>>132
>「クジラ食文化を守る会」
>この会の発起人には作家の阿刀田高氏
>>137
>梅ア義人

梅ア義人・著。w (当時国際PR社員←時事通信の記者を辞めて)



【捕鯨問題に関する国内世論の喚起】(梅ア義人・著)
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/net/1406101546/9-27
機能を発揮した「捕鯨懇」
論説委員対策と並行して、われわれはオピニオン・リーダーのグループ化をすすめた。
そのねらいは、捕鯨の重要性について、国内世論を喚起する核をつくることだった。
名称は当初、「日本の捕鯨を守る会」という案を考えたが、いかにも業界のお先棒をかつぐという印象を与えるため、「捕鯨問題懇談会」とした。
「捕鯨懇」の設立趣意書には一応次のような目的をうたった。
「国際的論争となっている捕鯨問題について、客観的立場から検討し、解決に資する意見を出す」――。
しかし、これはあくまで建前であり、本音は、捕鯨のシンパサイザーを発掘し、養成することであった。
果してどれだけの人の賛同を得られるか。不安はあったが、ともかく当たってみることにした。
行動を開始したのは77年の年明け早々であった。1〜2月にかけて、作家、文化人、学者を対象に約30人の著名人とコンタクトした。
反応は良好だった。ほとんどの人が反捕鯨の主張に疑問を抱いていたのである。もちろん日本の捕鯨に否定的な考えを持っている人もいた。
「反捕鯨団体の主張を入れて、いったん中止してみたらどうか」「獲るだけでなく養殖技術の開発を研究すべき」などの意見がそうだ。
結局、次の15人が捕鯨懇のメンバーとなることに同意した。これらの人たちに共通していた点は、当然のことではあるが、大の鯨肉愛好家ということであった。
木本正次(作家)、清宮竜(政治評論家)、小松錬平(テレビ・ニュースキャスター)、滝谷節雄(画家)、多田鉄之助(食味評論家)、
中村武志(作家)、林謙一(作家)、兵藤節郎(日本学校給食会・常務理事)、大和勇三(評論家)、十返千鶴子(評論家)。
初会合は77年3月10日に開かれた。クジラ好きの人たちばかりであったため、種々のクジラ料理を用意した。
「捕鯨懇」の運営で、われわれがもっとも留意した点は、捕鯨協会の応援グループではなく、自主的な、独立した機関という性格を持たせることであった。
そのため、「捕鯨懇」の結成に、もっとも熱意を示した、清宮竜、大和勇三両氏に、代表世話人に就任してもらい、会合の座長を交互に務めてもらうことにした。
捕鯨協会と国際PRは事務局として、あくまで裏方の役目に回ったのである。