>>907 >ところが日本はカメラも透視図法も知らないから風景画が描けなかった。
>人物画も福笑いみたいな記号の貼り付け

「風景」を題材にする風景画は、「風景の発見」というものがなくては成立しない。
だからそれらに価値を置かない文化なら、それらの存在も技法がなくて当たり前。

ところで、日本の話だが、
北斎の東海道五十八景は見事だし、それ以前に山水図などの墨絵などもあるので、
景色が全く描かれなかったわけではない。
ただしそこには、西欧近代で成立する「個人の心理の投影」という視点と内面が欠けているために、
「これは風景画ではない」という印象を受けてしまうのではないのか。

ちなみに絵も画材も限られた環境では、絵は貴重であり、少ない画数で絵解きの説明も果たすべきだとされてもおかしくはない。
その条件を考えると、視点が一点に固定されている「遠近法」絵画は、不親切であると言えなくもないだろうね。
人物画については、例えば信長だろうが、足利尊氏(最近は当時の別の武士と判明)だろうが、
目鼻の記号の貼り付けにはなってないぞ。