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“2島引き渡し 平和条約交渉急ぐ” 旧ソビエト機密文書
2019年2月7日 4時43分北方領土

日本とロシアの両首脳が平和条約交渉の基礎としている1956年の日ソ共同宣言をめぐって、当時のソビエト指導部は、アメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られ、早い段階から、北方領土の歯舞群島と色丹島の2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが、NHKが入手した文書で明らかになりました。2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。

日本とソビエトは、1955年の6月にイギリス ロンドンで、国交正常化に向けた交渉を始め、翌56年に平和条約の締結後、歯舞群島と色丹島を引き渡すことを明記した「日ソ共同宣言」に署名しました。

2島の引き渡しについては、ソビエト側の交渉責任者だったマリク全権が55年8月、非公式の場で、日本側に突然、持ちかけたものですが、その意図は不明でした。

これについてNHKが7日までに入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書では、交渉開始直前の6月2日付けで「両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としていて、「外国軍の基地を置かない」ことを条件に、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。

その理由として文書では「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下のアメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られていたことが背景にあるものとみられます。

今回の文書についてロシア政治に詳しい法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞・色丹の話が出てくるプロセスが初めて見えてきた。2島を提供するという譲歩で、ソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。

そのうえで「プーチン政権の交渉態度も、当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べていて、日ソ共同宣言に基づいて2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。