コレが定説
神話と現実の歴史の区別がついてないのは
むしろ九州説の低学歴知恵遅れだからな

時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。

ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。


九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ