>>714
魏志では、倭国大乱(3世紀頭?)で、邪馬台が男王を止め女王を立てることで
講和が成り、卑弥呼の死後、もう一度男王を試みるも、またも失敗している。
要するに、邪馬台は、倭国大乱で権力を完全に喪失したことがわかる。
なのに、後の大和朝廷にその名が引き継がれている。
これは、邪馬台が元は覇権国で、既に歴史的権威を確立していた証左。
ならば、漢代の奴国による朝貢は、邪馬台が列島内で権威を確立するために、
支配下の奴国に命じてやらせていたと考えられる。
大乱後の邪馬台による朝貢は、別の覇権国からやらさせられていた、ということに。