【歴史】太平洋戦争での敗戦の原因、インパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景に“石田三成の存在”★6
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日本の太平洋戦争での敗戦の原因、特にインパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景には、石田三成の存在があるのではないか……。
こんなふうに書くと三成の子孫やファンに怒られるかもしれないが、この家人の出来事のあと、歴史上のイメージで真っ先に思い出したのがこの“太平洋戦争三成責任論”だった。
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三成について『戦国武将合戦辞典』(吉川弘文館)は、「武将ではあるが、その本領は軍事よりもむしろ吏務に長じ、五奉行中随一の実力者として政務の処理にあたり、内政面での功績が大きかった」としている。
その一方で三成につきまとうイメージは戦下手。映画にもなった『のぼうの城』(和田竜、小学館)で三成は、水攻めなどを用いて忍城を攻めるも、結局落とすことができず、まさに戦闘では役に立たないような武将として描かれている。
さらに三成のイメージを悪くしている一つに、文禄・慶長の役(秀吉による朝鮮侵略)での軋轢だ。奉行として渡海するなどした三成だったが、前線で戦うことはなく、その役目は食糧の輸送や戦闘状況をチェックしての秀吉への報告だった。報告の中には三成が処分を求めて実際に処罰されてしまった武将もいたものだから、加藤清正や黒田長政ら前線指揮官の武人派からは「ちくり」だと怒りを買ってしまう。
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ではなぜ、三成が太平洋戦争の敗戦に影響しているのかというと、またしても『戦国武将合戦辞典」の記述を拝借したい。戦闘能力が高かったとの記述はないが、「戦陣に臨んでも兵站関係や占領地の処理にその手腕を発揮した』とある。
■文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかった
兵站とは、戦闘地帯の後方にあって食糧や軍需品の供給・補給などにあたる活動のことだ。いくら屈強な兵士を集めても腹が減っては力も出ない。どんなに武器の扱いに熟練していても、肝心の銃や戦闘機がなければ最新鋭のアメリカ軍には太刀打ちできない。
三成はこうした兵站、つまりロジに長けていたというのだ。実際に、当時は前代未聞とされた20万以上もの軍勢を動員した九州攻めで兵站の役割をこなし、海を渡った文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかったとされる。
■「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島
太平洋戦争では多くの日本軍兵士や軍属が太平洋の島々などで餓死したとされる。その事例として挙げられるのが、インパール作戦や、「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島での戦いだ。太平洋戦争全体の全餓死者数の公式記録はないものの、ある研究では200万人を超える軍人軍属の戦没者のうち、餓死・戦病死者は140万人にも上るという推察もあるぐらいだ。
この三成と鋭く対立したことで知られる加藤清正は、日清戦争や日露戦争で清正を祀る神社や寺で戦勝祈願が行われるなど「軍神清正」としてあがめられることになったという。清正は朝鮮での虎退治や餓死寸前にまで追い込まれながら起死回生の勝利をあげた蔚山城の戦いなどの武功もあり、猛将と描かれることが多い(実際には熊本城築城や治水など行政手腕にも優れていたのだが……)。
まさか、「清正のように食糧がなくても気力で勝てる」と昭和の日本軍が宣伝したことはないだろうが、現在でも陰湿なキャラ設定が多い文治派武将と比べて、清正のような猛将型武将は豪放磊落とどこかいいイメージで描かれることがしばしばだ。
関ヶ原の戦いを契機として、戦争では勇ましさが好まれ、逆に三成のような兵站の重要性は省みられなくなったのではないだろうか。豊臣政権の五奉行のうち三成を含む三人が敗者となり、五奉行ではないが三成と同様に輸送や兵站で優れ、西軍の主力を構成した大谷吉継や小西行長も三成と運命を共にしたことも、兵站軽視思想に拍車をかけたのかもしれない。
小西行長を描いた『鉄の首枷』(中公文庫)の中で遠藤周作は、「主計(会計)将校の孤独」という章をわざわざ設けて、「輜重(武器、兵糧などの軍需物資)部隊の指揮官であることが前線将校の侮蔑を受ける」と記している。
これは、明治維新以降、軍隊が近代化してからも、陸軍士官学校、海軍兵学校など前線指揮官ことこそが花形であり、遠藤は「主計将校を幼年学校や陸士出将校たちがむしろ軽侮の眼で見たのは日本陸軍の伝統」として兵站を扱う人材は脇役であり続けたことと重ね合わせている。(続きはソース)
2019年5月19日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16169
★1:2019/05/19(日) 17:01:28.01
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1558322531/ >>841
続かない
なんならアメリカ国民や世界に向けて公開だって出来るんだから >>846
日本は何の譲歩もせずに強気の交渉をしてたから纏まるはずがない >>848
チャーチルは日本人の腹芸がわかってなかったのかな
日本人は面従腹背なんだよ
だから突然怒鳴り出したり奇襲を仕掛けたりする
ちなこれは温厚を装うネトウヨに多い >>848
日本はハルノートの要求を呑んでないから >>843
米国世論はUボートに英船団護衛中の駆逐艦ルーベン・ジェームスを沈められた
ときは「旧大陸の戦争に関わるからだw」と参戦には反対だった。 >>856
再掲
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ハル・ノートの過酷な要求が戦争を誘発したとの批判は米英の識者の間に当初からあった。
英国では、戦時中の1944年6月、保守党内閣の重鎮であったオリヴァー・リトルトン生産相が
ロンドン米人商工会議所で
『米国が戦争に追い込まれたと云うのは歴史を歪曲するも甚だしい。
米国が余り酷く日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ』と述べて
英米間の問題になり、国務長官弁明まで飛び出す始末であった。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲
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パール判決書より
「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、
モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう』[27]。」
ウィキペディア 「ラダ・ビノード・パール」より >>844
当時のフランスはナチスドイツに占領されてその傀儡政権だったんだけど。
ドイツがフランスを子分にするにあたって武力を行使してる
以上は仏印進駐も話し合いとは言えないよ。 >>854
この文章にはまだ、続きがあるんだよ。
あとは、グーグル先生にでも聞いてね。
全文を読んで、なるほどそうだよね。と納得いくからね。 >>858
つまり北朝鮮の核開発やむなしってこと? >>858
それ、日本シンパの意見だけだろ
偉そうにプライド云々いうなら無条件降伏なんかせずに滅亡まで戦って筋を通せや >>843
宣戦布告なんてしたら軍事援助等中ソが介入しにくくなるし下手すれば米国VS中ソの
全面戦争になりかねないので米国もしなかった。 >>835
日本が中支を支配下におさめるということは、当時の工業・金融の中心である上海にまで日本の影響力が及ぶという
ことだしね。
まあしかし日中戦争の初年に、それに関連して具体的にアメリカの新聞で注目されていた出来事はたとえば、日本軍
が中国の民間人を戦争に巻き込んでいるということと、アメリカの艦船が日本軍に攻撃されたということ、そして日本に
よる海関(中国の税関)の接収だ。
関税収入は中国の外債償還や賠償金支払いの財源になっていてたので、いわばそうしたサイフを日本が管理する
ということは欧米の金融経済にとってはリスクになるわけで、国際金融資本に焦眉の念を抱かせたといっていいだろう。 まあ国家の一大難局期にイタリアのムッソリーニや
ガミラスのデスラー総統と組んだのが運のツキだったわな
あれで全てが詰んだ >>859
>仏印進駐も話し合いとは言えないよ。
いや日本軍は一時的に駐兵するだとかきちんと条件が出して
平和的に進駐したよ。
援蒋ルート遮断の他や既にイギリスからゴムとかも止められているから、それらを見据えての自衛のための駐兵だね
話し合いで進駐 兵站を軽視したのは、731部隊での人体実験のせいだと思う
そもそも軽視というか、人間に水だけ与えて何日動けるか走れるか、という事を実験していた
技術力で欧米に劣る日本は、細菌兵器を製造したり、兵士を死ぬまでこき使うことによってしか結局戦争に勝てないと思っていた >>864
結局、日中戦争が虎の尾を踏んでるんだよな >>861
>つまり北朝鮮の核開発やむなしってこと?
不戦条約制定に尽力したアメリカのケロッグ国務長官は
議会で自衛権について
・「自衛」かどうかは各国自らが判断する特権がある。
・その(自衛)判断は世界に認められないかもしれない
とし、その時は
「世界の興論に対して責任を負うのである。たんにそれだけのことである」
と述べた。
北朝鮮が自衛として核兵器を開発する権利はある。
しかしそれを世界が認めるかどうか >>828
ちょっと勘違いがあるように見える。
「戦意」のような架空のパラメータがあったとして、
あなたの発想では真珠湾攻撃のインパクトが、参戦に踏み切る「閾値」を満たすのにちょうどピッタリだったと思っているようだ。
実際には真珠湾攻撃によって閾値を大幅にオーバーしていたのかもしれない。 >>869
大日本帝国が真珠湾奇襲に打って出たことは世界に認められてるの? >>869
ちなみに補足
>世界の興論
戦前の世界の興論とは欧米列強の事であり、日本はそれを破るためにも戦った。
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H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、
偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、
日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、
アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、
不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)
http://www.ncn-t.net/kunistok/dainihon.htm
↑現在はこれなのに北朝鮮はそれでも駄目だし喰らっているからどうしようもない。 >>871
>大日本帝国が真珠湾奇襲に打って出たことは世界に認められてるの?
どこの国が批判しているんだ?
ちなみにYoutubeで世界の反応シリーズというのがある。
真珠湾攻撃はアメリカが仕向けたものだ、っていうのを世界中の人の反応が出てる。
「知ってたよ」 とか 「アメリカはいつもそのパターンだ」とかが多いね。
アメリカ人も同じような反応する人とも「いや違う」って人に分かれている。
一応批判的な人は>>858 >>872
>>873
日本が外国人の為に犠牲になって良かったねw >>873
かの大日本帝国がそんなありきたりの罠に嵌まったの? >>867
戦争が何かわかってないな
大量殺戮兵器を研究開発するのは相手にそれを使わせないために行う
毒ガスを使われたらもっと強力な毒ガス、細菌兵器にはもっと強力な細菌兵器で報復するために。
日本が原爆を持っていれば広島長崎は無かった >>875
嵌まった
真珠湾にたいする世界の評価は
戦術的には世界最高
戦略的にはもっとも愚か者 以下単なる印象論だが。
ロシア中国軍は撤退しすぎだし軍事に対する政治の強い統制はむしろ弊害。イギリス軍は思いつき的な作戦が目立つ。アメリカ軍はあまりに合理化されすぎ。フランス軍はナポレオン戦争以外ではやる気のなさが目立つ。日本軍はやっぱ冒険的にすぎると思う。 >>512
江戸時代と言わず、太平洋戦争終戦時の資料焼き捨ても結構なものだったし、
今なんて政府の資料を即日処分とかやってるからな。
5000万以上もかけた花見の資料すら既に存在しない(事になっている)。
もうこの国は終わりだろ。 >>877
アベノミクスというか日銀やGPIFまで突っ込んで株式と通貨操作は
インパールって言われてるな。
残念ながら否定できるところが見当たらん。 安倍がトランプを接待漬けにしてなんでもアメリカの言いなりになるのは正解
そうじゃないと中国や北朝鮮やイランみたいになるだけだからな 軍人は戦争して勝て、という段階からバトンを渡される
そういう意味で負け戦を要求されるのは不幸な役目ではある 色々と言われるけど
当時の日本には、それだけ軍を展開する能力はなかった
もともと侵攻してくるアメリカ軍を撃退するためにデザインされた軍隊であり
自らが侵攻する事は想定してなかった
って言うか、仮想敵が強すぎて、そんな想定ははなっから放棄していた
アメリカ側は、だから日本が展開せざろう得ない状況を作り出して兵站を叩いていったのだよ
見事な作戦というか
結局のところ、これは政治力の差だ 今のウヨが日本を牛耳ってた時代だろ。どんなことしたって
勝てる気がしない。 >>884
勝てる見込みがなければ、はっきり政治指導者に言うのが高級軍人の責任。
それを山本五十六は一年半かそこらは暴れてみせると無責任なことを近衛に言った。 1000000%牟田口のせいだよ
誤魔化すなヴォケ >>884
戦争を避けようとしてるのに中国大陸でドンパチやり続けたのが牟田口を先頭にした軍人たち
被害者みたいに言うな >>889
つっても植民地時代の盛りなんだから
日本が中国で暴れようが関係なくね?
てのが軍の考え
政治は欧米ポチ化してたから認識がずれた >>885
大正時代の国防計画ではアメリカとは戦争すんなだったけど >>890
で戦争で負けたら俺ら軍は負け戦を戦わさせられて不幸だったで通ると思ってるのか >>885
だな ルースベルトの策略に嵌められた
見事だったよ ハルノートのような共産主義者が作ったでたらめなど無視して日本は最初の計画どうりインドシナなど資源地帯に西進して
英国のみと戦争していればよかった
日米戦争に持って行ったのは昭和天皇を潰したい近衛内閣とその取り巻きである共産主義者と米ロスチャイルドに繋がるもの
山本五十六など海軍の一部、そして朝日新聞だ 大日本帝国は平気で情報をねつ造したり自国民の命を何とも思ってないような屑だらけの国だったかからね >>894
こういう風に馬鹿丸出しの歴史をちゃんと勉強してない奴が未だにいるんだから
外国から日本人はWWUを反省していないって言われるのも仕方がないね ウェッジも読者減って経営成り立たないだろ。
精神論で無理に雑誌作り続けるのやめて撤退しろよ。 「朝鮮出兵」でいいだろ
わざわざ朝鮮に迎合して「侵略」という必要はない ナチスドイツに煽られた蒋介石は6万の国府軍で
日本海軍陸戦隊4000を包囲するも
日本軍を潰す事が出来なかった
所謂第二次上海事変
結局、蒋介石は全軍60万で日本軍25万と対峙するも
国府軍壊走、南京方面に遁走したのを日本軍が追撃
南京をあっというまに陥落させたあと
武漢、重慶へと追撃
中国軍が余りに弱すぎたんで
ナチスドイツが日本に付いちゃった
これが一番の痛打だったかも ミッドウェー基地攻撃不十分と第一次攻撃隊から入電
敵空母に備え、魚雷装備していたところ、魚雷ー>爆弾、 偵察機から空母発見の報、再び爆弾ー>魚雷
これで2時間浪費、そして敵攻撃隊に空襲され空母4隻を失うwwww
兵站とか関係なく、まったくの戦略の欠如wwwwww
負けて当然
この大敗北を見てみると、南雲の判断力が国運をかけるには不十分
しかし山本は温情をかけ南雲を信頼しきっていた、
正直、空母機動部隊は小沢か宇垣を長官にすべきだった
山本のミスである >>890
なんで植民地時代なら関係なくなるんだ。
日本の戦国時代ですらも外交は重視されてたのに。 平和な江戸時代なら三成みたいなやつが重宝されたんだろうけどな
人望のなさと戦下手はとにかく他人の心がわからないからやろ >>858
ハルノートのようなもの突きつけられながらも戦争を選ばない北朝鮮は偉いな まず敗戦の大原因は総力戦必敗だとわかってる相手に先制奇襲攻撃して自分から進んで総力戦をふっかけた事で、兵站云々は付随する問題でしかない
あの戦争でも初戦の大規模作戦では兵站をしっかり確立した上で実行していて、だからこそ成功した
インパール作戦がガタガタだったのは敗勢で兵站が壊滅していた上に特攻への抽出でエアカバーを剥奪された結果であって
好き好んで「兵站を軽視」した結果ではない >>898
元寇のことを韓国の国定教科書では「日本征伐」と記している。 当時とおおきく違うのは
米軍との協同作成になることだよ
そうなると問題なのは 語学で
いまの学校英語で使いものになるかな
自衛隊よりフィリピン人が重用されそうな予感 >>905
航空優勢が得られないとわかっているのに好き好んで攻勢発動してんだから
自らの意思で兵站を軽視しているのは明らかでしょ >>734
今でも大日本帝国は先進国として残ってて、お前は小作人
だっただろうなw >>894の続き
ドイツも仏英とは戦争する気が無くて、ヒトラー最側近が英国に密航して純英国系貴族に直談判をしている
米国を戦争に引き入れようとしたのはロスチャイルド家ロックフェラー家であり、
日米戦争へと導いたのはこれらのユダヤ金融マフィアの息がかかった共産主義者スパイだ
近衛文麿はそれらの誘惑に乗っただけ 日米開戦の前、関東軍は関特演といわれた大演習を行い
大召集を掛けるんだが・・・・100万人も動員出来なかった(85万)
ドイツやソ連が6割以上の動員力を持っていたのに対し
日本は2割程度、徴兵制でありながら志願制のイギリスと
大して違わない程度の動員力だった
結局戦時中の日本軍延べ動員力は、194個師団547万人しか達せなかった
ドイツがバルバロッサ作戦で300万人、ソ連がフィンランド侵攻に
500万人動員できたのとは程遠い動員力だった
4年間召集掛け捲って、194個師団500万越え
VS 一回の命令で145個師団300万越え(バルバロッサ)
戦前日本に対して「掛け声軍国主義」と揶揄する人も居る
因みにアメリカ陸軍は1939年の段階で総兵力30万強だった兵力が
1945年には900万人に達している
B29を造っていたのは、動員された女性工員だった
女性労働者は1940年の1200万人から
1945年の1900万人に700万人も増えている。
なーんか、どっちが「軍国」なんだかわかりゃしないが
最初の1939年の段階で総兵力30万強が
日本軍に「誤ったシグナル」を与えた事は確実 >>917
>B29を造っていたのは、動員された女性工員だった
視点はズレるがアメリカはその工員たちにマニュアルを配布し「バカな兄ちゃんでもそこらのおばちゃんでも戦闘機を組み立てられる」ように配置して工業力を底上げ
方や日本は熟練の職工や職人まで無節操に徴兵してその穴埋めに中学生や女学生を放り込んだので生産効率も完成品の精度もガタ落ち
こういうところからすでに負けていた >>916
山口なんかに任せたら1会戦で戦力使い潰して終わり
それで戦争を終わらせることができるんなら人事的には悪くないと思うが、そうならなかった場合のことを考えるとギャンブルすぎる
小沢は机上の空論ばかり達者で実は飛行機のことなんかろくに理解してなかったようだからさらに論外だが >>120
開戦時の米国は今ほど強大な国ではない。 >>917
冬戦争に参加したソ連軍は100万だろ。
総兵力は別として。
一々突っ込まないが全体的に言ってることが滅茶苦茶。 >>920
GDPで見ると
https://shahr.exblog.jp/9558759/
やっぱり強大だと思うけどなあ
核兵器をまだ持ってなかっただけ分だけ弱いかもしれないけど、実戦で使ったのが太平洋戦争だけだから、その後の核兵器はムダとも言えるし >>922
日露のときは国力差10〜15倍だったんだろ? >>887
山本五十六が未だにヒーロー扱いされてる事に違和感を覚えるよな
山本五十六って日本を敗戦に導いた最重要の戦犯の一人だと思うわ >>917
出典はなんの数字なの?妄想?
終戦時の日本軍兵員数は陸軍547万海軍186万で計730万(陸海軍省統計による)
それまでの損害を加味すると動員数は1000万超えてるよ >>924
五十六は軍人より政治家や軍政の方が向いてた気がする >>923
日露より日米の方が国力差があった
そもそも日露戦争だってイギリスの全面支援が無ければ負けてたし、史実より長期戦になってても負けてた
たまたま長期戦にならなかったのはロシア国内の政情不安という幸運に過ぎない >>670
大和は当時世界最大の戦艦だよ
客船と戦艦を一緒に考えるほうが頭おかしい >>924
単に作戦のやり方でわがままを通しただけであって
別に対米開戦自体を強く主張したわけではないし、そもそもその立場でもない。
まともにやったら負けが見えてるから一番博打性の高い作戦をやりたがったに過ぎない。 >>924
戦犯ってのは戦争犯罪を犯したの事で、戦争の負ける原因となった人じゃないよ
そもそも太平洋戦争の負けは戦術や戦略で負けたというより、元々勝てない戦争だから、負けた責任は太平洋戦争に突入せざるをえないようにした人達にある >>918
それもぜんぜん違う
航空機産業は全世界的に異様なくらいほんの数年で数十倍に急拡大していったから
「熟練工」なんて世界の工場のどこもほとんどいなかったし日本の工場にもマニュアルはあった
完成品が不具合だらけだったってのは全世界的にそうだったのよ >>927
あの頃の日米の国力は日露と変わらないかそれ以下だよ
国力差10倍くらい 乃木希典の日露戦争の指揮は同情できる点がいくつかある。
まず海軍がバルチック艦隊と旅順に控えているロシア艦隊の合流を危惧して
陸軍に旅順攻略を急がせたこと。そして乃木の第三軍は旅順を始めとする
地域のロシア軍の陣地などの情報がほとんどない中で戦闘を行わざるを得なかった事。 >>924
アメリカ側からは山本は当時の日本軍の中では最も優れた指揮官で
彼の変わりになる人物はいないという評価を受けていた。 >>930
楽観的な戦略で戦争をはじめた軍部に最も責任がある
海軍が米海軍を叩き潰して
陸軍が中英を締め上げて2年以内に降参させれば
アメリカが戦意を喪失すると思っていた
結果は 中英は降参せず
アメリカは2年で圧倒的な大艦隊を編成して
攻め込んできた >>923
単純に比較もできんような。
日本はまだ工業力はなかったけど戦艦三笠みたいな
当時のイギリスでも最新鋭の戦艦を売ってもらえたし。 総理大臣 松永久秀
外務大臣 安国寺恵瓊
内務大臣 石田三成
大蔵大臣 斯波義銀
陸軍大臣 足利義輝
海軍大臣 十河存保 石田三成に責任擦り付けて、靖国に合祀されたA級戦犯どもは無罪放免かよ! >>936
そんな後付けの知識で何言ってんだ
保阪や半藤に洗脳されてるわ 笑 おまえらなぁ
好き勝手言い過ぎ
日本は本来17発核爆弾が打ち込まれる提案が当時のアメリカ軍から出ていて
1発目の標的が京都だったんだよ
その提案を当時のアメリカ副大統領が却下したのが幸い
つまりそういう儚い国なんだよ、この国は >>923
それ鉄鋼生産量とかの倍率だろ
石油の生産量だと100倍
船舶保有量で1.5〜2倍 まあ、今の北方領土にしろ、竹島にしろ、憲法改正にしろ、
すべてこの戦争で負けたのが一番悪いのは間違いない。 >>944
でも、女性が開放され女性が楽しく暮らせる素晴らしい国になったわな
家制度の女は悲惨だった
女性が開放され女性の地位が向上したから負けて良かったんだよ
俺はそう思うけどな >>900
ミッドウェイを例に出すなら、ミッドウェイ島の攻略と迎撃に来た敵機動部隊の撃滅
どっちを優先するか内地にいた段階で詰めておかなかった連合艦隊司令部と
現場となる南雲部隊の司令部のミス
だいたい、どの場面でも2つの違う目標があってどっちを優先するか
曖昧にしたまま始まるプロジェクトはだいたいが失敗する
ミッドウェイ作戦も
ミッドウェイ島攻略を優先→ミッドウェイ島攻撃を重点に置く
→第一次攻撃隊の攻撃で終了→敵機動部隊の攻撃は直掩機が撃退
→ミッドウェイ島攻略は無事に終了→敵機動部隊の存在は戦後になって判明
敵機動部隊の撃滅を優先→偵察機の数を増やして索敵を重視
→ミッドウェイ基地攻撃は陽動レベルで史実より少なく。
→一次攻撃後は敵機動部隊が出るまで対艦兵装のままで待機
→敵機動部隊発見後は全力で敵機動部隊撃滅に奔走し、米機動部隊は壊滅
判断を明確化させていればどうやっても失敗しない作戦だった >>944
今の日本の大都市はほぼすべてが戦争末期のB29の空襲で
焼け野原になった後、更地が多数で来たことで
戦後の都市計画が作られた
つまり今の日本の都市は戦争で負けた事で生まれたようなもの >>937
バルチック艦隊の補給をイギリスが邪魔した話も有名だもんな
日本海に着く頃には疲弊してたって話 >>934
それ、敵国から褒められる軍人ほど信用してはいけない良い例だな >>948
それをいうんだったら、なぜ日英同盟に従って
WW1で英国側に立って積極参戦しなかったのか?って話
英国からして見れば日露戦争の恩を返してくれると思ったら
辻褄合わせ程度の派兵しかしなくて英国の戦艦出動の要請は蹴ってる
これが原因で日英同盟は解消、WW2で英国と対戦することに
WW1で英国側に立って積極参戦していれば、日英同盟は継続で
WW2は、日英vs米独 になっていただろう アメリカとの戦争を避け
イギリスとオランダやフランスに対してのみ宣戦布告は可能だったか? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。