江戸時代、五街道の起点として日本の商業の中心だった東京・日本橋。江戸文化が花開き、創業100年を超す老舗が軒を連ねるこの街が今、再開発によって大きく変わろうとしている。日本橋の再生を主導しているのが、三井不動産。未来に目を向けると、さらに壮大な計画が広がっている。

 「これまでは点をつくってきた。その点と点が線でつながり、面になってきた」。三井不動産日本橋街づくり推進部の??田直生事業グループ長は語る。

 日本橋は三井グループ創業の地。かつてのにぎわいを呼び戻そうと、三井不動産が日本橋再生計画に乗り出したのは2000年代に遡る。始まりは04年に開業した商業施設「コレド日本橋」だった。??田氏が「一つの足場が築けた」と振り返るコレドは、英語で「核」を意味するCORE(コア)と江戸(EDO)をつなげた造語。新しい日本橋が東京の商業の核になるとの意味を込めた。あれから10数年、その日本橋がまさに「東京の核」として頭角を現し始めた。

●まだセカンドステージ

 三井不動産は05年に「日本橋三井タワー」、10年に「コレド室町」(現「コレド室町1」)、14年に「コレド室町2」「コレド室町3」を開業。再開発は他社にも波及し、10年にはコレド室町1の隣に野村不動産が商業施設「YUITO(ユイト)」をオープン。18年秋には日本橋高島屋が新館を構え、日本橋三越本店もリニューアルオープンに踏み切った。

 ビジネス街という性格はそのままに、ショッピング街としての厚みが増し、日本橋は休日人口が平日人口を上回るまでに変貌した。だが、「日本橋の再開発はまだセカンドステージ」(??田氏)だという。

 19年秋には新たな商業施設「コレド室町テラス」を開業し、その2階には米タイム誌が「アジアで最も優れた書店」に選んだ台湾の「誠品生活」が日本初上陸を果たす。これで日本橋室町北端の1万平方メートルを超す敷地が埋まるが、再開発の本丸が、まだ手つかずで残っている。首都高速道路で覆われた名橋・日本橋そのものだ。

●「水都再生」が始まる

 「日本橋に今、足りないのは滞在できる場所。日本橋という場所が持つ意味を考えながら、来年には新しい開発計画をまとめ上げたい。これからの半年間が勝負だと考えている」(??田氏)。

 三井不動産が掲げる日本橋再生計画を象徴するキーワードの1つは「水都再生」。築地市場が開かれるまで、東京の魚河岸は日本橋川沿いにあった。三井不動産によると、その活況ぶりは「東洋のベニス」とたたえられるほどだったという。往時のように水辺空間を生かした街づくりを進め、日本橋の滞在性を一段と高めたい考えだ。

 日本橋再生計画が始まった頃、水都再生は「夢」だった。それが今、現実になろうとしている。首都高を地下化する国家的プロジェクトが動き出したのだ。距離にして1.2キロメートルと短いが、20年の東京五輪・パラリンピック後に首都高の撤去工事が始まる。総事業費は約3200億円と巨額だが、官民で費用分担を詰める。空を取り戻すことで、日本橋再生計画は一段上のステージに入る。

 この首都高地下化を見据え、日本橋川沿いの5区画が、新たに再開発区画として決まった。東京都都市再生分科会の資料では、5区画のうち日本橋一丁目中地区の完成予想図がすでに示されている。

 三井不動産と野村不動産が共同開発するこの区画は、「コレド日本橋」を含む3.9ヘクタールに及ぶ広さ。オフィスフロアをはじめ、国際ブランドのホテル、MICE対応のカンファレンス、商業施設を集積する。ビルの高さは、287メートル。日本橋川沿いの景観を生かすため、日本橋船着場を拡充し、歴史的建造物を保存・活用することも盛り込まれている。

●老舗こそイノベーティブ

 三井不動産の街づくりは「ミクストユース」という考え方に凝縮されている。その心は、ハードとソフトの融合。建物というハードの整備を進めながら、新産業を創出し、地域のコミュニティーを強化する。??田氏は、日本橋には新時代を切り開くポテンシャルがあるとみる。

 「このかいわいには100年、200年と生き抜いてきた店がたくさんある。老舗が集まっているというと、古い街だと思われるが、時代の変化や天災、競合にも負けず、のれんを守ってきたのは、一つのイノベーションだと思う。エリアの持っているブランドを生かしたい」(??田氏)。

12/27(木) 7:00
日経クロストレンド
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