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【石川】白山比め神社の前身、いにしえの「白山宮」に思いはせ 古宮遺跡、出土品を公開 「本当に古い神社があったなんて」
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0001樽悶 ★
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2018/10/30(火) 19:27:42.87ID:CAP_USER9
(上)出土品の素焼きの皿「カワラケ」の破片 (下)白山市古宮遺跡の発掘現場を見学する参加者ら=いずれも白山市白山町で
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20181028/images/PK2018102702100214_size0.jpg

 県埋蔵文化財センターは二十七日、発掘調査中の白山市古宮遺跡(同市白山町)で見つかった平安時代後期から室町時代後期までとみられる四層の遺構の現地説明会を開いた。二万点以上の出土品の一部が公開され、参加した約百十人が当時の暮らしに思いをはせながら発掘現場を巡った。

 遺跡は白山比め(しらやまひめ)神社(同市三宮町)の前身になる「白山宮」の一画とみられ、室町時代の一四八〇年の火災で同神社は現在地に移ったとされる。発掘調査は県の自転車専用道「手取キャニオンロード」の整備のため、古宮公園に隣接する北陸鉄道石川線の廃線部分約千二百五十平方メートルで行われている。

 説明会は午前と午後の二回実施。参加者は鎌倉時代の加賀焼、中国製の青磁や白磁といった出土品を見た後、発掘現場を見学した。

 同センター専門員の安中哲徳さんが案内し、素焼きの皿「カワラケ」が大量に発見されたことにより祭事が頻繁に行われていたと推測されることや、礎石が規則的に並ぶ場所では建物が存在していたことを解説。「火災などの災害が起きるたび、再建を繰り返していたことから、同一箇所で年代の違う遺構が見つかったのでは」と説明していた。

 参加者は「この石は何に使われていたのか」などと質問していた。同市白山町の高畠里美さんは「『古宮公園』と親しんできたけれど、本当に古い神社があったなんて」と話した。発掘調査は十一月上旬まで続けられる予定。(都沙羅)

中日新聞 2018年10月28日
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20181028/CK2018102802000023.html
0002名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 19:29:10.63ID:GdP7C4ta0
にだ
0005名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 19:35:14.64ID:v8lesKUp0
>(深見東州は)今、話題の教祖たちをどう見ているのだろう
http://kyusai020826.web.fc2.com/saibandata/nemoto2.html

>ワールドメイト関係者の反論
https://www.worldmate-saiban.com/オウムを賞賛していない/


>ワールドメイトの今までを検証したい




公平に見てどちらの主張が正しいか
まだまだ議論の余地があると思う
0007名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 19:39:59.71ID:rSMlZHjS0
以下部落問題↓
0008名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 19:40:58.39ID:YHLTvU/A0
>>1

HLAハプログループ(B44-DR13)は、
特に北陸地方から秋田にかけて多いことが知られており、
また近畿や東海地方でも6%以上と多かった。
日本海沿岸、とくに北陸地方に分布の中心がある。
http://2.bp.blogspot.com/-SRvtZvygMdY/VRIOZbaE1jI/AAAAAAAAI78/zONk5XXJeNU/s1600/5_26_01.jpg

じつはこのハプログループは韓国人では7%以上と最も高頻度で見出されるタイプであり、
また中国東北地方の満州族にもかなりの頻度で見られた。

弥生時代中期から古墳時代前期にかけて、朝鮮半島東南部から山陰・北陸両地方に渡来した集団がもたらしたものとみられる。

Ala481Thr多型が高頻度に認められ、その遺伝子多型をホモにもつ日本人は「色白である」ことがわかっていた。
新しく入手したサンプルを含めてOCA2遺伝子のAla481ThrとHis615Argの変異を詳細に調べたところ、
Ala481Thrはオロチョン人で頻度が最も高く主に北の東アジア人を特徴づけた。


越の国の出雲族
http://www.mk-s.net/~okuyama/nippon5.gif

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、 新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない
従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に 祖神を祭った。当地方の開拓神は素盞鳴尊で出雲族と同族である。

越の豪族の出雲進出と、出雲の豪族の越の国への進出の物語りがあったであろう。 『出雲風土記』の国引き物語りに、
「高志の都都の三埼を国の余りありや見れば国の余りあり… …来縫える国は三穂の埼なり」と記述されているのは、越の国の人々の出雲地方への集団移住を示すものである。
丹後の国、与謝郡加悦町には大国主命が奴奈川(ぬなかわ)(沼河)姫と共に当地に住み、 姫が病にかかった折に、少名彦命が八色の息を吐いて病を治したといわれる伝説がある(小虫神社・大虫神社)。

出雲系即ち物部氏(素戔嗚尊の子・饒速日命と同族)系の建御名方命が 信濃を征服していったことを物語っている。
建御名方命は古事記の国譲神話では、建御雷神(たけみかづちのかみ)に敗れ諏訪の地に逃げ込んだとされている。

古代の信濃は「壬申の乱」の際には大海人皇子を支援し、 美濃の後方部隊として兵力供給を行ったといわれており、 いわゆる新羅系渡来人と関係の深い土地であった。

諏訪神社の祭神は建御名方神であるが、天照大御神に対する出雲の国護りの際に、 出雲から信濃の諏訪に逃亡したといわれる神である。
祭神は須佐之男命(新羅明神)・八意思兼命(創世の神の一柱である高御産巣日神の子) ・誉田別尊(応神天皇)の三神である。
『古事記』には大国主命の越の沼河比売への求婚の条があるが、越と出雲との文物の交流があったことは、 考古学的にも証明されており、
新潟県の頸城地方から長野県の善光寺平、東山道を通ったとされており、 このルートは建御名方神の逃亡ルートである。

古墳群と新羅神社、神光寺を含めて考えると、山形県置賜郡の新羅神社の構図とよく似ている。
山形県置賜郡地方には古代信濃の民が派遣され居住したことが知られている。
当村の木曽山系寄りにある園原の里については『信濃国風土記』にも記載がある。
0012名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 19:52:47.30ID:RPxQz/OZ0
祖父方の先祖がロシア革命亡命者だからわからんが
日本では山が神様なんだな
0016名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 20:23:48.46ID:fXjT9is+0
石川の白山神社って平泉澄のところだろう
なんで部落と関係あるんだよ
0017名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 20:27:07.48ID:rSMlZHjS0
>>16
wikiにもあるけど部落にはほぼ例外なく白山神社あるんだよ
0018名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 20:28:45.83ID:XXN3YffH0
白羊宮?
0019名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 20:46:55.92ID:/QJ8blMu0
>>4
ワイ族ワールドは大阪と白頭山以北のシベリアだろ
いい加減にしろ
0020名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 21:42:14.73ID:Pjs8BtkY0
今戸の弾ちゃん由縁の関八州にある白山さんはアレ
境内に教育集会所なんかあると萌え萌え
0022名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 22:02:58.29ID:IdD/XHiX0
加賀は鳥取とかなり酷似した船が出て来た方形周溝墓圏で近江の邪馬台国王権の配下にあったことが窺える
0023名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 22:07:43.26ID:LBRq7Qpw0
「め」って平仮名なの?「女」が草書で平仮名の「女」みたいになってるだけじゃなくて?
0024名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 22:09:04.58ID:zHv187G40
>>23
口+羊が本来の表記
0025名無しさん@1周年
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2018/10/30(火) 22:13:02.83ID:yuKI5Rpa0
>>17
低脳かよお前
部落民は米を食うから米は部落民の食べ物って言ってるようなもんだ

江戸時代に弾左衛門が数ある神社のなかでも特に白山神社を信仰したからだよ
白山神社自体は奈良時代からあるんだぞ
順序が逆
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