【歴史】太平洋戦争での敗戦の原因、インパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景に“石田三成の存在”★6
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日本の太平洋戦争での敗戦の原因、特にインパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景には、石田三成の存在があるのではないか……。
こんなふうに書くと三成の子孫やファンに怒られるかもしれないが、この家人の出来事のあと、歴史上のイメージで真っ先に思い出したのがこの“太平洋戦争三成責任論”だった。
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三成について『戦国武将合戦辞典』(吉川弘文館)は、「武将ではあるが、その本領は軍事よりもむしろ吏務に長じ、五奉行中随一の実力者として政務の処理にあたり、内政面での功績が大きかった」としている。
その一方で三成につきまとうイメージは戦下手。映画にもなった『のぼうの城』(和田竜、小学館)で三成は、水攻めなどを用いて忍城を攻めるも、結局落とすことができず、まさに戦闘では役に立たないような武将として描かれている。
さらに三成のイメージを悪くしている一つに、文禄・慶長の役(秀吉による朝鮮侵略)での軋轢だ。奉行として渡海するなどした三成だったが、前線で戦うことはなく、その役目は食糧の輸送や戦闘状況をチェックしての秀吉への報告だった。報告の中には三成が処分を求めて実際に処罰されてしまった武将もいたものだから、加藤清正や黒田長政ら前線指揮官の武人派からは「ちくり」だと怒りを買ってしまう。
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ではなぜ、三成が太平洋戦争の敗戦に影響しているのかというと、またしても『戦国武将合戦辞典」の記述を拝借したい。戦闘能力が高かったとの記述はないが、「戦陣に臨んでも兵站関係や占領地の処理にその手腕を発揮した』とある。
■文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかった
兵站とは、戦闘地帯の後方にあって食糧や軍需品の供給・補給などにあたる活動のことだ。いくら屈強な兵士を集めても腹が減っては力も出ない。どんなに武器の扱いに熟練していても、肝心の銃や戦闘機がなければ最新鋭のアメリカ軍には太刀打ちできない。
三成はこうした兵站、つまりロジに長けていたというのだ。実際に、当時は前代未聞とされた20万以上もの軍勢を動員した九州攻めで兵站の役割をこなし、海を渡った文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかったとされる。
■「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島
太平洋戦争では多くの日本軍兵士や軍属が太平洋の島々などで餓死したとされる。その事例として挙げられるのが、インパール作戦や、「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島での戦いだ。太平洋戦争全体の全餓死者数の公式記録はないものの、ある研究では200万人を超える軍人軍属の戦没者のうち、餓死・戦病死者は140万人にも上るという推察もあるぐらいだ。
この三成と鋭く対立したことで知られる加藤清正は、日清戦争や日露戦争で清正を祀る神社や寺で戦勝祈願が行われるなど「軍神清正」としてあがめられることになったという。清正は朝鮮での虎退治や餓死寸前にまで追い込まれながら起死回生の勝利をあげた蔚山城の戦いなどの武功もあり、猛将と描かれることが多い(実際には熊本城築城や治水など行政手腕にも優れていたのだが……)。
まさか、「清正のように食糧がなくても気力で勝てる」と昭和の日本軍が宣伝したことはないだろうが、現在でも陰湿なキャラ設定が多い文治派武将と比べて、清正のような猛将型武将は豪放磊落とどこかいいイメージで描かれることがしばしばだ。
関ヶ原の戦いを契機として、戦争では勇ましさが好まれ、逆に三成のような兵站の重要性は省みられなくなったのではないだろうか。豊臣政権の五奉行のうち三成を含む三人が敗者となり、五奉行ではないが三成と同様に輸送や兵站で優れ、西軍の主力を構成した大谷吉継や小西行長も三成と運命を共にしたことも、兵站軽視思想に拍車をかけたのかもしれない。
小西行長を描いた『鉄の首枷』(中公文庫)の中で遠藤周作は、「主計(会計)将校の孤独」という章をわざわざ設けて、「輜重(武器、兵糧などの軍需物資)部隊の指揮官であることが前線将校の侮蔑を受ける」と記している。
これは、明治維新以降、軍隊が近代化してからも、陸軍士官学校、海軍兵学校など前線指揮官ことこそが花形であり、遠藤は「主計将校を幼年学校や陸士出将校たちがむしろ軽侮の眼で見たのは日本陸軍の伝統」として兵站を扱う人材は脇役であり続けたことと重ね合わせている。(続きはソース)
2019年5月19日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16169
★1:2019/05/19(日) 17:01:28.01
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1558322531/ >>1
良い着眼点だな。
三成はのぼうの城の水攻めには反対だった。秀吉が水攻めしろというので、止む無くしたと書状にある。
それでも、短期間に石田堤を作って水攻めをした手腕は大したもの。
石田三成を再評価するべき。 後方支援の三成が敗北して前線指揮官達ばかり脚光を浴びるようになった結果が影響していると >>4
ミッドウェーとポートモレスビー落としてたら講和あったよ。 石田三成なんか何の関係がある。兵站軽視は陸軍の伝統だろ。日露戦争時も
砲弾などの消耗品を十分に準備してた海軍に対して、陸軍は砲弾・弾薬が尽きて
追撃が出来なかったり。さらに昭和陸軍は匹夫の勇で声のでかい奴ばかりが
優遇されて無能な高級士官ばかりになってジューコフにバカにされてたじゃん。 >>6
それって日本海軍って一官僚組織が考えていた話であって国としては長期自給体制での総力戦が方針だから南方資源地帯を占領したわけじゃん >>6
太平洋艦隊が壊滅してハワイを取られても講和になるわけないな。
パールハーバーの騙し討ちで激高してるのに講和なんかしたら大統領選挙に
負けてしまう。 >>9
いや、日本海軍じゃなくて山本五十六の妄想だろ。 補給軽視は長州閥の影響のイメージが強いな
大村益次郎が生きてれば違ったんだろうが >>1
情報戦で負けてる時点で勝てるわけがない
自他との戦力の差を認識できない時点で勝つ気がない
負けるべくして負けた戦である >>9
>>10
アメリカが日本に全力出したらイギリスが死ぬから講和あったよ 日露戦争の時代ならまだしも、日米戦争になればハイテクがものを言う戦いだ
米側はほぼ全ての日本作戦の暗号を解読していた、それを三成がどうだったか、桶狭間がどうだったか言ってたら
そりゃ負けるよ >>11
連合艦隊司令長官っていう実行部隊の一指揮官に国を巻き込んだ戦争全体をデザインされたらそりゃ負けるよね
当時の日本政府の公式な文書記録のどこにも早期講和なんて方針は書かれてもないのによく早期講和なんて事を言う人がいるから出典はどこだろうと不思議に思う時がある >>14
日本政府が早期講和を目的に戦争指導してるような形跡はまるでないけど
帝国国策遂行要領にも長期自給戦体制の構築が書かれてるけどそれって早期講和と忖度した方がいいの? 山本五十六は負ける戦を仕掛け負けるべくして負けた海将
最初っから勝てないの解ってて止められなかった情けない奴 相変わらず弾薬の備蓄が泥棒を捕らえて縄を綯う状態なんだっけ 関ヶ原は勝算低くともあのタイミングで一か八かやるか、徳川に豊臣を明け渡すかどちらかしか無かった。
インパールなんて一か八かすらなかっただろ。無駄に兵隊死なせた >>14
死なないよ。太平洋・大西洋の二正面作戦を取れるくらい当時のアメリカは巨大。
それに英国艦隊を壊滅させないとイギリス本土に上陸することは不可能。
そしてドイツ海軍にはイギリス海軍とまともに戦える実力はなかった。 明治初期に陸軍は山県有朋とかいうカスがトップになったのが不運の始まり
大村益次郎が生きてればこんなくそ軍隊にはならなかった 真珠湾攻撃の半年後にミッドウェー海戦で海軍壊滅
その後、三年連戦連敗で泥沼化 あと、インパールも実質は辻だろ?
こいつ無茶苦茶な作戦立ておいて
自分は責任も取らず、失敗は現場指揮官のせいにして、最後は逃亡して東京裁判終わってからひょっこり帰国したやつだからな。 >>14
ミッドウェー海戦の頃はバトル・オブ・ブリテンもモスクワ攻略戦も失敗に終わって、独の負けが込み始めて来た時期だろ ネトウヨもインパールで同じで目に遇えば
速攻左翼に転向するだろうな >>8
外国で評価の高い指揮官が日本では無能扱いされてるからな
被害はでかかったが沖縄があったから連合国も本土上陸には及び腰になったりとかもあるわけだが
その作戦考えた人間は日本では卑怯者呼ばわりだからなあ
卑怯者ってのは牟田口や富永や福留なんかのことじゃねーのかよ?っていうね
あ、やつらは連合国の軍人だったかw >>23
多分1943年以降のアメリカ海軍の戦力を考えてるんだろうな。 三成はこうした兵站、つまりロジに長けていたというのだ。実際に、当時は前代未聞とされた20万以上もの軍勢を動員した九州攻めで兵站の役割をこなし、海を渡った文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかったとされる。
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これって信頼できる史料や研究ある?
論旨はアホくさ過ぎて批判するのも面倒な低レベルだけども >>28
アメリカの本格的な参戦が無ければイタリア死んでないし >>19
そもそも止める権限あったんかね?
まあ海軍次官とかやってるからその時に何とかしろって話かもしれんが これ別に石田光成の評価どうこう関係ないよなあ
外征型の戦線に於いて兵站が最重要なのは古今東西古から知れていたこと
にも拘らずナポレオンもヒトラーもこれを怠って最終的に敗れた
それは進軍占領した先々で食料も燃料も調達すればいいと思っていたから
これは何も兵站を軽んじていたわけではなく
早期に進攻占領しなければ目的を達せないから
そして早期進行のためには前線に兵力を集中して投入しなければ勝てなかったから
ようは最初から十分な兵站を後方に準備した長期戦線を組む体力が無かったわけだ
進行先の食料や財を奪って戦線を進め連勝を続けていったのはモンゴル帝国だけ
遊牧民のモンゴル帝国は進行してその土地の財を奪い領主一族を抹殺し
ひと通り暴れたらあとは次の土地目指して去っていくだけで
生き残った人々はまた元の暮らしに戻るだけの形だけの“帝国”だったからこれでよかった?らしい そもそも中国だけ相手にしてても勝てないのになんで追加で米英にまで喧嘩売る
アホまるだし 現場の人ばかり批判されて、大本営作戦課の奴らがが批判されないって、どういうことなん? >>22
関ヶ原はなあ
吉川と小早川崩されたのが全てでは?
まあそもそも内部がガタガタだったのが話にはならんのだけど >>34
負けると判ってた人だからね
なにがなんでも止めるべきだった
陸軍の馬鹿はほっといても中国で自滅してた。 >>37
現場て牟田口は弾の飛んで来ない安全な所で芸者遊びしてただけやで まだやってのかよw
兵站は長束正家がやってたし三成は単なる無能だよ >>38
吉川が徳川と提携し、小早川が寝返ったから負けた >>24
やつは内務省も支配していたからな、ある意味現代のアホ官僚たちの祖でもある >>36
当時中国=正義であり国連は中国の味方
すなわち日本は中国から手を引かない限り国連を敵にするしかなくなったから >>41
ミリオタと歴オタが書き込めるスレだから、需要は多いと思われw ただの趣味のスレと化している 関ヶ原が長期戦になってたら官兵衛が九州を全部占領したり伊達と最上が東北で勝手なことし出してまた戦国に戻りそう
結果的に三成が人望なくて平和な時代にななって良かったね >>44
てことは日本は悪の帝国やったんか!
そら原爆も2発落とされるわな ミスド元店員、チョコ舐める不適切動画 現店長「先輩なので止められなかった」
チョコ舐める元ミスド元店員の名前が特定される
https://t.co/lonbGn5keg
インは 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) >>42
毛利が一丸となってガチで戦ってたら普通に西軍勝ってたやろな
天下のことには関わるなというおじいちゃんの遺言を守ったのだろうか 日本はおもいっきり中国に侵略してんだから
どっちが正義と悪なのか誰の目にも明らかだし 当時中国とかカケラも無かった
利権があっただけ 国連とかハイエナ >>27
それノモンハンじゃね?
確かにビルマ方面にもいたが、確かインパールの後
ウィキ見たらインパールのころは中国にいて、インパールのあとで第33軍参謀になってる >>40
大本営の奴らなんて南方にすらいなかったじゃん
牟田口を擁護する気なんか全くないが、大本営の奴らが批判されないのは甚だ疑問 そういうのは三国志の袁術と孫堅の対立ですでに描かれてるよな 小田原でも北条がすぐ降伏したから良かったけど、全滅するまで何年も徹底抗戦してたら秀吉軍の兵糧足りなくなってたやろ >>49
元就爺ちゃんや、その息子の両川がいない毛利など、家康の敵じゃねえよな。渡り合えないわねw >>56
それなのに、現場の状況無視の命令してた大本営がどうして批判されないの? >>58
作戦立てて命令したのは牟田口じゃん
認可したのは方面軍や大本営だけど
何度も何度もほんとうにやれるのか?と聞いてるのに牟田口がやれるってさ言うから認可しただけ
更にほぼ作戦が失敗したんじゃないかと聞く河辺に相手にだんまりを貫いたのも牟田口
そら全て牟田口の制にされて大本営は逃げ切りですわ >>49
徳川軍主力は真田に足止めされて、前田も丹羽や山口、大谷に足止めされてたからな
まあ西軍も毛利の一部や立花、豊臣の旗本連中が京極や細川父に足止めされてたからどっちもどっちではあるが これタイトルおかしいだろ
あえてつけるなら清正のせいでだろ また麻生とか阿部とかみたいなA級戦犯がほかのやつらに罪をなすりつけるために変な論文かかせたんだろうな >>55
秀吉の経済力なら持つんじゃね?
周囲に築城して要塞線で囲んで持久戦
大阪名古屋の膨大な経済力でそれを支える 単に演習や訓練とかで点数付けするのに兵站は点数付けようがないから避けられるだけ。
問題点を洗い出すのではなく点数制優劣をつけるだけの訓練が悪いだけなんだけどな。 >>60
別に牟田口に限った話をしてるわけじゃあないぞ?
例えば、ポートモレスビー作戦とかどうだよ?
陸路でスタンレー山脈を渡れとか、現場無視の糞な作戦を決めた大本営がなぜ大して批判されない? ジン、ジン、ジンギスカン♪
若者なら、ワハハハw
チャンスだ今、ワハハハw 石田三成もさぞびっくりしてるだろうな。
俺のせいかよって。 戦争に勝ちたければ脳内筋肉の孫堅関羽じゃなくて
後方支援の袁術麋芳士仁を大事にしろって事なんだよ >>70
結局さ、
大本営は少なくとも表面上は『組織』なのに対し、
現場の指揮官は当然表面上は『個人』であって、
組織のことは大して批判しないくせに、
個人のことは袋叩きにする日本人の糞な性質が出てるってことでしょ >>6
ポートモレスビー、ニューギニア、あそこはあまりに悲惨すぎる 太平洋戦争では「戦死」は実は全体の二割程度で、
あとは餓死とか過酷な従軍で過労死とか自殺とかがほとんどなんだよな >>9
資源自給自足で長期不敗体制なんて幻想を抱いてたのは
永田鉄山や東條英機はじめ陸軍エリートだけだからな
一般の日本の政治家や薩長からの軍の重臣は国際協調で軍縮路線だからな
彼らは軍部にテロでぶっ殺されたりしたけどな >>79
しかもその中には玉砕とか完全な無駄死にもいるし
敵に降伏するのを認めなかった軍上層部が悪いよなこれ
つうと東條とかのせいか >彼らは軍部にテロでぶっ殺されたりしたけどな
それをみて喝采した愚民やマスゴミの存在もあるな 高野山には血筋が途絶えたのか廃れ崩れ果てて
荒れ放題の昔の豪商などの墓所がある一方で
石田三成の墓所は非常に整然としていて手入れが行き届いている。 >>24
それよりも昭和の陸軍幼年学校出の陸大エリートが権力を握ったのがまずかったろ
彼らは世間ずれしてて硬直でろくなことしなかった。
東條英機、牟田口廉也、河本大作、石原莞爾、みんな陸軍幼年学校出の陸大エリートだ。 >>37
作戦部長の田中新一、作戦課長の服部卓四郎、作戦課の辻政信とかは責任重大だよな
全員なんの咎めもなして戦後も暮らしてたけど 「兵站うまかったけど地味なのが悪い」とかいくらなんでも無理がある >>62
でもやっぱ徳川一軍3万8千欠落はかなり東軍イタいわな。これで勝てないんだから、
三成も我が人生に悔いなしだろうがなw 信長ならというなら孔明の艦隊ならぬ信長の艦隊とかやれば…
信長が機動部隊を率いたら…!?みたいなことが >>90
信長が今いても防衛大どころか高校を退学になる >>79
石原莞爾の現地自活経済妄想の影響で、大本営は現地自活と称して棄軍しまくってたんだよな
それで降伏を禁止するから、餓死の嵐よ。 >>1
そうか、関ヶ原以降の作られた逸話で悪役のイメージが
定着してしまっていたんだね! 鹵獲さえうまくいけば補給はいらないけど 情報収集力が敵より圧倒してないと不可能だしなぁ
石田三成はまったく 関係なく いまの自民党のA級戦犯のやつらが悪かっただけだよ >>81
東條英機の捕虜蔑視は非道なものがあるわな。
小笠原人肉とか海軍第四病院事件とか九州大学解剖事件とか捕虜にとんでもない事件を起こしまくってるのがな
日露戦争では捕虜に国際法に乗っ取って模範的な対応をした日本軍が変質したのは
東條英機の捕虜蔑視が大きいわ。 >>93
あとは関ヶ原で徳川についた豊臣恩顧の連中は三成に恨み持ってたからね
まあ北政所たらしこんだ徳川の巧さを褒めるべきかもな 太閤検地は三成主導でやってそういうのは有能
あと佐竹や島津とか財政状況の悪い大名の内政を助けてやったりした
武将じゃなくて文官だしトップに立つ器じゃない >>97
そこは、「東軍眼鏡」のレスが欲しかった(笑) 勉強ができるだけの人は軍人にならずに政治家とか人の命を直接預からない仕事を適当にやってれば良かった
地頭が良くてセンスのある人こそ軍人にうってつけ
こういうのは教えられてできるもんじゃない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています