纏向、ひいては畿内から広まるいわゆる庄内式土器は大和の土器と河内の土器が合わさってできた物であると判明している

この土器はそれまでの排他的な土器の障壁を無視して急激に近畿から関東、九州に渡る全国的な拡大をしめし、
在地の土器をこの庄内式の影響を受けた物に変化させている
更に土器のみならず、庄内式が広まる地域の墓制も大和に成立した古墳に一本化されていく

この変化は一過性の物ではなく時代を追うごとに強くなり、
各地域の個性が失われ畿内初の文化的様相に塗り替えられる状況が分かっている

この動きが弥生時代後期後半〜弥生時代終末期の卑弥呼の時代から始まっている事からここに全国的な中心地が生まれた事が見て取れる
そしてこの後の時代に継続されていく事から、
邪馬台国と後の大和朝廷は細部についての差異はあるだろうが同一線上の存在であると考えられている