【信玄はわしが育てた】武田信虎像 甲府駅前に設置へ
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武田信虎像 甲府駅前に設置へ
*ソース元にニュース画像あり*
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20181008/1040004509.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
戦国武将・武田信玄の父、信虎が甲府に館を築いてから来年で500年を迎えるのを前に、
信虎の銅像がJR甲府駅前に設置されることになりました。
武田信玄の父、信虎が甲府に館を築いて来年でちょうど500年を迎えます。
この「開府500年」を前に、甲府商工会議所は信虎の功績も知ってもらおうと、
信虎の銅像をJR甲府駅の北口広場に設置することになりました。
銅像は、信虎の菩提寺である甲府市の大泉寺に所蔵されている重要文化財の肖像画をもとにデザインされ、
高さ2メートル余りの、けさをまとった出家姿となる予定です。
南アルプス市の造形作家、河野和泉さんが制作を進めていて、ことし12月に除幕式が行われ、
南口の信玄と合わせて甲府駅の南北に武田親子の銅像がそろうことになります。
甲府商工会議所は
「武田信虎は信玄に追放されるなどいいイメージを持っていない人もいるが、
甲斐統一を成し遂げた偉大な人物。信虎の功績を多くの人に知ってもらいたい」
としています。
10/08 12:29 武田信玄を亡くした武田家はこの先生きのこるにはどうしたらよかったのか。 >>436
少なくとも、勝頼は信玄以上の拡大路線をとるべきではなかったし、外交政策が基本的に駄目。
信玄死亡後に、織田領に美濃方面から侵攻し明知城を落とし、遠江方面から徳川領に侵攻し高天神城を落とす。
さらに、三河方面に進出して長篠の合戦で、武田家を支えてきた山県、内藤、馬場を失ってしまう。
上杉家を仮想敵国としたまま、御館の乱には景勝寄りで介入しない。
後北条家と敵対し、織田と徳川、徳川と後北条が同盟している状況下では東、南、西が包囲されている状況になった。
結局、美濃や飛騨方面からは織田が、駿河から徳川が、関東や伊豆方面から後北条が攻め入って終わった。 >>436
いい疑問。勝頼は決して凡庸な武将ではないし、息子に渡す中継ぎ的な役割なのによく頑張ったと思う。
俺は信長始め周囲敵だらけにして死んだ信玄が元凶だと思ってる。所詮無理ゲーw
やり始めたなら、信長の首取って死ねと 長篠の戦いで勝利したことで武士の面目を回復した信長は、武田家と関係修復しようと勝頼に働きかけてきたことがあった。
このタイミングで勝頼が織田家と関係回復すれば、武田家が滅亡することはなかったと思う。
勝頼は妹の松姫を織田信忠に嫁がせることもできたし、勝頼の嫡男・武田信勝は母親が信長の姪なので織田家との血縁を活かす手もあった。 >>434
勝頼が忌み子扱いだったのは認めるが
そいつの長篠の戦略の為に、山県、鬼美濃、真田兄弟その他、が命を懸けた理由は?
それがロマンシング戦国時代 >>1
さいとうたかを(みたいな画風?)のマンガでめっちゃ悪人に描かれてたのを覚えてる 人の世の定めとは何であろうか?
この物語は、戦国の世に生を受け、骨肉の争いを余儀なくされた武田家五姉妹の、
その中にあって敵将との純愛を貫き通した松姫の、数奇な運命を描く壮大なロマンである。
http://www.youtube.com/watch?v=47XxIUEZgeM 武田は徳川が勝った敵だから、雑魚じゃ困るって言って事で神格化したらしい
実際はそんなに大したことないとか(´・ω・`) 遠江駿河を大井川を境にする分割協定を破棄して徳川領に攻め込んだ点はギリギリ弁疎できるとしても、織田領の東美濃に進攻した点は、いかにもまずい >>443
実際のところはどうだったんだろうねえ
歴史上の人物って、しばしばメジャーどころが史実では意外とパッとしなくて、一般には無名の人物の方が活躍してたりする ごめん、徳川が負けた敵か、勝った負けたそんな話を(´・ω・`) 戦国時代がクローズアップされるのは徳川の歴史として残ってるんじゃないかな
第二次世界大戦で負けたから、南京攻略とか残ってないし(´・ω・`) いや、三河兵はそもそも越後、甲斐と並ぶ強兵と言われてたから
なにが強かったかは知らんがw 甲越の兵は別格だろ。三河兵も東海に限ればなかなかだったと思うけど。
信玄謙信って言うカリスマと、我慢強くて乱取りやったるわ〜の餓えた兵。かなうわけがないw >>445
菊池武房、島左近は本当に強かったという天からのお告げが(´・ω・`) >>440
一族違うから武田本家を継げないから神輿がいるんや。 徳川家康は、小田原北条氏と甲斐武田氏の地盤を継いで天下を平定した
これは事実 信玄が死んで会に戻ってきたときに
勝頼が、「じーちゃん、戦強かったんだってね、指揮権渡すから好きにやってよw」
家臣団は、「どうせ長くないんだし、勝頼よりもマシかもしれないから、我慢してみるか」
ってなったらどうなってたろう。 狩猟の時に通りかかった妊婦の腹を裂いて母子共々殺した暴君だろが。 ついに武田信虎が注目され始めたね。
銅像にするって、信虎の顔なんてわからないのにどうやって銅像にするのか見等もつきませんがね。
個人的には信長の謀殺には武田信虎が関与していると考えていてね、私は。
黒田官兵衛ももちろん関与していたとは思いますが、結構壮大な計画が練られていた可能性もあるね。
そこには武田家と黒田家両方に複数人大将格で仕えていた原家も関係している可能性がある。
そして、もっとも疑わしい人物の一人が島井宗室という福岡の豪商でね。
もしかしたら、信長謀殺は武田信虎の”武田家滅亡の報復劇”だったのかもしれませんね。 >>440
完全に織田徳川を舐めてて命を掛けるつもりなんて無かっただろ。
結果を知ってる俺達と違って、死んだ武将達は最初は大量の鉄砲に
無惨に殺られるなんて思って無かっただろう。 >>457
小田原北条氏はガチの善政をやってたから領民の北条愛がずっと残って
家康は年貢もあまり大量に取り立てられず苦労したんだよ。 個人的には信玄よりも信虎の方が凄かったんじゃないかなと思っていてね。
信玄が強かったというのももちろんあるでしょうが、
それは信虎が揃えた武将と軍勢が凄かったからとも言えるからね。
黒田官兵衛も実は元々の出身は九州じゃなくて、岐阜あたりなんですよね。 信虎は間違いなく内政家としても軍略家としても信玄より優れていたと思いますね。
まあ、武田家滅亡の8年前に死んだという話になっているので直接的な関与はなかったのかもしれませんがね、
絶対に京都にファンは一杯いたと思いますね。なんせ伝説みたいな戦で武田家をまとめあげた人物だからね。 信虎の肖像画を見ると、俳優・江幡高志みたいな感じで暴君には見えない >>448
逆に秀吉の武田評は凄く低かったからな。
「はかのいかぬ戦をしたものよ」に代表される。
秀吉にすりゃ兵を大量に犠牲にして辺境国ばっか攻めて何がしたいの?て感じだろう その前にボロい甲府駅
建て替えろ
一応、登山駅なんだから >>465
普通に兵庫だが
どっから岐阜なんてでてきてんねん のぶやぼで絶対に召抱えずにぶち殺す奴
跡部、長坂、小山田 >>461
信虎ほど確実に顔わかる武将も珍しいと思うがw >>470
推理するに、両兵衛こと竹中さんとの習合・混同したんじゃね?
黒田さんは播磨出身だが九州平定後に、姫路という要地から九州に加増と言う事で移封。
竹中さんは秀吉が九州平定する前に死亡してしまったが、出身は美濃(岐阜)だからな。 >>474
いっぱいなんて残ってないぞ。
息子であり画家である逍遥軒が描いた確かなものがあるって話だ。 >>462
信玄時代から
「鉄砲揃えとこ」「でも金ないわ」だから有効性自体は認識してたと思う
大量に揃えてきたのが予想外だったw
名古屋&大阪を抑えた経済力の勝利
銭で兵器の物量揃えて叩く
VS
ヒャッハー!
の戦いであるw >>401
今川義元も家督争いで勝って相続
しかし有力な家臣と一族が足りなくなってしまった
そこで目をつけたのが松平元康(後の徳川家康)
息子の氏真と同じ教育を受けて今川の姫様を嫁に貰う厚遇を受けた。
(家臣からの虐めはこれに対する妬みであるw)
桶狭間が無くても
義元が上洛して今川幕府
↓
政治やる気なさそうな氏真の代には家康が副将軍で実質将軍
↓
やっぱり徳川幕府
という可能性
どっちに転んでも最後は天下人wむしろ余計な苦労が増えただけだった >>481
親父の代から守護代の分家程度が朝廷の覚えがいいてのがもう規格外だわな >>483
東京が無い時代の名古屋スタートだもんなw
そして独立していた大阪ゲット
もう経済で止められる奴が居ない
三好長慶も大阪の経済力で天下人に やっぱ平野を押えているのは強みだ。狭くても収入が期待できる。兵を分散させず治安維持ができる。
それにひきかえ、実りの薄い広大な甲斐信濃上野の防衛線をはらねばならぬ。
甲斐は見渡す限り山だらけ。味わい深いお暮らしぶりであろう。 >>1
絶対こいつだと思った
スレタイのセンスが嫌悪感MAXの爺すぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています