>>420
起点は帯方郡治の可能性が高い。

帯方郡治から末盧国までを合計すると、
「水行十日(一万里として換算している)」でたどり着いているので、
更に、末盧国から陸行一月でたどり着く所に邪馬台国はあるという事になる。

一方、帯方郡から邪馬台国まで「一万二千里」という記述もあって、
「二千里」を「一月」かけて歩くのはあまりにも遅すぎるが、
距離を聞かれた倭人が見栄を張って(あるいは軍事機密のために)、
嘘をついたのかもしれないね。
もちろん、一万二千里という数字も本当かどうかはわからない。

いずれにしろ、不弥国より先は使者が直接測量したものではないので、
距離は厳密に考えなくて良いと思うぞ。