>>911
漢時の朝貢の時は北部九州の奴国の朝貢でその当時は漢土方千里と考えられていたから
北部九州までが萬里に設定されている

卑弥呼の朝貢までに大陸の哲学、世界観が淮南子で整理され、
大陸王朝の直轄地=中央之極も、東の世界の果てまでの距離・東方之極も
萬二千里と考えられるようになった

これは大陸知識人の常識だから陳寿もこれを踏まえて書いている
魏への卑弥呼の朝貢では北部九州からさらに水行陸行で2ヶ月進む
二千里の移動としては妥当な日数