【福岡】「畿内説と違って九州説は“おらが町の邪馬台国”的に百花繚乱」 豪族「筑紫の君」に焦点、「邪馬台国八女説」持論の高校教諭
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邪馬台国研究をライフワークとする福岡市早良区、県立博多青松高校教諭、宮島正人さん(61)が「『倭(わ)』の神々と邪馬台国 志賀島・宗像・八女」(海鳥社)を出版した。邪馬台国八女(八女市)説が持論の宮島さんは「歴史のダイナミズムが感じられる劇的なストーリー展開を意図した」と話す。
国語を教える宮島さんは、遺跡・遺物から研究する考古学的手法でなく、日本の神話や地域の伝説、民族文化などから研究を重ねている。本著では、古事記や日本書紀に登場する北九州を拠点とした海人氏族の一つ「阿曇(あづみ)族」と抗争したとみられる古代九州を代表する豪族「筑紫(つくし)の君」に焦点を当てた。さまざまな文献の解釈、地方の神社の祭事や伝承などの検証に基づき、この抗争が邪馬台国の成立に至ったとする「邪馬台国八女説」を説いている。
学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが、「畿内説と違って九州説は『おらが町の邪馬台国』的に百花繚乱(りょうらん)。そもそも3世紀半ばに近畿から九州に及ぶ統一国家が成立していたかどうかは原点に返る必要がある。所在地論争は二の次」と意に介さない。
今後は新書版のような書籍を出版したいという宮島さん。「ゆくゆくは八女市をはじめ九州各県が参加する邪馬台国フォーラムを開き、市町村の町おこしにつながれば」と、さらなる展望を描く。
税込み2376円。全国の主要書店またはインターネット通販で。【綿貫洋】
毎日新聞 2018年11月29日
https://mainichi.jp/articles/20181129/ddl/k40/040/405000c?inb=ra 俺の仮説
カササギは外来種として北九州に留鳥として居る
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある >>2
歯医者もないから、虫歯になったら苦しみ抜く人生がまってるで・・・ 大陸人「お前どっから来たんだよ?www」
???「あの海の向こうの山たい!」
大陸人「海の向こうのヤマタイから来たのかwww」
歴史に隠された真実とはこういうものだ! 吉野ヶ里が発見された時に町おこしに利用して成功したのが諸悪の根源
のちに邪馬台国となんの関係もないクニの遺跡だとわかったのに >>5
縄文人も栗とか甘いものも食べるようになったから抜歯するようになったのだろうし
虫歯辛かっただろうな、弥生時代になってもそれは解決されないしね 卑弥呼「魏に行ってきちゃらんね」
部下「よかよ」
〜魏に到着〜
魏の使者「お前はどこの国から来たのか?」
部下「八女たい」
魏の使者「ヤメタイという国か。ならば邪馬台国と表記しておこう」
邪馬台国八女説を裏付けるこの論理が一番説得力あるわ 親魏倭王の印綬がどっかの古墳から出てこない限り続くだろ >>11
あんまり聞かないね。 「わし」、も聞かないかな。
自分の事を、「おい」という方言はあると思う。 「おっ」と詰まるケースもあるかな。
「オレたち」のことを、「おっどん」というのは、聞いたことがあるかな。 日本本来の日本民族の真実の歴史
邪馬台国の歴史の真実は別に九州説や近畿説でもない
本来の日本民族の歴史は古くからヘブライ文化で神道と神代文字など全てが弥生人ヘブライ人からのもの
例えば邪馬台国自体ヤマタイとは読まずヘブライ語でマタイ即ちマタイコクと読む
大和王権と邪馬台国はそもそもルーツが違う
元は同じ民族でありながら別れた同じヘブライ人達
メソポタミアから別れ西アジアに移ってエジプト文明に関わったりイスラエル王国を築いたユダヤ民族
そのユダヤ民族のユダ族こそ邪馬台国の民
そして大和王権の民こそメソポタミアシュメールの末裔
邪馬台国の民のユダ族が先に海ルートで日本へ沖縄を経て渡来
だから今も沖縄の人達はユダ族の末裔で地名もユダ族に因んで残っている
また物部氏の末裔であり物部のニギハヤヒが沖縄の人達の神武天皇であり
ニギハヤヒの兄ニニギの子イワレピコが神武天皇でないことを知ってるのはその為
その沖縄のユダ族こそ九州や四国へ渡った邪馬台国の民達で彼らが遊牧民であるからこそ移住する
今の四国剣山にはユダ族の儀式やゆかりのイエスキリストのものがあるとされ
現在アメリカのGHQによりアメリカ博物館へ保管されている
また大和王権の民でシュメールの末裔である大和の民は中央アジアからチベット四川を経て中国で秦を建国
始皇帝自体がヘブライ人でありメソポタミア文明そのままに中国へ文化を持ち込む
その後15年で秦を捨て中国東北部から朝鮮半島を経て日本へ陸ルートで渡来
その頃には中国東北部から朝鮮半島に多くのヘブライ人達が住み着き日本との関係が深くなる
その彼らシュメールの民の兄ニニギの子イワレピコ達こそ大和王権の現在言われているイワレピコの神武天皇
先に海ルートで日本へ渡来したニギハヤヒ達と陸ルートの兄ニニギの子イワレピコ
それぞれ出雲の戦いで大和王権が誕生する
そもそも邪馬台国は馬台と書きマタイと読みヘブライ語でマタイの国という意味で
邪馬台のヤマタイをヤマトとは言わないでマタイという
マタイ自体がキリストの十二使徒の一族という意味
すなわち邪馬台国の民はキリストの十二使徒の一族で海ルートから日本へ渡来したユダ族の末裔たちのこと
邪馬台国の民は言わばキリストの十二使徒の一族の国という意味でユダ族の国ということがわかる
だからこそ四国剣山のイエスキリスト伝来の話につながっているわけで中国の魏志倭人伝で漢字で邪馬台国と記す
これが事実
ちなみに大和のヤマトゥはヘブライ語で神の民という意味はよく知られいるが
ヤマトとマタイは全く意味が違う
もし邪馬台国が大和の民なら中国の魏志倭人伝に大和国と記すはず
それが邪馬台国と記している以上邪馬台国と大和王権は別もの
だから魏志倭人伝の邪馬台国の場所の案内が記すように何度も海を渡り四国ほどの大きさの島
すなわち九州の大きさではない四国に邪馬台国がありと記す
そこは魏志倭人伝の記す邪馬台国の周辺には四国のほか九州や中国地方近畿地方など100余りの国に囲まれている
それこそ九州説や近畿奈良説とは別もの
何故なら大和王権ではないから 筑後川を下って有明海〜八代海に水行したとして
一日の行動範囲を水行陸行共に約6q(土佐日記を参考)と仮定すると
久留米から玉名までが水行約60q(10日)となり
玉名から陸行180q(30日)で宮崎県西都付近
久留米から水行約120q(20日)で八代の南方あたりになる しかし、あの金印都合よく道端に転がってたよな、今考える胡散臭くは有る
倭が魏に朝貢していたのは実際そうだから史の設定に異論があるわけじゃないが
金印自体はなんか胡散臭い気がする 貴乃花親方は相撲はヘブライ語とか言い出して
周りは「あーあ」ってなってるらしいな >>4
カササギは朝鮮征伐のときに連れてきたんだから、魏志倭人伝の頃にはいないね >>13
辛かっただろうな。想像しただけでも、かわいそうになる。
歯だけじゃなく、医療技術や医療機関ってのは大事だなと思うね。 磐井の子の葛子が朝廷に献上した糟屋の屯倉は現在の糟屋郡。地元の人によると、昔から糟屋で取れる米は美味しくないと言われているそうだ。これって手放しても惜しくない土地を献上したってことかな?嫌がらせかもw >>14
ワロたw
この辺 猿来ませんか? の話を思い出した・・・ うーん、山深い場所に祭られた八女姫の神社。そこを訪れた時に思ったのが卑弥呼の血縁かな?ぐらいかな >>19
江戸時代当時は漢の印綬のサイズが不明だし、蛇の紐(つまみ)も知られてなかった
蛇の紐は前漢時代のが出てきたし、別にほぼ同時期の金印が中国からも出てて(あっちは紐が亀だが)
サイズがほぼ同じで、丸い模様を印刻する等、似た特徴を持ってる
偽物の可能性はかなり低いだろな ◆卑弥呼は何者? 総合的に説明を
九州か近畿か。中国の史書、三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」の所在地論争は、古くは江戸時代から続き現代に至るが、諸説入り乱れて決着がつきそうにもない。
その中で最新の統計論を駆使して九州北部と推定し、卑弥呼=天照大御神(あまてらすおおみかみ)伝説へと論理を進める安本美典・産業能率大元教授(84)。
「邪馬台国の会」を主宰し、関連する著書は九十冊を超える。邪馬台国を熱く語った。
−邪馬台国問題を考えるうえで大切なことは?
古代史の全体を見て議論することです。私は九州説ですが、畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。
「長江はある岸辺で見ると南や北に流れ、別の場所では東や西に流れたりしている。しかし、全体としては西から東に流れている」。
これは毛沢東の言葉ですが、学問も同じです。ある特定の岸辺に立って観察して得られた事実が全体として正しいとはかぎりません。
「全体をうまく説明できるのか」が大事です。
−具体的には?
考古学的な議論では「魏志倭人伝」の記述から出発し、データ全体を総合的に公平に比較すべきです。
「倭人は、鉄の鏃(ぞく)(矢尻)を使った」と魏志倭人伝にあります。「鉄の鏃」の福岡県からの出土数は奈良県からの出土数の約百倍です。
弥生期の「絹」は九州からは出土するけど畿内からはほとんど出土していない。
「鏡」や「勾玉(まがたま)」でも同じ傾向が認められます。
全都道府県について、出土数を調べ、その傾向を公平に比較すべきです。
最近はビッグデータ処理の技術が、進歩してきています。
私は便利な確率計算法であるベイズ統計学によって確率計算をしました。その結果、邪馬台国が福岡県にあった確率は、99・9%以上となり、
奈良県である確率は、ほとんど完全にゼロです。畿内説の方に議論の出発点として検討していただきたいものです。
−纏向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかと言う人もいますが。
纏向の大きな建物の近くからモモの種が出土して放射性炭素(C14)年代測定で分析すると、卑弥呼の時代を含む西暦一三五〜二三〇年代という結果が出たと報道されたことがあります。
しかし、この方法による場合、箸墓古墳から出土したモモの種で測定すると、四世紀を中心とする年代が出てきます。箸墓古墳では年代の古く出がちな土器付着物で測ると、三世紀という年代が出てくるのです。
C14年代測定法というと科学的な印象を与えますが、何を測定するかで年代がかなり変わってくるし、年代推定の誤差の幅も広いのです。
畿内説に都合の良い測定値はマスコミに持ち込み、都合の悪いデータは報道されていないのです。
またモモの種や大型建物のことは倭人伝に記載がありません。古事記・日本書紀(記紀)の記述と倭人伝の記述の擦り合わせも必要です。
−卑弥呼の鏡と騒がれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)はどうみるべきでしょう?
これは古墳時代になってからしか出土していませんし、わが国からは五百面以上出ているのに中国からは一面も出ていません。
日本国内でつくられたとみるのが妥当です。三世紀後半から四世紀はじめごろの、いわゆる「西晋鏡」でさえ、おもに福岡県を中心に分布しています。
「庄内様式」といわれる弥生時代の土器の時期が卑弥呼の時代と重なるといわれていて、この時期の鏡は奈良県からの出土は三面のみなのに対し、福岡県からは三十面も出ています。
もうひとつ、倭人伝に「棺(ひつぎ)あって槨(かく)なし」と墓制が記されています。
おもに三世紀ごろ福岡県を中心に分布する箱式石棺は、これにあてはまります。奈良県のホケノ山古墳からは、木槨が出土していて、倭人伝の記述に合いません。
−里程の問題からは?
帯方郡(現在のソウル周辺)から一万二千余里のところに邪馬台国があると倭人伝に記されています。一里が現在の尺度で何メートルになるかは議論がありますが、
同じ三国志韓伝には現在の韓国あたりを四千里四方としており、これから一里の距離が割り出せます。
記述では帯方郡から一万里で九州に着きます。残りは二千里ですから、これまでの行程からすぐ想像はつきますよね。
とても畿内まで行ける距離ではありません。九州しか有り得ません。
全文ソース
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018072002000264.html もし奈良にあったなら
その当時すでに奈良〜九州すべて支配していた奴がいなきゃならないけど
邪馬台国がそんな大帝国を作っていた国とも思えないし
朝鮮から海を渡ってすぐの九州あたりにいた地方の豪族だろ いつまでも続く論争
邪馬台国って看板でも出土しないと終わらんのか 前方後円墳がいつ頃広まったか、によるかも
奈良のが大元だろうけど、九州じゃそれらより少し新しい時期の前方後円墳が
福岡市や福岡の行橋市、宇美町、宇佐市、宮崎市にあったりする
景行天皇の九州征伐の跡かもだが >>11
長崎市では、
おい=俺
わい=お前
だね >>14
これも好き
邪馬台国の場所はハッキリしないが、魏で皇帝に会った使者は九州の人。そして邪馬台国の本当の名前は「やまと」。
皇帝に謁見の時にあまりに緊張しすぎたか長く待たされてイラついていたのかわからないが、「何処から来た」の問いに、つい方言が出てしまって「やまとタイ!」と。
しかも早口だったので「やまっタイ!」にしか聞こえなかった。 西暦57年 倭の奴国(筑紫)の王が金印「漢委奴国王」を授かる。(支配地域は九州北部から朝鮮半島南部まで)『後漢書』
西暦107年 倭国王師升等(歴史書に登場する初の倭国王。初代・倭国王か?)が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
西暦107〜187年 70〜80年間、倭国で男性の王の時代が続いた。『三国志』
西暦178〜184年 倭国大乱 『梁書』
西暦181年 ニュージーランドの超巨大火山「タウポ火山」の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
西暦193年(183年の間違いと思われる) 倭国が大飢饉となり1000人以上が食料を求めて朝鮮半島に渡る。『新羅本記』
西暦184年 飢饉の影響などによって「黄巾の乱」が勃発(漢の衰退)
西暦184年頃 漢が衰退したことによって「漢委奴国王印」の権威喪失。
西暦184年頃 大飢饉によって人々が神頼みになり巫女の卑弥呼が女王になる。(ここまでの間に首都が筑紫から大和に移ったと思われる。)
西暦238年 卑弥呼が魏から金印「親魏倭王」を授かる。『三国志』
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなった。『三国志』 >>19
転がってない
石の箱に上手いこと隠してあった
そんなこと知らんの? 亡命秦系邪馬台国は滅んで
名前をパクったのが大和朝廷 おらが町にこだわるわりには
この国はどこも似たような安っぽいビルに安っぽいプレハブ住宅 BS-TBSの歴史番組の邪馬台国特集でも畿内説支持は学者が出てきたけど、
九州説側は郷土史家だったしな 学問的裏付けが薄いのかも >>1
よくこんな記事を見つけてくるな
九州説について書かれたものだと、こんなどうでもいいような記事しかないことを
改めて証明してしまったようなもの >>5
>>13
>>26
ところがどっこい。
これも歴史の教科書に出てくるが縄文人はアクセサリーじゃらじゃらのデコ趣味や
黥面文身、すなわち全身タトゥーにあきたらず、成人儀式として歯を抜いたり(抜歯)
想像するのも怖気をふるうが、前歯をフォーク状に削るとか、尖らせるとかやってるわけでw
まあ歯をいじる専門家はいたんだろうw 抜歯専門でも歯医者といっていいかもしれないネwww >>44
関西のTV番組で学者の99%は畿内説って言ってたから
九州説の学者はほとんどいないんだろうね。
九州説の候補地が乱立するの九州に有力な候補地がないから。 小さな国邪馬台国
は朝鮮半島も持ってて交易してた
が小国 九州だと七万戸が厳しいな
福岡の奴国でも二万戸
ただ当時に、九州から奈良までの西日本を抑えた
邪馬台国を中心にした連合国が本当に存在しえたかは判らんけど 邪馬台国なんてどこでもいいんだけど
中国の歴史書にテキトーに書かれてるどっか地方の豪族だろ >>47
それいうと機内も記紀と全く整合しないし、ヤマト王権側に記憶がないのがイタイ 畿内の古墳から出てくる銅鏡に魏の年号が書かれてる時点で畿内と魏は関係持ってるでしょ。 奈良は色々とあるんだから邪馬台国くらい譲ってやれよ >>56
事実は変えることはできんよ。事実を捻じ曲げると安倍と同じように捏造虚偽となってしまう。 >九州説は『おらが町の邪馬台国』的に百花繚乱
>所在地論争は二の次
>市町村の町おこしにつながれば
発言に本音が見え隠れしてるな
九州説は所詮こんなもん 古事記ではニニギの息子が尾張に派遣されてる
北九州〜中国地方〜滋賀を除く近畿地方〜愛知は
ニニギ一族の勢力化じゃないか
ただ何らかの要因で権力の中心が北九州から奈良に移る >>23
そうそう、オレもカササギは秀吉の朝鮮出兵の時に連れてきたと聞いたことがある。
土地の人は「カササギ」とは呼ばずに、「コチガラス」だったか「カチガラス」とか呼んでたと思う。おぼろげな記憶だが。 >>52
西暦181年のタウポ火山の大噴火(過去100万年で最大級の噴火)は
日本側にも記録が残ってるはずなので調べてみたんだが
一番当てはまりそうなのは『崇神紀』だった。
西暦181年 タウポ火山の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 倭国の人口の半分が死に至った。『崇神紀』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
・倭国の人口の半分が死に至った。『崇神紀』
・渟名城入姫の髪が抜け落ち身体が痩せ細ったので神を祀れなくなった(崇神天皇の娘も餓死寸前)『崇神紀』
・モモソ姫に大物主神を祀らせたら五穀豊穣になった。
モモソ姫が卑弥呼と言われているのでピタリと一致する。 >>46
魏志倭人伝だったか、黥面文身の記述があるという話は聞いたことがあったが、歯をそこまでいじくってたとは知らなんだ。
「やめろよ、痛いだろ?」って感じがするけどな。痛覚なんか、現代人と同じだったろうに。 不思議やね、大切な歯を削るなんてね。 >>54
年号付きのは京都大阪兵庫が多い(何枚かのレベルだけど)
山口や宮崎、群馬や山梨でも出てるし、出てるのは年号に比べて
新しい古墳なイメージだから、伝世品として扱われてたのかも
意外に奈良はまだ無い。天皇陵を掘ってないから、かなり何かは出そうな気はするけど 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。 昔から不思議なんだけど、卑弥呼の後継の台与(壱与という説もあり)はトヨと読むのに
邪馬台はなんでやまタイって読むのかね?
同じ読みだとすれば、普通にヤマトで、大和で、奈良なんじゃないかと思うんだが。 >>1
なかなか面白い説だ
八女の茶畑は古代には棚田だと考えてみたことがある
そう思わさせる壮大な景色だから一度は観に行ってみるといい 畿内説は畿内説で発掘費が欲しい学者のおもちゃでしかないし 論争に決着はいらん
邪馬台国は町おこし
全国津々浦々に邪馬台国 奈良移転の原因として考えられるのは
魏の朝鮮半島進出で北九州が戦乱になる可能性があったのと
東海や滋賀や野尻湖の反ヤマト勢力を成敗するための拠点移動 畿内説の奴らは金印の偽物説まで流してるのか
もはや朝鮮なみだな >>65
今の日本の漢字の読みは中国からきてる(呉音と漢音)から、ある程度は当時の中国の発音と連動してるからだろ。
特に万葉仮名は音だけ借りてるんだから、同じ文字は同じ音の可能性が高い。
現代中国語はさらに発展してるから、むしろ日本の漢字読みの方が古い時代の中国の発音を残してたりする。 九州説ってまさにこういうおっさんだよなw
「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180527/Cyzo_201805_post_163508.html
「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で
『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』という人が、最近多いんですよね」
そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。
すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。
「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。
でも、だいたいはトンデモ論。
原典になる史料や基本文献、学術論文をあたることもなく、一般読者向けの軽めの本だけをたくさん読んで
『これまでにない発見をした』という人が多いんですよ」(同)
その「発見」の内容もさまざまだ。
長らく論争になっている、邪馬台国がどこにあったのかについて持論を述べる人もいれば、本能寺の変の真相を語る人もいる。
だが、もっとも多いのは、その地域に関わるものだ。
「どこの地域でも在野の郷土史家という人はいます。
でも、持ち込みをするようなタイプの人は、そうした人々にも拒否されています。
なにせ、地域の古い神社の由緒をもとにオカルトを論じたりとかするんです」 考古学的には畿内勢力が北九州に伸長してるのは明白だから
後はその時期だけな気はする
最近は古墳の年代が繰り上がって来てるから、畿内説がだいぶ強くなったな 遺跡を発掘して比定するならともかく
書物の知識をこねくり回したって解決しないだろ 天孫降臨で降りてきたニニギを迎えたのはツチグモなんだよね
ニニギは南九州を抑えていた可能性がある
ただ後に南九州は反乱を起こす 奈良説は韓国人の工作でしょうに
倭国が南部を支配したと明記する日中韓朝の古文献に抵抗したいのはわかるけど 町おこしのために日本の歴史を歪めるな
ゴミ糞九州チョン こういう話大好きなんだけど、絶対にもう答え出ないよとも思う やまと(邪馬台)を考える時、地政学で考えないと駄目だ。
やまと(山+戸(門))は、みなと(水+戸(門))とセットだ。
大陸との交易拠点のみなと(博多=奴国=「那珂川」(=奴ケ川)」に名を留める)
を支配できる山手のくに=守りの固い盆地を探さないと駄目だ。 安倍理論だと意見が9:1に偏っていても報道量は1:1にしないといけないらしいからな
畿内説が9でも九州説の教授とかがこうして何度も出てきて拮抗してるような印象を与える 何回バカみたいなスレ立てるんだよ
ゴミ糞九州チョン 金印自体は後漢頭の時代だし、あれを倭の奴の国王と読もうが
委奴(いと)国王と読もうが、北九州の王な訳だし、時代も100年は違うし
邪馬台国とはあんま関連付けなくてもいい気はする >>33
充分に有り得る話だな。田舎のパチ屋の巨大さは、驚くべき規模だからな。
>>43
たしかに。「日本人の歴史は」とか「日本文化は」とか言うくせに、簡単にそういう宝物を捨ててきたのもまた事実。分裂気味だよね。
山の土手っ腹に穴を開けてトンネルつくったり、古くからの村を潰してダムにしたり、京都の町家を保護せずに壊したり、日本人の文化破壊は枚挙にいとまがない・・・ もう、学者一人が主張すれば邪馬台国名乗れる感じだな 倭国大乱は弥生の神殺しだったんじゃないかな
各地の神=王が倒された
応神辺りで、弥生の神の勢力が盛り返したのかもしれない
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ
日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子スクナヒコナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな
神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話
水戸神の子櫛八玉神って何者なんだろう
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します 魏志倭人伝は成立が西暦280年以降で
晋の時代に過去の資料を集めてまとめたもの
卑弥呼の死から30年ちょっと経ってる
ヤマト国を知る当事者から直接聞いた話ではないだろうし
年代や書いた人がバラバラの可能性がある
魏志倭人伝はあいまいなものとしてみたほうがいい 九州は九州で記紀には女の長が結構出てくるから、女性が上に立つことで収まってた
邪馬台国とその連合国家ぽい処はあるかも 今の天皇家に連なる畿内は邪馬台国の存在を消してるのがなあ
ワシの先祖に卑弥呼いたって書いてあればなるほどって感じだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています