邪馬台国が畿内に存在したとしても、それが後の大和朝廷に繋がるとは限るまい
日本書紀には神功皇后が卑弥呼であることを示唆する記述があるが
神功皇后は実在したとしても四世紀の人物であり
卑弥呼の時代よりかなり離れていることは昔から指摘されている

おそらく日本書紀編纂にあたって魏志に記述された卑弥呼の存在に気付いた日本書紀の編纂者たちは、その扱いに困り
神功皇后ではないかと推測して、記載したのであろう。

卑弥呼についての記録はすでに失われていたが
神功皇后については、おそらく記紀の編纂当時から、伝承や記録が存在したのであろう事も推測できる
だから、同じように神がかったシャーマニズムで統治を行っていた卑弥呼と結びつけたのだ

卑弥呼の有力候補として崇神天皇の叔母ヤマトトモモソ姫があげられるが
記紀の記録だけ見ても、他にもシャーマニズムで国を統治したらしい女性は存在する