畿内説の最大の弱点は、三世紀前半には九州のような
邪馬台国に相当する大規模集落の痕跡が無かったことだが
纒向遺跡の発見で、この弱点が完全に補われた

卑弥呼の墓に相当すると思われる大規模古墳は畿内には数多くあるが
九州にはそれが存在しない
卑弥呼が魏から下賜されたと思われる鏡も、畿内を中心に多く発見されている

こんな感じで考古学的な証拠が全て揃っているのは、もう畿内しか存在しない
それこそ卑弥呼が受け取った金印を発掘するとか
それくらいの決定的な根拠がない限りは、もうあり得ないだろう
もっともその金印は、卑弥呼の後継者のトヨも中国に使者を送っている
その年は魏から晋に王朝が変わっていたからな。
魏の金印は晋によって回収を命じられた可能性もあり
だとしたら溶かされて新しい金印が作られているはずだがな