<戊辰戦争の真実>
会津藩は苛酷な税金を課していたうえ、防衛の為と称して無慈悲に村々を焼き払った。
領民は新政府軍を 【官軍様】 と呼び全面協力し、会津藩士を 【会賊】 と呼びすてにした。 
(会津落城 77頁)

江戸に送られる松平容保を、領民たちは一人も見送りに来なかった。
(英国公使館員の維新戦争見聞記)

会津藩士による略奪が多発した。
新潟町で強盗を働いた会津藩士数人が、町民によって捕らえられて処刑された。
(新潟市史通紙編3)


「会津武士道」だのと美化されているが、実際は、クズ集団で庶民に恨まれていた。
悪政に苦しんだ会津領民は、新政府軍に全面協力したのが史実。

住民の恨みが凄まじい為、会津藩士の生き残りは、殆ど会津を出てる。
白虎隊の生き残りも会津には住めず、長州藩士に育てられて、その後帰郷したが、
住民の憎悪が収まっておらず、仙台で一生を終えている。