講談社「ヤングマガジン」誌で、1982年暮れから90年にかけて連載され、アニメ映画もヒットした大友克洋氏の漫画「AKIRA(アキラ)」の舞台は、くしくも「東京五輪を翌年に控えた2019年」。謎の大爆発による荒廃後に建設された都市『ネオ東京』で、次々と事件が起きる。作品の魅力を、漫画・アニメに詳しい明治大学大学院の氷川竜介・特任教授(国際日本学)に聞いた。(科学部 原田信彦)

 ――登場する超能力者が発揮する力の描写など、従来の漫画にはない絵柄や表現が話題を呼んだ。

 「超能力を単なる『不思議な力』ではなく、物理法則に沿った形で表現するなど、リアリズムが作品の説得力を高めている。例えば登場人物が思念でバリアを張るシーン。従来の漫画では板のようなバリアが描かれていたが、大友氏は、バリアは思念を発する人物から球状に広がる『力場』であり、向かってくる物体や光線は、球の表面に沿って曲がるだろう、と論理を働かせ、そのように描いた」

 「都市構造の描写に代表されるように、機械的な精密さについて、恐るべきセンスがある。高層ビルがいいかげんに林立しているのではなく、都心と下町を描き分け、道路が通り橋がつながる場所にまで必然性を持たせている。大友氏の登場を境に、漫画やアニメでは、緻密ちみつな描写が明らかに増えた」

 ――SF作品としての評価は。

 「SFの条件は科学を扱っているかどうかではなく、フィクションを構築する手続きが科学的かどうかだ。「アキラ」は根拠を積み重ね、飛躍にも裏付けがある」

 「冒頭で描かれた大爆発について、原子力によるものではないと気づいた人たちが研究しているという設定だ。原子力も、質量がエネルギーと等価であるというアインシュタインの特殊相対性理論から始まり、それをコントロール可能なものにし、軍事研究で原子爆弾が生まれた。作品は、もし人間の思念がエネルギーに転換できるなら、原子力と同じ事が起きるだろうというアナロジー。超能力のコントロールに失敗したから爆発した」

 ――作品の時代背景は。

 「1960年代末から70年代初め頃、ベトナム戦争や冷戦への反発から、既成の社会制度や価値観を壊そうとする、いわゆる『ヒッピー文化』などの動きが若者層を中心に出てきた。人間には解放されていない能力があるが、物質・経済優先の社会制度に抑圧されて発揮できずにいるという物の見方だ」

 「一人一人の潜在能力を、ドラッグ(薬物)を使って解放するという試みもその一つだろう。『アキラ』でもドラッグが超能力を引き出す道具として使われており、一連の流れを受けていると言える。最終的に、遺伝子による体のつくりといった制約すら外れて力が際限なく高まり、身体そのものが周囲の機械部品を取り込みながら膨張していく表現は印象的だ」

 ――現代における意義は。

 「80年代以降、急激にデジタル技術が高密度、高速化した。それと呼応するように『コンテンツ(番組や作品の内容)』という言葉が定着した。人が考えること、つまり思念エネルギーが、実際に世の中を動かす時代になった。コンテンツがお金を生み出す現実は、思念がエネルギーに変換される『アキラ』の超能力とそれほど違わない。作品が古びないのは、大衆が薄々感じていることを言い当てているからだろう」

巨悪を暴く 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/science/20190205-OYT1T50025/