【社会】負傷兵、250のうめき 日中戦争期の摘出銃弾類発見 国立・小倉医療センター
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://i.imgur.com/e2IVrWM.png
戦争で被弾し帰還した負傷兵から摘出された銃弾や砲弾の破片
陸軍病院を前身とする北九州市小倉南区の国立病院機構小倉医療センターで、戦争で被弾し帰還した負傷兵から摘出された銃弾や砲弾のかけらなど約250点が見つかった。
関係者らは「傷痍(しょうい)軍人の苦しみや戦争の悲惨さを表す貴重な資料だ」と語る。
同センターによると、2018年9月に新築棟へ引っ越す際、旧外来棟2階にあった医局倉庫内で、白い布を掛けて片隅に積んであった11個の木箱が見つかった。
「上海事変戦傷者摘出弾」などと記した木箱の中は細かく仕切られ、長さ4センチほどの銃弾から幅約5ミリ…
この記事は有料記事です。
続きは会員登録(有料)で
残り384文字(全文629文字)
負傷兵、250のうめき 日中戦争期の摘出銃弾類 国立・小倉医療センター
毎日新聞 2019年1月12日 12時47分(最終更新 1月12日 12時48分)
https://mainichi.jp/articles/20190112/k00/00m/040/112000c >>33
三八式の銃弾なんかはそれでも同時期の他国の小銃弾に比べると小さいらしいけどね
日本人の体格に合わせて少し小さくしたという話もあるらしいが 神社のお祭りなんかで演奏していた楽団のことかと思った
Q)日本と支那って「戦争」していたの?
A)していません。っというかすることができません。なぜならユーラシア大陸東部に
まとまった国なんてありませんでした。内戦に協力した、というだけです。
ですから、日本とユーラシア大陸東部とは貿易も盛んでした。日支「事変」という理由を
よく考えましょう。
=====
『東條英機1』(光人社NF文庫/亀井宏作家)
1930年代の支那はいくつかの政府が共立していました。
@中華民国臨時政府 1937年成立首都北京 河北省,山東省,河南省,山西省の華北4省(北京市及び天津,青島市)
A中華民国維新政府 1938年成立首都南京 江蘇省,浙江省,安徽省の中支3省(南京特別市,上海特別市)。1940に汪兆銘が主席。
B中華民国重慶政府 首都重慶蒋介石政権 四川省など。米英が支援。
C中華ソビエト人民共和国 首都瑞金毛沢東政権 江西省など。ソ連が支援。
@とAは日本軍が後ろ盾を行いその代わり徴税(関税、塩税)することができました。
BとCは支配範囲が小さくソ連米英がいなくなればすぐに潰れる程度のもの。 >>34
38式の場合は長距離での命中精度を重視したからだと思う
弾が重い場合初速が高くないと垂れてくる
一次大戦で塹壕突破に浸透戦術を使うようになると
交戦距離が短くなって射程がそこまで必要じゃ無くなってきた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています