【岐阜】「もう一度、神仏習合の原点にかえり、真の日本人の再生とは何かを紐解いていきたい」 瑞浪で「神仏習合研究部会」発足★2
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鎌倉〜室町時代に美濃国を治めた清和源氏・土岐氏の郷土史研究団体「美濃源氏フォーラム」(井沢康樹理事長)はこのほど、「神仏習合研究部会」を発足させた。瑞浪市寺河戸町で18日、「東濃地域浄化繁栄祈願護摩法要」が神仏習合形式で初めて営まれた。中世に美濃守護職を務めた土岐氏累代の追善供養などがあった。
初めに式正織部流武家茶道桔梗会の井沢瑞浪師範(65)の点前で茶を祭壇に献上。阿含宗僧侶の依田靖光氏が導師を務めて「護摩法要」に移り、「開運除災(じょさい)」「運気改善」などの願文を書いた護摩木を燃やしながら般若心経を唱えるなど、現代では珍しい「神仏習合形式」で開かれた。
今年は明治維新150年だが、寺と神社は明治政府の神仏分離令により分けられた歴史がある。同部会は、江戸時代以前の「神仏習合」の儀式を研究し、日本の宗教・文化史の理解を深めることを設立の目的としている。
部会長の阪本百合美さん(60)は「江戸時代までは神様と仏様が助け合ってきた。もう一度、神仏習合の原点にかえり、真の日本人の再生とは何かを紐解(ひもと)いていきたい」と話す。今後、「曼荼羅(まんだら)にみる神仏習合の世界」「戦国時代にみる神仏習合」などをテーマに研究会を開いていく。【立松勝】
毎日新聞 2018年11月20日
https://mainichi.jp/articles/20181120/ddl/k21/040/141000c?inb=ra
★1:2018/11/20(火) 23:10:30.35
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542723030/ >>728
昔から、+は明白な仏教嫌いだろ。そして昭和初期的な神道原理主義者が昔から多数。
だから、神仏習合なんて話(ただし>>1自体はかなり眉唾だが)は、宗教的嫌悪感丸出しのレスが続出する。 日本昔ばなしを見たら
仏教と神道の話がほとんどだよ
お前らも見れ
神様の話、お地蔵様の話、お坊さんの話とカテゴリー別に分かれてる
凄い分かりやすいサイト
この話なんぞ、神道の神様が出てきて
「悪霊を抑えるにはお寺を綺麗にしてお花を供えて供養しなさい」
なんて教えてくれるんだぞ
■石神さま
http://nipponmukasibanasi.seesaa.net/article/384114480.html >>749
へー、コーランも聖書もイエス・キリストの記録なんだ
そりゃおそれいったね 神が死と穢れを嫌ったので
坊主がこれを扱うようになりましたとさ >>757
葬式セレモニー屋、おいしい商売じゃないか 坊さん然り宮司然り
先ずは当人達の倫理道徳観を省みる事から始めろよ
どれだけ頻繁に犯罪事件等ニュースで
取り上げられてると思ってんだよ
馬鹿も休み休みにしろよな 靖国の宮司さん、もし下痢野郎が来たら
塩まいて追っ払ってください 東照宮とか同じ敷地内でも神社と寺で拝観料分けてるから分かりにくいわ そういえば祖父の法事の際に坊主が
「お葬式とかの際に塩を配ったりしますが、仏教では死はむしろ極楽浄土への旅ですので
清める、といった必要性が無いので・・・」とか言ってたけど
お前が拝んでる仏壇部屋の部屋には神棚があるんだよなぁ・・・と。 >>764
ちゃんとした家なら、そもそも神棚は家族に死者が出た日から50日間封鎖するわけだから、関係ないんじゃね?
まさか、神棚を閉めて白い紙を貼らずに、坊主に文句垂れて塩撒いたの? 神社の宮司は説教せんけど、
地域の豊穣には責任を持ち、
豊穣でなければ、神が降りてない点で
能無しだと反省すべきだな。
今じゃ坊主の墓守と同じ。
水垢離、火渡り、参拝者と同じお百度参り、何でもやれ。 極楽浄土云々は二次創作設定であって仏教じゃない
仏壇も仏陀の教えと関係ない >>712
その結果が、念仏を唱え続けたり大仏を拝んだりすれば極楽に連れてってもらえるみたいな事に? >>768
成仏して無に帰することができない人間を減らそうってのから始まったんだろうけど
いつの間にか成仏させてやるから俺の言うことを聞け従え貢げさもないと輪廻するぞになったよなw 大仏が大きいのも訳がある。
特に注目するべきは奈良の大仏。
実はこれ、華厳宗の本尊で宇宙の中心に座すという毘盧遮那(びるしゃな)如来なんだわ。
だからこそ大きく作った。
https://www.butuzou-world.com/dictionary/nyorai/birushananyorai/ 神仏習合って血液型別星占いみたいなもんでどう考えても無理矢理感が否めない
そもそも日本の中でしか意味をなさないところが致命的にオカしい >>712
もはや釈迦の説なんてどうでもいいんだよね。大乗の時点でそうなっている。 高野山や清水寺の中に神社があったり、東大寺の近くに春日大社なんてものいいじゃないか >>765
法事のお話であって葬式じゃねーぞ。
あいつら坊主の月刊誌か何かに「今月のお説法」みたいなのが書いてあって
それをそういった場で話すらしくてね。
んでそのお話が仏教のことしか考えて無くて神仏習合を無視しとるなぁ、とね。 >>657
万葉集には天智天皇だの持統天皇だのの御製の歌が載っているが、
あれを本当のことだと思うか否かだ。
俺はただの民謡だと思う。それに大昔の天皇の名を適当にくっつけただけだ。
ぐぐってみれば分かるが、祝詞については神前で宣(の)られた言葉だとする
ものもあれば、そうではないとするものもある。
神前で云々は注意してみるとどうも神社庁系統で流布された知識のようだ。
起源的にいうと、祝詞の元は中国の祭文(中国の場合はさいぶん と読む)
これをまた神前での言葉とする解説もあるが、言葉で訴える相手は「天地神祇」だ。
もちろん中国の天地神祇。天と地に対して訴えかける。
「天にも地にも恥じぬぞ」という場合の天と地。
地面にペタっと座って上を向いて大声で歌うのだ。中身は日本人にとっては漢詩に
見える。中国人にとってはただの日常の言葉なんだろうけど。
ああどうしてこんなことになってしまったのか。私はただ正直に暮らしてきたのに。
誰も助けてくれない。もう父も母もいない。私はひとりぼっちで悲しみに耐えている、
といったようなもの。
人民共和国建国までは、いやそれ以後でも田舎ではやっていた。
普通の人が、何か物事に行き詰まると地面に座り込み、大声で唱った。
まあ、みんなに自分の苦しさを聞いてもらおうというようなものなんだろうけど。
もちろん昔は国家的行事であったこともあるだろう。
専門のシャーマンがやり、道教の道師がやることもあった。
延喜式に祝詞が収録されていたからといって、後代まで行われていたという証拠
にはならない。少なくとも宮中では平安時代以降仏教一辺倒であった。
江戸時代の天皇の葬式だけを見ても、様式はすべて仏式であり、火葬である。
祭政一致であったから、法会をなすことも大事な行政行為であったが、年に何度も
なされる法会はすべてが仏式で、かつ、宮中だけでなく多くの官寺や勅願寺を
こぞって行われたのである。
そこでは祝詞など宣られる余地はなかった。
だから維新を向かえたとき、宮中ではどう祖神を祀ればいいのか分からなかった。
祝詞をあげるようになったのは間違いないが、それは宮中に入った(元)国学者たち
が唱えていた祝詞だったろう、ということである。
宮中で祝詞がお払い箱にされている間、祭文を承継していたのは山伏だちである。
山伏の祭文というのは、祭礼や市場などあちらこちらで行われていた。
この祭文を元にして、さまざまな芸能が生まれていった。 >>753
仏教嫌いというよりネトウヨ=国粋主義者が多いんだよ
国粋主義だから神道原理主義になる
彼らが神道を信仰するのは突き詰めると「日本独自だから」
これが仮に朝鮮から伝わった宗教だったら絶対に信仰しないか、朝鮮から伝わったことを全力で否定するだろう
もし純粋に神道を信仰しているのであれば、発祥がどこであっても教えが正しいと思っているのなら気にしないはずだが、そうはならない
神道原理主義者が信仰しているのは、実は神道ではなく国粋主義なんですよね そもそも日本仏教が嫌いじゃないやつとか知的障害者くらいのもんだ >>712
大乗ができたのはそんな理由じゃないよ
修業の目的が、組織の中で自分はこれだけ偉いと言うために変わっていったから
これだけやった自分は偉い、これだけできる自分は偉い、やり方は教えないがおれを敬え
大乗の経典の中ではそういう人間を徹底的に批判している
そうした時代の中で、釈迦の望んだ仏教はなんだろう、原点に戻ろうと始まったのが大乗
と、植木雅俊教授が書いていた 神仏混淆がほんらいの日本人の宗教だった、それを江戸時代に徳川さまから食わしてもらってる人間が
天皇さん中心の世の中にしろ、そのためには仏教や原始宗教は消せといって始まった運動がついに倒幕までしてしまいました
おかげで数々の仏像や本などが消滅してしまいました。水戸黄門、あんたから始まってるのとちゃうか? 日本はもう宗教と暮らし仕事ビジネスが結びついてないというか
乖離し過ぎてる
祭りとかもそう
その時だけ急に伝統大切従えとか言って酔うだけ >>783
本来って言っても山王神道自体が神仏習合だけど中国から来たものじゃん。山王って道教のかみさまだよ。で、なぜか大山くいになった >>781
それ最近根拠なく言われだしたことだろ
大乗も仏陀の直説として伝わってるんだから大乗経典製作者の意図なんて伝わってるわけないし
そもそも大乗経典製作者がどういう人かも諸説あるくらいなのに 今でさえブッダの生まれ変わりを自称する教祖がいるくらいだし >>788
勝手に教義をクリエイトしてるっていう意味では、新興も古参も同じ穴の狢。 >>781
こういうとこ日本仏教卑劣だわ
偽物と指摘されたら上座部が腐敗してたからとか言い出すんだから
今上座部信仰してる人に失礼だよ >>768
俺は念仏や仏像への拝礼には意味を見出せないけど、
自己の解脱を望んで、人間社会の成立に寄与しない修行を行うよりも、
解脱だの極楽往生だのなんぞ意識せずに、人間社会の成立に寄与する極普通の社会活動を淡々と営むことの方が仏教の真髄に近いと思う。
念仏や礼拝は、極楽往生のための受験対策とか、内申書を意識したポーズに思える。
「極楽往生したい」と願う心がすなわち煩悩だから、そんな余計なことを考えずに、
毎日毎日淡々と真っ当な人間生活を送ることが仏教の真髄だと思う。 >>781
大乗は釈迦の望んだ仏教など求めていないだろ。
釈迦はあくまでも修行者自身の解脱の道を説いている。
原始仏教には菩薩の概念はないだろ? >>789
むしろ、ちゃんとクリエイトして教義の論理性を高めていくべきだと思うぞ。
本来、釈迦の教えは「宗教」ではなく哲学として説かれているのに、釈迦が絶対的な権威になってしまったから、
釈迦が言い足りてないところや、矛盾しているところがあっても気軽に補完できなくなってしまった。
釈迦の教えなんて穴だらけなんだから、釈迦の教えだけを絶対視したら矛盾が増幅するだけ。
それなのに足りないところを補おうとすると「釈迦の言ってることと違う!」と攻撃される。
釈迦の説いたことを絶対視するなんて釈迦だって否定しているのに。 >>794
釈迦の説いた本質の部分をないがしろにしてるのに?
権威だけ借りるようなことしないで、新しい宗教おこせばいいのに。 >>795
釈迦の説いた本質って具体的になに?
それに、仏教は仏教であって釈迦教じゃないんだから、釈迦の説いたことから外れてはいけないというものじゃないだろ。 >>796
墓とか葬儀にこだわるとかありえないだろ。執着するなって言ってるのに。 >>776
言いたいことはわかるが、ちょっと乱暴すぎるんじゃないかと思う。
確かに近世近代の祝詞は、極端に画一的だ。
八百万の神だの氏神様だの何だのいいながら、どこの神社も寸分違わない文言を唱える。
そしてその内容は平安時代の文献そのまま。
国つ神の神社で、宮司が神妙な顔をして天孫降臨のネタを読み上げるのは、
俺なんか聞いていて正直笑いが込みあげるw
これは、指摘の通り、江戸時代に、国学者と禰宜の共謀で、
坊主の読経に対抗するため、神前で神妙な顔をして読み上げるネタとして
古い文献を掘り返し、新しくテンプレを作ったのだろう。
でもそれだけのような気がする。
記紀万葉の歌でクレジットが明確なものは、民謡ではないと思うよ。
記紀は神話というが、あんなに具体的に政治臭い「神話」も珍しい。
ひたすら具体的な権力闘争だけが書かれてる。クレジットは正しいと思う。 >>787
>>790
>>792
信じられないなら経典を読めよ 仏教の各宗派は教義とか檀家の層とかで外部から理解出来るけど
神道の方はその神社が何を祀ってるとかは解るけど
こう言った↓宗派だか派閥だかはよー解らん
・平田神道・吉田神道・山王神道・両部神道・伊勢神道
なんなんだ? >>800
自分で書いたほうが良いものが出来るのになW キリスト教が文明の進歩を1000年単位で遅らせたのにくらべれば
仏教は学問に貢献したといえるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています