◆「神々は田川に実在した」 研究家・福永氏が自説、ファン楽しむ 田川古代史フォーラム詳報 [福岡県]

弥生時代、田川は神々と王の故郷だった−。
田川市の県立大で21日に開かれた田川古代史フォーラム「古代田川の隠された歴史」(田川広域観光協会主催)。

「神功皇后紀を読む会」を主宰する福永晋三氏は記紀に登場する神々が田川に実在した王であったとの自説を披露。
赤村の前方後円墳型の丘陵を卑弥呼の墓とする新説も飛び出し、約500人の古代史ファンを楽しませた。

福永氏は独自の視点で読み解いた古事記や日本書紀、万葉集、中国の史書の記述と、田川地域に残る神社や地名、遺跡、遺物との関わりを示しながら、講演を進めた。
前半は「神話は歴史事実の反映」として、神々が実在した証しを紹介。

八岐大蛇退治で知られる素戔嗚尊は、「奈良県には無い」須賀神社(祭神は素戔嗚尊)が点在する飯塚市の内野老松神社周辺を根拠地に、筑豊地域の王として君臨。
後に饒速日尊(にぎはやひのみこと)(天照大神)の侵略を受け、近くに須佐神社がある「天岩屋戸」の岩屋鍾乳洞(田川市夏吉)で滅んだとの自説を語った。

後半では「邪馬台国田川説」を唱えた。
北部九州からは弥生時代の鉄剣が奈良とは比較にならないほど多数出土しており、魏志倭人伝の「倭人(わじん)は鉄のやじりを使う」とする記述を裏付けると主張。
前方後円墳型地形がある赤村とその周辺には日本書紀にある地名や記述に合致点が多く、この地形からは土器片も出土していることなどを挙げ、自然の地形を成形した女王卑弥呼の墓「箸墓」の可能性が高いことを示した。

パネル討論では、田川市と香春、川崎、福智3町の文化財担当者が参加。
弥生時代から古墳時代の様相がうかがえる各自治体の遺跡を紹介した。

■日本書紀から読み解いた赤村の巨大古墳地形と箸墓古墳 「神功皇后紀を読む会」主宰・福永晋三氏 「記述と地理が重なる」

箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中にある古墳だ。形状は前方後円墳。
被葬者は明らかでないが、宮内庁により大市(おおちの)墓として第7代孝霊天皇皇女(日本書紀では倭迹迹(やまととと)日百襲姫命(びももそひめのみこと))の墓とされている。

纒向(まきむく)遺跡の箸中にある箸中古墳群の盟主的古墳であり、以前は築造年代が3世紀末から4世紀初頭とされていた。
だが、1980年代以降の考古学的年代決定論により箸墓古墳の築造年代も卑弥呼の没年(248年)に近い3世紀の中頃から後半とする説が有力になっているが、疑問視する見方もある。

日本書紀から読み解くと、箸墓の由来はこうだ。
倭迹迹日姫が大物主神の妻となった。神は昼に現れないで夜だけ来た。

倭迹迹日姫は朝に神の麗しい姿を見たいと言った。
神は翌朝姫の櫛(くし)箱に入って居よう。

私の姿に驚いてはならないと答えた。
翌朝櫛箱を見ると麗しい小さな蛇がいた。

姫は驚き叫んだ。神はたちまちに人の姿となって妻に言った。
「おまえは私に恥をかかせた。私はおまえに恥をかかせてやる」と。

神は空に上り三輪山に帰った。姫は仰ぎ見て後悔し、ドスンと座った。
すると箸に陰部をついて死んだ。そこで大市に葬った。
時の人はその墓を名付けて、箸墓といった。

■写真
「田川古代史フォーラム」は500人の来場者の熱気に包まれた
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古代天皇や卑弥呼と田川地域との関わりについて語る福永晋三氏
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西日本新聞 2018/03/29
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/404499/

■関連スレ
【古代ロマン】福岡で卑弥呼の墓を発見か 魏志倭人伝にある記録とほぼ一致 ★5
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※続きます