<各々方、選定でござる>「赤穂の塩」が日本遺産に
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「赤穂の塩」が日本遺産に
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20190520/2020003882.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
文化庁が認定する「日本遺産」に兵庫県赤穂市の塩作りが選ばれました。
「日本遺産」は各地の有形・無形の文化財を観光資源として国内外に発信するため、
文化庁が4年前に設けた制度で、今年度は全国で16件が選ばれました。
このうち赤穂の塩作りは、江戸時代に入浜塩田(いりはまえんでん)と呼ばれる
干満の差を利用して海水を引き入れる製塩法を確立し、国内きってのブランドとして
名をはせたことなどが評価されました。
赤穂市は、今後、いまは公園になっている塩田の跡や塩作りに関係する施設を巡る
ガイドツアーを開催することを検討したいとしています。
赤穂市の牟礼正稔市長は
「赤穂の塩が全国に名だたるものとして認められ、市民とともに喜びたい。
これを契機に地方創生につながるような事業も進めたい」
と話していました。
05/20 12:23 外食産業は食塩が多すぎ、もっと減らせ。
こういう施設は、そういう事も言って欲しいわ。 まじでえ?
8 名無しさん@1周年 sage 2019/05/20(月) 12:37:36.09 ID:JOQ02aFW0
豪州産なんでしょ? 認定がゆるすぎて、モンドセレクションみたいになるんだろうな。 >>22
https://www.amashio.co.jp/about/kodawari/method/
まずは、オーストラリアの塩田で、2年の歳月をかけて太陽熱と風力で海水を濃縮し、天日塩(てんぴえん)と"にがり"をつくります。
その後、塩の街、播州赤穂にて天日塩のソフトな結晶を残しながら、他の成分を溶かして再結晶し、粒度を調整します。
そしてあえて"にがり"を差す「差塩製法(さしじおせいほう)」で仕上げています。 >>1
パンスト朝鮮顔のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの
帰化人を含めて 朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://www.fuyuu.com/home35/uyokunosyoutai.html
. 近くのドラッグストア、赤穂の塩が1kgで198円、伯方の塩が1kgで258円なんだが、
これって値段的に安いのか高いのか普通なのかどうなんだ? メキシコとか中国から塩買って、海にばら撒き
それを乾燥した瀬戸内の塩とな
国産うなぎやアサリ、シジミとおんなじね >>18
浅野は元々チョンみたいに火病持ち
2回目だから接待の手順は家来が知ってるはず ちなみに
塩には、賞味期限はない!!
塩には、賞味期限はない!! >>18
吉良って地元では名君として崇められてるからな 1kg1200円とかしちゃうんでしょ
業スーの20倍 は・だ・かにしろ!と丸出し大吉んぽしゃぶる赤江珠緒 自分で釣った魚はぬちまーすだな
こいつらは塩釜焼きに使うわ >>26
苛性ソーダの元になる塩は輸入が多いけど、食塩はイオン交換膜法だかで国産はまだ多いはず…。 アルゼンチンだかメキシコだかの岩塩溶かして作ってるのは別のとこか 爺さんを集団リンチした輩の
テロ塩なんて誰が食いたがるの? > 赤穂の塩作り
障害者を奴隷としてこき使ってるんだよね 文楽劇場で今年通して仮名手本忠臣蔵やるで、第一部見たった
塩谷判官切腹の段はすごい緊張感だった 伯方の塩って博多じゃねーのかよ!
まぎらわしすぎんだろ・・・ >>64
塵はゴミと読むのでマスゴミの事やろ
当て字やけどな 赤穂の塩といっても外国産だろ
俺は石垣の塩を使ってる >>1の立てたスレ
2019/05/14(火)
★★★【投票実験】すらいむ★追放投票場 ※追放・追放に賛成の意見多数の場合、すらいむ★は追放されます(本人了承済み)★★★
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557782247/l50
すらいむ★の追放に
賛成:153
反対:318
水星虫★の追放に
賛成:335 >>68
言うても塩は素材で選ぶべきや
間違えたら風味死亡するし
そうだ!これからの季節に一番塩分やミネラル補給が大事な
工事現場の人向けの塩出したらええねんな。
東京五輪で建設ラッシュだし、名前もそのもの、土方の塩で >>78
取れるよ。塩田で作ってるところある。高いけど。 鞆の浦から渡しの船で行けるすぐそばの島(名前忘れた)の中でだったと思うが、
製塩をしている小屋があった。
瀬戸内海の製塩業は1960年代ぐらいまではあったのだけれども、
それはまず、浜辺に浅い池のようなものをつくり海水を桶に入れて
運んで入れる。そうして陽の光で水分を多少なりとも蒸発させて減らす
ことで、少し濃いめの塩水になる。そうして濃縮した海水を
すだれのようなものにひしゃくですくっては上から塩水をかけて
すだれは陽の光を受けてる、すだれの上でさらに水分が蒸発して
したに落ちて溜まるのを集めてはまたひしゃくですくってすだれにかけるを
繰り返す。途中でこの作業は人間じゃなくてポンプによる自動作業になった。
そうやってとても濃くなった海水を、鉄でできた塩釜に入れて薪を使って
煮詰める。たぶん最後の頃はガス加熱になったかもしれない。ようやって
水分を飛ばしていると次第に溶けきれなくなった塩やにがりなどが
釜の底に沈殿してくるので、それをすくって集めて綺麗な水で再び溶かして
それをまたもっと小さい釜に入れて煮詰めると、塩が再度析出してくるので
それを乾燥させて天然の食塩としていた。
しかし1970年頃には圧力をかけて逆浸透させて水だけを膜を通して
塩水を濃縮し、それから電気を使うイオン交換法によるプラントを使って
極めて純度の高い塩化ナトリウム水溶液、それを煮詰めて結晶を作る方法に
置き換わった。塩の製造と販売は政府の専売公社の独占事業であったので、
塩は専売公社が輸入したり製造したものしか流通が許されて居らず、
全部どこも一斉にそのような味の無い塩になった。(味塩として添加物を
わざと加えた塩は調味料用などに売られてはいたけれども)。
1960年代の終わり頃にそれまでの長い歴史のあった自然の天日を使って
釜で煮詰めて作る製塩事業はほとんど姿を消したのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています