>>160
飛鳥時代だしな。
瀬戸内海は1日に2回潮目が変わるから、手漕ぎ舟の場合は
逆向きのときは浜に舟を引き上げたり島陰に寄せてやり過ごす必要がある。
それが「津」で、それが整備されてから、ようやく瀬戸内海は東西の通路になった。

額田王の頃も手漕ぎ船の時代で、だから、風ではなく「潮もかないぬ」なんだよよね。

>>161
朝、太陽を見て「よし、あっちが東!」と決めたとしよう。
途中で海岸線が湾曲してても、それを保持できるもんかしら。