会津・庄内藩は、プロイセンに北海道を譲渡し武力介入させ、
輪王寺宮公現法親王を天皇にするつもりだった。 書簡がドイツ国立軍事文書館で発見された
http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102070075.html

プロイセン海軍大臣は、日本の混乱に乗じて、領土確保すべきと進言したが、
宰相ビスマルクは国際協調を重視し、武力介入を断っている。

輪王寺宮が会津入りする以前の1868年4月の段階で天皇扱いしており、
「東武皇帝の閣僚名簿」という文書が残っている。

>>129
世良修蔵の暗殺は4月20日。
その時点で既に、会津・庄内藩は、北海道を売ってドイツにに武力介入させ、
天皇のクビを挿げ替えて、国を奪おうとしていた。