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財団法人大阪都市協会が一九九二(平成四)年に発行した「暮らしと物価 大阪百話」によると、
大阪名物のたこ焼きは一九三五(昭和十)年に誕生した。「会津屋」の屋台で販売していた「ラヂオ焼き」に
タコを入れたのが始まりという。考案したのは会津坂下町出身で会津屋初代社長の故遠藤留吉さん
(一九九七年、九十一歳で死去)だ。縁日で定番のたこ焼きは、会津にルーツがあった。
 
ラヂオ焼きは昭和初期、流行の最先端だったラジオ放送を屋台で流しながら販売していたため、その名が付いた。
お好み焼きに似たもので、牛すじ肉やネギなどを入れていた。ただ、牛肉は冷めると脂が固まり風味が落ちる。
冷めてもおいしい具材を求めた結果、行き着いたのがタコだった。弾力のある食感が人気を呼び、
「たこ焼き」として戦後、あっという間に広まったという。
 
留吉さんの孫で三代目社長の遠藤勝さん(46)は言う。
 
「東北なまりで話す祖父の理想は会津の味でした。今でも、デパートの催事などで関西地方よりも東に
出店するほど『懐かしい味だね』と言われます」
 
会津屋の「元祖たこ焼き」は会津の郷土料理「こづゆ」が原点だ。生地に和風だしを効かせているため、
ソースやマヨネーズをかける必要はない。熱した鉄板に生地を流し込み、空気を入れるようにしながら丸く形を整える。
ふわふわ、さくさくの焼きたてはシュークリームに例えられる。
 
初代留吉さんは商売で身を立てようと、家出同然で会津坂下の実家を飛び出した。三十歳を目前にした一九三五年、
遠く離れた大阪の地で脳裏に浮かんだのが恋しい“おふくろの味”だった。母に作ってもらった「こづゆ」を思い出しながら、
しょうゆベースの和風だしの生地を仕上げた。そのレシピは一子相伝で後継者だけが知る。開発から八十三年たった今も
初代の味を守り続けている。
 
会津屋の元祖たこ焼きは大阪を代表するソウルフードとして愛されている。一九九〇(平成二)年には鉄道会社の
キャンペーンポスターに取り上げられた。
 
−いやあ降参、と言わせるたこ焼きがあるというので訪ねてみたところ、なんと一日に一万個を焼く繁盛ぶり。
大阪の人に育てられたこのたこ焼き−
 
このキャッチコピーが会津屋の知名度をさらに高めた。今では、レストランなどの格付け本「ミシュランガイド」で
「地域に愛されている五千円以下のお勧めの店」の掲載常連店となっている。
 
会津の血を引く三代目勝さんはさらなる夢を描く。
 
「食べるだけではなく、家庭で焼く楽しさを含めてたこ焼き文化を世界に広めたい」
 
タコは「悪魔の魚」と呼ばれ、欧米で嫌われ者にされることがあるが、世界全体の消費量は増えている。
大阪市内に立ち並ぶたこ焼き屋には、外国人観光客の姿も多く見られる。会津を起源とする「TAKOYAKI」は今では、
訳す必要のない世界共通語になった。

※会津屋 1933(昭和8)年に大阪市で屋台から始まり、現在は大阪府を中心に9店舗を展開している。
看板商品の元祖たこ焼きは15個入りで620円。2005(平成17)年には、たこ焼きの原形となったラヂオ焼き(12個で600円)を復活させた。

■優しさで包んだ味 取材メモ
 
JR新大阪駅から地下鉄で約25分、大阪市南部に会津屋本店はあった。「会津屋」の名前が大きく入った赤い店舗の存在感は抜群。
関西地方で見る会津の文字に自然と心が躍った。

電子レンジが存在しない時代に「冷めてもおいしい」にこだわった初代社長の遠藤留吉さん。ふわふわの焼きたてはもちろん、
冷めても和風だしの風味を十分に堪能できた。食べる人のことを第一に考えた味付けは、会津人の優しさに包まれていた。
 
宅配も可能。冷凍たこ焼きは大阪市西成区の本店で職人が焼いた後、急速冷凍している。

★1:2018/11/26(月) 11:50:07.45
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