【京都】「ノモンハン事件」従軍手記 元兵士の遺品発見 「当時の軍上層部は近代戦に対する認識に全く欠けていた」★2
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野村照一さん(右下の写真)の手記を手にする長女の中山征子さん(右)と夫の裕さん=京都府長岡京市で、国本ようこ撮影
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■兵士の苦難、草原一面に馬の死骸…
第二次世界大戦直前の旧日本軍の大失敗の一つに挙げられる「ノモンハン事件」に動員され、宇治市で昨年5月に101歳で亡くなった野村照一さんの遺品から今月、過酷な従軍体験などを回想した手記が見つかった。遺品を整理した長女の中山征子(いくこ)さん(74)=長岡京市=は「父から戦争の話は聞いていたが、手記のことは知らなかった。華々しく戦ったというのではない、一兵卒から見た戦争が記されている」と話す。【国本ようこ】
「運命の狭間で 命を拾った話」と題された手記は400字詰め原稿用紙37枚。幼少期から戦中・戦後まで6話で構成し、1989年10月に完成と記されている。
野村さんは1916(大正5)年、福井県内の農家で10人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。尋常高等小学校高等科を28(昭和3)年に卒業後、京都市でハイヤーの運転手をしていた兄の下で働き、自動車の整備を覚えた。
37(昭和12)年に志願して陸軍に入隊。金沢の輜重兵(しちょうへい)第九連隊に所属した後、39年6月に旧満州(現中国東北部)へ渡った。旧ソ連軍・モンゴル軍と日本軍が国境を巡り交戦していたノモンハン事件の戦線に回され、武器や弾薬を自動車で輸送する役割を担った。
手記では「ソ連軍は数日のうちに補給を完了したのに、日本軍には補給力がなかったようだ」などと指摘。日本軍の歩兵が「たこ壺(つぼ)」と呼ばれた穴で敵の戦車を待ち、地雷を竹の棒の先につけて戦車の走行用ベルトに差し込んでいたことなどを記している。
野村さんは250キロあったという基地間を自動車で移動したが、歩兵は夏の暑い草原を1週間かけて行軍。「落伍(らくご)兵が手を上げ、乗せてくれと拝む者もあって止まると、ワーッと押しかけて自動車のまわりに鈴なりになった」と描写し、末端の兵士の苦難をうかがわせる。
また、不用意に戦場近くまで砲車をけん引させた何百頭もの馬が敵機に襲われ、草原一面に死骸が広がっていた光景を詳述。「馬のいない砲兵なんて鉄砲を持たない歩兵より始末が悪い。移動の手段を持たない重たい大砲なんて何の役にも立たない」「当時の軍上層部は近代戦に対する認識に全く欠けていた」と憤りを示している。
その後の44年、野村さんは現在の中国湖南省で敵機の爆撃に合ったが、何かの破片が服の左襟を貫通。「もし喉を貫通していれば、即死か苦悶(くもん)の末に一命を落としていた」と振り返った。
■「父と再会した気持ち」
野村照一さんの手記を見つけた長女の中山征子さんは、1944年9月に旧満州(現中国東北部)の東安省で生まれた。母ハナエさん(97)によると、戦地の野村さんから「しばらく戻れない。先に日本に帰っておくように」と連絡があったため同年12月に帰国。征子さんは「後の情勢を考えると、私も母も(中国残留孤児を描いた小説)『大地の子』になるところだった」と振り返る。
もっとも、旧満州では戦況などの情報を得られる旧陸軍の将校や官僚、家族らは民間人を置き去りにして真っ先に逃げたとされる。ハナエさんが同じ旧陸軍の官舎に住んでいた家族たちに後に再会した際に聞いたところ、早期の引き揚げを促す具体的な情報はなかったが、「支給される物資が滞ったり、官舎にいた兵隊さんがいなくなったりと不穏な空気を感じたので帰ってきた」と言われたという。
野村さんは46年6月に上海から帰国した後、府警に定年まで勤めた。遺品は手記の他、軍に届けた婚姻願や戦時中の国債など、たくさんの書類がきちょうめんに保存されていた。夫の裕さん(79)と共に整理した征子さんは「亡くなった後にまた父の軌跡がわかる手記が見つかりうれしい。改めて父と再会した気持ちです」と話した。【国本ようこ】
■ノモンハン事件
1939年5〜9月、旧満州(現中国東北部)に展開する日本の関東軍と、モンゴルの後ろ盾になっていた旧ソ連軍が満蒙国境で戦った紛争。当初は関東軍が優勢だったが、戦車など物量で勝るソ連軍の実力を関東軍が見誤り、旧式装備のまま壊滅的打撃を受けた。日本側の死傷者は約2万人、死傷率は75%とされ、旧日本軍の失敗の象徴の一つと評される。ただし、ソ連崩壊後に出た史料でソ連側の損害も膨大だったと指摘されている。
毎日新聞 2018年10月31日
https://mainichi.jp/articles/20181031/ddl/k26/040/391000c?inb=ra
★1:2018/11/02(金) 01:18:04.54
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1541089084/ >>3
失敗した根本原因を検証しない、トップも責任を取らないで適当な中堅〜下っ端に責任をおっ被せる
臭いものには蓋の精神で隠蔽、戦果捏造etc
現代にも続く病巣やで ホチキス式機関銃こと保式機関砲だか機関銃が文具の
ホチキス社と全く無関係なのを知ったのがこの関連だった。
てっきりあの弾帯みたいなのが共通だと思ったが発音ではあっちは
オチキスに近いらしい。 夏にやったNHKスペシャルがおすすめ
指導部のクズっぷりが良く出てる
末端兵士は消耗品 「近代戦は精神論で勝てる程甘くは有りませんぞ!」 ─ ジパングより ─ >>6
福島の後始末みりゃ
この国の上ってほんと楽だよねw ソビエト軍の兵力は日本軍より優勢だったにも関わらず、
被害はソビエト軍の方が大きかったノモンハン事件
日本軍も酷いが、ソビエト軍も酷い
信じがたいことが起きるのが戦争
朝鮮戦争の時に、アメリカ軍でさえ、人民解放軍が
参戦するとは思ってなかったぐらいだし 久松郁実セクシー画像集
https://t.co/7p9H9lS4Xv
近代 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) >>6
マジでこれだな
昔と違うのは現代は下っ端の奴らもバカばっか >>13
>13名無しさん@1周年2018/11/03(土) 14:38:48.19ID:K2M8e3Jn0
>ソビエト軍の兵力は日本軍より優勢だったにも関わらず、
>被害はソビエト軍の方が大きかったノモンハン事件
そのとおりだよ
日本軍は、航空決戦で一方的勝利したので、制空権を握っていたからだ
空からの攻撃によって、多勢のソ連軍のほうが大損害、撤退したのが、ノモンハンだった
近代戦の知識というか、当時は常に最先端を争う戦いだったんだからそんなもんだわ。
むしろ日露戦争の惨状に比べれば賢く戦った方じゃねーか?
いずれにせよ大量に殺したもん勝ちの不毛な大戦というだけのこと。 虎の子の機械化部隊と全満中の重砲を用意して精鋭航空隊も参加させてるんで単純に能力不足なだけ 未開のジャングルを突破して奇襲とかいう根性論と奇策の川口清健大佐を更迭して歩兵と砲兵の連携による正攻法に切り替えたり、
飯がないと戦争できないと大和に乗り込んで山本五十六に直談判した辻政信が何故か根性論者扱いされる謎
不正と無駄と怠惰を何より嫌ってた関係で横領や違法売買で小銭稼ぎしてた不良士官将校からめちゃくちゃ嫌われてたけどね >>17
牟田口ってある意味ではすごいよ
ダメダメ将軍として将来に渡り名前が残るし将来はことわざに成りそう 移民に対する認識が足りない安倍と同じだな
もはや日本人は不様な敗戦などする訳にはいかんのだ 牟田口『馬の死骸がこれだけあるという事はすなわちジンギスカン作戦は成功である』
あいつなら↑こんな事言い出しそうw ノモンハン事件て勝ってたの日本軍だぞw
ソ連軍は壊滅的打撃受けて必死にプロパガンダして凌いでたのが真相 戦死傷者数
日本軍 17500人
ソビエト軍 25500人
ソビエト軍も、圧倒的兵力で攻めこんだフィンランドで、
著しい被害を受けていたりする
でもフィンランドは多勢に無勢、ナチスドイツに遮られて
援軍もなしで、負けた
全面戦争では、最終的には国力勝負になってしまうんだ
ろうな ゴリ押しでソ連軍に勝てたのが上をつけあがらせたんだよね 各部隊の隊長クラスに責任をおっ被せたようだな。
やり方は、いつもは使っていない人のいない建物で司令官や参謀が尋問。
その後、ピストルを一丁目の前に置いて、全員居なくなってしまう。
一時間ぐらい経つと銃声。
この頃の参謀や司令官の傲慢さというのはすさまじかった。
戦車群を相手に孤軍奮闘し、残り少なくなった兵を集めて最後の一斉突撃。
その場合には伝令を一人だけ司令部に走らせる。
自分たちは最後の最後まで戦ったということを知らせるためだ。
伝令が司令部に駆け込んで「○○中隊は全滅であります。」と伝えると
「何を言っとるか馬鹿者。全滅とは何だ。お前が生きとるじゃないか。」と
怒鳴りつけるのが通例だった。 >>29
そこは損耗率とか、人口との度合いとか軍隊の規模からの度合いで語れよ
明らかに日本の方が損耗してるぞ 軍中央の指示を無視して現地軍が暴走。
作戦失敗の責任は現場に押し付けられ、現地軍幹部は順調に昇進。
クズ組織です。 最近の研究ではノモンハンは日本軍の圧勝ということがわかってきたのに
それじゃ都合が悪い人々が必死に古い説を維持しようと努力してる図 ノモンハンで勝ったのは日本、と虚勢を張るやつもいるけど、
国境線はソ連側の主張通りになったんだから勝ったのはソ連です。 第一次大戦を観戦した中堅エリートはわかってたやろ
そのために旧弊の長州閥を排除して、自分たち陸大出が中枢を占めるよう画策した
ただ全員がそうだったわけではないから、日本の近代化の要石だった満州も汚職で腐敗しまくっていて、
対ソ防波堤とか五族共和の王道楽土なんて建前とはかけ離れていた状態だった
だから石原莞爾が激怒し、永田鉄山が内面指導なんてやめちまえとか言ってたわけね >>29
ソビエト軍が弱かったのはスターリンが人間不信過ぎて有能な人間を
すべて粛清してしまったのが大きかっただろうね アンジェリーナ・ジョリー「こういうのって本人が死んでからが勝負だから」 ソ連崩壊直後に、エリツィン大統領が公開を許可した報告書で真実が出てしまったからね。
司馬遼太郎と五味川順平はどうするの?
と1990年代初期に日本でも話題に成った。
其の報告書の名前が、「ノモンハン戦争赤軍敗因調査団報告書」
驚くべき数字の羅列で日本人もビックリ仰天のスターリンの隠蔽工作の数々。
冬戦争を控えていてジューコフ元帥も沈黙。
まず両軍戦死者数
ソ連軍:2万6千人
日本軍:1万6千人
喪失戦車数
ソ連軍:1000両
日本軍:3両
航空機は、日本軍が全金属製の96式艦上戦闘機を投入
ソ連軍は、布張りの伊15と伊16で、日本軍機に完敗
動員兵力
ソ連軍:ジューコフ元帥以下20万人
日本軍:対米戦争直前の為の不拡大作戦で現地軍限定の5万人のみ
其のソ連軍の苦戦振りはジューコフ元帥が、ノモンハンの戦いから見れば、
対独戦は鼻歌マジりのピクニックと、手記に記述した程の生き地獄の戦い。
まぁ、対独戦には新型戦車の広幅キャタピラと曲面装甲のT34戦車の登場がデカいと記述してるけどね。
ノモンハン戦争赤軍敗因調査団の報告書の詳細は「ノモンハンの真実」と言う本に詳しく紹介されているよ。
今でもアマゾンで入手出来る筈。 >>41
そんなに強い日本もWWUだと雑魚だったよね >>41
>まず両軍戦死者数
>ソ連軍:2万6千人
日本軍:1万6千人
戦死者は日本軍が8千人、ソ連軍が1万人くらいだったはずだけど? >不穏な空気を感じたので帰ってきた
いいカンしてんなぁ 西郷どんを見てると天皇は利用する物だったと良く分かるが
その利用しかたの神格化が行き過ぎ、神の国とか思いこんでしまい、天皇の御札乱用
乱発により自滅してしまったのが先の戦争。
宗教により自滅した国が日本。
信じても針一本動かせない
それが事実。
そんな物に命を懸けて戦争するのが如何にばかばかしい事か。
世界はまだまだ馬鹿げた理由の戦争の最中だからね。 >>50
天皇を神扱いして自分らの都合のいいように使ったのが旧日本軍
天皇の威をかる狐が日本を焼け野原らにした >>46
うん
雑魚だからマレー半島では英軍を壊滅させても、捕虜にして殺さなかったし。
マレー沖海戦ではイギリス東洋艦隊を全滅させても、駆逐艦は狙わずに英水兵の溺死を防いであげた。
真珠湾攻撃でも民間人を1人も殺さない作戦で、基地機能を残して上げて反撃のチャンスを与えた。
フィリピン・コレヒドールでは、海水の中をズブ濡れで必死に逃亡するマッカサー元帥を武士の情けで見逃してあげた。
本当に日本軍は雑魚だよね?w >>52
マレーやコレヒドールとか
相手が油断してるところを奇襲で勝ったのが自慢とか雑魚過ぎて涙が出るよね 中途半端な国民国家で近代化して途中で機械化促進しないて意味わからんな。 >>52
マレー沖で駆逐狙わなかったのも救助妨害しなかったのも単に燃料と弾薬が不足してたから
というのも、あっという間に戦闘不能になったプリンス・オブ・ウェールズと違い
レパルスがテナント艦長の巧みな操艦でクソ粘りしたから。第一波の美幌空と元山空の攻撃では水平爆撃の1発のみで魚雷は全て回避された
後続の鹿屋空もレパルスに翻弄され、三方向から9機同時雷撃でようやく足を止められた
このときもレパルスは三方向のうち一方向に対空砲火を集中させ脱出を試み、3機編隊の2機を撃墜、もう少しで脱出されるところだった >>55
ドイツだって馬でバルバロッサを戦ったよ
正面火力重視で輜重後支欠落というのは消耗戦を知らない世代なら仕方ない >>54
やぁやぁ、我こそはって、
正面から行くべきだなw >>54
うん。
戦闘民族の日本人を、支那人や朝鮮人やインド人達と同じ黄色い猿だと思い込んじゃったのが白人の悲劇。
日本軍が軍事訓練をしたホーチミン・グェンザップ。スカルノ。チャンドラボースとインド国民軍。
これ等が日本軍と一体に成っての独立戦争。
白人達は全てを失い、ユーラシア大陸の片隅の自分達の故郷の本来の小国に戻された。
其れが現在の世界なんだよ?w >>54
フィリピンは開戦に備えて防備固めてるとこだったがね こてんぱんに負けた戦争でホルホルホルホルw
李舜臣を崇める半島人みたいなやつが日本にも増えて嘆かわしい >>55
機械化したくても出来なかったのが真相だから。エンジンの小型高馬力化に失敗してしまった
九七式中戦車は他国で言えば軽戦車以下の出力しかない。だから坂を登れない戦車になってきまった
これでは装甲強化や大口径化などとても無理。ないものねだりしてもどうしようもない
大口径化できないなら高圧高初速化するしかない。低圧低初速の57mm砲では戦車どころか装甲車すら倒せない
そこで47mm戦車砲を開発、攻撃力だけは何とかなったが車体が同じでは実質ただの移動式速射砲
>真珠湾攻撃でも民間人を1人も殺さない作戦で、
>基地機能を残して上げて反撃のチャンスを与えた。
何か、コレ とくに、あほ過ぎるよ
やっぱり、極東アジア離島の猿だ
フィリピン や マレー など、
大戦初期に 負けていたのは
最初から決めていた 作戦計画の一つ、
大撤退戦略だった。
勢いよく 勝ったー、バンザーイ、 してた日本軍には、
これを 適用 することにした。
日本軍の 補給路 が 超長く 伸び切った時点で、
潜水艦作戦 を大規模に展開、
日本の 補給は 完全に絶った。
ガダルカナルなど、南方方面では、
日本軍は むしろ、 餓死
まさに 餓島 となった、 ガダルカナル島
イギリスのような、 音響ソナー探知器 と 爆雷 のセット
の 兵器発明 が出来なかった 日本が、 猿低知能だっただけさ
日本の最前線は、むしろ飢え死にのほうが多かったなあー
>>65
マレー半島の戦いでは、日本の中戦車の97式チハと軽戦車の95式が戦場にピッタリ合っての大勝利だったそうだよ。
密林戦を想定した日本軍は、自転車部隊の工兵隊と、軽量戦車を組み合わせてジャングルの中を突進。
戦車は使えないと判断した英軍は、歩兵と補給用自動車で戦いを挑み密林内の主な橋を全部破壊した。
日本軍は、銀輪工兵隊が橋を応急修理しながら軽量戦車で猛突進。
英印連合軍は泣き叫びながら、全てを捨て密林内を逃げ惑うだけの大醜態を晒しての惨めな大敗北。 ソ連の人的損失の大半は督戦隊による物じゃないのか? この時代、日本じゃ自動車の運転ってこれ一本で飯食える位
高度な資格だったんだよね。
高校生のガキが彼女連れて車乗り回してた同時期のアメリカとは
比べちゃいけないだろうけど 近代戦に欠けていたって言ってもこの人の後知恵だろ。 >>65
日本軍における戦車の位置付けは歩兵直協で敵の機関銃制圧が主任務であり、「戦車兵操典」ができる前の日本軍戦車兵の教典であった「教練規定」には
「戦車はみだりに対戦車戦闘すべきものに非ず」と定められていたほどで[467]、八九式中戦車に搭載された短砲身57mmはその運用思想にかなうものであり、
九七式中戦車開発に際しても主砲の威力増強も検討されながら、結局は「短砲身57mmで十分」と判断されてしまった。 >>76
アメリカ無なしだとむしろ今の方が無理だろ >>74
ジェームス・ディーン「パパきょう高校の卒業パーティなんだ」
パパ「楽しんでこい」
車のキーをディーンに投げる >>1
お前だったらわかるのかよ?
今、批判してる連中が当時いてもわかるわけがない >>67
ガダルカナルはアメリカも薄氷だったのよ。少し歯車が狂えば餓死してたのは海兵隊の方だった。ほとんど博打
ちなみに、ガダルカナル戦の頃は日本軍は撤退するという選択肢があり、実際ケ号作戦でガダルカナルから撤退している
>>68
九三式水中探信儀(1933年)
試製九七式水中探信儀(1937年)
三式水中探信儀(1943年)
爆雷も投下軌条だけでなくY砲、K砲といった投射装置もちゃんとあった
結局のところは物量の問題 >>72
まぁ戦争は死者数を競う戦いだね。
特に文明国ほどそう。
日独を倒して平和憲法を与えて安心してたアメリカ。
世界の防共の盾だった、日独防共軍事同盟国を倒してしまったアメリカ。
朝鮮戦争で4万人以上の若者の戦死。
ベトナム戦争で6万人以上の若者の戦死。
ドミノ理論が生まれ、対共産国戦争に突入したアメリカは、日独を倒したツケを充分に払わせられた訳でw 今でもそうだが日本の上層部は責任取らないで言い逃れするのが最悪なんだわ
無知や無謀は反省すればいいけど
無責任だと反省すらしない >>84
責任をとる立場になれないヘタレに言われてもなあ >>84
そうそう
負けてるのに結果的に勝ったとかいい出すやつが悪い これだけ損害出してでも、
戦争目的であるハルハ川を守ったのはソ連。
どうみても、ソ連の勝利だな。 >>79
それは、 不良の代表のジェームズ・ディーン の家庭だったからだよ!
アメリカは、もう1920年代から 一家に3台 自動車だよ
ジェームズ・ディーンの時代だったら、
オレ様専用の フォード・Tバード じゃん
いろんな本に軍上層部が戦闘を継続させるつもりがないから物資を送らなかったと書いてるな
現地と本土で意識の差が大きくて、本土側はなんて戦闘してんだよwという感じで
現地では今やらなきゃヤバイ!という認識 >>78
今の自衛隊はアメリカ抜きだと北朝鮮にも勝てない
というのも戦術情報システムや通信システムが米軍基地依存なので米軍不介入となると指揮系統が崩壊する 90年前に蒸気軍艦にビビってた江戸幕府の方が有能とかシステムとして無能過ぎw >>90
そりゃ現地はやらなきゃやられるんだもん本気で戦うわな
でも援軍や武器弾薬どころか食料すら送ってこない
戦死とかかっこいいこと言うけど現実はミイラみたいになって餓死
でも実質日本は勝ったって言う連中がいるのが不思議 >>88
戦車1千両以上と自動車3万両以上を投入して
しかも日本軍より損害出しまくりで空戦は尚更って状態でも勝利ですねわかります >>95
当時のソ連のやり方だな
でもそのやり方でソ連はナチスドイツに勝利した 関東軍の将校は中国で毎日宴会を開き、芸者を20人も集めてバカ騒ぎをしていた。中国帰りの
料亭の娘さん(といってももう80近いが)から聞いた話。ソ連が侵攻する前に家財道具一式と家族
を軍用貨車でこっそり日本に帰したのは有名な話。日本の軍人は日清、日露まで。あとはクズ
ばかりで国民を地獄に追いやったってこと。バカ軍人には気を付けろ。 >>88
もうソ連側からの侵攻だったとバレてるよ。日本軍は押し返しただけ 明治・大正・昭和と第一線を生き抜いてきた徳富蘇峰が第二次大戦を「日露戦争時ならせいぜい下士官クラスの人間が戦争を指揮してたんだから端から勝ち目がなかった」って論評してたけどそれが全てだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています