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「ひかりレールスター」って何?

山陽新幹線で8両編成の700系電車が走っています。しかも、白地に青ではなく、灰色の車体に窓まわりは黒(ダークグレー)、
窓下に黄(サニーイエロー)の帯をあしらった独特な姿です。車体側面には「Rail Star」のロゴがあります。「i」の点が「★」で、
彗星が尾をひいているようなデザイン。これが「ひかりレールスター」です。

車体番号は7000番台が使われており、東海道・山陽新幹線の700系とは区別されています。
「ひかりレールスター」という名前は、700系7000番台と、700系7000番台を使った「ひかり」に与えられた愛称です。

「ひかりレールスター」で運転する「ひかり」は、全盛期には25往復の定期列車に加えて臨時列車も設定されていました。
しかしいまでは定期列車3本と臨時列車2本だけです。とても寂しくなりました。

現在、700系7000番台は山陽新幹線の「こだま」を中心に運用されています。「ひかりレールスター」による「ひかり」の定期列車は、
新大阪発博多行きの「ひかり443号」、博多発岡山行きの「ひかり440号」、博多発新大阪駅行きの「ひかり442号」です。
さらに臨時列車として、姫路と博多を結ぶ「ひかり576号」「ひかり577号」が運行されています。

700系7000番台は1999(平成11)年から2006(平成18)年にかけて16編成が製造されました。ほとんどの車両は製造から18年が経過しています。
「ひかり」として走る「ひかりレールスター」は、このまま消えてしまいそうです。

しかし「ひかりレールスター」こそ、まさに山陽新幹線のスターでした。栄光の列車はなぜ誕生し、衰退したのでしょうか。

航空機の乗客を奪還せよ!

山陽新幹線は東海道新幹線を延伸する形で建設されました。1972(昭和47)年3月に新大阪〜岡山間が開業、1975(昭和50)年には
博多まで開業して全通しました。当時は国内航空運賃も高く、東京〜博多間、新大阪〜博多間の高速化は歓迎されました。
しかし、1986(昭和61)年ごろから国内航空の規制緩和が始まります。

1987(昭和62)年に発足したJR西日本は、国内航空規制緩和による危機感から、山陽新幹線の魅力アップに着手します。
1988(昭和63)年からは0系電車の普通車の5列シートを4列に改造した「ウエストひかり」を新大阪〜博多間で運行。
短い編成にする一方で運行頻度を高くし、待たずに乗れる便利な列車にしました。1993(平成5)年には山陽新幹線で「のぞみ」の運行も始まり、
京阪神〜九州北部間は山陽新幹線が優位でした。

ところが、1998(平成10)年にスカイマークエアラインズ(現・スカイマーク)が羽田〜福岡間に初就航し、翌年に伊丹〜福岡線の運航を開始しました。
スカイマークエアラインズは、機内サービスを減らす代わりに運賃を安くするという戦略です。しかしそれまで就航していた日本航空と全日空も
値下げで対抗しました。結果、航空機が利用しやすくなり、山陽新幹線のシェアを脅かします。

一方、「ウエストひかり」は増加した「のぞみ」を待避する必要に迫られ、所要時間が延びてしまいます。スピードの遅い0系のままでは
航空路線の好調に対抗できません。そこで、当時の最新鋭車両だった700系を投入し、「ウエストひかり」のバージョンアップを図りました。
こうして700系7000番台「ひかりレールスター」が誕生しました。

快適設備とサービスで「山陽のスター」に

700系7000番台は8両編成で、すべて普通車です。1号車から5号車までが自由席、6号車から8号車までが指定席。
自由席の比率を上げて「すぐに乗りたい」「予定が決まらない」という要望に対応しています。予約と荷物検査が必要な航空路線に対して「便利」な列車です。
4号車から8号車までは「ウエストひかり」を受け継いで4列シートです。指定席を利用する人はゆったり。4号車と5号車の自由席はちょっとおトク感がありますね。

5号車から8号車までの車端、壁側の座席は、テーブルが大きく電源コンセントを備えた「オフィスシート」です。
コンセントは「ひかりレールスター」の誕生時はまだ珍しく、出張で利用する人にはうれしい装備でした。8号車は4人用個室が4部屋あります。
ビジネスパーソンの打ち合わせ、グループ旅行、子ども連れに便利です。