初の外部調査で何が出てくる?
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 国内最大級の前方後円墳である大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)を、宮内庁が自治体と共同での調査に取りかかることになった。

 仁徳天皇の陵墓(りょうぼ)として同庁が管理する大山古墳は、「静謐」と「安寧」を理由に、一般の人は入ることができない。だが今回、歴代天皇や皇族の陵墓を自治体と協力して初めて調査することになった。共同調査を評価する声もあるが、課題もあるという。

『逆説の日本史』(小学館)で知られる作家井沢元彦氏は「仁徳天皇の墓とする学問的根拠が乏しいなかで天皇名を古墳に当てる点においては問題がある」と指摘するが、逆にいえば「これまで触れられてこなかった『仁徳天皇陵』と呼ばれる遺跡に科学のメスが入るという意味では、大きな第一歩」と評価する。

 また、同庁が立ち入りを禁じてきた理由をこう推測する。

「神道において、死の穢(けが)れは万人を不幸にするという考えがあり、ひょっとしたらそれが影響しているのかもしれない」(井沢氏)

 今回の調査範囲は、鍵穴のような形をした墳丘ではなく、それを三重に囲む「第一堤」と呼ばれる一番内側の堤のごく一部分とされる。

『天皇陵古墳を歩く』(朝日新聞出版)など古墳に関する著書が多い、古代学研究会陵墓委員の今尾文昭氏は、この調査に疑問を呈する。

「古墳を保存整備するのならば、なぜ墳丘ではなく第一堤を優先するのか」

 濠(ほり)に囲われる墳丘は水にさらされて劣化が進んでいるため、護岸工事をしたい宮内庁の意向があるようで、同庁は第一堤の遺構や遺物の残存状況が確認されることを期待しているとされる。

 ちなみに、今尾氏の書籍によると、大林組の試算として、造営には1日2千人が働き、15年8カ月を費やし、並べられた円筒埴輪は約1万5千本、そのほか形象埴輪(はにわ)や木製品を加えると約3万本との試算もある。

 宮内庁が陵墓として管理してきたことで、興味本位の発掘から守ってきたことは評価できる。

 一方で一部の考古学者の間では、来年に目指す大山古墳を含めた「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の世界文化遺産登録をきっかけに史実に対する「誤認」が広まる懸念もあるという。

「大山古墳」という名は、考古学者の故森浩一氏(同志社大学名誉教授)が、天皇陵墓名でなく、遺跡の命名法に従って地元の呼称を古墳の名称とすることを、1970年代後半ごろから提案。教科書の表記も大山古墳の名が定着していた。そもそも古墳時代に天皇号はなく、後の飛鳥時代や奈良、平安時代に「仁徳天皇」の名が創られたと、今尾氏は指摘する。

 だが、同庁によると「ユネスコに提出された推薦書には、『Nintoku−tennou−ryo Kofun』と表記されていると承知しています」という。

 いずれにせよ、慎重な調査による“ミステリー”解明に期待したい。(本誌・岩下明日香)

AERAdot. 2018.10.24 07:00
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