記紀だと纒向の辺りの宮は10代崇神天皇からで
崇神は四方将軍を派遣して畿内から征服を始めてる(西は吉備あたりまで記載)
九州は12代景行天皇(主に福岡北部の行橋あたりと大分と宮崎。筑紫には行ったとあるが、どこまでかは分からん)
糸島のあたりを降伏させたのは14代仲哀天皇で、福岡の東で死んだ
(香椎で神に逆らって死んだとも、福岡南部を攻めて死んだとも)
残りは嫁の神功皇后が柳川あたりまで征服(田油津媛ェ)
どこまでが事実か、年代はどこになるか興味あるな