【古代】縄文人は戦争を誘発する農耕を拒んだ?
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■縄文人が水田稲作をはじめていた証拠
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■最初から稲作一辺倒だったわけではない
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また、縄文系と思われていた突帯文土器の時代に、すでに水田稲作が行われていたのは、北部九州沿岸部だけではない。四国、中国、近畿でも、同じように、水田稲作民が登場していたのだ。
穀物を栽培していた縄文後・晩期の西日本の縄文人を、考古学では「園耕民」と呼ぶ。彼らは川の下流部には住まなかった。たとえば稲作がもっとも早い段階に始まった早良平野でも、園耕民は、川の中流、上流で暮らしていた。縄文人は低湿地を好まない。縄文海進によって海面が高かった時代から続く伝統だ。穀物だけではなく、さまざまな手段で食料を調達する園耕民は、川の上流側を選んだ。
ところが、縄文時代の晩期は冷涼多雨で、下流域に稲作に適した低湿地が形成されつつあった。これは偶然なのか、あるいは、この自然条件があったから、縄文人が生業を変えようと決意したのかどうか、よくわからないが、ここで水田稲作が始まったのは間違いない。
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■弥生文化はバケツリレーで広まった?
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小林青樹は、縄文人が壁を取り払い、弥生人になるためには、大きな決断が必要であり、また水田稲作をはじめるには、共同作業をするのだから、集団の同意がなければならなかったと指摘する。また、新しい社会の枠組みを構築する必要もあったと、まず前置きをする。
その上で、「縄文の壁」は、6つの地域に存在したという。(1)南島の壁、(2)九州の壁、(3)中国地方と四国の壁、(4)中部の壁、(5)東日本の壁、(6)北海道の壁だ。このうち、南島と北海道は、弥生時代には突破できなかった。
北部九州でも、水田、環濠集落、金属器、弥生土器すべてが揃うまで、約200年を要している。弥生時代前期の関門海峡の東側では、日常生活でいまだに縄文系の道具類を使用していた。また、板付遺跡を起点にして、関東に弥生文化が到達するまで、400〜500年、最初の水田が北部九州にできてからだと、約700〜800年かかっている。したがって「弥生時代」と一つに括ってしまっているが、その弥生時代の3分の2の時間は、縄文的な暮らしを守ろうとする人たちと、新しい生活を始めた人たちが共存していた時期だったことになる。
この間、兵庫県神戸市付近( 新方遺跡。明石駅の北側)では、弥生前期に、無理矢理近畿側に越えようとした「弥生人」と在地民の間に小競り合いがあったようだ。縄文系の人骨が出土していて、6体の人骨のうち、5体に石鏃が伴っていたのだ。10数本の矢を受けていた。
■戦争は農耕とともに始まった
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■戦争が始まった具体的証拠
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抗争が始まったのは弥生中期中ごろで、人口増に伴い、前期の氏族社会が一度分裂し、新たな耕地を開発する段階だった。農業共同体ごとに、高地性集落が形成されるが、その分布域が、銅鐸文化圏とほぼ重なる。高地性集落は防御力が強く、「攻められる側」と、想定できる。この文化圏内では、石製武器や石製利器が原産地集団から交易によってもたらされ、この中で抗争が起きていた可能性が高い。乱は石器を多用する時代に勃発したが、鉄器時代に移行し終わった時点で収束していることに、春成秀爾は注目している。
朝鮮半島南部から鉄を輸入するに際し、見返りの物資がなければ手に入れられない。さらに、石器に比べて格段と効率の良い利器を私的所有することで、「原始的平等で貫かれた農業共同体の真只中に重大な矛盾をもちこんだ」(吉田晶・永原慶二・佐々木潤之介・大江志乃夫・藤井松一編『日本史を学ぶ 1 原始・古代』有斐閣選書)といい、集団内での公平を期すために、他の農業共同体から財を奪ったという。これが倭国大乱の真相ということになる。
いずれにせよ、弥生時代に本格的な戦争が勃発していたことは、間違いない。
■縄文人は戦争を誘発する農耕を狂気とみなした?
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じつは、ヤマト建国も、この縄文的な発想によって成し遂げられたのではないかと、筆者は疑っている。ヤマト建国の直前まで、日本列島は、「倭国大乱」と中国側に記録されるほど混乱していた。その騒乱を、魔法のように収拾した事件が、ヤマト建国だった。それこそ、縄文的な発想の賜物ではなかったか……。(関裕二:歴史作家)
4/25(木) 12:43配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00010000-php_r-pol >>97
白村江以前の活発な朝鮮との交流みれば半島とは無関係なんて片腹痛いわな >>101
でも日本の稲のゲノムと朝鮮の稲のゲノムは全く無関係なんですよ。 >>100
人口減少は大抵流行り風邪と餓えが密接に関係してるぞ 文学でも宮沢賢治や石川啄木と言うのは東北だけども、詩人を輩出しやすいのね
大変に目が覚めるような瑞々しい感性が特徴というかね
弥生人ともなると今度は的確な批判とかが目立つわけね。歴史の考察とかね >>95
アジア大陸の沿岸伝いのどで海洋超える必要があるのかと:::
大陸から列島にくるには海洋超えないといけないえどね。
半島と列島が陸続きだった時代も縄文に含めるならいいけど >>83
絶滅なんかしてないよ
混血しただけやろ
現代でも父系の最大勢力は縄文系やで >>103
拾い食いしてるから植えたり免疫が落ちたりするんだよ。
歴史上栗を主食にして現代まで生き残った民族があるのか? 稲作ほどではないけど、縄文時代は結構食生活が豊かではあったのよ
貝塚とかあるでしょう。それにあの豊かな土器は鍋だったりするわけだけれどもね
そう。鍋は縄文文化なの >>105
島伝いに来た人が島に集落を立てるのは事実だろうが
そいつらより大陸の高度な文明をもつ人の方が危険は少ないと考えられるね
当時の丸木舟みたいなのを考えると >>106
稲作が入ってきたから絶滅せずに住んだ。
>>108
紀元前から金属製の鍋が大陸にあるわww
おまえの鼎の軽重が問われちゃうぞwww >>110
丸木舟の人たちは今でも土人のままだろ。
採集生活では頭脳が発達しないの。 >>112
あの縄文文化の土器は鍋なのよ
それに沢山のデコをしていて、デコトラックとか、デコケータイなんて
縄文時代の名残なのか?と思ったでしょう(*´ω`*) まぁなにがなんでも縄文は劣った文化で弥生は優れた文化という決めつけを覆したくないひとは多いんだね
なんの根拠もないのになぁ・・・・現代の尺度で数千年前を計っている愚に気づかないとは
ただし弥生より縄文が優れていたという根拠もあるわけじゃない、あたりまえだがな 争いに終止符を打ったのは火山噴火災害のせいだと思う。 >>113
さて話を原点に戻すとその人達と交流する意味はないよね
普通に考えれば中国文明あたりから流れて来るのが一般的な自然な流れ >>114
鍋なんて世界中にある。
「日本には四季があるんですよ」って言うのを厚切りなんとかに馬鹿にされてたけど、
そのとおりだ。悪いけど世界中に鍋はあるよ。 出雲だと縄文の血が濃いでしょうね
スサノオも出雲だからね
大体、銅鐸が出て来るところが縄文の血が濃いのね、きっと
銅矛は恐らく弥生 >>118
丸木舟の人は交流したがると思うよ。交易で生活してるから。
それはそれで役割はあるけど、発展はしないんだよね。 >>68
縄文人は1日2時間しか働かない
グルメでオシャレで贅沢な暮らしぶりだよね >>120
銅鐸は全部潰されて滅ぼされてるじゃん。
貴重な合金を煮炊きに使うこともできないくらいビンボなんや。
大陸では煮炊きに使い放題。 >>122
キリギリスのごとく人口激減したけどな。 それで縄文というのは色々なものが発見されているんだけども、
もうシャーマンの世界そのものなわけよ
皇室も同化して、恐らく少数民族で日本へとやって来られた渡来系だから、
現地の文化にも同化しているわけでしょう。その名残があの昭和天皇の森だったのね >>125
銅鐸が沢山出て来ているのよ
あそこの周辺はね。あと岡山とか、四国とかね >>127
でも稲作民族はその後もどんどん増えてますけど・・・・・・・・・・
海底爆発とウイルスの影響はあまねく世界に広まるんだけどね。 出雲も大和も王朝文化も武家文化も扶余系渡来人文化w
主に百済系w >>121
縄文時代の人は凄くてオーストラリアまでピューと行ったりするんだよな
風向きでね、基本的に交流ではなく移住がメインだったんだよ
交流するなら相手だって中国文明がいいだろ
まあなかったとは言わんが命がけで話しにくる価値はないよね >>130
それはむしろ任那を占領した日本人の文化でしょう。 日本人の場合は、どちらも争わないのよ。どちらの血でもあるのがミックスの日本人だからね >>110
海洋文化圏を大陸沿岸沿いとインドネシア→フィリピン→九州にいたる列島沿いに無理やり分けてどうするね
それとも沿岸づたいにいたひとと。黒潮利用してたひとが別の文化圏という根拠でもあるのかしら
おなじ大陸東沿岸一帯の海洋民族文化圏だと思うのだけど。
まぁ沿岸づたいとレスしたからそう理解されてもいいけど>< >>131
そりゃそうだ。朝鮮なんて今も昔もなにもないもの。
あの人達はモンゴルとの血縁が強くて、騎馬系の略奪文化。
これもやはり考えない文化。 >>133
鎌倉時代とか南北朝時代とか戦国時代とか日本人が死ぬほど争ってましたけど。 血が争わないという事。縄文人と弥生人でね
どちらがより強く出るのか?と言うのはあると思うわけ
特徴があるから >>134
地文航法と天文航法は全く別の技術なんですけど。 >>138
鎌倉時代とか南北朝時代とか戦国時代とか日本人が死ぬほど争ってましたけど。 平安末期から江戸時代初期までは超絶戦闘民族なのよね
生きたまま生首ギコギコするのが趣味だったわけだし 芸術方面で秀でているのが縄文人だし、経済とか世界を見る目とか批評家なら弥生人の血が濃いんでしょうからね 伽耶が存在した時代に日本人なんてのは一人も居なかったw
倭人は居たけどw
日本人なんてのが生まれてから未だ1300年程しか経ってないw >>142
いやがらせ的戦闘にたけている。
元寇では、
・昼に戦ったのにまた夜襲してくる
・船に人や動物の死骸を投げ込まれて病気にさせられる
・船に火をつけられる
・降伏したと装って切り込んでくる
などのベトコンもびっくりの嫌がらせ戦術で勝利しました。
まあ、ベトコンに汚い戦術を教えたのも元日本兵だけど。 そういう選択ができるまで食い物が豊富でもないだろうからそれはないだろ >>100
縄文人の人口激減は喜界カルデラの噴火で食料が減ったことが原因ではないっけ この前のNHK−Eテレの番組
縄文人と韓国から来た弥生人が〜とか言っていてオレ倒れそうになった
韓国から来たって何だよw
しかも〆では日本人と韓国人は遺伝的に最も近いとか言っているし
もうあの局潰した方がイイだろ >>135
モンゴル人自体そんなひどいことしなかったぞ なんか最近は縄文や江戸時代をやたらと持ち上げる風潮があるよね
より純日本を求める国粋主義
かつ、
人口重心や情報の発信源が東日本側に偏ったことによる東日本史観
が原因だと思うんだよね
政治的な感情を歴史学に持ち込むのはやめてくれよ >>147
稲作民族は天変地異があっても生き残るのよ
そもそも天変地異とかあるでしょ。無いと思うほうがおかしい。
普通に俺たちが生きてきた時代でもたくさんあった。 >>148
多分それガチの史実だろ
おもんないやつ でも近畿地方をみると明らかに顔が違うからね。弥生人の血が濃いんでしょう
でも八尾というところは元々縄文系が多かったそうよ。骨を調べた結果だけどね 九州はちょっと違うのよ。九州は一時期大量の中国人が入ったのではないかとは言われているのね
あそこはちょっと違うでしょう。色々とね >>152
モンゴルの統治自体フランチャイズ経営でオーナーがモンゴル人になるって考えるとわかりやすい
チンギスハンの部族のモンゴル人自体人口少ないからね >>150
単なる庶民の興味は、歴史学では無いだろw >>156
だって農耕しないと人が増えないので、たまに来て飯と女をさらうことしかできない。
その血を強く引いてるのが朝鮮人。努力ができない。 日本人の祖先である縄文人は、想定されている以上に賢かった
狩猟採取だけではなく、果樹や農耕をして定住していたことが明らかになっている
水稲ではないものの、陸稲で米も栽培していたようだ >>150
縄文上げが始まったのは皇別摂家の男系子孫のY染色体が縄文系D2だったから >>158
その話聞いて思うのは、人間のやることなんてどこも変わんないだなあって思うけどなぁ
君は違う考えなん? 縄文人も弥生人も「現在の朝鮮半島」にも居たが
勿論、其の当時に「韓国」なんて国家は無かったw
「韓国人」も「朝鮮人」も「日本人」も存在していないw >>162
縄文時代は行ったり来たりしていたんだけどね、あちらは大陸だから色々とあったんでしょう >>150
鎌倉武士は教養がないので、箔をつけるために中国南部から直接知識人を招聘したので。
湘南とは湖南省に風景が似てるから湘の字をつかうわけだ。
中華街もあるし関東は中国と親和性が高い。関西はバカチョンと親和してるんでしょ。
放るもんとか食って暮らせよ。 >>161
農耕民族は情報の共有とコツコツとした努力ができる。
騎馬民族は情報の独占と一気呵成の略奪しかできない。
数も増えないしいつまでたってもテント生活。 >>148
それミトコンドリアを調べたんだろ
女系しかワカランよ
今のところ男が弥生女を孕ませたっていうのが有力 >>9
アフリカや東南アジアでは農耕しない土人が殺し合いしてたが >>164
鎌倉って洞窟の中がお墓だったりしたのよ
あそこもわりと独特な文化だったりするらしいわ 稲のゲノム解読されたじゃん。
考古学者や在日工作員が喚いても
ゲノム解読された。
科学は残酷なまでに真実を突き付ける。
( ̄ー ̄) >>163
弥生人の祖先は春秋戦国時代の長江流域から来たとされる
おそらく戦争に負けて大陸から逃げてきたんだろう >>168
現在人口5万人の旧鎌倉地区に10万人住んでたので墓地を作る余地がないの。
洞窟の中がお墓なんじゃなくて、お墓を作るために岩を掘ったの。
何も知らないで偉そうな口をきくな朝鮮人。 なんかアメリカを見ていたらヒッピーが縄文系で、南部が弥生系なのか?みたいなね
ザっとまとめたらね。どちらの血がより濃く出るのか?というのがあるわけ
例えば縄文系だと圧倒的に芸術でしょう。あの土器といいね
政治と言えば弥生系なのよ >>171
朝鮮人の技術力で日本に来れるわけ無いじゃん。
モンゴル人と朝鮮人の合作の欠陥船で日本に攻めてきて全部沈んだ。 >>172
違うのよ。そういう葬り方が海外にもあったの >>165
遊牧民族はそうなのかもしれないな
ただ略奪が正義の世を制覇したのは単純にすごいわな
で、それがなんだったん?! >>174
その前に洞窟の中がお墓だったとかいう狂った認識を正せよwwww 縄文時代から現役の田んぼってあるんかね?
秘伝の土を継ぎ足しでとかさ >>151
稲作とか関係ねーぞ
今あのカルデラが爆発したら北海道以外の地域は絶滅するらしいから >>177
端的にまとめると「朝鮮人は努力のできないバカチョン」
以上 戦争を理由に生産性の高い農耕を拒むのは合理的とは思えない。古代人に夢を見すぎでは?
>>162
南朝鮮沿岸と北九州が一つの文化圏だったんだろうね >>175
多分お互い命がけだぞ
日本も命がけで半島に行ってた >>186
縄文時代はもっと海が浅かったというけどね >>180
北海道にほとんど人が住んでないレベルの時代に、
絶滅するらしいくらいの大爆発が起きて
日本人が今こうして生きているという事実とその仮設の間に
矛盾を感じたほうが良い。
馬鹿だとわからないかもしれないが。 もういいから。この手の与太は聞き飽きた。
サンカとか、自由民とか、ハチのムサシとかだろ。
いっそ、縄文人は人民軍って言えばいいだろ。 因みに中国人だの蒙古人だのも現代の感覚で使うと誤解を生じ易いw
弥生人は中原から来たけど現在の中国人(華夏人=漢民族)とは全く違うw >>183
まとめれてなくない?
遊牧民族の気質はたしかにそうだが
韓国は遊牧民族なん? >>169
何する遺伝子といわれてもな
とにかく男系の祖先が辿れるのさ >>179
あるとすれば府中と呼ばれる土地の周辺やろうな
どの国の府中も、その国で一番早くに農耕が行われた土地とみて間違いない >>182
馬が日本のどこにいるの?誰が使ってるの?
鉄器が中国由来でないという証拠も無いわwwwww
鉄は腐食しやすいので証拠が残らないのwwww
イオン化傾向とか勉強しようね。 >>196
東京の府中とか国分寺は昔はぶいぶい言わせてたろうになあ
聖武天皇のころとかさ >>186
どっちが侵略していたかと言えば、日本が侵略していた。
朝鮮人は馬鹿だから日本を侵略できない。
>>184
当たり前じゃん。朝鮮人が奴隷以外で日本に来れるわけがない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています