【宇宙】この世をば…道長が詠んだ満月、1千年後の今宵も夜空に
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平安時代の貴族、藤原道長(966〜1027)が「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んでからちょうど1千年後の満月が23日夕、昇った。栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、望月はなお欠けることなく地上を照らし続けている。
平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や道長自身の日記によると、道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると、この日は確かに満月だったという。今年の旧暦10月16日は11月23日だ。
東京都港区では23日午後5時ごろ、高層ビルの上に大きな満月が姿を見せた。(東山正宜)
2018年11月23日18時08分 (ライブ中継中)
https://www.asahi.com/articles/ASLCR0H01LCQUEHF00F.html
藤原道長が望月の歌を詠んでちょうど1千年後となった満月
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181123002308_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181123002211_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181123002004_comm.jpg >>4
それもあるけど、
平安時代の貴族は週に1、2回しか入浴しなかったから早死にしたんでしょうw
もっとも、当時の“風呂”はスチームバスみたいなもので、今のように湯槽に浸かる“湯風呂”ではなかったようですが。 >>9
千年女王・雪野弥生→(約1000年経過)→機械帝国の女王・プロメシューム
まことに・・・ >>2
そんな自分は無教養の低学歴のゴミを誇示しなくても… 道長といったら伊周との弓の対決のほうが面白いな
大鏡に出てくるやつ スゲー綺麗な満月だったな。
ちょっとバイクを脇に寄せて見とれたぜw
1000年前、道長はこの世は俺のモンだぜ!ヒャッハー!と言う気分で、
眺めていたのかw
1000年後の小市民の俺は、
野心や欲望置いといて、ただ美しいと眺めていたがw 慈円の御堂関白や基経への阿りの文章は反吐が出るよね >>1
朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれてる
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート、
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンスト被ったみたいな朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は、
朝鮮人がいつもやっている汚い手口だからな。
韓流アピールしてる人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレてるから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやってる。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
http://itest.2ch.net/hayabusa3/test/read.cgi/news/1341579948/
. かなり下手くそで悪趣味で風雅の欠片もないような和歌だけど
道長嫌いな人が嫌味で日記に残してやったってのが真相らしいね 藤と山のつく名字と菅原という名字の人に関わらなければ平和に暮らせる 教科書で初めてこの歌を読んだ時、月の満ち欠け以外は何とでもなるって意味だと思った >>16
1000年前に権力闘争を勝ち抜いて、
絶頂バーベキュー状態の人間が、いたんだなと。
日産騒動じゃ無いけれど、1000年経っても人間の心って奴は変わらないなと、
ある意味進歩ねーなと閉口すると同時に、安心するかなw 藤原氏の子孫が未だに
現代に生きているというのがすごい >>1
何故、満月だったて、解るんだよ?
見てた奴いるのか >>3
満月を仰ぎながら、古に悟りを見出そうとするゴーンさんw 糖尿という事はビタミンAをとらない食生活という事か
野菜が不足して、動物や魚も食べなかったのかもな
仏教徒のような生活なら糖尿になるかもしれない >>7
週じゃなくて、年じゃ無かったか?
風呂に入る日を占って、吉日に入浴していたと読んだ気がw お月見とか昔はしてたな
団子お供えして、縁側から月見てた
今はそういう風習は無くなったのかな 「この世にはバカしかいないネトウヨの欠けたることもなしと思へば」
安倍晋三 >>37
それは左遷先に庭の梅の木がついてきてくれた人 満月は欠けるものなんだよな・・・逆に言うなら、「欠けてもまた必ず満ちる」となるが >>1
記者「今宵の満月について一言お願いします!」
首相「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」 太陽はすごいスピードで動いてる(移動)
地球その他の惑星はその太陽の周りを回りながら、同じように移動してる
そしてその地球の周りを回っているお月様 >>38
太陽暦と周期にズレがあるのは人間がサルから進化した頃より
自転速度に違いがあるから。そのうち、太陽暦のタイミングに収まる。、 >>28
いや、先週ぐらいに「週7回以上入浴する人と週2回以下しか入浴しない人とでは、老後の介護度に明らかな差があることが某大学の研究で判明した」というスレが立ってたもので、ついw
>>34
年というか、何種類もある暦の解釈で、いわゆる物忌み日がたくさんあって「風呂に入るのが不吉な日」が非常に多かったそうな。 野菜がとれずにいた千年前の人の死因は糖尿病、腎臓病、ガンというわけか
その他に脚気などの心臓疾患に、寒ければ脳卒中 >>46
月自体は、別に欠けてはいないんだけどなW 栄養の不足した千年前なら、生卵が薬というのも頷ける Iam a king of the world
タイタニックの厨二病が叫んでた >>50
やっぱり医療が未発達だし、薬も薬草がちょっとあった程度で、あとは祈祷とかで病気を治そうとしてた、神頼みだったというのが大きいわな、平安期は
逆にいうと、よく繁殖して、平成まできたものだと思う こういう話はロマンがあって好きだ。
今宵の月を楽しもう >>51
ビタミンA豊富なうなぎを食べる習慣とか、ずっと後の時代かな?
貴族故に変な縛りが多くて、偏食強いられたのかな?
食生活貧しくとも、庶民の方が栄養バランス的には良い時代だったのかな?平安時代は。 兄弟は道長以外全員天然痘でお陀仏だっけ
運も持ってるんだな 藤原 道長もまさか
wikipediaに自分の略歴が載るとは思ってなかっただろう。 この歌だけひとり歩きして彼の人物像の
代名詞みたいに扱われてるけど
結構周りに気配りする人だったみたいだね、あとなんかの行事の二次会で悪ノリで詠んだのが、たまたま記録されてしまったとか >>72
マジで
源の典侍なんかおばあさんだけど今でいうと30位じゃなかったっけ あのとき俺が適当に読んだ歌、もう1000年経ったのかよ! >>71
お前は俺かよ、何で勝手にレス
してんだよ 足るを知る者は富む 不足を嘆く者は拗ね、他者の懐から盗る者は堕す
講談社学術文庫の御堂関白記は読みやすいな
単なるスケジュール帳だからな
酔っ払って文章が読めないときに読む 万葉集にも月の歌が沢山載っている
春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさやけくありけり >>7
温泉には、よく入っていたぞ。
それが、蟻の熊野詣。
白浜温泉や、本宮の川湯温泉に湯の峰温泉。
神社にお参りに行ったというより、温泉に浸かりに行ったようなもの。 >>78
鰻や鱧は生命力が強く、内陸部の都まで生きたまま輸送することができたので、当時の都人はよく食べたようだね。
ただ、調理法の関係で(平安時代はまだ蒲焼の技術はなかった)、鰻は下魚とされていたようだけど。 道長が詠んだ時代より1万年前から満月はのぼりましたし更に一万年前もありましたしおすし >>7
ドライヤーとか暖房器具がなかった時代に毎日風呂に入ると風邪になり、そこから他の病気になる可能性があったから入らなかったんだよ
だからむしろ逆 >>66
平安時代の人々は、1000年後の日本人がどんな生活しているか?
空想の中で妄想したんだろうか?
昭和の時代の21世紀妄想みたいなモンで、車はチューブの中走っているし、
人々はピチピチのモッコリウェア着ているみたいな感じで。
全部はずれたけれどもw 1000年後も日本はありました。
更に1000年後はどうなっているだろう。 >>88
うつぼ最強って聞いたことある
うなぎは川にいるから生命力関係なくね? >>78
万葉集時代で既にかw
うなぎ喰う日はテンション上がったろうなw >>85
室町時代以降に発達する“湯風呂”は、まさしく温泉を自宅に備えるようなもので、
当初はきわめて贅沢な設備だったわけです。
織豊政権〜江戸時代に都市整備が進んだ結果、民衆にも広く普及したけど。 ここの書き込みもすぐに1000年くらい経つことだろう 詠んだときにはもう満月じゃなかったらしいから、満月の今日に「1000年目の」とは言えないよな >>92
考えてみれば、未来過ぎてイメージが湧き難いなぁ…w
とりあえず人間のメンタリティはそんなに変わっていないようだから、
その辺ベースに、なんかの闘争やっていそうだ。人間はw 10年は 夢のよう
100年は 夢また夢
1000年は 一瞬の光の矢 こいつの住んでた場所調べたら、今の京都迎賓館あたり。
千年経っても運のええやつやな。 「ミレニアム・ムーン」として、盛大に祭りにすればよかったのに >>1
教養あるなあ
政治欄は糞だけど、やっぱ朝日の文化欄は良いわ
ライブ観られ無いけどモヤモヤしてるのは雲に隠れてるから? 「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃」 by 西行
同じ望月でも境涯が真逆だね 早く教えて!ググっても解らん
望月の読み方、モチヅキなの? 死ぬほどふざけた歌だよな
事実だってのがさらに腹立つ >>113
もちづき、ぼうげつ、好きに読め
もつき と読むところもある >>111
西行はその歌の通りの時期に死んでるからすごいよな。 ごめん、
その1000年の間に原爆2発も落とされちまったし、
まさかの絶対安全安心とか言われてた原発も爆発しちまったよ ^ ^は危秋潔さんの
https://changba.com/s/e_lKS3qFxUJIYOJ2MBvueQ?&code=Kxhsv6044ik&from=stopsuggest
Fly me to the moonが好き!
この子は
You are asking me to explode in place.
You are asking me to die.
と書き残してる。
哀れなり(T_T) >>114
更に1000年前はパクス・ロマーナってなモンで、
栄華を極めた文明やポジション立場の人のチョーシコキ言動は、普遍的な事かもなw
絶頂は衰退の第一歩だから、何でも諸行無常ゴーンと鐘が鳴るけれどもw >>113
丸いもの = モチ(関西は今も丸餅) → モチヅキ
望(ボウ)=満月=満(ミチ) → 訛ってモチ → モチヅキ
この2説がある この世の栄華全てを手に入れた! と豪語したこの男が、死に際にハマったのが浄土真宗(´・ω・`)
最後の一息まであの世の平安と栄華を求めて念仏を唱えたとさ
猛き人も遂には滅びぬ、ああ諸行無常 谷の戸を とぢやはてつる 鶯の 待つに音せで 春の暮れぬる
隠居した藤原公任に送った歌
唐衣 花のたもとに ぬぎかへよ 我こそ春の 色はたちつれ
1019年4月1日、娘の上東門院彰子に更衣の衣裳を贈った時に添えた歌 1000年後その傲りは藤原氏ではなく安倍末代の身体を借りて蘇った ∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、神山満月ちゃん!
\ / └────────────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll >>7
>平安時代の貴族は週に1、2回しか入浴しなかったから早死にしたんでしょうw
凄まじい低知能臭をお前から感じる www >>10
メーテルの機会の体設定は、一体何処へ消えたのか。
まあ御大の作品に突っ込んだら負けか。 さすが道長だよな。日本の平和を言挙げしてくれてる。千年後の大東亜戦争で日本を売った近衛文麿とは大違いだな 歩いて帰った
今日は綺麗な満月だった
何か良いことないかなあ… >>91
最近の男女はピチピチのもっこりウエアばかりだぞ 実は月は地球から遠ざかりつつあるって知ってた?
毎年少しずつ離れているそうだよ。
1000年前の月は今より大きく見えた。
1000年後の人は今より小さい月を見てるんだな。 道長の血を受け継いでるのは
鷹司家? 近衛家?
皇室? 叛徒の安倍頼時、安倍宗任の子孫が1000年後の天下を治めているとは想像できないよなあ ま、道長の時代、朝鮮半島(高麗)とは国交がなかったからね 道長なんか奢り高ぶったクズとしか思ってないが。
そのクズの月がなんだって? 今宵こそよにある人はゆかしけれいづこもかくや月をみるらんby赤染衛門 >>137
そう言えばそうかwww
ジーンズ生地じゃ無くて、もっとこうハイテク繊維のウェアイメージだったが、
シルエットは当たったかもなw トーハクから出てみたらやけに明るかった、満月がこれほど明るく感じた日は今日ほど無いかも 子孫はいっぱいいるからな
五摂家がそう
・近衛家
・鷹司家
・九条家
・一条家
・二条家
庶流含めると数えきれん >>1の東山正宜さんて、はやぶさの帰還を撮影した写真で
当時の2ch絶賛でされた人な
名大の物理卒で都会で星の日周運動を撮影する方法を考えた
朝日新聞の人間だがこの人は優秀 1000年て定義わよ?
365000日じゃねーだろーな
うるう年と地球の自転のズレも換算したら250日とさらに何日か増減すっぜ
過去から自転周期は伸びてきてっから1週間くらいズレてるはずだし >>32
たしか、ご飯てんこ盛りの生活をしていたはず。 道長はどのような人物であったのか。
御堂(藤原道長)は「正道にもとづいて事を行なわれ、理にはずれた御心の少しもない御方で
あったと思われる。御堂の威光威勢というのは、すべてそのまま天皇の御威光なのである。
天皇の御威光の末をうけているからこそ、自分はこうしていられるのであると、私心なくお思い
になっていた。」と藤原家の末裔である慈円は『愚管抄』に書いている(『中公バックス 日本の
名著9 慈円 北畠親房』 p.176)。
そして道長に悪心がなかったことの証拠は、非の打ちどころのない臨終の仕方にあるという。
wikiにもあるように法成寺の仏像の前で死んだのである。wikiには横たわったと書かれている
が、慈円は「屏風をたてて脇息によりかかり、法衣の乱れをただしてから、座したままで御閉眼
なさったのである。昔も今も、いったいこのような臨終の例があるであろうか。」(同上)と記している。 >>7
知ってる、当時の風呂はスチームで身体をふやかし柔らかくなった垢をヘラで削ぎ落としていたと聞いた >>32
>>150
糖質摂取過多と、古代人にしては珍しいほどの運動不足。こっちが決定的みたいだな。
そもそも律令の規定で高級貴族は畿内から出られない上に、
平安期は地方蔑視の穢れ思想が蔓延して、貴族は滅多なことでは京都から出なくなった。
その狭い京都の中でも、とにかくどこでも牛車で移動する。
今の御所の北部(当時の道長邸)から下鴨神社でも牛車を利用する。とにかく歩かない。
現代の田舎住民並みに歩かない。多分今の一般的な京都市民より歩いてない。 >>141
むしろ土御門の末裔なんじゃないか
一部の人たちによれば、不思議な力で現実を操れるみたいだし
であれば、目をかけていた秀才の末裔が、今の日本を指揮しているわけさ
慧眼と言おうか >>156
食事は白米でおかずは干物が多いし
運動不足の生活をしてたらそりゃ長生きできないよね
雑穀やら玄米やらそれなりに新鮮な野菜や魚を食べて
運動量の多い庶民の方が健康的だった可能性もあると聞いた 1千年前なら、どこも早死にだろ
何の話をしてるんだか・・・ こんな仰角80度以上で綺麗な満月は初めて見たd(感゚v゚動)b >>159
庶民はタンパク質が絶望的に足りないかと 藤原道長 62歳
藤原彰子 86歳
藤原頼通 82歳 >>132
俺自身は勝手に脳内補正して、冥王星の氷の下で眠っているのは、雪野弥生さんの生身だったころの体なのだと思っている。
メーテル自身はラーメタル人なのだから、無理に機械化しなくても生身のままで何千年何万年もの寿命があるしな。 ラーメタル人の寿命が長いのは、ほとんど寝てるからだろ >>156
それプラス、藤原家は糖尿家系なんだろうな
兄貴も早死にしてそれで若すぎた息子が天下取り損ねた 貴族の方がタンパク質はとってないはず。あれもダメこれもダメと高栄養のものを制限して、貧しい食生活だったような。
庶民のほうがまともな食事してたってさ 儚いものであるからそう詠んだのかも知れないわね
ツンとした冷えきった空気の中で、満ち欠けをする月に
満月もあれば、欠ける事もあるというね
月と言うのはそもそもがあやふやなのよ >>165
千年盗賊も千年女王の部下も、ずっと地球で活動してたけど、別に本星のラーメタル人に比べて老化が速まったという描写は無いな。
ミライやラーレラなんかは、厳密にはラーメタル人ではないのかも知れないが、3億年以上生きているという台詞があるし。 当時の京の都の人口はおよそ4万人で、貴族は400人程度だったらしい。
豆な! じゃあ庶民が>>163のレベルまで生きたかというと? 前からすでに冬の星座が出ていたけれども、今日は見事なお月さまだわ これだけ栄華を極めても今じゃお墓も分からないという…。 日本人の中にはなぜか常に無常観があるでしょう
だから何となくあの将棋師の「笑いたい時に笑っておけ。いずれ泣く日がくるんだから」と言うのに
似ていると思ったのね・・私はね
まあどこかで終わるだろうという予感はあったのかもね・・ 4万っつーとショボイ田舎の街の中心部くらいしか人がいなかったって事か〜
当時としては最高の人口密度だっただろうがな 蜻蛉日記を思い返して読んでみたけど1000年前の人のものとは思えないね
今の脳天気なエロしかない私小説よりよっぽどリアルだ 兼好が批判する仁和寺の坊さんは、蛋白不足だったんで
稚児を求めたのかもしれんな。
青頭巾のホモカニバリズムな坊さんもきっかけは蛋白不足 しつこい奴だな
早死に原因は病気ですわね
女性で早死にが多いのは出産と関係してるかな
父 藤原兼家 61歳
藤原道長 62歳
正室 源倫子 89歳
長女 藤原彰子 86歳
長男 藤原頼通 82歳
次女 藤原妍子 33歳 病死
五男 藤原教通 79歳
四女 藤原威子 36歳 疱瘡
六女 藤原嬉子 18歳 赤斑瘡
妻 源明子 84歳
次男 藤原頼 72歳
三男 藤原顕信 33歳 病死
四男 藤原能信 70歳
三女 藤原寛子 26歳
五女 藤原尊子 84歳
六男 藤原長家 59歳 イキったツイートが1000年後にまで残ってたら、俺なら生きていけない これ、詠んだ時にはもう月をちゃんと見る視力が残っていなかったんじゃなかったっけ?
(既出の糖尿病で)
そうだとしたら、切ない一首にも思える 満月とかいっても、伸ばした手の小指の爪よりも小さいよ
試してみて >>180
西洋医学の産婦人科学が日本に定着する以前、
江戸時代の女性の平均寿命は男性のそれより短かったから、
その考え方で正しいと思うよ。 この世をばわが世とぞ思ふずうずしさ
藤原なんざどこへ消えたか >>1
残念ながら、月は当時より30メートル遠くなっている。 |
| 彡 ⌒ ミ
\ (´・ω・`) この世をば わが世とぞ思ふ ふさふさの ハゲたることも なしと思へば…
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ 道真も子供っぽい意地悪したり盛り上げ上手だったり面白いオッサンだけど
いとこ(だっけ?)の実資さんもかなり面白い。道真と同等の身分の高さで全く
媚びる必要がないから、この人だけは道真の思い通りにならない。
道真に一切なびかないで公正に雅に淡々と職務をこなす。
そんでもたまに常軌を逸した道真の尻拭いをしてあげてる。あくまで職務の責任からだけど。
今だと菅官房長官みたいな印象がする。ネットがあれば二人共人気者だったでしょう 1000年前は道長四天王の息子が安倍を討伐しててワロス >>160
昔でも病気にならなければ長生きした
人間の寿命は100年近くあるが寿命までに無事に生きられないだけ
現代は科学で昔なら死んでた病気でも生き残れてる >>180
出産ももちろんあるけど
とにかくこの時代の高貴な女性たちは
家の中にいて外に出ない、陽を浴びない、運動をしない、
髪や衣装が重たくて、少しの移動なら膝でずりよるだけ、
栄養が偏っていて、身体のあちこちにがぼろぼろになるのが早い
などの理由でとにかく健康状態が悪かった
病気になって寝込んだらあっという間 たとえば、藤原道長を人格者・・・ 宗教的にある程度の高さに達した人格者だと仮定してこの詩を推測すると、
この世というのは仏教的に言えば、幻想、錯覚の世界で、本来、我というものがないにも関わらず、
我を通して見た世界で、いうなれば、色眼鏡と屈折したレンズで見た世界。
我が無くなれば、スッキリとした世界が現れ、それが神界であり、極楽浄土ということになるわけだけど、
人は我に執着して、我の楽しみや楽に溺れたくて、しかし、そういう世界にいる限り、常に苦が付きまとう。
我によって分別が起こり、二元相対の世界を作っている限り、健康の反対の病気が常に付きまとい、
成長の反対の劣化に常に悩まされることになる。
この世というのは、神界や極楽浄土に比べて、我の楽しみのある世界であると同時に、
苦痛に満ちた世界でもある。
神界や極楽浄土というものは、完全円満な世界ではあるけれど、
我を捨てないといけない。
もしも我の楽しみに実体があって、いつまでもそれが続くのであれば、これほどいいことはないけれど、
それは諸行無常で、常に変化し、実体のないものであるから、
いつまでも楽しみはつづかない。
もしも満月が欠けることなく、満月がずーっと続くならば、
この世を幻想とは思わず、本当の自分の居場所… 我を消さないまま、
完全円満な世界と思えるのに…
しかし、月が欠けていくのを見ると、この世はやはり諸行無常であり、本当の自分のいるべき場所ではない、
幻想の世界、苦の世界なんだ…と。 >>190
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 生えたることも なしと思へば… どうやって月の写真撮ってるんだろ?
スマホで撮影したら光の玉になってしまったよ。
どー言う事? >>171
現代からみれば小さな町だな…
1/100人が荘園持っていて、生産物売って生活費捻出って貴族経済だろうが、
現代だとマンション持っていて、そこからの賃貸収入で貴族生活みたいな感じか。
3クラスに一人、貴族がいる感じか。確率的にw >>204
露出オーバー。
シャッター速度上げるか、露出絞るかの二択w 改めてwiki読んだらすごいな
叔母と結婚して子供作ってさらに従妹と子供作ってとか
案外大丈夫なもんだな 千年女王
千年の宴
千年の響
千年の都
千年なんちゃらはちょっとズルい枕詞だよな
あと千年経ったら使えなくなるけど >>208
だな。寒気のせいか、空も意外と澄んでいて綺麗な満月だった。
思わず見とれたw 一千年たった今でも藤原氏は日赤を支配したり栄華を極めてるんだからすごいよな 道長の時代の月と現代の月は違う
なぜ月はかくも多く和歌に詠まれてるのか それは当時の夜は漆黒の闇夜だったの
が月を明るく鮮やかにインパクト有るものにしてるからだ
現代とは夜の暗さが全然違うのだ 「覚えておけよ月夜の晩だけじゃないぞ」と
言う捨て台詞も今では言われることはない >>192
嬉しくて書き込んだのに間違えちゃった・・。道真→道長 この世をば我が世とぞ思ふ俺だけど天気悪くて見れなかったよ⋯ >>186
あと月自体が縮んだとかいうのも何年か前に発表されてたよな
1000年前のスーパームーンって結構でかく見えたんだろうか? 江戸時代までの夜は明かりはまったくないからね
行燈の明かりぐらいだよ そこでの月はさぞかし明るく大きく見えたはず 星もよく見えただろうなあ
街灯がLEDになってから星見えなくなった >>200
人間ごときがお月様と一緒にしちゃいかんよ
お月様からみたら諸行無常どころか微生物にしか見えないんだから人間の存在など
人生などシャボン玉 一切皆苦の世
そして 諸法無我の世なのだ 併合前の朝鮮は日本の平安期並の生活水準だったと聞くが
一千年間もの間一体何をしてたんだあの民族は 道長は熊野詣でしてたから相当な距離を歩いたんでないの? >>209
千年の眠り、千年の愉楽も忘れちゃいけない。あと、千年の怨みもw 次の1000年後、この国がちゃんとあるのかどうかも疑わしい 千年前はあんな服着てあんな生活してた
もう千年後は想像もつかないことになってるだろうな >>228
そもそも1000年もある国なんて、ほとんどないぞ >>7
入浴という風習はもっと後の時代のものと聞いたが?
江戸時代ぐらいじゃないのか? この世をばわが世とぞ思ふ満月の長野群発地震焼岳噴火かあ 平家でなければ人にあらず
と失言してしまった平家はすぐに滅ぼされてしまった 和国に千年仇名す百済人
温情をかけずに国外追放しておくべきだったな >>234
15世紀の太田道灌は入浴時に暗殺されてるな
それ以前は知らん これ、ちょっと日付けがずれて十六夜とかになってたら恥ずかしくて目も当てられないな >>50
それ、入浴が直接影響するというより、週2しか入浴しない人の生活レベル、生き方の問題のような気がw >>187
ベトナムから日本を想って詠んだ句だよね
ゴーンさんはどこを想うのだろう 実際は望月は欠けるから
いつかは栄華はなくなると
思っていたんじゃないの >>14
権力者って、下剋上や裏切りがあるからねえ
どうなのか。
この時代の酒って、今で言う甘酒で
糖度が高いし、運動不足もあって余計
糖尿にかかりやすかった。
あの歌を謡った時に道長は目が見えない状態
だったし >>156
貴族男性が普段から牛車に乗るようになったのはいつだろう?
花山法皇襲撃事件以後かな?
平安貴族の生活って承平天慶の乱以後で激変してそうに思える この時代の貴族って、運動してるよ
武官職に就くこともあったからね
道長は弓の名手で、競馬とかしてた 月がきれいだと思ったらいわゆる痛風の名月だったのか >>207
DNA鑑定なんかない時代だから父子関係なんて全く信用できない
超近親交配のようにみえても実は生物学的には全然そうではない可能性が高い >>223
車といえば歩くより遅い牛車
駕籠なら自分の足よりは速いかもしれんが狭苦しい
馬は乗るのに特殊技能が必要だし速度も今のサラブレッドを想定してはいけない >>238
源頼家もうるしを湯に入れられてアナフィラキシー起こしたところを暗殺されてる >>244
糖尿性網膜症だったのだろうね
当時は「水飲み病」と呼ばれていたみたいね
贅沢三昧だったのだろう
大量の水を飲むようになるのは、病状がかなり進行してからだね >>166
道隆は更に大酒飲みだったみたいだから糖尿高血圧とかでアウトですな。 >>245
宇多天皇の時に制限かかって延喜式で規定された記憶だからその前? 全ての権力を手に入れて、糖尿さえなければ、さぞ楽しい人生だったろうにw >>260
世の中うまく出来てて、全ての人に幸不幸は平等で、死ぬ迄に帳尻が合う様になってるんだぞ。 藤家貴族の池沼どものせいで、日本の文化発展が物凄く遅れ、日本全体の国力が衰えたんだよな
あんな気狂いどもに政権を牛耳られるとか、日本史上最も恥ずかしい時代だったよ 道長の末裔は五摂家として今でも名家
武家政権になって天皇が飾り物になっても摂政関白を輩出
それに皇族の嫁や皇女の降嫁先となり続けていた >>232
んだな、眼病を患っていたんだよな、三条さん >>7
でも実資は長生きだったよな
あの時代にすごいと思うよ >>241
確かにな、現代で週2は、ちょっとアレな人 牛車も消えて、その後は主な移動手段は徒歩でしょ、明治になっても徒歩、
馬とかいたんでしょ、なんで馬車を作らなかったのかな? >>246
でも、後の「武士ほどじゃないだろ?
貴族の運動量、1日のカロリー消費も
あまり高くなかったんでは? >>272
徳川幕府が江戸に地方の大名が攻め込んで
こないように、主要な街道の道幅などを
制限したから&馬の利用にも制限を
かけたから、
当時の徳川幕府は場所を許可したら、それが
軍事(地方の大名が馬車で攻め込んんでくる)
に使われることを懸念し禁止したわけ。 >>2
驕れる者は久しからずという遠回しの安倍批判 >>262
それだけど、世界を裏から牛耳ってる
フリーメイソンやイルミナティの連中は
魔術や呪いを使って。自分たちの運勢が
優位になるようにしてるらしいぞ。 >>229
同じころの欧州貴族の男は、活動しやすい
服装になってるんだよな。
この違いって、なんで?
もしかして、欧州は日本よりも戦争が
多く、上位の貴族でもすぐに戦ができる
ように、あの服装だったとか? 遠い夜空にある満月も実は脳の後ろ側にある大脳視覚野に現象的意識、クオリアとして存在している
今見ているこの文字も体の外側に存在しているように見えるけどこれも実にうまくできた錯覚で
あなたが見ているディスプレイ上のこの文字は見ている人の後頭部にある大脳視覚野に視覚のクオリアとして存在している >>279
宇宙=高次元の存在が作ったシミュレーション
という仮説が事実なら、そうかもね。
その存在は一般的に「神」と呼ばれてるけど >>25
朝日の怖さよな。
こういうすげー良いネタを挟みながら世論誘導する。
これは凄い観点の記事やわ。 なんでもかんでも逆張り解釈くんがわいてくるご時世
この歌も実は人生の空しさ悲しさを歌ったものだとか言い出す学者はいないのか 同じ月を見ているってね
千年後もさ。
そして同じ月ネタなら本件のような時代じゃなくて
同時代の距離のネタとして
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
なんて阿倍仲麻呂が詠んでますな
唐の都で見るこの月も、奈良の都も同じ月なんだなあってね。
いや、時代を超え距離を超え同じ月を見ているんだなあ…感慨深いw
しかしこのスレにもこの名歌はガイシュツか
ネトウヨ板とはいえこういうことがあるから侮れないな >>238
当方滅亡! だっけ?
道灌公はなるほど大したもんで
あの時期にして旧江戸城は相当に大した城郭だったそうじゃないか
勝海舟も絶賛していたな。
日暮里の駅前だったか銅像が立っていたが
あれもなかなかに躍動感があっていい彫像だよ >>64
道長の祖先の藤原四兄弟は全員天然痘で死んだな
四兄弟とも子孫を残してたからよかったが、全員子梨なら藤原氏はいきなり断絶してたところだった >>64
違うよ
長兄の道隆は糖尿病で死亡
道長自身も、糖尿病に苦しんでる
家族性の糖尿病なんだろうな 若い頃はこの歌、というか、道長がめちゃ嫌いだった
なんだよ威張り散らして品がない、と
でも年を取ってくるとわかってくる
道長は大変苦労をしたのだ
嫉妬、裏切り、クーデター、醜い権力争いで心が疲弊する世の中のシステムを、
自らを長とする政権にすることで、全員を納得させ、安定した世の中を実現させた
このシステムを続けて、世の中が平和であり続けてほしいという、「やり遂げた感」とも
解釈できるのだ
残念ながら道長死後、どんどんほころびていくんだけどね それも満月の宿命 >>275
車を通すと、轍が出来て道が痛むんだよね。この問題は全線舗装しないと解決しない。
なお、東海道にしても日本橋から三条大橋まで車は全部禁止だったわけじゃなくて、
京都大津間のように、物流にとっても最重要だった区間は、車の通行を認めてる。
この区間は、江戸時代中期には、標準的な牛車の荷車の軌道に合わせて石畳で舗装されてた。
その軌道が約4尺8寸。鉄ヲタか単位マニアならすぐに気づくだろう。これ、鉄道のレール幅の標準軌とほぼ同じだ。
江戸時代には、日本でもすでに牛車の軌道がなんと(新幹線と同じ)標準軌だったのだ。
それなのに、日本は道が狭いと寝言を言って
鉄道の軌道を3尺半(3フィート6インチ)にした大隈重信はどうしようもない無能。
ついでにそれを続行した原敬も。 >>283
そういう解釈も普通にあるんじゃないの?
「欠けたることもなしと思えば」と「思えば」の「ば」に余韻があるわけで
実はそんな今の自称おハイソ人士がツイッターかなんかでいってるような
「おれたちサイコー」「おれすげー」といった類のホルホル和歌だけではなくて
「欠けたることはないと思うけど…けど…」って余地はあるよね。うがちすぎかなw
なんせ「無常」ってのが日本文化に通底する流れだし
この和歌が詠まれたのは1018年、来るべき末法は1052年と信じられてたんだ。
ついでにいうと「祇園精舎の鐘の音、沙羅双樹の花の色」は平家物語だけど
そういう諸行無常、盛者必衰って観念はもちろん当時も強くあったわけでね。
道長は最期、死期を悟ると仏堂に行き、仏像の指と自分の指を糸で結び絶命したわけでね
仏教を政治の道具として使うだけでなく、自分も割かしガチで信じていたと思うよ
そう考えれば。そこまで神も仏も恐れない歌をガチで歌うかなあとは思ったねwww >>269
北国の年配者だと週2でも珍しくないんじゃないか?
汚ギャルって発達障害気味なのかね? なぜかスレでは風呂の話題になってるけど
そりゃ1980年代はじめのシャンプーの宣伝でも
「週に一度は洗髪しましょう」ってそういうレベルだからね
今やみんな忘れたような顔してるけどさwww
だからバブルが始まったころかな
朝シャンなんて言葉に世論は騒然としたってわけ
「朝から」「頭を洗う」「それも毎日」ってさ。
日本人は風呂好きだなんていうけれど
それだって他国に比べればとか江戸上方の都市部に限れば
みたいな話でね。現代的視座からみればもうないも同然だよ。
頭洗うなんて戦前のデモクラシー文化のときでも月一度とかそんなもんじゃないの? >>3
ここで一首もでてこないなんて情けないことになったな
昔は賢い奴がたくさん来てたのに
巨大掲示板の隆盛も今は昔だな >>295
シャンプーって界面活性剤だから毛穴にぶちこみ続けるとヤバいらしいな
でも今の日本人はもう毎日洗髪の習慣を変えられないけど >>296
この板は昔から文系音痴だよ。10年前は文系叩きの総本山みたいなところだった。
特に文学系はからきし駄目。大昔から、小説家のスレなんか全然伸びない。
理系理系言う割に、歴史はわりと好きな人が多いみたいだし、
なぜか政治や法律も詳しい人がわりといるけど。 この頃には糖尿が進行しててろくに目も見えなかったろうに これから後世に作品が残るような作家歌人俳人の方々は自分の作品の解説文も遺して逝ってほしい
ちょーもめてるから ウンコ系はしつこいね
56歳(1022年)まで日記付けてるよ
目が見えなかったとか言うソースでも出してみろよ >>301
現代の俳人・五島高資の俳句については、解釈について悩む必要はない
合ドラや覚醒剤キメて詠んだ俳句ばっかりだから本人もなんもわかっちゃいない >>284
嘆けとて月やはものを思わする
かこち顔なる我が涙かな たった1000年か
生きたいなその位は
できれば5万年それぐらい生きれば飽きるだろ >>296
晩秋の 夜空に咲きし 黄金花
清く輝け 後の世までも >>307
孤独だよ
家族も知り合いも皆死んでしまう
話の合う人間がいなくなる >>308
見苦しい短歌を詠んでしまい、申し訳ない。
一笑に付して下され。 死は休息なんだ
年をとったら疲れる、疲れた頃にちょうど死ねる(永遠に休める) 教養とロマンあふれる記事ですね。
センスなしの産経には到底書けません。 娘三人連続で皇室に嫁がせて外戚として権勢を奮った。
娘がブスとか満洲事変だったらやだろうな この時代あたり?世界最古の長編SF小説とかって‥ロマンだねー >>318
竹取物語?
それ以前に浦島太郎の原型(戻ってきたら300年も経ってた)が奈良時代に既にあるのが面白いけどね
まるで光速の宇宙船に乗って帰ってきたみたいで 今日は久しぶりに平等院を見に行ってきたわ
帰りの山に満月が綺麗だった 「わが世とぞ」か「わが世ぞと」か、何度覚えてもわからなくなる >>262
いや、合ってないだろ。
日本に生まれたと言うだけで勝ち組だ。 >>7
平安時代というか
19世紀後半のイギリスでも風呂は週一、土曜の午後だけだよな 先にでてる蜻蛉日記しかり、その作者の姪が書いた日記も平易で読みやすく、共感もしやすい
平安朝以降、ものを思う女はいなかったのか、いやいたはずだよね。
彼女らは書き残さないでおれたのか >>323
日本の自殺者年三万人。行方不明入れてない。
日本の子ナシより子持ちの外国人の方が幸福。
現代の庶民は、藤原道長より豊かな物資に囲まれているが、藤原道長より幸福なわけじゃない >>323
テレビでやっていたけど
北朝鮮に生まれると悲惨だよな
北朝鮮は外国に労働者を出稼ぎに出しているんだけど
労働者には給料ゼロ、
ただで働かせて、外国の企業が払ってくれる人件費はすべて国が取っている
日本の人材派遣業のピンハネどころの話じゃない
本当に悲惨だわ、北朝鮮の権力のない一般の人民に生まれると >>4
ほとんど甘酒みたいなベタベタの酒を酔うまで飲むわけだからな。 >>63
庶民はそもそも腹一杯になるまで食えんかったし、
飢饉になるとたちどころに死ぬ。
地方豪族くらいが、質素な食事ながら飢え死ぬこともないということでちょうと良かったかも。
三浦の大介、百六つ、っていうくらいだしな。 >>3
あら悲し 心は曇る身は捨つる 浮世の夜は黄金の色
あの世をば 我が世とぞ思う望月の 黄金の色も無しと思えば >>284
1000年前よりほんの僅か小さく見えてる
月は1年間に3.8cm地球から遠ざかってるから
道長の時代より38メートルも遠くなってる >>327
日本人も似たようなもの
日本は薄い北朝鮮 >>324
現代のヨーロッパでも、日本人留学生が毎日入浴してたら、
『なんて非常識な!』と大家にフラットから追い出された、などという話はわりと屡々ありますなw >>330
でも、道長から100年後ぐらいに京都で編集された「病草子」というイラスト本には、
洛中の一般庶民として、「デブになりすぎて日常生活にも困る高利貸しの女」というイラストがあるんだよ。
これが今のアメリカの大巨デブのドキュメンタリーそっくり。
平安期の場合、十分に食物が手に入る人は、身分の貴賤を問わずたらふく食うため、
それなり以上にデブだったんじゃないかと思う。
やっぱり中世近世と違って、富裕層が運動してないんだよね。 ウィキペディア見ると実資がアルツハイマーだったと書いてあるけどソースあるのかな? Wikipediaは誰でも書けるからなー、アカウントさえあれば >>344
それは食べ過ぎで太ってるの?内蔵の病気とかでなく てか藤原道長って結局何をやったんだ? 道長の時代って教科書では源氏物語やら文化のことしかないだろ 政治とかは何やっていたんだ 外交は? 地方は?災害や飢饉とか起きていたんじゃねえのか?将門はこの時代じゃないのか?
藤原道長って今でいう政治パーティばっかりやっていたってイメージだな >>348
将門は違う
道長が何をやってたかは「御堂関白記」「小右記」「権記」等参照 >>348
麻生さんが道長にちょっと近かったかもしれない
宮家に適齢男児がいたら娘を嫁がせてコンプリートだった 昨夜はついウィキを読み込んでしまった
道長以降、平家まで、もうすさまじいまでの姻せき政治
八条院(内親王)なんか、大荘園を全部総取りのような。
わからなかったのは、相続したこの姫さんを嫁にする話がなかったこと
武力で簡単に取れると思うんだけど、なんでかな?
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