【京都・青蓮院】「分け隔てなく接せられ」 天皇陛下のいとこ、東伏見慈晃門主語る
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京都市東山区の古刹(こさつ)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)で第49代門主(もんす=住職)を務める東伏見慈晃(じこう)さん(76)は、天皇陛下といとこの関係にある。平成の時代を通じ、旧皇族として陛下と関わってきた慈晃さんの心には、常に分け隔てなく人々と接せられる陛下のお姿が刻まれている。
天台宗の祖、最澄(伝教大師)が延暦寺(大津市)に建てた僧侶の住まいを起源とする青蓮院は、皇室や摂関家の出身者で門主が受け継がれる門跡寺院。門跡寺院は明治政府の神仏分離令に伴う廃仏毀釈(きしゃく)により、門主の親王は全て門主を辞めさせられ、僧籍も剥奪された。この結果、皇室と仏教は分離され、今では多くが形だけの「門跡」になっている。そうした中、青蓮院は天皇家とのつながりが維持されている数少ない寺院のひとつだ。
慈晃さんの父で先代門主の慈洽(じごう)さんは香淳皇太后の実弟にあたり、陛下と慈晃さんはいとこ同士。ただ幼少期に関わったことはほとんどなく、その後、旧皇族の会で陛下に近況報告する機会などができたという。
天皇、皇后両陛下は2度にわたり青蓮院を訪問されているが、慈晃さんは、そのときのお姿を、よく覚えている。
最初は平成14年5月27日の行幸啓。陛下や慈晃さんの曽祖父で、親王としては最後の青蓮院の門主(門跡)を務めた久邇宮朝彦(くにのみや・あさひこ)親王にお参りする意向を示した陛下は、朝彦親王の位牌(いはい)に静かに手を合わせ、いつまでも拝礼されていた。
「それだけちゃんと曽祖父のことが考えの中におありになるのだなと思い、敬服しました」
2度目は26年の元日に慈洽さんが亡くなる数年前。両陛下がお忍びで慈洽さんのお見舞いに来られた。「慈洽さま、慈洽さま」。両陛下は慈洽さんの手を取り、声をかけられたという。慈晃さんは「陛下のお姿が、数々の被災地で被災者を見舞われてきた陛下のお姿と重なった」と話す。
身をかがめ、膝をつき、一人一人の声に耳を傾け、声をかけられる両陛下。「本当に分け隔てなく接せられるのだなと思いました」。きちんと国民のいる現場へ足を運ばれる陛下だからこそ、人々の心に響くのだと慈晃さんは感じている。「慰霊の旅をなさるのもそういうことですよね」
産経新聞 4/28(日) 13:46
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190428-00000519-san-soci 税金ドロボーのロイヤルニートのホルホル記事かよさすが3k気持ち悪いな いや、下級国民のおれは分け隔てられているが。
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http://imepic.jp/20190401/420190
★★★★ 本当に自分に力と地位があるって知ってる人は
威張らない
中途半端な人間が偉ぶる 目の前で「天クズ死ね」と言ってみたいな
どうなるかw https://youtu.be/10KBvp0nAdI
昭和天皇よりムッソリーニのが偉大な指導者だった。
もちろんヒトラーやスターリン、ましてや金正恩や毛沢東なんかとは比べ物にならないくらい偉大な指導者である。
靖国神社及びご國神社にはムッソリーニの銅像を建てるべきだ。
Il Duce! (我らがドゥーチェ)
Viva il Duce! (ドゥーチェ万歳) 女系では天皇陛下のいとこだけど
男系では皇統だからな
久邇宮朝彦親王
↓
久邇宮邦彦王
↓
東伏見慈洽
↓
東伏見慈晃 >>10
遷都と同時に陛下と共に東京へ移り住んだのが京都人
今いるのは京都にいる人
寺関係はのぞく このとき彼は息子たちが皇族に復帰するとは知らなかった。 >>1
>>東伏見慈晃さん
やっぱり京都って、こういう人がいるんだな。
すごいな。 >>11
そういう竹田氏を特定して悪口書くのはいかんなぁw 仁和寺、大覚寺も門跡だな。
京都に12、日光に1ある。 足利義教が青蓮院を出て還俗して、足利第6代将軍となったが、人々は、万人恐怖とよんで、恐れていた。
もっとも、朝廷は良い顔をしなかった。すなわち、還俗したばかりで髪も生え揃わない状況で官位を欲しがるのは、罪人に官位を与えるのと同様で、お断りだね!と、にべもない。
従って、当面は無位無冠のまま、ベレー帽かぶりながらつるっぱげ頭を隠しながら髪が生えるのを、待った。 >>19
皇族や貴族の親戚だらけやで
んで拝観料で食っとる 四代将軍足利義持は、息子足利義量に将軍職を譲って隠居したが、実権は依然として義持が握り続け、面白くない五代将軍義量は毎日毎日酒ばかり呑んで、わずか16歳で死亡してしまった。
他に子がないので、義持が大御所として政治権を行使したが、2年後、とうとう義持にも病魔が襲い、側近たちは、次の将軍を「くじ引き」で決定した。
当選者は、青蓮院の別当に納まっていた義尋。三代将軍義満の忘れ形見である。
義尋改め足利義教は、第6代将軍についたが、家督相続候補者から外された鎌倉公方足利持氏は、非常に腹をたて、
義教を将軍として認めず、「還俗将軍」「くじ引き将軍」「スロットマシン将軍」といって、関東から京都に挑戦状を叩きつけてきました >>31
ちがう。でも浄財らしいから非課税のまま
そういえば懐かしの古都税反対リーダーが
この青蓮院のお父さんやなかったかな 門跡って江戸時代までのようなことを今も続けているのか 久邇宮家って問題児揃いの印象がありますな。
朝彦親王→幕末に佐幕派として暗躍。維新後はその前歴が祟り表舞台から消える
邦彦王→外戚であることをいいことに天皇家へ金を無心。貞明様を激怒させる
朝融王→酒井伯爵の娘を見染めて婚約するも後に破棄。海軍部内では女好きで知られていた
東伏見慈洽 →息子への門跡継承を画策し、世襲を認めない天台宗当局と対立。ごり押し成功
良子女王(香淳皇后)→嫁をいびる。皇室のビジュアル面における「戦犯」と呼ばれる
うへーお腹いっぱい ここって旧宮家の世襲させようとして揉めてたとこだよな?と検索してみたらほとんど何も引っかからず、かろうじてwikipediaに痕跡が残っていた
青蓮院 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%93%AE%E9%99%A2
戦後、香淳皇后の弟にあたる東伏見慈洽が門主となったが、
復興に努力した執事長との争いがこじれ、ストライキ騒ぎが起きたり、日本労働組合総評議会が門前に赤旗を並べたこともあった。
多くの文化財が青蓮院の所有を離れた経緯が不明瞭であるとして国会で追及されたこともある。
晩年の慈洽は世襲が想定されていない青蓮院門主の地位を息子の慈晃に譲ろうとして、これを阻止しようとする天台宗教団と軋轢を生じた。
最終的には要求が容れられなければ青蓮院を天台宗から脱退させるという慈洽の強硬な態度に天台宗側が屈服し、慈晃の門主世襲が実現することになった。
慈晃の跡は現在執事長を務めている子息の慈晋への継承が予定されている。
最上級国民だから、醜聞は「お掃除」されたんだろうな >>34
>東伏見慈洽 →息子への門跡継承を画策し、世襲を認めない天台宗当局と対立。ごり押し成功
戦前の皇族は軍人になるのが決まりだったが、色盲なので僧籍に入った人ですね
晩年の息子継承ごり押しは、久邇家の体質が出てると思う >>39
香淳皇后の父親の久邇宮は金せびりに来たりしたんだっけ >>40
それだけじゃない
色盲の遺伝子持ちの良子女王(香淳皇后)の入内を反対されたら、やくざを使って怪文書をばらまき反対派を攻撃、
娘を入内させることに成功した >>1
>26年の元日に慈洽さんが亡くなる数年前。両陛下がお忍びで慈洽さんのお見舞いに来られた。
>「慈洽さま、慈洽さま」。両陛下は慈洽さんの手を取り
あ〜あ ケガレに触れちゃったよ
その結果が東日本大震災だったんだな 平成23年 この方のお父さんかお爺さんが
大戦中に駆逐艦に乗っていたことがある勇敢な人
しなに上陸して散策中に小便がしたくなり
草むらで立小便中にしなの女性が出っくわし
女性が覚悟して下着を脱いで目をつむったが
殿下は小便をすますとスタスタと行ってしまったそうな 分け隔てるのは下々の仕事。
天皇本人が分け隔てた例はほとんど無い。 八坂神社、知恩院の近くだね。
南禅寺行く途中に寄った。 >>47
ま、汚れ仕事は下に任せてその成果だけを吸い取るのが天皇の特権だからな >>11
前に勤めてた田舎の中小の社長が日常的に偉ぶる人で参った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています