の最大の問題は、自分たちより優れた文明があっても、
それを認めないというところにある
そしてその中に「自分オリジナル」なものを探し出し、
自分たちの恩恵を受けている蛮族と解釈する
これが中華思想
他はただの覇権主義だ >>124
×自分たちに近いものほど遠遠いと考える
○自分たちに近いものほど尊いと考える 熊襲と任那が朝廷からはちょうどおなじ文化的人種的距離感だったからな >>119
隼人族が近習として仕えた初出は仁徳天皇の頃
5世紀頃らしい >>129
聞いたことないな
そんな学術的定義
「彼は中華思想の持ち主でした」ってどこの誰が定義してるの? 高橋克彦の「火怨」を読んで感動したわ。
アテルイまじ英雄。 >>126
なんで関係ない動画貼ってるの?
誰も見たくないよ? 神武〜哀中、天武〜称徳天皇は縄文系の天皇だろ。
縄文系の人々が渡来人の神々を殺し、更に畿内や関東東北を征伐したんだろう。
立場が入れ替わったのが応神仁徳。 大和朝廷は先住民、縄文系の朝廷だよ。
難波や近江、平安が都だった時期だけ渡来人の倭人系の朝廷だろう。 >>124
でも記紀に出てくる「四道将軍を派遣しました」という記述とか、
いかにも中華思想を真似っこしてる感じだよね。
ようするに入れ子構造なんだと思う。 >>133
中華思想というのは、自分たちが世界の中心だという感じ方、考え方。
そう思わない支配者はまずいない。
日本だって、太陽の根源、という名前なんだぞ? 中華思想に対して倭国ではなく
日出る国として相手の様式に従い対抗したわけだから
まつろわぬ民に対しては小中華
国家としての様式を参考にしたのが唐だから
近代間で小中華棄てきれずあんな事になったのがお隣の国 豊かになった西日本の縄文系の人々が渡来人の神々を殺し、四道将軍等で関東東北を征伐したんだよ。
渡来人が先住民を征伐したのではない。
畿内や九州北部など渡来人が多くいた地は、縄文系の人々に征伐されたんだね。
出雲、中国地方、九州、尾張などの縄文系の人々が渡来人を征伐してできたのが、大和朝廷。
その後関東東北を征伐したのも彼ら。 >>92
ヤマトタケルの事績を見れば大和朝廷は野蛮人だと誰でも思うよな。
もっとも神武天皇その物が外国を侵略する野蛮人だった訳だが・・・ かつて東北に追われた原住民であった蝦夷を組織化し、征東大将軍紀古佐美
の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、鉄武器を奪って田子の浦まで攻め
込んだ阿弖流為という王が東北にいた。
その後、大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂らと12年に渡
って戦ったが、最後には制圧されて蝦夷は滅びた。
阿弖流為は今の大阪府の杜山まで連行され朝廷に謁見後、斬首、さらし首に
されたが、東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きなが
ら埋められ惨殺されたとされている。
その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった者らに踏み
つけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりである。
つまり『根』(死)の国へ追いやるための土かぶせの『蓋』ということである。
踏んづける恰好をする踊りに坂上田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時の
エピソードを表現している。 >>140
世界観の形成には地形のあり方、諸外勢力とのあり方などがあって初めて
成り立つんだよ
別に日の元の国だから京の都を勝ち取れば(他の時代の江戸でもいいよ)をおとせば
「世界征服だ」にはなったことないと思うけどね
日本からは大陸の存在もありき、ナポレオンだってヨーロッパ、ロシアだけで
地球制覇とは思っていなかっただろうし、みんなそう定義している
中華思想はそうではない >>101
熊襲は土着の民、日本人の母体だろが、
天皇家は弥生系だから渡来人だぞ。 当時としてはごく普通の国家運営形態を、ここまで卑下する必要あるんだろうか? 大和朝廷は縄文系の朝廷だよ。
応神仁徳で渡来人が巻き返しただけ。
天武からまた縄文系の朝廷。
桓武から渡来人系になるだけだよ。
四道将軍やヤマトタケルは縄文系の大和朝廷の時代。 >>149
変態新聞だからねぇ
そうしないと気が済まないんだろう ちなみに藤原三代の頃には骨格は畿内の人と変わりが無かったそうな
このニュースにはウヨもサヨもがっかり 国の統一過程って、
大概そう言うもんでは?
違う過程で進んだ所って、
世界で有るの? 1世紀半ばまで少数派の渡来人は縄文系の人々と仲良く暮らしてたんだな。
豊かになった西日本の縄文系の集団が渡来人排除に乗り出し、倭国大乱。
買ったのが、縄文系の集団で大和朝廷。
だから邪馬台国、ヤマト国には暦や文字がないとされてたんだね。 文化の多様性など、
今の価値観だぞ!
今の尺度で、
語る愚かさ! >>4
エベンキ完全否定の結果なんだが
エベンキとかの満州語等のツングース語系遊牧民族連中と日本人は完全に別という結論
つまり、エベンキは日本を支配する権利は無いってこと
今日本で起きてる事は全て蛮行 まだやってるのか、これ。
あり得ないだろ、この中国スパイは気味が悪いよな。
こうやって中国人や朝鮮人は日本に入り込もうとしてきたのです。
こいつらのお決まりの言葉が”戦勝国”でね。なぜこいつら朝鮮人が戦勝国なんて言ってるのか?
そういう風に終戦直後のクソのような朝鮮人から習ってるからです。
そして、史実だとそういう事ばかり言っていたクソ朝鮮人は当時日本に駐留していた
アメリカ人からも蔑視されて、付けられた言葉が”三国人”です。 >>153
もちろんそうだし、今の価値観で評価しても詮無いことではある。
でも東北の場合、こういうことや、ああいうことや、そういうことなんかが
いろいろ積み重なった結果として今に至っているわけで、
そこんとこに思いを馳せるのは無駄ではないなと。 記紀にも書いてあるだろう。
イザナミから生まれたカグツチのせいで、イザナミが亡くなると。
縄文系の集団が全国を征伐して回ったんだね。
誤解している人々が多過ぎる。
渡来人が多くいた九州北部や畿内は征伐された側。 >>71
東北系は大庄屋とか名主とか名称にこだわりが強い
東日本の骨格は酋長性社会だからこだわるんだよ
強固な大地主と小作農の関係で閉鎖的縦社会
近畿九州四国中国の骨格は自由闊達な職能社会
つまり横社会で社会発展活力や相応な人材を生む土壌がある訳
キメ細かく深い分析をしていくと色々な違いが出て驚く
山梨県出身のズバ抜けた文化考察学者である網野善彦は
30代の頃名古屋勤務を経験した時に非常な生活文化違和感を感じて
本格的に日本列島の文化考察学に乗り出したぐらいだから興味深いね 物部氏饒速日命とナガスネヒコまではいわゆる弥生系と縄文系の上手く合体した国
それ以降は朝鮮系天皇の支配 勝った方の歴史がとかまだ言ってるからね、こいつら犯罪朝鮮人たちは。
最悪ですよ、本当に。
権力者たちの嘘が暴かれてきたのもまた”歴史の一部”なんですけどね。 大和朝廷(大和朝廷の時代に都があった時期)は縄文系の集団の朝廷ですよ。 【中国】政府紙「今後50年の間に台湾・ベトナム・インド・日本・モンゴル・ロシアとの戦争に勝利する」…開始時期も明らかに
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2014_01_06/126925942/
上のはロシア政府公式サイトの日本語版の報道記事だが、そのソースになった中国のサイトの日本語翻訳が以下。(自動翻訳なのでやや不自然な日本語だが)
http://archive.is/qXPAD 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) 地方の豪族を招き入れ
大和朝廷の要職に就け日本国の礎を築き
都で得た先進文化を地元に還元する
と昔学校で習った 渡来人の支配
魏志東夷伝 韓の項
「珍宝なし」
■隋書 『倭国傳』 新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。
(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
↓
新羅の王冠は日本産のヒスイ勾玉がつけられている。
ttp://www.wombat.zaq.ne.jp/zenchokyo/t6.jpg この手の研究は中国人と朝鮮人を追い出してからやるべきでね。
中国人と朝鮮人を入れると自分たちの私利私欲の為に平気で捏造するからね、歴史を。
本当に気味が悪いよね、こいつらは。
時の権力者が未開の地の蛮族を別称で呼ぶのは別に中華思想でも何でもないだろ。
そんなの世界中の文明社会でやってますから。 >>147
どこの支配者も同じだってw
日出處天子致書日沒處天子、なんて書いちゃうんだから。 しかし、八旗八幡とエべンキの血を引くモンゴルと相撲と侍が実に良く似ている
まあ、何とかして東トルキスタン人を日本人に仕立てあげたいネット民は認めないだろうがね 誤解を与えかねない曖昧な情報は迷惑この上ない。そのせいで九州北部や畿内がいつも関東や東北から叩かれるんだな。
九州北部や畿内を征伐したのは出雲や尾張、九州にいた縄文系の集団。
彼らが大和朝廷を作り、関東東北を征伐したんだな。 影響は受けていただろうけど
中華思想とは全然別
蘇我蝦夷などと名乗る人もいた。
中華思想では「野蛮な」という意味の強い蔑称の言葉でも
日本では「勇ましい」という意味になってくる。
対立的な勢力にも敬意を持って接した。
それは油断しないためでもある。
このような今更な日本分断工作記事はあまりにひどい差別主義者のすることだ。 >>172
これは初の国威発揚な訳でネトウヨ君たちがこのスレで怒る意味が分からない(笑)
日本はこのあたりから歴史の連続性があるが
中華人民共和国なんつのは戦後からだから 渡来人の倭人系の朝廷は応神〜天智天皇、桓武天皇〜だけだよ。 >>175
蘇我蝦夷と名乗ってたんじゃなくて、それは大和朝廷があとからつけた名前だよ。 >>172
じゃあ毎日新聞にのっかって、世の中の歴史書を「世界はみんなそれぞれの中華思想だったんだ!」って
宣伝してまわる運動にでも荷担しておいでw
別に止めないから
それとはぜんぜん別に「小中華思想」というのを江戸になって言いだしたけど、
幕府に却下された学者の話ならいくらでも研究の対象にすでになってるし、
歴史の学者さんたちも「定義」をしている
誰かさんのように薄っぺらい「言葉遊び」をしているのではなくて つーか、つい最近まで日本の外は未開人という思想だったじゃないか
だから朝鮮や台湾、南洋で日本語と日本文化教育に力を入れた >>176
中国を戦後というなら、日本も戦後。
歴史としての中国は四千年以上あるが、日本は千数百年。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています