【西郷どん】西郷隆盛2番目の妻 愛加那の本名は「アリカナ」 戸籍で確認
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西郷隆盛の2番目の妻の名が、広く知られている愛加那(あいかな)ではなく「アリカナ」だったと、京都市在住の歴史研究家、原田良子さん(51)が7日、鹿児島県で発表した。これまでも一部の研究者が指摘していたが、原田さんが初めて西郷家の戸籍で確認した。
愛加那は西郷が江戸幕府による弾圧で鹿児島・奄美大島に流されていた時の妻。原田さんが11月に千葉県に住む西郷の親族から提供を受けた戸籍に「アリカナ」と書かれていた。西郷が「ありかな」と書いた書簡も残っていたが、公的資料で裏付けられた。
原田さんや大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を手がけた原口泉・志学館大教授(71)によると、当時の薩摩言葉は「り」の発音が「い」になり「ありがとう」は「あいがとう」になるなどしていた。そのためアリカナも口伝えで「あいかな」として広まり、後に愛加那の字が当てられた可能性があるという。
原田さんは「埋もれていた人名が近代の戸籍制度で明らかになったのは興味深い」と話した。【田中韻】
毎日新聞2018年12月7日 20時16分(最終更新 12月7日 20時24分)
https://mainichi.jp/articles/20181207/k00/00m/040/250000c
他ソース
西郷隆盛2番目の妻 愛加那の本名は・・・
https://news.goo.ne.jp/article/mbc/region/mbc-2018120700033477.html
https://img.news.goo.ne.jp/picture/mbc/s_mbc-2018120700033477.jpg 西郷って幕藩体制崩壊した後に奄美大島から2番目の嫁さん呼ばなかったの?
子供は呼んだけど嫁さん呼ばないとか冷たいよな もし名古屋弁だったらアリカナだとアレカナになるところだな。 >>53
当時は奄美から現地人を出しては行けなかった
ただ明治以降になれば出来た
当時は権妻といって、妾でも戸籍に乗せられたから、それをしなかったってことはやっぱり現地妻で、東京に呼ぶ気はなかったんだろう
当時の差別意識もあったし、今で言うなら東南アジアで駐在中の愛人を日本にまで連れてこないのと同じでは 薩摩人は奄美大島の人を差別してきた歴史がある。インドのカースト制みたいに。 豚女が好みだったし、我が子を豚児と呼んだ。
食い物も豚大好きだったな。 >>50
戸籍の父は出生時が載るわけだから「菊池源吾」のはずだし、変名は違うと言うなら、当時の本名「西郷三助」じゃないとおかしいよねw 毎月1000万(現在の価値)もらってるに
これぽっちじゃ愛人を養えない!と、戦争をおっぱじめた男w 戸籍登録した人聞いた職員が間違えて登録したとかありそう 奄美では女の子の愛称として名前に「加那」を付けて呼ぶそうだ(「ちゃん」のようなもの)
また「愛」は奄美の方言では「かな」と読む(西郷どんのオープニングの歌詞にある)
だから「愛加那」だと「かなかな」になっちゃうんで、なんか変だなあとは思ってた >>64
近代風の戸籍は明治もかなりたってからだからじゃないの 奄美の老人 「西郷さんの記念碑が奄美に建てられたとき、アイカナさんは碑を踏みつけ唾を吐きかけとった」 >>75
「奄美の債務奴隷ヤンチュ」という本にはそう書かれている
真偽は不明 >>80
>1の菊次郎戸籍の写真にちゃんと父隆永と書いてあるな 万延2年 (1861年) 西田敏行と龍一族佐栄志の娘”愛加那”の長子として
西田敏行奄美大島龍郷にて誕生
慶応4年(1868年)大総督府下参謀西田敏行と徳川家陸軍総督西田敏行との間で江戸城の開城交渉がまとまる
明治2年(1869年)西田敏行鹿児島市の西郷本家に引き取られる。
明治2年(1869年)西田敏行、西田敏行と共に軍制改革を断行し徴兵制を取り入れる
明治5年(1872年) 西田敏行、12歳にしてアメリカ合衆国に留学。農業学を学ぶ。
明治6年(1873年)西田敏行、政変で下野する
明治10年(1877年)西田敏行、西南戦争を起こし、西田敏行がこれを平定にあたる
西田敏行、西南戦争に従軍。右足を被弾し膝から下を失う。叔父で陸軍中将の西郷従道の元へ投降。
明治37年(1904年)西田敏行、 2代目京都市長に就任。市長室にて父、西田敏行について語る。 【鹿児島の発音例】
鹿児島>かごんま
桜島>さくあいま
ソフトクリーム>ソウトクイム
えのころ飯>えのこおめ
西郷どん>せごどん
大久保利通>かたき(そもそも大久保を話題にしない)
飛行機>いこおき
新幹線>いんかっせ
靴>くっ 今年1年うるさかったなあ
もううんざりやで
今後10年間くらいは西郷のサの字も聞きたくない 大河の直後に新事実が見つかるってよくあるな
始める前によく調べとけよ 「カナ」は愛称として分かるけど、「アリ」ってどういう意味の言葉なのかなあ
まさか妻に「蟻」って名前付けないよね >>86
照れるなぁテヘッ
ttp://www.arunidadesu.com/wp-content/uploads/2016/12/haraguchi.jpg 西郷は「征韓」を投げ出したクズ
逃げ出すなら最初から主張するなよ
はしごを外された江藤新平は最後は獄門さらし首になった イタリア語のgliとかイの様なリの様な音
スタジオジブリのghiは本当はギに近いよね 有りかな?なんて日本人の名前じゃねーな。
チョンだろうが!! 標準語らしくないから日本語らしくないとか言うアホな奴多いな
標準語だって昔の日本語まんまってわけじゃないのに >>104
奄美なんて薩摩藩領だが、文化的には琉球だろ 「い」と「り」が紛らわしい書き方の人が届け出たのだろう うちの母方の曾祖母ちゃん、戸籍上の名前は「いくい」さん。
本当は「いくえ」なんだけど、栃木の田舎でイとエがはっきりしない地域。
まあ、曾曾祖父さんあたりが字を書けるかどうかで役場に口頭で届けたと思うのだけど、それを真に受けて書類にしてしまう役人もなんだかなぁって思った。
ちなみに父方の曾祖母ちゃんは「すの」で、本当は「しの」なんだけど、以下略。 >>96
西郷従道は息子に蟻熊と名付けてるぞ
ちなみにこの子は大久保にホルモサと名付けられかけた 奄美の現地妻だった人ね。昔は今のように「愛人を囲って」とか言われなかった
のどかな時代だったんだな。 >>67
おもわず中川翔子を思い出した
親戚が「中川しょうこ」で出したのに戸籍係がまちがえて中川「しようこ」と書いたとか
本人も戸籍を見てびっくりしたらしい
若い頃はアイドルだったが今はポケモンの印象しかない、、、しょこたん、、、 うちも両親鹿児島だが奄美のほうは別格らしい
同じ県内でも言葉が通じないことがあるってさ
たしかに鹿児島を親は「かごんま」って言うけど
他にもここでは書ききれないほど本州民には解からない言葉がある
それに奄美辺りじゃ琉球も混じるから余計にややこしくなると思う
韓国とかそういうのは関係ない 薩摩藩は奄美支配を強めるために現地の有力家族の娘と薩摩藩士との混血を奨励してて
島妻には薩摩の役人並みの特権があった
でも薩摩に虐げられるかわいそうな奄美にしないと観光誘致できないから
愛加那はただの農民の娘の現地妻として描かれた >>118
自己レス。これは間違い。
奄美大島は沖縄じゃない。
めっちゃ勘違いしてた恥ずかしい。 本当はアイカナだけど「あいかなって言ってるけど、本当はアリカナが訛ってんじゃね?」と気を利かせて勝手にアリカナにしたとかいうことはないの? 猪木「俺をこけおどしのペリカン野郎と呼んだあれかな?」 >>122
言語が違えばそういうことも起きるだろうね
例えば、日本人の真之介がロシアでシンノスキーになるような >>50
戸籍が管理されてたことは立派だが実は割と地域によっていい加減なんだよな
世界最高齢とされていた泉重千代も実は10以上離れてた兄を引き継いだだけ
なお本人は知ってた模様
徳之島は他にも早世した兄姉を引き継がせたのがいて長寿記録は参考にしかならんのだとか
山の名前ですら三宝山を甲武信ヶ岳と読み違えてるし、谷川岳だって本来別の山やし 最終回は犬追物と犬肉飯で
視聴率アップさせるしかない。 おそらく奄美大島の成人女性の名乗りとしては、当時は珍しくもなかったんだろうけど・・・ 薩摩の「えのころ飯」と並ぶ、奄美の「犬飯(ケンハン)」
奄美では昭和30年代まで普通に犬肉が食べられていた。
鶏飯はもともと「犬飯(ケンハン)」だった。
https://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201607_post_10367.html 沖縄は内地ヤマトとの葛藤を奄美に丸投げしてヨダレを垂らしながら琉球舞踊を踊り、金玉垂らしながらカチャーシを踊るだけだった
奄美は沖縄から丸投げされた内地との葛藤を奴隷になりながらも模索した >>1
つまり微妙な容姿って事?
ブラザーズに出て来るたけしの愛人みたいな
美人なんだかブスなんだか分からんって言われちゃうタイプ? 「西郷が一番愛してた人だから愛加那と名付けた」とかドヤってた奴いたよな 流刑地でマンコを手に入れたヤリチン西郷さん凄いっす ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています